28 : 蕩揺





ゲートでばったり、何故か別方向に行ったはずのヒビキくんに会った。


「あ。」

「お、ヒスイ!」


どうしてここに?と聞けば、「ポケギアで電話したら親父がじーちゃんたちの様子をついでに見て来い、ってさ」と半ば呆れ顔で教えてくれた。
お祖父さん?と聞けば、手を引いてくれた。
コガネシティの大きなビルが見えてきて、案外ウバメの森の近くにあるんだなぁ、と思えば、町の入り口はまだまだ先だった。

つまり、ビルがすごーく大きかったってこと。(まさかこんなに大きいとは!)

森から暫く他愛もない話をしながら(「WICって知ってますか?」)(「それ馬鹿にしてるの!?」)、ある家の前に辿り着いた。
いや、家というには少し大きい。庭のようなところにポケモンがのびのびと暮らしている。


「ここ、オレのじーちゃんとばーちゃんち。育て屋やってるんだ!」

「育て屋、さん」


そういえば、確かにそんなものがあったはずだ。古い記憶を呼び起こせば、ぼんやりと当時の記憶が蘇る。
それが主人公である彼の、(あの頃は主人公は、確かゴールドという名だった)実家だとは記憶していない。

忘れただけか、それとも、あたしの知るシナリオがそもそも違うものなのだろうか。

手をひかれるままに玄関を開けようとすれば、「おや」と後ろから少ししわがれた声が聞こえた。


「ヒビキの友達かの?」

「あ、初めまして、ヒスイと申します」

「じーちゃん!」


親父、心配してたぞ!と半ば怒鳴るように彼が顔をしかめて言えば、お爺さんはほほ、と笑った。
もう既に(血の繋がった)家族というものを半ば失っているあたしにとって彼らのやり取りは実に微笑ましいものだった。

羨ましいほどに暖かいそれに包まれたあたしは、お爺さんに案内されて中へと入った。
入ってすぐのカウンターにはお婆さんが座っていて、「ばーちゃん、オレだよ」とヒビキくんが手を上げる。


「おや、ヒビキががーるふれんどを連れてきよった」

「なっ…!ばーちゃん、ち、ちっ…げーよ!」

「え、お婆さんすごいです、あたしが女だってわかるんですね!」


伊達に間違われてないあたしはむしろそっちのほうに驚いた。
そういえば舞妓さんもあたしを女だと見抜いたけれど(恐らく「あたし」と言っていたからだと思う)、このお婆さんは言葉を交わす前に見抜いたのだ。

中々やるな…!


「ほっほっ、伊達に80年以上も女をやっとらんよ。そうかそうか、ヒビキの片思い…」

「わあああ!ばーちゃん、もう黙れよ!それより、ヒスイ晩飯食っていくよな!?」


お婆さんの言葉が遮られてヒビキくんに急に話題を振られたあたしは、一瞬眼を大きくして、それから首を横に振った。
帽子からゆっくりズバットちゃんを取り出してヒビキくんに見せた。


「この子、毒にかかってて。今はもう全部毒消しで取り除いたと思うのだけれど一応ポケモンセンターに連れて行きたいから、」


申し出はすごく、ありがたいんですけれど。あたしがそういえばびっくりしたようにヒビキくんがあたしの二の腕を掴んだ。


「んじゃじーちゃん、ばーちゃん!オレヒスイのことコガネまで送ってくっから。」

「あ、そんな、気にしないでいいのに」


あたしが二の腕を掴んでる手の上にそっと自分の手をかぶせると、ばっか、とヒビキくんは真面目な顔をしてあたしを睨んだ。
何か、怒らせるようなことを言っただろうか、ぼんやりと考えていると、鼻を少し掻いた彼は視線を逸らす。


「女の子ひとりで夜道なんか、歩かせられるかよ。」

「…ありがとうございます」


優しいんだな、相変わらず。初めて彼が紅霞を見たときも、優しさ故の静かな怒りを感じた。
あの時とまったく変わらないその真っ直ぐで純粋な彼の心に知らないうちに救われているのだ。

ヒワダタウンの時だって、ついてきてくれたし。買い物にも付き合ってくれた。

頭を下げて育て屋さんを後にして、ゆっくりと真っ暗な道を歩く。
時折ポケモンバトルをしていることもあって、遠くからそれを眺めていた。
このあたりは外灯の設備もしっかりしていて、そこまで不安なことはないのに、ヒビキくんはぴったりと横を歩いてくれていた。


「あの、もうこのへんで、大丈夫ですから」

「なぁ」


あたしがそう言えば逆に、話しかけられる。
首を傾げれば、視線は下のまま彼は口を開いた。


「いつまで、敬語なんだ?礼儀正しいヤツだってのはわかってるんだけどさ、」


なんか距離を感じる。そう言われて初めて自分が(中途半端でも)敬語を使っていたことに気付いた。
習慣染みていたことが、他人の心を曇らせてしまうことになるとは。


「ごめん、ね」

「ん。友達なんだから、遠慮すんなよな。ほら、着いたぜ!」


視線の先にはポケモンセンターの屋根。
ヒビキくんにお礼を言って、心なしか早足になりつつカウンターに駆け寄った。


「こんばんは、ジョーイさん。見てほしいポケモンがいて、」


ジョーイさんの挨拶も聞かずに帽子の中からズバットちゃんを取り出した。
くたっとしている彼女を見て、ジョーイさんは眉をひそめた。


「あの、実は人間用の毒消しがなくて、この子が抜いてくれたんですけれど、えっと…毒消しを使っても起きなくて」

「えぇ、元々ズバットは毒に耐性のあるポケモンだもの。毒は要因ではあるけれど原因ではないわね…。
 恐らく、疲労が原因だと思うわ」


彼女の白い長い指が翼の傷を指す。まだ新しいその傷を治すためにズバットちゃんはカートで運ばれていった。
朝には治るだろうことを聞かされて、あたしはその晩ポケモンセンターで過ごした。



翌朝、ジョーイさんからズバットちゃんを渡してもらって、とりあえず朝のコガネシティを散歩した。
大人しくズバットちゃんはあたしの腕の中にいたけれど、心なしか、元気がなかった。

そもそもあんなになるまで頑張ってた理由も、何故ここにいるかも聞いてない。


「あの、ズバットちゃん、聞いてもいい…?」

…はい

「どうして、ウバメの森にいたの?」


あたしの質問に、少し顔を上げてあたしを見上げた。(目はないのだけれども)
暫くの沈黙の後、ズバットちゃんはあたしの胸に寄りかかる。


実は、前に話した恋人の姿がここ数日見当たらなかったんです…。

「前に聞いた、喧嘩したズバット?」

はい


しょんぼりと、頭を垂らすズバットちゃんの頭を指先で撫でながら、続きを待った。

彼女たちズバットが扱うのは視覚でも嗅覚でもなく、超音波。彼女も勿論例外ではなく、それを巧みに操ってその恋人の痕跡を探したようだった。
ウバメの森に入ったところまではわかったらしいのだが、そこから、途切れたという。

力尽きたのか、或いは、人間に捕まっていて、ボールに入っているのか。

そのズバットくん(彼女の恋人)は繋がりの洞窟までは確実に生きて、かつ、元気だったし、普段ならそこで引き返して暗闇の洞穴に戻るはずだった。と、ズバットちゃんは話してくれた。
本当に心配そうな彼女の姿に、グローバルターミナルステーションの柵に座って潮風を受けた。

せめて、そのズバットくんがどういう子かわかればいいのだけれど、そもそもズバットの見分けがつかないのも事実。
彼女は物腰柔らかな口調と声でわかるものの、オスとメスの違いなんてのもわからないし…。

力になりたいのに。どんどん落ちる肩を、ぐ、と掴まれた。


「おい、…落ちる、ぞ」

「あれ、シルバーくん。」


おはようございます、ととりあえず挨拶すれば、ため息を吐かれた。
赤い髪がいつもと違って後ろで纏められている。それでも、その髪は風に揺られていた。

手を離してもらえない理由にあたしが柵に座っていることが原因だと気付いて柵から降りれば、やっと肩から手が離れていく。


「そのズバット、」


シルバーくんの視線が下がって、ズバットちゃんを見る。
小さく「お前のか?」と聞かれて、あたしは首を横に振った。


「違うんです、けど…彼女、恋人を探してる途中でウバメの森で疲れ果てちゃって」


あたしが連れてきたんです。と言えば、彼の眉間に皺が寄った。
何かを言いかけて、でも彼はすぐに口を閉じた。

視線を海に向ける。朝日が水面で反射して、キラキラと輝いていた。


「その、恋人…は、見つかったのか?」

「いえ…繋がりの洞窟から戻ってこない、って」

「でもズバットなんてごまんと居るだろ、」


確かに、と項垂れれば、カタリ、と音が聞こえた。
シルバーくんのベルトにかけられたボールが微かに揺れている。

そういえば、シルバーくんとヒビキくんが戦ってたときに、シルバーくんが出したのは?
あの後彼はポケモンセンターに行かなかった。

細長い指が、揺れるボールを掬った。


「ズバット…繋がりの洞窟…?」


お前が言ってることが正しいとしたら…彼の指がボタンを流れるように押した。ボールが大きくなって、ぱかりと開く。
赤い光に包まれて出てきたズバットを見て、腕の中にいた彼女が勢いよく顔を上げた。

そして高く、ふたりで空へと飛んでいく。


なんで、こんなところまで追ってきちまうんだよ!

だって…あなたのことを心配だったんだもの!仕方ないじゃない!

だったら、もう洞穴に帰ってくれよ…お前まで人間に捕まっちまったら、長老にあわせる顔がねぇだろ…


風に紛れてそんな会話が聞こえる。でもシルバーくんには、ズバットの鳴き声しか聞こえないんだろうな。

…ん?あれ?あたし、さっき事情話さなかったっけ…?
話したはずだ、ズバットちゃんから聞いたことを。もう一度確認するけど、"ズバットちゃんから聞いた事"を話したのだ。

わかるはずもない、ポケモンの話を。

どっと吹き出る冷や汗を堪えて、ゆっくりと隣に立つシルバーくんを見上げた。


「し、しるばーくん…」

「やっと気付いたのか。お前、間抜けだな」


笑いもせず、哀れみもせず、だけどその罵声は何処か優しかった。
なんで何も言わないのかさっぱり理解できなかったけれど、深く追求してはこなかった。

もしかしたら、薄々気付いていたのかもしれない。
マグマラシくんの件だってあるし、でも、誰かに話されても困る。

この事をしっているのはウツギ博士ただひとりなのだから。


「あ、の、シルバー…くん」

「黙っていてほしいのか?」


赤い瞳が、あたしを映した。そうなのだけれど、意地悪に細められた瞳に何も言えずに俯く。
もっと子供で、もっとシルバーくんが馬鹿だったらよかったのに。(馬鹿なのはあたしだけど)(あれ、間抜けなんだっけ?)

いつも着ている厚手の服じゃない、黒のゆるい布を掴めば、赤の視線が上に戻された。


「それで、俺が何の得をするんだ」

「う…わかって、ますけど」

「…なら、」


貸しがひとつだ。急に近づいてきた彼は耳元で少し、含み笑いをしながらそう溢した。
いつもよりずっと優しいその言葉に、あたしが奥底に声を戻してしまった。

な、なんでこんなに、胸が煩いんだろう。

すぐに離れた彼が宙を舞うズバットくんに声をかけて、踵を返した。
その背中にかける言葉が出てこなくて、そのままシルバーくんの姿が見えなくなるまで固まっていた。

ズバットちゃんがあたしの頭に乗って、ようやく、あたしは軋んだカラクリ人形のように動ける。
火照った頬に潮風があたり、少しばかり熱を攫ってくれることを期待して、ゆっくりと深呼吸した。



2009.11.15



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