◎24 : 成長
朝早く、目が覚めたあたしは寝てる紅霞と翠霞を置いて部屋を抜け出した。
昨日のジム戦で負傷した真紅は、ジョーイさんに預けられたままだった。
あたしが危惧していた悪い結果には至らなかったけれど、でも、まだ真紅はこの世に生を受けてから何日も経ってない。
何も理解してなかったあたしが悪かったのに。
「ジョーイさん」
「おはようございます、ヒスイさん。ポケモンはすっかり元気ですよ、どちらとも」
「…どちら、とも?」
何を言っているんですか?と聞けば、あらあら、とジョーイさんは口に手を当てて少し笑った。
寝るときのラフな恰好のまま来たから色々察してくれているのだろう。
ラッキーがカートにボールと、あの時の彼を、渡してきた。
「色々考えたんですけれど、届けたのは貴女だから、ミニリュウをどうするかは貴女に任せるわ。
あんなに血相変えて来てくれたのだし、ヤドンの井戸の事も…貴女は悪い人ではないって証明してるもの。」
「あ、ミニリュウ、くん?」
『
おはようございます。まぁまぁ、酷い顔ですね。彼なら元気ですよ?』
まずは部屋に戻られては?と言われ、とりあえず、ミニリュウくんを抱いてボールに入った真紅も連れて部屋に戻る。
鏡を見るなり自分の顔を見て泣きたくなった。腫れぼったい瞼が煩わしい。
昨日1日泣いていてすっかり涙も枯れ果てて眠ったため、寝不足ではないけれど…。
ボールから真紅を出して、眠そうに目を擦る彼を抱きしめた。
なるべく、負担がかからないように、壊れないように。
ジョーイさんに初めて真紅を見せたときには「肋骨が数本折れている」と言われたのだ。
すっかり完治したその身体でも、また壊れるんじゃないか、と不安になってしまう。
『
ひどい顔…シャワーでも、浴びたら?少しはマシに…』
「うん、温まってるからお風呂に入ろう?ミニリュウくんのお話はまた後で、ここにいてくれる?」
『
え、何言って』
『
えぇ、どうぞごゆっくり。』
腕の中で暴れる真紅を捕まえて、ミニリュウくんに後のことを任せた。
彼はあたしのポケモンではないけれど、紅霞や翠霞より年上だという確信がある。
あの落ち着きや物腰の柔らかさは、恐らく。
服を脱ぎ捨ててタオルを身体に巻いた。どうでもよかったのに真紅が律儀に目を閉じてるのが不憫でならなかったから。
腕に抱くとタオルの感触を感じたのか、少しずつ目を開いた。
『
ボク、一応男、なんだけど』
「でもあたしと真紅じゃ母と子みたいなものなんだから、一々恥ずかしがらないの」
湯船に浸かりながら真紅の頭を撫でると、あたたかさに気持ち良さそうに腕を動かす。
少しだけ視線をあっちにこっちにと迷わせて、ため息を吐いた。
『
あのさ、ポケモンは人間と違って生まれてからの精神年齢が高いワケ。
特にボクは波紋で卵の外の情報をある程度入手できたワケだから…』
「真紅とこうしたかったの。…ダメだった?」
彼の抗議に首を傾げれば、う、と言葉を詰まらせた。
さっきよりほんの少し、強く抱きしめる。
「…ごめんね」
『
負けたのは、アンタのせいじゃない。ボクが弱いのはボクのせいだ。
自らの力を過信しすぎたんだ、アンタは、ボクを何も知らない。ボクだって、アンタの事はほとんどわかんない。
だから、アンタ…ヒスイと、ちかづ………話すべきかもしれない』
途中で言葉を飲み込んで、俯いた。
怖いのかな、恥ずかしいのかな、それとも、もっと別の感情なのかな。真紅は本音を隠してしまう。
皮肉屋で生意気で、警戒心が高くて口が悪い。だけど、そうしなくちゃいけない何かが真紅にあって。
卵の中で知ったこの世界は、とても、ドス黒いものだったのだろうか。
真紅に顔を近づけてぴったりと頬をつける。暖かで、濡れた柔らかい毛があたしの頬に吸い付くように貼りついた。
「あたしも、いっぱい真紅の事知りたい。ゆっくりでいいから、真紅のことをわかりたい、近づきたい。
真紅は一生懸命あたしのために戦ってくれてた。なのに、あたしは真紅の力を活かせなかった。
だからね、真紅は何も悪くないの。あたしも、強くなるから」
『
……う、んッ…!』
ぎゅ、と濡れた腕が首に回された。少し、爪が肩甲骨あたりに食い込む。
まだまだ子供なのに、どうして、世界はこんなにも彼に対して非情なのだろう。
あたしが強くならなきゃ真紅を護れない、のに。
ぎゅ、と抱きしめたその時、首にかかっていたペンダントが揺れて、浮いた。
中心の黒目が反応してぽん、と黒い珠を吐き出す。
「…な、に、これ」
『
なっ…!!』
光が弾けて、黒い珠は真紅の身体に吸い込まれた。
真っ赤な瞳があたしを見る。
「
何、今の………あれ?」
「しん、く…?」
あたしの上に座っている少年が、自分の恰好と、あたしの身体と、眼を順番に見て、途端に顔を赤くして外に急いで出た。
服を着ていたまま湯船に浸かったから下半身を覆う全ての服(靴も含めて)がずぶ濡れだと思う。
あれが翠霞の言ってた、擬人化する前の現象?
とりあえずきっとミニリュウくんがなんとかしてくれるか、なんて甘い期待をしつつ少し減ってしまったお湯をばしゃり、と一回顔にかけた。
案の定あたしの替えのハーフパンツを穿いてむっつりとしている(恐らく)真紅がいた。
ニコニコとしているミニリュウくんも。
『
服は借りました、すっかり濡れてしまっていたので』
「ありがとうございます、えっと、ミニリュウくん」
"さん"か"くん"で悩む。だってそれくらい大人っぽいんだもん。
進化すれば少し大人っぽくなるというのだから、これからダンディズムを極めるのだろうか、ミニリュウくんは。
ぎゅーっと可愛い形の帽子を抱きしめてる真紅はあたしを犯罪者にさせるつもりなのか…
つ、つまり、それぐらい可愛い。チコリータ時代の翠霞よりもずっと可愛い。(幼さって意味で!)
大きく、つり上がった瞳はまさに"真紅"で赤があたしを見た。
「
どうやったら戻るの、コレ」
「それはお兄さんたちに聞いてみないと…あたしはポケモンになれないから、答えがよくわからないんだ。
感覚で好きになんとかできるみたいだけど…」
『
想いが強くなったから、その姿になっているのですよ。あなたは彼女を信頼したのでしょう?』
にっこりとミニリュウくんが笑えば途端に真紅は顔を真っ赤に染めた。
ああもう一々反応が可愛い!ずっとこのままでいてくれたら弟にできちゃうのに…。
でも既に真紅は紅霞と翠霞の可愛い弟なんだから、だめだよね、うん。
よしよし、と頭を撫でれば、スカートの裾を少し、小さな手が握った。
「
この姿じゃ、アンタを護れないんだよ…」
「…嬉しいこといってくれるけれど、護ってくれなくても構わないの。
真紅は真紅のことを護ればいいの。あたしも、あたしと皆を護れるように努力するから」
ぎゅーっと腰に抱きつく真紅の頭を撫でれば、柔らかな髪が指の間を抜けていく。
真っ黒の髪はあたしよりも艶があって綺麗だった。
さて、と不意に顔を上げたミニリュウくんはあたしを見る。
『
ヒスイ…さん、これからどちらに行かれるのですか?』
「えっと、ウバメの森を越えてまずはコガネシティに向かう予定かな?」
『
では単刀直入にお聞きいたします、私をどうすべきとお考えですか?』
にっこりと、ミニリュウくんが笑ったまま言った。
どうするも何も、とあたしは眉尻を少し下げる。だってそもそもジョーイさんが何とかしてくれるものだとばかり思っていたし…。
ポケモン保護センターとか、そういう施設?はあたしは知らない。
ミニリュウくんの問いに答えられず、あたしは横に首を振った。
「あたしが決めることじゃないよ、ミニリュウくんが好きな場所に行けばいいし、好きなように生きる権利がある。
でももしひとりでフスベシティに行ったりするのが不安なら…」
『
本当に、お優しい方ですね。でも私はそう願っているワケではないのです。
貴女の傍に、置いてはいただけないでしょうか?貴女の、傍で護らせてください』
ぴくん、と腰に抱きついていた真紅が反応する。
視線をちらり、とミニリュウくんに送れば、彼もまた真紅に微笑みかけた。
本当によくできた方だと思う…人間以上に落ち着きがあって思慮深い。
なのにあんな人に傷つけられて、それでもまだ、あたしという人間を信用すると言うのだろうか?
いや、むしろ監視、かもしれない。あたしがアンノーンの望む事を成せる人物かどうか。
「…じゃーん!」
オレンジのボールと赤のボールを見せて、どっちがいい?と聞いた。
オレンジのほうのボールはガンテツさん特製スピードボール、赤は釣りをしていたあのおじさんにもらったモンスターボール。
少し悩んで、くすくすと彼は笑った。
『
どちらでも構いませんよ?』
「じゃあ折角だから、もらったばっかりのガンテツさんボールにしよう!」
由緒正しい職人さんだもの、ボールの居心地だっていいはず。
彼が一体何を目的としてそう言ってくれているのかわからないけれど、フスベに行けば野生に戻りたくなるかも、しれないし。
その時に逃がしてあげれば問題ないよね。
「じゃあ…いれるよ?」
『
はい。』
静かに、彼は眼を閉じた。
ボールを軽くあてて赤い光となって吸い込まれる彼を、じーっと真紅は見ていた。
「
アイツ、アンタが思っている以上にいいヤツだと思う」
ナチュラルに人の心を読める真紅はポケモンの心の波や強い想いを感じ取ることができるみたいで、少しだけ、嫌そうにそう言った。
仲間が増えるのは嬉しくないのかもしれない、だって、真紅はまだ生まれたばかり。
紅霞と翠霞との間に隔たりを感じているのかもしれない。
…でも、だからこそミニリュウくんの助けだって必要になる。
彼はすごく大人できっとあたしが支えきれなかった分真紅のことを支えてくれるだろうから。
もちろん紅霞や翠霞のことだって、支えてくれるだろうし。
結局真紅はあの後翠霞にレクチャーしてもらって元の可愛いリオル姿に戻ってしまった。
朝食の用意の最中も腰にくっついてたのに、原型に戻った途端離れてしまってすごく寂しい。
それでも抱き上げたら大人しく捕まってくれるようになったけれど。
用意を済ませて、昨日借りたハンカチを返しにヒワダジムへと足を運んだ。
外は快晴で、腫れぼったかった目もなんとか元に戻し(ちょっとまだ完璧とは言えない、けど)真紅も無事に戻ってきた。それに、新しい仲間もできた。
ミニリュウくんと真紅をボールから出して(紅霞と翠霞は前科があるからね!)(ストライクを真っ黒にしたりコクーンをボロボロにしたり…)扉をくぐれば、どん、と誰かにぶつかった。
あたしより少し背の高い・・・
「ヒビキくん?」
「あれ、ヒスイ!ジム戦に…きたんじゃ、ないんだ」
帽子の端に鈍く輝くそれを見て、彼も帽子を見せた。たった今勝ったばかりなんだ、とマリルちゃんを抱いて笑った。
久しぶりだね、とマリルちゃんを撫でれば彼女は少し頬を染めた。(か、可愛い…!)
事情を説明すれば、一緒にツクシくん特製イトマル号に乗ってくれるらしい。(心強い!)
イトマル号の上で珍しそうに真紅とミニリュウくんを見た。
ポケモン図鑑を取り出して真紅に向けても"認識できません"の一点張り。
「珍しいポケモンだよなー。どうしたの?」
「ウツギ博士から預かってた卵が、孵ったの。リオルってポケモンで、名前は真紅って言うんです。」
「そうかー、よろしくな!真紅!」
わしわし、と真紅の頭を撫でれば『
気安く触るな!』とその手に噛み付いてしまった。
マリルちゃんはケラケラ笑ってる。
「ちょっと真紅…!だめだよ、噛み付いたら!」
「いてて、大丈夫だってヒスイ。ごめんな?行き成り触って悪かったよ」
噛まれた手を振って痛みをはぐらかすヒビキくんはやっぱりポケモンに優しいし、何より、ポケモンの気持ちを理解している。
言葉を理解できなくてもヒビキくんはわかってしまうのだ。たまに、外れてるけど。
ミニリュウくんに今度は図鑑を向ければ、ちゃんと認識して説明が出てくる。
すげーなぁ、とヒビキくんが目を丸くした。
「ミニリュウっていうと、ある一族しか入れない場所に生息してるって聞いたことあるんだけど…あ、コイツはおとなしそうだ」
『
ふふ、初めまして。真紅も悪気はないのです、あまり御気を悪くなさらないで下さいね』
「おおっ、なつかれた!」
ミニリュウくんのその性格は元々みたい、とも言えず、良かったねと胸に真紅を抱いて言えば彼はリュックから何かを取り出した。
赤とか青の妙な模様がついている、卵。
「俺がウツギ博士から預かってるのはコイツなんだけど…なっかなか生まれなくてさ」
「あったかーくしてあげたら?ほら、炎ポケモンとか…」
がたん、とイトマル号が揺れて動きを止める。うーん、と首をかしげた。
先に降りて手を差し出してくれる紳士なヒビキくんに甘えて手を借りて降りれば、じっとマリルちゃんを見た。
「やっぱマリルに抱かせてるのが間違ってたかなぁ?」
『
当たり前じゃないの…』
呆れたようにマリルちゃんがため息を吐けば、後ろから声がかかった。
「ヒスイちゃん!それに…えっと」
「ヒビキだって言っただろ!」
忘れんなよ!と涙目で言うヒビキくんにごめんごめん、と爽やかな笑顔を彼に向けた。
あれ、なんだか今寒気がしたけど…気のせいかな。
「ところで(僕の)ヒスイちゃんとヒビキくんは知り合いなの?」
「あぁ、友達なんだ!同じワカバタウンに居たしな!」
「へぇ…そうなんだぁ」
にっこりと張り付いたあの笑顔に嫌な汗が出る。たとえばそう、翠霞が笑った時のような…。
ツクシくんはそのままさっとあたしの手を取った。
「で、ヒスイちゃん。僕にわざわざ会いにきてくれたの?」
「あ、えっと、昨日の御礼もちゃんと言えてなかったし、これ…」
ハンカチをポケットから出して渡せば、あ、と彼がそれを受け取った。
ヒビキくんがわけもわからないように首をひねってる。
「おかげさまで、真紅もこの通りに元気になりました。ありがとう、ツクシくん」
「気にしないで!それより僕もヒスイちゃんに渡したいものがあったんだっ!」
奥に走っていったツクシくんの後姿を見て、なぁ、とヒビキくんが口を開いた。
「仲…良さそう、だな…」
「? …そうかなぁ?ジムリーダーさんってみんなに優しいと思いますよ?
ほら、ハヤトさんだってよくしてくれたし…」
「…そうかぁ?」
ヒビキくんが視線を上に上げて「いや…うーん…」と唸っている間にツクシくんが戻ってくる。
紙と、ディスク。恐らくこれは技マシン。
そういえば技マシンの中の技ってどうやって覚えるんだろう…?ポケモンって、不思議だけどハイテクな機器も相当不思議。
ポケモンセンターの回復マシンとか、(使ったことはないけれど)預かりシステムとか…。
ぼーっとディスクを見てると、「中身はとんぼがえりだよ」とツクシくんが笑った。
「それと、これは僕の番号。僕たち、友達だよね!」
ぎゅっとあたしに抱きついてくるツクシくんからなんとか逃れようと、間に挟まっていた真紅がもがいた。
それに気付いて慌ててツクシくんが身体を離す。
「ごめんね、ついはしゃいじゃって!
出かけるところっていったらウバメの森くらいで…暇な時は自然公園とかにも、行くんだけど。
僕友達少ないからさ…」
しょんぼりと頭を垂らすツクシくんの紫色をした髪をそっと撫でた。
ちょっとドキドキしたけれど(ツクシくんは可愛いけど男の子だし)(でも実年齢のあたしよりずっと年下、なんだよね…)彼だってまだまだ遊びたい盛りなんだ。
よしよし、と撫でて「勿論、友達です」と笑えばぱっと顔を上げた。
「じゃあじゃあ、ヒスイって呼んでも…いい?」
「もちろん!」
「わーい!ヒスイ大好きっ!」
さらに抱きついてくることを予期して真紅がぱっと腕から抜け出すと、案の定、今度はしっかりとあたしに抱きつくツクシくん。
なんだか可愛い弟のようだ…いや、あたしからしたらほとんどが年下で弟のようなもの、なんだけれど。
ツクシくんに絶対電話するように言われつつ、あたしはイトマル号に乗り込む。
ふとヒビキくんがツクシくんに引き止められた。
「ねぇ、君、僕のヒスイに手を出したら
どうなるかわかってるよね?」
「はっ…?」
「いい?あと、他の邪魔な野郎が近づいたら
容赦なくフルボッコにしてくれて構わないからね」
「えっ…」
「返事は?」
「は、は…い……?」
「じゃあよろしく♪」
トン、と背を押されて無理矢理イトマル号に乗せられたヒビキくんに、「何を話してたの?」と聞けば青い顔でなんでもないと言われた。
大きく手を振るツクシくんにあたしも手を振り返せば、ヒビキくんがイトマル号の中で小さく小さく体育座りをしていた。
何があったんだろう?
2009.11.07
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