18 : 理解





全てを話し終えるまで、ウツギ博士は相槌をうつくらいで何も他には言わなかった。
たくさん質問があるはずなのに(それにあたしが答えられるかは疑問だけれど)、何を言うこともなく、真剣な表情であたしの眼をただじっと見ていた。

あたしが恐らく別の世界から来たこと、その世界でポケモンは存在しなかったこと、この世界が遊戯…いわゆるゲームだったこと、この世界にあたしを呼んだのは"アンノーンたち"で、あたしはアンノーンの一族の血を受け継いでいること。ポケモンの言葉が理解できることも、これから行おうとしている無謀な計画のことも、全部隠さず話した。


「成る程ね、」


全て話し終えたときに、ウツギ博士はすっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。
助手さんがあたしが話す前に持ってきてくれたもので、あたしの前には半分より少ないくらいの紅茶が入っているカップがある。

どうりで、そうか、と繰り返す博士にあたしは肩を落としていた。
これが正しい選択であると信じてはいるけれど確証はない。
なんて言ったらいいかもわからず、紅茶を飲もうにも震える手でカップを持つのも忍びない。

ただ震えを悟られないように、じっと、待てばいい。
見捨てられてもあたしは行かなければならないんだから。


「ひとつずつ、混乱させないように質問してもいいかい?」


平静を保たれているウツギ博士の問いに、静かに、声を出さずに頷いた。
今声を出せば情けない声に、なりそうで。
深呼吸をして心を落ち着かせれば、博士はにっこりと笑った。


「まず…君をここに"喚んだ"のは、セレビィというポケモンではないのかい?」

「…恐らくは違うと思われます。確かに時渡りのセレビィなら次元を超えることも可能かもしれません。
 ですが…あたしはセレビィに会ったことすらないですし、他の伝説と謳われるポケモンにも同様です。
 アンノーンは古代のポケモンでこの世界の創造主…そんなことを言っていました。
 この世界を創り、そして終わるその時まで全てを見届ける"監視者"…。
 アンノーンと共に生きることを決めた生命体を、彼らはアンノーン一族と呼んでいました。あたしのご先祖様、にあたるんでしょうか」

「でも君は別の世界で生まれ、別の世界で育った…そうだよね?」

「そのへんは、ごめんなさい、あたしも理解できていないんです。
 向こうからのアクションがなければあたしは彼らと話すことはできないし、あたしも博士と同じ質問を彼らにしました。
 ですがアンノーンたちは"素質は血ではない"と言ったので」


あたしにもその疑問は残っています、と苦笑する。
もう手も震えてはいなくて、声も割りとはっきりと出せている。
ウツギ博士は追及よりも疑問という色の質問をしてくるから、多分、安心しているんだと思う。
尋問のようにされていたら、…答えられる状態にはなってなかったと思うから。

博士は「そっか、悪かったね」とにっこりと笑った。
よく地味だと言われるウツギ博士だけれど、こうした優しいところや気遣いの上手いところは博士の魅力。
すみません、と頭を下げる。


「いいんだ、ヒスイちゃんは気にしなくていいことだから。この件は僕の方でも探ってみるよ。
 それで…アンノーンたちは他に何か言ってた?」


ガタガタとメモを取り出しながら言う博士に、ちょっと考える。
そういえば、監視者をやめたとか、言ってたような…
思い出せ、思い出せ。全ての事柄は点だけれど、必ず線になるときがくるのだから。
ひとつひとつを大切にしなければいけない。


「あっ…今は、"監視者"ではなく"記録者"らしいです。空間から姿を消したのは、監視者ではなくなったから。
 彼らもいちポケモンで、ポケモンの未来を案じていました。
 だから、あたしを喚んだのだと。」

「そっか…」


さらさらとメモに何か書き出して、ポケットからボールを取り出した。
ひょい、と投げると中から水色のワニが飛び出してくる。
言わずもがな、ワニノコだ。


博士博士、どーしたの?またお風呂?アタシお風呂大好き!


元気に騒ぐワニノコにびっくりしていると、博士がワニノコの頭を撫でつつあたしを見た。


「疑ってるワケじゃないよ、ヒスイちゃん。でも、証明してほしいんだ。
 このワニノコは昨日特別なことをしたんだけれど、それが何か、聞いてほしい。ワニノコ本人からね」



意味が分からないように首を傾げるワニノコちゃんを手招きして、隣に座らせた。
相変わらずリオルくんは寝たままだけど。


おねーさん、どうしたの?アタシと遊ぶ?

「また今度遊ぼう?それよりも、昨日、ワニノコちゃんは何をしてた?」

うーんとね…お風呂!それから、カスガさんとあわあわした!
 カスガさんといっつもお風呂入るけど、昨日は初めてあわあわしてるお風呂だったの!
 すーっごく楽しかったんだー!


「そっかぁ、じゃあ今度一緒に入ろうね?」

かんがえといたげるー♪


短い足をプラプラさせて楽しそうに言うワニノコちゃんを撫でて、「泡風呂ですね?」と博士に言えば額に手をあてて彼は笑った。
参ったよ、と言う彼は清々しいほどにいつものいい笑顔だ。

ワニノコちゃんをボールに戻してポケットにしまうと、パソコンに向き直ってカタカタとキーを叩く。
暫くしてディスプレイにリオルくんが表示される。


「これは?」

「昨日のうちにポケモンじいさんを通じてナナカマド博士からデータを送ってもらったんだ。
 種族名はリオル、波紋ポケモン。進化方法はわからないけれどルカリオ、波動ポケモンに進化するらしいね。
 属性としては格闘、進化すれば格闘と鋼になるみたい。
 まだ研究データ収集中のポケモンで詳細はわからないんだけれど…」


役に立てばいいなと思って。にこり、と笑う博士。
リオルくんの頭を撫でれば、ぴくり、と反応した。でも起きそうにはなかった。


「ありがとうございます、博士」

「ううん。でも、随分ゆっくり寝てるね」


くすくすと博士がリオルくんを見て笑う。
だってまだ生まれてから1日も経ってない、…あと数時間で1日だろうけれど。
きっと生まれたのにお父さんもお母さんも兄弟もいなくて寂しいに違いない。

ところで、と博士がソファに座りなおした。


「ポケモンが擬人化する件で、何か知っているんだよね?」


そうだ、忘れてた。と翠霞をボールから出した。
紅霞は確かあまりあたし以外の人間に優しくない。(あたしに優しいかはひとまず置いておいて)(嫌われてはいない、と思う)
ベイリーフの翠霞はきょろきょろと室内を見回してから、むす、とした表情であたしを見た。


なんでソイツが、よりにもよって!ヒスイの!膝の上で寝てるワケ!

「…お昼寝中なの。翠霞はお兄さんだから、もうお昼寝なんかしないかもしれないけど…
 でもこの子はまだすっごく小さいからお昼寝しなきゃダメなんだよ?」


ね、お兄さん?と笑えば案の定、少し考えて『それもそうだよね、僕お兄さんだし。』と表情を戻した。
思うに翠霞は紅霞を兄のような存在だと思っていて、疎ましいと思うことも羨ましいと思うこともあるだろうから。
立場に憧れていないはずはない!と思って言えば簡単に言い包めることができた。
翠霞には悪いけれど…頭の良い翠霞もこういう抜けてるところがあるから可愛いんだよねー…。

と、親馬鹿になる前に、本題に入らなくちゃ。


「翠霞、お願いがあるんだけれど…人になってくれる?」

…その様子じゃ、博士には話したんだね


何かを悟ったように一瞬光って(それでもぼんやりとした光だった)姿を変える。
やっぱり、そうか。前はあたしより年下の風貌だったし、あたしと身長も大差なかった。
今はどうだろう、160センチくらいにはなっているみたい。


やっぱり容姿の変化は僕の考え通り、進化によって起こり得るんだね。
 でも全てのポケモンが人の形をとれるわけじゃないし、何らかでこのマークとそのペンダントが関係あると僕は踏んでるんだけど…


「き、き、君、あのチコリータ…!?」

こうして話すのはハジメマシテ、だよね?僕は翠霞、ヒスイからもらった大切な名前だからちゃーんと覚えなよ。
 それからマークっていうのがコレで、



博士の困惑を無視して少し長くなった髪をかきあげる。
以前にも増してはっきりとなっているそのマークを指でトントン、と叩いた。


で、ペンダントっていうのが、ヒスイのしてるヤツのことだよ。
 ヒスイにもトラブル続きで言うのを忘れてたんだけれど、僕の推論はこうだ。
 ヒスイがアルフの遺跡で倒れた後、僕はヒスイが倒れた瞬間を目撃していたし、ヒスイの体にダメージがないように鞭で支えた。まぁ力が足りずに多少、あちこちぶつけたみたいだけど…。
 ヒスイが倒れている間僕は確かにチコリータの姿をしていて、視界も低かった。
 最低でもヒスイの身体を抑えようとしていた鞭をしまうまではね。
 じゃあいつ僕がヒスイや博士と同じような姿になったのか…それは紅霞がヒスイに駆け寄ってきた時だったと僕は推測してる。
 何故か、その時にヒスイのペンダントが眼を細めても直視できるようなレベルじゃない光を発したんだよ。
 その時以外僕はヒスイから眼を離していないし、その後…人の姿の紅霞を見た。
 直視はできなかったけれど僕の体の中にひとつ、黒い珠が入ったんだ。
 まるで水にモンスターボールが沈むようにね。この場合、水って言うのは僕の身体のことで


「まってまってまってええ!」


博士がわーっといきなり騒ぎ出した。
元々あたしは翠霞の頭の良さと冷静な判断力を理解していたけれど、まさかこんな詳細に、しかもペラペラと話されるとは思ってなかったウツギ博士はメモに急いで書き出した。
がりがり、とペンの音がする。もの凄い力できっと書いているんだと思う。

その間にす…、と翠霞があたしの隣に座った。


ごめんね、ヒスイ。黙ってるつもりはなかったんだけど、

「そんな大事なこと忘れちゃだめでしょ?もし、翠霞の身体がおかしくなっちゃうような事だったら大変なんだから。
 あたしは医学の知識はホント、常識レベルしかわからないし、ポケモンなんてそのへんのトレーナー以下の知識なんだよ…何かあってからじゃ、遅い」


ぱちん、と翠霞にデコピンすれば、ぎゅ、と肩を抱かれた。
心配してくれてるの?すっごく嬉しいよ」と耳元で囁かれて慌てて(でもリオルくんは起こさないように)腕を伸ばして翠霞を剥がした。


「もう、からかわないでよー!」

まっさかー。僕はいつでも本気なのに♪

「お取り込み中のところ悪いんだけれどチコ…翠霞くん、話の続きを聞かせてくれるかい?」


メモ用紙を真っ黒にして(お世辞にも綺麗な字とは言えない)博士が翠霞に軽く話をふる。
チッ、と舌打ちが聞こえた。(腹黒さが一段と増した気がする)(気のせいだと嬉しい…)


光が収まった後、僕は恐らく、ヒトになってたんだと思う。
 確証はないにしても、ヒスイが目覚めるのはそれから数分も経たないうちにだったからね。
 ヒスイの第一声が
「だれですか」だったんだから僕も記憶喪失になったかと思って焦ったものだよ。
 でもヒスイが目覚める前に、眩しい光が収まる前にチラッと見たんだ。

 無数の黒い珠が、宙へと飛んでいったこと。



宙、へ?翠霞の言葉を信じていないわけではないけれど、あの時あたしは遺跡の中にいて、決して空を拝めるような場所にいたわけじゃないのに。
理解できずに翠霞を見れば、あたしにわかりやすいように説明してくれた。


宙に、っていうのは言葉どおりなんだ。壁に吸い込まれていった。
 僕の中に入ったのはたったひとつだし、紅霞がどうかわからないけれど、あの時点で僕が一番優先すべきだったのはヒスイの安全を護ることでしょ?
 ヒスイはすぐに眼を覚ましたし、話してるうちに正常だって判断したんだ。


「なるほど…でも翠霞くん、もしそれが"壁に吸い込まれた"のではなく"壁を障害物として認識しなかった"場合、どうなると思う?」

それも併せて考えたよ、初めてニュースを見たときにね。
 でも博士、勘違いしないでほしいな…僕がこの頭を働かせるのは、博士のためでも、ヒトのためでもないんだ。
 ヒスイに関係すること以外に、僕はさして関心がないんだ。



できるだけ知識を増やしたいとは思ってるけどね、とにやりと笑う翠霞に、ほんの少し、リオルくんと似た印象を持った。
冷たい印象を少しだけ受けるけれど、突っぱねてはいない。
現に今だってそう、博士をないがしろにするわけでもなくて、もしかしたら翠霞は…

あたしを、護ろうとしている?

何から、と考えれば思い当たるのはふたつ。でも、ひとつ。
"博士"からと考えるより"研究"からだろう。
でも…す、と翠霞の頭を撫でれば、ビックリしたように翠霞があたしを見た。


「翠霞、大丈夫だよ。ありがとう。」

…わかってる、けど


あたしが閉じ込められて研究されるんじゃないか、と思ってるんだ。
たとえそれがウツギ博士であってもきっと疑いは捨てきれない。
博士が悪いわけでも翠霞が悪いわけでもないにしても、そういう研究者がいることを翠霞は知っているんだろう。きっと。


「ごめんね、翠霞くん。僕も少し白熱して質問しすぎちゃったみたいだね…。
 でも僕は思うんだよ、翠霞くんがこうして僕と話せるのは、人の姿でいるから。
 確かに研究は大事だよ。急に自分のポケモンが人間の姿をして混乱している人もいるだろうからね。
 だけれど、これって素敵なことだと思うんだ。僕らにとっても、君たちにとっても。」

…そうだね、貴方のいう通りだよ、博士。
 そういう方向の研究なら僕も賛成するし僕の頭脳を貸してあげてもいいけど…ヒスイは、貸さないからね。


「たまーに近所のオジサンとして電話するくらいなんだから、そんなに睨まないでよ!」


ウツギ博士はパッと両手を挙げて「優秀な子で僕も嬉しいよ」とあたしに笑いかけた。
優秀すぎるのが、たまに傷すぎる気がするんだけどな…あたし。


じゃあ、ヒスイ。残るのは昼寝してるコレだけだね。


コレ、と言われて彼の視線の先のリオルくんを見る。
すやすやと眠るリオルくんを見て、少し複雑な気持ちになって外へと視線を投げつけた。



2009.10.29



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