◎17 : 意思
ふわり、ふわふわ。まさに、そんな感じだった。
ダイビングをしたことはないからわからないけれど、まさに、こんな感じなのかもしれない。
揺れるように、流れるように。浮いているように、だけれど、止まっている。
どちらが上でどちらが下か、検討もつかない。
『
アンタが、ボクを利用しようとしているワケじゃないんだ?』
あの黒い子の声が聞こえて、結構、話す子なのかな、なんて呆けている頭で考える。
途端、不機嫌な声があたしの中をかき乱した。
『
余計なことは考えるな。ボクはアンタの中にいるんだから。』
あたしの、中にいるの?
どういう意味だろう、と考え出すと、彼はめんどくさそうに舌打ちした。
『
ボクは人間にはリオルと呼ばれてるポケモンで、波紋を使うことができるんだよ。
まだ、長時間の制御はできないけれど…卵の中からアンタたちを見ていた。』
いつか、殺してやろうと思って。
楽しそうに言う彼の言葉の意味がわからなかった。生まれ持っての殺戮衝動があるのなら、放って置くわけにはいかないんだよ。
『
ふぅん…まぁ、アンタの中を覗いてボクを利用する気がないのは理解したから、もうどーでもいいよ。
だから、解放してあげる。』
ぱちん、と瞳を開ければ、途端に眩しい光に襲われた。
あらあらと懐かしい声がした。
「お久しぶりね、ヒスイちゃん。貴方昨日の夕べかしら…倒れたのよ」
「ハナノ、さん」
「おかえりなさい。何かお腹に優しいものを作ってくるわ」
暫くそのお水を飲んでから安静にしててね?と笑う彼女に頷いてから、水を一口いただいた。
彼は一体どういう子なんだろう…リオル?聞いたことも、ない。
シンオウ地方っていうのも、あたしがプレイしてた時期にはなかったし。
となると後から出たゲームに違いない。そこで、出てくるポケモン?
腕にいまだに巻かれているまっさらな包帯はおそらくハナノさんが取り替えてくれたんだろう。
パジャマになっているのも、きっと、彼女が。
相変わらずの暖かさに涙腺が緩みそうになったが、ドタバタと聞こえてくる廊下の音に意識を向けた。
バタン、と無遠慮に扉が開かれた。
『
おいヒスイ!大丈夫か!?』
『
まだ寝てなくちゃだめだってば!』
入ってくるなり大声をあげる紅霞と…すい、か?
その姿は可愛らしいチコリータではなく。
「ベイリーフ…!?」
『
僕だよヒスイ!進化したのっ!』
えへへーと笑う翠霞から漂ってくるのは甘い香りではなく、ちょっとスパイシーなもの。
それでも彼の可愛さは健在でぎゅ、と首に腕を回した。
「おめでとう、翠霞。でも、バトルしてないよね?」
『
お前が倒れてたとき、翠霞の大声に起こされたんだけどよ…
キレた翠霞が研究所内であのチビとバトって大変だったんだぞ』
『
ヒスイに何かあったら僕、もう生きていけない…』
すりすりと擦り寄ってくる翠霞を撫でながら、紅霞の話を聞く。
ふむ、つまり翠霞はあの生まれたばかりの子と戦ったのか…。
生まれたばかり、なのに。
「翠霞、気持ちは嬉しいけれど、力でなんでも解決しちゃだめだよ。相手はまだ子供なんだから…」
『
今、誰が子供だっていったワケ?』
ふわり、といつの間にかあたしの隣に立つ…えっと、リオル、くん?
男の子でいいのかな、と思ったところで現実に引き戻された。
だってふたりとも、リオルくんに敵意剥き出しに臨戦態勢に入ってらっしゃるし!
「ふたりともだめだってば!リオルくんは、警戒心が強いだけなんだから!」
『
昨日はいいところで博士にボールに戻されたけど…今日は仕留める!』
『
今回だけ特別に加勢してやるよ、翠霞』
『
アンタたちに興味ないけど、ヤるんなら…殺るよ?』
紅霞は爪を出して、翠霞は葉っぱを宙に浮かせてる。
小さい体が宙に浮いて、リオルくんは指をくいっと動かす。
あああもう!いうこときかないんだから!
「ボールに戻りなさい、紅霞!翠霞!」
『
げっ!』
『
ちょっ…!』
しゅん、と音がしてボールに吸い込まれていく2人にすっかりやる気になってたリオルくんがじとり、とあたしを睨んだ。
ま、まけるものか!(相手は赤ん坊も同然なんだし!)
「に、睨んでも怯まない!それよりも、聞きたいことがあるんだけれども」
いいかな、と小さい身体を捕まえて尋ねれば、何、と簡潔に返される。
実に無愛想な子だ。見た目はとってもキュートなのに。
「は、はもん?って、なに?」
『
…全ての物の波。アンタの心の中や記憶、考えれば考えるほど動きは強くなる。
生じた波を詠むことができる、ボクみたいなリオルやルカリオはね』
つまり意識を同調させるの、と言われて、何がつまりなんだとつっこみたくなった。
難し過ぎてさっぱりわからない…。
だけど同調、という言葉ならわかる。周波数を合わせればラジオが聞けるのと同じで、彼は心の"周波数のようなもの"を合わせることができるってことみたいだ。
と、波紋についてのお勉強はさておき、リオルくんに向き直った。
「あたし、実は少し遠いところに行かなくちゃいけないんだ。それで、君をどうしようか考えなくちゃいけないんだけど…」
『
…アンタは、どうしたいのさ』
「あたしがどうしたい、じゃないんだけどね」
ウツギ博士に聞いてみる前に確かめたかった。
いくら博士とはいえ、やっぱり意思のある、命に対して行動を束縛する権限はない。
もし自由になりたいのなら、あたしが説得するしかない。
うずうずと、返事を待てばきょとんとしたリオルくんの顔。
暫くそうしていたかと思うと、目を少しだけ細めた。
『
アンタって、相当な馬鹿だよね』
「はっ…!?」
『
人間なんか、消えたらいいのさ…』
痛そうに、辛そうに、リオルくんが言った。
卵の中にいたときから、きっと何かがあって、ナナカマド博士という方に救われたんだろう。
流れ流れてあたしの腕の中にいる彼が例え人間不信になったとしても、誰も彼を責められない。
人間の責任なのに、どうして、こんな小さい子が苦しむんだろう。
ぎゅ、と引き寄せて抱きしめれば僅かに腕で抵抗された。
でも離すつもりはない。
「ごめんね」
人間の、せいで。怖い思いをさせてしまって。
ぎゅっと腕の中でリオルくんは服を掴んだ。強がっても、意地を張ってもまだまだ小さい。
あたしが護って、あげなくちゃ。
『
それ、本気?』
「へ?」
突然の質問に腕の力を緩めてリオルくんを見る。ちょっとだけ視線を泳がせて、気まずそうに少しだけあたしと眼を合わせた。
だから、と小さく、もごもごと話す。
『
ボクはまだ力を制御できないから、強い意志とか、心の叫びとか、感じ取ってしまうワケで…』
の、覗くつもりはなかったんだから!と必死に弁解するリオルくんを撫でつつ、でも何を"覗かれた"のかはわからなかった。
結局それは教えてくれないまま、少しの時間そうしていた。
ハナノさんにご飯をいただいて、軽くシャワーを浴びたあたしは研究所に向かっていた。
ひとつは、リオルくんのことを頼もうと思って。彼がどうしたいかは聞けてないけれど、彼の意思を護るのがあたしのすべきこと、だと思う。
それからもうひとつ、ニュースでやってる人化のこと。もしかしたら博士ほどの人だし、何かわかるかもしれない。
そのかわりに、全部をぶっちゃけなきゃいけないけど。
「こんにちは、ウツギ博士ー?」
研究所の入り口で叫んだけれど返事はなかった。
あたしに大人しく抱かれているリオルくんがほんの少し、うとうとしている。(お昼寝したいのかな?)
あたしの声に反応して博士はきてくれなかったけれど、代わりに助手の人がきてくれた。
「ヒスイさん、こんにちは。大事無いですか?」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
ぺこり、と頭を下げれば、いえいえ迷惑だなんて!なんて慌てる助手さん。
掃除のお手伝いにきたときも一から教えてくれた優しい人だ。
「博士は今、ニュースに釘付けで…例のポケモン擬人化の件なんですけれど、ご存知ですか?」
「えぇ…まぁ、はい。案内してもらっていいですか?」
「こちらです」
快くウツギ博士のいる部屋まで案内してくれた彼は、「お茶をいれてきますね」と部屋の前で別れた。
こんこん、と軽いノックをして入れば、本当に気付かない様子でテレビを見ていた。
「はーかーせーっ!」
どん、と軽く彼の背を押せば慌てたように振り向く。
ほらやっぱり気付いていなかった。研究者ってみんなこうなんだろうか。
「やあヒスイちゃん!具合はどうだい?」
「大丈夫です、ゆっくり休めましたからー。」
「昨日のリオルとは和解できたんだね」
すっかり寝ちゃってるリオルくんを見ながら、ウツギ博士は笑った。
その子、どうしたい?と簡単に聞かれる。
「どうしたいって、博士の卵ですから、本来なら博士が処遇を決定する権利をお持ちだと思います。
…でも、あたしが望んで良いのなら、…この子が望むようにしてあげたい。」
意思があって、命があって。それを決定する権利なんて人間に、というよりは本人以外の誰にもないと思う。
その意思を博士に伝えれば、にっこりと笑った。
まるで、予想していたかのような表情。
「ヒスイちゃんならそう言うと思ったんだ。だから、卵を預けたし、ポケモンも渡した。
僕ら研究者や他のトレーナーとは違う何かがヒスイちゃんにあると思ってる。
それを大事にできるかどうかはわからないけれど、それが君の魅力で、だからこそ僕は君を応援しているんだ」
よしよし、と頭を撫でられて、ずきりと胸が痛んだ。
今までハナノさんにも、オーキド博士にも、ウツギ博士にも。出逢った人たちに嘘を吐いている。
罪悪感なんて最近までは気になるほどじゃないって思ってたのも事実。
バレなくちゃいいって、思ってた。
だけど、だからこそ。誠意を見せなければいけない。
「ありがとうございます、ウツギ博士。
それともうひとつ、すごく…大事な話があります。」
「…どうぞ、座って?」
博士の好意を受け取ってソファに腰掛ける。
大丈夫、大丈夫。ゆっくりひとつずつ言葉を選んでいこう。
「これからする話は少し、長くなります。それでいて突拍子もない話です。
信じるかどうかの判断はお任せしますが、今になってこうして話す理由はすぐにわかると思います」
協力者が、今のあたしには必要だ。
黙ってあたしの瞳をじっと見つめるウツギ博士に一回息を飲み込んで、深呼吸した。
もう、逃げない。
「あたしは、………この世界の人間ではありません」
静寂が、あたしたちを包んだ。
09.10.28
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