23 : 敗者





ヤドン事件から一夜明け、ヒワダタウンは尻尾のないヤドンが戻ってきた。
ヤドンにとって尻尾はそれほど重要なものではないらしく(むしろ彼等にとって重要なものってなんだろう…?)、町の人もヤドンの尻尾がないことに気がついたけれど、然程気には留めていないみたいだった。

そういう意味では、ロケット団の考えは正しかったのかもしれない。
けれどあそこに監禁されてたら流石のヤドンもいつか疲れちゃうだろうけれど。
痛みだって、鈍いだけでないわけではないし…。

ということで今日はジム戦。虫ポケモン使いだったはず。
近くにウバメの森があるからか、虫ポケモンは町の木のあちこちで見かけたけれど…正直、億劫で仕方なかった。
こんな恰好をしていても女なのだ。(いつも気がついてもらえないけど!)


「た、たのもー…」


見れば見るほど不気味な(ある意味ではゴースト系より怖いよ)(だってイトマルの乗り物に乗るなんて…!)ジムの内部に片足をつっこむ。
恐怖以外の、なにものでもない。

…夢に出てきそう。


「オーッス!未来のチャンピオン!また会ったな」

「あっ」


サングラスのおじさん、と呟けば彼はニカッと笑った。
この人、あたしより先回りしてジムにいるんだろうか…だとしたらひょっとして、実はすごい人なのかも?

別人だとは思えないし…。「また会った」と言われた訳だから。


「ジム戦だろ!ここのジムリーダーのツクシは他のジムリーダーと違って若いんだ。
 何せ最年少でリーダーになったんだもんな。
 使うポケモンのタイプは虫だ。歩く虫ポケモン図鑑みたいなモンだ」

「ぅ…虫ポケモン、苦手で…」

「なぁに、お前にはリザードがいるだろ?」


前のジム戦を見ていただけあってあたしの手持ちの紅霞の翠霞を知っている。
彼は翠霞を気に入ってくれていたから、今回も翠霞のファイトに期待はしているんだろうけれど…。
虫ポケモンも鳥ポケモンも、草タイプの翠霞にとっては苦手なもの。


「ああ、あとひとつ。絶対にツクシに"ちゃん"をつけるなよ」

「…?何故、ですか?」

「女に間違われることが多くてな…始末が、つけられなくなるんでな…」


げっそりと、おじさんが肩を落とす。
ということはおじさんはツクシくんを知っているんだろうか。いや、むしろ知らないはずがない、この態度は。

何処となくツクシくんの"始末がつけられない"ところに興味が沸いたけれど、それどころでもないし…次の目的はいかりの湖。まだまだ先だけれど、やるしかないもんね。


「おじさん、今回もありがとうございます」

「いーってこった!さっさと行ってこいよ、ナイスファイトを期待してるぜ!」


おじさんに手を振って、あの蠢く気持ちの悪いイトマルの乗り物に乗り込んだ。
真紅をボールから出して腕におさめて。(こわい…!)




「やぁ!君も虫ポケモンが好きなの?ここのジムは僕なりに改造してみたんだ。
 どう?すっごくいいでしょ!」

「えっ?あ、いや……はい、そうです、ね」

「あれ、君…ガンテツさんが言ってた、人?」


何を言ったんだか知らないけれどガンテツさんとは昨日ボールを作ってもらう仲になった。
オマケにスピードボールをいただいている。
彼があたしのことを話題にしたのならヤドンの井戸での話だろうし、一応「多分、」と曖昧に答えた。
にっこり、と少年が笑う。


「それから、ハヤトも言ってた。大きな帽子の可愛い子が来るってさ。
 君がヒスイちゃん、そうでしょ?」

「は、ハヤトさんが?」


ちょっとビックリして顔を上げると、満面の笑みでツクシくんは頷く。
女のあたしでもずきゅんとくる純粋な笑顔は、男の子にしておくには勿体無いくらい可愛い。


「よくハヤトから電話がくるんだ…主に、鳥ポケモンについての自慢話。
 僕は虫ポケモンが至高だと思うんだけど…」

「そう…ですか…」


虫か鳥なら鳥のほうが好き、とも言えず曖昧に笑えば、彼は3つボールを取り出した。
ジムリーダーって、自分の好きなタイプのポケモンをプライド持って育ててる。それって、結構すごいなぁ、と思う。
虫タイプなんて特に、弱点の多いタイプな筈なのに。自分のポケモンをツクシくんは信じていた。

あたしも、信じよう。


「行ってきてくれる?真紅。」




するりとあたしの腕から抜けて前に立つ。何も言わないけれど、やってくれるってことだと思う。
全然あたしに慣れてくれないのは寂しいけれど…今は、バトルのことだけ考えて。

じっとツクシくんが真紅を見て「見たことのないポケモンだね」とボールを投げる。
中からはトランセルが出てくる。


「でも、その様子だと格闘タイプ…だと思うんだけど、違う?」

「正解ですよ、相性は、良くないけれど」


あたしもツクシくんのように信じてる。まだ出逢って日も浅いし(と言えば紅霞も翠霞とも長くはないけれど)、全然思っていることは話してくれないけれど。

でも。


「真紅、電光石火!」

「トランセル、かたくなれ!」


ひゅん、と消えて一瞬にして間を詰めればトランセルが壁にぶつかった。
でも壁にヒビがはいったのにも関わらずトランセルは無傷のまま。
困ったことにあたしは真紅の技をほとんど知らない。大体、格闘タイプの技なら使えるのかもしれないけれど…。

馬鹿正直に電光石火だけで攻めるにも相手の防御が高すぎて相手を倒す前に真紅が疲れきっちゃう。
どうしたらいいの、考えて、ヒスイ。


「トランセル、糸を吐いて動きを止めて!」

「っ…避けて、真紅!」


あたしの反応が少し遅れて、真紅はギリギリのところで避ける。
でも次々に飛んでくる糸は消えることもなくその場に留まっているため、完全に包囲されてしまった。
トランセルの放つ糸が真紅の腕に、足に、絡んだ。

やばい、なんとかしなくちゃ、真紅が…!


「トランセル、かたくなったまま渾身のたいあたり!」

「真紅!」

くっ…あああ!


バキバキと鈍く、嫌な低い音が聞こえてあたしは思わず糸の中に入った。
粘つく糸を無我夢中で振り払って、それでも纏わりつくそれに足をとられて転びながら真紅に駆け寄る。
糸の中で浅く、彼は呼吸をしていた。


「ごめん、ごめんね真紅!今薬をあげるから…」


あたしの手はまるで壊れたように小刻みに震えて、中々薬を取り出せない。
はやくしないと、真紅が、つらいのに。思考ばかり焦っても鈍い動きは変わらず、涙がひとつ、真紅の上に落ちた。

虚ろな瞳でそれを見た真紅は、辛そうに、目を細める。


なんで、怒らないの…

「何を言ってるの?喋っちゃ、だめだからっ…今ちゃんと薬出すから…!」

ボク、負けたんだよ…弱いのに、どうして、責めないの…?
 どうしてボクのために、アンタが泣くの…?



ゆっくりと手を伸ばして、あたしの頬に柔らかな真紅の手が触れた。
震えがぴたりと止まったのに、涙は次々に溢れてくる。
どうして、真紅こそ、あたしを責めないの?あたしがもっとちゃんと指示を出せていればこんなことにはならなかったのに。

真紅はあたしを信じてくれていたのに、あたしが、悪いのに。


「ごめッ…ね…しんくっ…!!」

なんで、謝るの…ボクが、弱いだけ、なの、…に


ふ、と真紅の瞳が完全に閉じて、あたしの頬に触れてた彼の手が滑り落ちた。
苦しそうに、微かに上下する胸はあたしの情けなさを表していて。

考えるほどに、自己嫌悪に陥る。


「しんっ…!」

「しー、起こさないで。はい、薬」


ストライクを連れたツクシくんがあたしに差し出したのは薬。震え始める手を叱咤して、あたしは薬を真紅の口に含ませた。
少し柔らかな呼吸になって、あたしはボールの中に真紅を入れる。


「あ、ありがっ…と、ございま、す」

「ほら、綺麗な顔が台無しだよ。」


ぐい、とハンカチを顔に押し付けられて、ボロボロになった顔を拭かれる。
ものすごく年下の彼にこんなことをされるのは恥ずかしかったけれど、でも、自分の今の状態のほうが恥ずかしい。

呼吸はしゃくりあげて上手くできないし、言葉もはっきりと発音できない。
あたしのせいで真紅が、こんなに傷ついたんだもの。はやく、ポケモンセンターに行きたい。

けれどツクシくんはしっかりとあたしの手をとって戻ろうとする気持ちを阻んだ。


「あと二匹。バトルから背を向けないで。傷ついたあの子も、きっとそう願ってる」


彼のその一言は、あたしにとって大きなものだった。
真紅のことはまだよく知らない。どんなポケモンで、どんな性格で、どんな一面があるのか。
でも確実なのはここから逃げることは全てへの敗北に繋がるんだ。

そんなこと、紅霞も、翠霞も、…それに真紅も、望んだりしない。


「ストライク、居合い切りで糸を切って。」


あたしの瞳に闘志が宿ったことを確認した彼はストライクにトランセルが吐き出した糸を切るように命じる。
あの鋭く光る鎌ですべて切り裂けば、元のジムのように戻った。

しっかりしなくちゃ。まだ、2戦残っているのだから。


「ありがとう、ツクシくん。あたし、頑張ります」


呼吸が元に戻って、震えも収まった。
ポケモンセンターに駆け込みたい気持ちは今もあるけれど、青いボールを指先で撫でる。

待っててね、真紅。あたし、頑張るから。

隣に並んでいる赤い、少し汚れたボールを取って宙に向かって投げた。
中から青の炎を宿した彼がニヤリ、と笑った。


ひっでぇ顔だな。そそるけど。

「馬鹿なこと言ってないで、やるよ、紅霞」

おおー、やる気じゃねェか。ま、こんな雑魚10秒で片付けてやるよ


我が主を泣かせた罪を償わせねぇとな?と紅霞が笑えば、物凄いスピードでストライクが紅霞の懐に入る。
それでいい、紅霞は怯えることもなく、鎌を向けてくるストライクの腕を捕まえた。


俺様の炎を直に喰らいに来るとは、度胸があんじゃねーか

「ッ…ストライク、避けろ!」

クッ…腕が…!

後悔するんだな


あたしの、冷たい「火炎放射」の一言で、呆気なくストライクは倒れた。
確かに10秒程度で済んでしまった早い決着にツクシくんが焦りを見せる。恐らく、今のストライクが主力だったのだろう。

真っ黒になったストライクを素早くボールに戻すと、ツクシくんは口の端を少し上げる。
ああ、そうか。窮鼠猫を噛むって諺を思い出した。油断はできない。
あたしは紅霞と拳を合わせてボールに入れると、翠霞を出す。

油断しちゃだめだ。この一戦で、勝敗が決まるのだから。


「流石…炎タイプだね。僕のストライクが歯も立たないとは思わなかったよ」

「紅霞は確かに強いです。相性も良かった。だけど…この子だって、すごく強いんですから」


ね、翠霞。笑いかければ『当たり前でしょ?』と擦り寄ってくる。
さぁ、真紅の仇、ちゃんと取らせてもらいに行こう。


「コクーン、相手は草タイプだ。この勝負は僕がもらったよ」

そんな簡単に僕が負けると思ってるの?…自惚れるな


ぶわり、と風が吹く。翠霞の周りには葉っぱが異常なくらい浮いている。
いつもより、ずっと多い。


僕の大切なお姫様を泣かせた罪は重いよ?


愉快そうに、翠霞が笑う。翠霞の言っている言葉を理解できなくても、何か嫌な気配を感じたのか、ツクシくんは口を開いた。


「コクーン、毒針を決めて!」

「マジカルリーフで相殺して、翠霞!」


飛んでくる無数の針を葉っぱで方向をずらす。その中の一枚が毒の針の中を掻い潜ってコクーンに辿り着いて身体を切り裂いた。
固い皮膚が、ぱっくりと割れる。


「僕のコクーンの身体が…傷つく、なんて」

まだまだ、お楽しみはこれからだよ?


次々に生まれる葉っぱは確実にコクーンにあたる。その度に固い皮に傷がつく。
一つが真っ直ぐとコクーン飛んでいく。あれは恐らく急所にあたってしまうだろう。
そうなったら固い皮膚を掻い潜って柔らかな進化前の不完全な身体にあたってしまう。

ふと、辛そうな真紅の姿が脳裏に浮かんだ。


「翠霞、マジカルリーフをやめてリフレクター!」

…チッ、ヒスイの頼みとあれば。


明らかに舌打ちが聞こえたけれど(…)(そりゃああたしが悪いけれど、さ)翠霞は指示通り壁を張る。
飛んできた毒針が見えない壁に当たって落ちるとコクーンはその場に倒れてしまう。


「ああっ!コクーン!」

「翠霞、戻って!」


ありがとう、とボールに吸い込まれる光にそういえば、葉っぱが一枚あたしの前に舞った。
それを受け取ってツクシくんに差し出す。


「ごめんなさい、紅霞も翠霞も、ものすごく気が立ってたみたいで…これ、よかったら」


翠霞の葉っぱはよく効くみたいです。と差し出せば、ゆっくりとそれを受け取った。
傷ついた体に当てればコクーンは瞳を少し細めた。


悪いわね、お嬢さん

「あ、女の子」

「…君、コクーンの性別がわかるの?」


驚いたようにツクシくんが顔を上げた。ほんの少し、赤くなっている瞳は草タイプに負けたからだろうか。
「なんとなく」と答えれば、ツクシくんは嬉しそうに笑った。


「ホントは君が僕の特製イトマル号に乗るのを見てたんだ。虫ポケモンが苦手なのは、なんとなく見ててわかったけれど…すごいね!コクーンの性別がわかるなんて!」


だってここの模様がほんの少し違うだけなのに!と笑うツクシくんの純粋な心を裏切れず、あたしも顔をひきつらせて笑った。
でもそうだよ、こんなことしてる場合じゃなくって。


「あの、あたし、ありがとうございました!真紅をポケモンセンターにつれていかなく、ちゃ?」

「その前に。」


あたしの手をしっかり握ってまたも阻止される。ずっしりと重いバッジを渡される。


「これ、受け取ってもらわなくちゃ。一応ジムリーダーだからね。」


ぱっと手が離れて、「はやく行ってあげて?」と背中を軽く押された。
大きく頷いておじさんに挨拶もせずに外に駆け出せば、バッジと反対側に握られたくしゃくしゃになった布に気がついた。


「あっ…!」


ハンカチ、借りっぱなしだ。明日洗って返さなくちゃ。
今は真紅が元気になることを祈って。柔らかなそれと不安をポケットに押し込んだ。



2009.11.06



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