04 : Sketchbook





マサラの浜辺が夕日に染められたオレンジの波に覆われ、曝け出されてを繰り返す。
海は久しぶりだった。アサギの港以来、かもしれない。

ぱしゃり、とあたしの素足に踏まれて波が水音を立てる。
潮のにおいがほのかにする。


「いいところですね、マサラタウン」

「…俺も、そうおもう」


マサラで過ごした今日一日、色んなところに連れて行ってもらった。
グリーンさんという幼馴染(きっとライバルのことだと思うんだけど)と作ったというツリーハウスの場所。
木の上から野生のポケモンを観察して、ポケモンマスターになるという夢を確固たるものにしていった秘密基地。

幼馴染、なんてフレーズはあたしには新鮮で、小さなその小屋で少しずつだけど、色々教えてもらった。
なんだかんだいって彼はグリーンさんが昔から好きなのだろう。世話好きな方だということは話を聞いていてよくわかった。
だってこの人の世話ばかりしているんだもんね。でも、レッドさんだって満更でもないみたいに表情が柔らかい。

後は、花畑とか、こっそり入ってた草むらとか。
色んなところに連れて行ってもらった。そんなのどかな一日。

最後にこの砂浜に連れてきてもらった。元々人口の少ないマサラタウンでここまで足を運ぶ人は滅多にいないらしい。
この海を越えるとグレンがあって、ジムもあると教えてもらった。


「波の音、好きなんだ」


唐突に、レッドさんが言う。
波と遊ぶのをやめて足を止めればざざ、と波独特のゆったりとした音が動きに合わせて大きくなる。

アサギやタンバにいたときは灯台のデンリューのことでいっぱいで、スイクンやちらりと見えたルギア…なんかにいっぱいいっぱいで、紅霞のことを怪我させてしまったり、橙華に出会ったり。いろんなことで頭がパンクしそうだった。
波の音をこんなに穏やかな気持ちでまた聞けるとは、思っていなかった。


「あたしも好きです、波の音。落ち着きますね」


頭の中に浮かぶメロディ。

そういえば、時々寝る間を惜しんで作曲に取り掛かっていたりするんだけどそろそろオーアサさんにも連絡しないと。
時間がかかるとは言ってあるものの、あたしの場合プロデューサーとの打ち合わせもろくにできていないし。
やることが山積みで逸る気持ちを波の音で落ち着かせる。

今はとりあえず、ジム戦だ。


「レッドさんは、」


不意に、鞄からタオルを取り出して足についた水滴を拭いながら口にしてしまう。
彼から答えなんてさして期待もしていないけれど、ほんの少しだけ、僅かな願いを込めて。


「レッドさんは、なんであたしと一緒に…?」

「…………気になるから」


たっぷり間を空けて、彼が口にする。
は?と手を止めて彼を見る。それから、ほんのり期待した…なんてわけじゃないけれど、つまるところそういった"淡い感情"なんてものはその言葉に込められていないだろういつものぼんやりとした視線にほんの少し残念なところは否めない。

少し、いやかなり変な人だけど帽子のつばの奥は整った顔立ちをしていて、きっとかなり女性に人気があるだとおもう。
ハナダでちらほらと女性から視線を投げかけられていたのを思い出す。


「才能は、あるとおもう。性格が邪魔」

「う…褒められてるんだか貶されてるんだか、わかんないですよそれ」


邪魔とまで言われてしまったあたしの性格。確かに、強さなんか求めてなかった。
今だってそれほどほしいとは思えない。必要だから、得られるように努力するだけ。

彼にとってあたしの強さにこの性格は邪魔らしい。なんというか、真っ直ぐすぎる。
きっと彼はあたしの性格を否定するつもりはないんだろう。ただ、チャンピオンを負かせた伝説のトレーナーとしての助言。

でもここまでキツいことを言われたのはこの世界にきてから初めてでついつい言葉に詰まってしまう。


「…邪魔だけど、俺にないものだから」


どんな強さを得るか、楽しみ。ほんの少しだけ彼の口角が上がった。

ああ、そうか。彼はあたしを強くしたいんだ。
それで強くなったあたしを・・・骨まで、喰らうつもりなのか。なんというか、鬼畜極まりない。


「レッドさんも大概"いい"性格してますよ」

「自分でもそう思う」


嫌味すらも、受け流される。
ブーツを履き終えたあたしに彼は少しだけ光を取り戻した瞳を向けてくれた。

「これからよろしく」と一言、振ってきた言葉。やっぱり手放しでは喜べないけれど、それでも昨日よりは彼を好きになれた気がした。
ロボットみたいに無感情だと思ってたその瞳だって何色にも染まる。
懐かしそうにツリーハウスにのぼったり、色とりどり花畑に眩しそうに細められた瞳。

夕日に染まる海に優しい視線を送るそれも。
彼の人間らしさに触れられただけ、なんだか近づけた。そう思ってもきっと構わないんじゃないかなって思ったりして。


「こちらこそ、お手柔らかにお願いします」

「それは、どうかな」


意地悪そうに言う彼の表情はちょっと楽しそうだった。

それから家に帰るまでに泊まる場所が確保できなかったからツリーハウスを借りてもいいかって聞いてみたら睨まれて「うち」とだけ言われたりなんだりで、どうやら野宿は避けられたみたいで安心した。
研究所にアンノーンの資料がないか聞いてみたいけれど、でもアンノーンの起源をアルフの遺跡の研究員ですら知らないのなら彼らに直接あたしが聞くしかないんだろうな。

"ヒスイ"のことだって、きっとわからない。
現存するポケモンたちには直接的な関係がないんだから。

あたしが何者であるか、についてはやっぱり気になる。それは変わらない。
でもそれは無意味な気がするんだ。あたしがあたしとしてすべきこと、したいこと、きちんと出来ていればそこに在るあたしが何者かなんてことは、気にする必要がない。

"彼"を助けて、みんなと幸せになりたい。以上も以下もなくあたしの願いは変わっていない。
つまりそういうことなんだろうな、そう思えば別に史実なんて後回しで構わないと納得した。
あったとして一日であたしの頭で理解できる範疇の話ではないだろうし、借りるわけにもいかないし。

頭の片隅に、置いておこう。

すっかり日が暮れて暗くなってしまったマサラの少ない街灯の下歩いていく。
あの「いってらっしゃい」は正しかったなぁ、なんて思いながら本日二度目の「お邪魔します」を口にした。


「あら、おかえりなさい。お腹空いたでしょう?夕飯、できているわ。手を洗ってらっしゃい」

「あ、あの・・・」

「さ、あなたもよ。えっと、ヒスイちゃん、でいいかしら?」

「はい。お世話に、なります!」


ぺこ、と頭を下げてレッドさんに連れられて洗面台に案内してもらう。
ピカチュウくんがレッドさんの後ろをちょこちょことついて歩いていて可愛い。

最初は紅霞も翠霞もあんなかんじで可愛かったのに…今では、あたしよりもずっと大きいし。
彼らが選択して進化の道を選んだのだからあたしにはどうすることもできないとしても、やっぱりほんの少し…羨ましい気持ちはある。
橙華も可愛いんだけどあまり重くないから(そもそもゴーストだからあまり重さを感じられないということもあるんだと思うけど)、もうちょっとこうがっしりどっしり重さを感じられるといいのに。
ご飯も何も食べないし、普段はポケギアの中だし、やっぱり一緒に並んで歩くのは大きさ的にも真紅がベストみたい。…でも、


「(真紅……思いつめてた、から)」


心配だ。とても。
ああは言ったもののそう簡単に心というものは変えられない、ということはあたしがよくわかっている。
どこか胸で閊(つか)えている"人間でもポケモンでもない曖昧な存在"というのはしこりを残して。
わかってるんだ、それが大した問題じゃないことも。あたしはあたしだということも。
あたしをあたしだと認めてくれる家族がいることだって、ちゃんとわかっている。

でも、心というのはとても複雑で厄介で。
そう簡単になんて割り切れるはずもないんだ、きっと真紅だって一緒。

あの集団が何者で、ミュウツーをどうしようとしているのかはわからない。
それだけでも許せないのに、真紅を今でも苦しめ続けているんだ。

彼らを倒すための強さなら、心を鬼にしてでも手に入れる。真紅にこれ以上苦しんで欲しくない。


「ヒスイ」


変な顔。そう指摘されて、つい眉間に皺を寄せてしまっていたことに気がついた。
すみませんと曖昧に笑って手を洗う。今はただひたすらに、がむしゃらに、強さを求めてしまえばいい。

流れていく泡を見ていたらタオルを渡された。


「思い詰めても、いいことないから」

「…そう、ですよね」


手を拭いながら、送られている視線を恐る恐る覗く。
顔を上げ視線も上げようと首に力を入れた瞬間、頭上に感じる違和感。

ぽんぽん、と撫でられるわけでもなく、叩かれるわけでもなく落ち着かせるためのこの行為に驚いて顔を上げた。
曖昧な瞳が向けられている。ああ、困らせてしまったみたいだ、と軽く謝った。


「ごめんなさい」

「夕飯、冷めるから」


タオルを奪われて洗濯籠の中に放られる。その手はそのままあたしの手首を掴み食卓へと引っ張っていく。
あたしの手を掴んで、導いてくれる。でもそれはあたしの知っている背中じゃない。

ホームシックってわけじゃないし、寂しい、だけだと思う。
口の悪いあの世話焼きの…赤い髪を、どうしてこんなに思い出してしまうのかわからないけれど。
色々なことが起こりすぎた数日で彼に直接「大丈夫だ」って安心させてほしい。
いつだってそういってくれたはずなのに、なんて何も打ち明けられてないくせに本当に自分のご都合主義に辟易してしまう。

涙腺が反応しそうになって、慌てて笑顔を作って手を合わせた。
夕食を堪能して、今暫く彼のことを忘れよう。その"暫く"が長い期間にならないことを祈りつつ。


「ヒスイ、俺のベッド使って」

「あ、あたしはソファお借りします!」

「ダメ。」


こんなやり取りを夕飯を済ませて彼の部屋でもう何度繰り返したかわからない。
彼は頑なに拒んで、最終的にはソファに先に横になられてしまった。

彼だってずっと…シロガネ山にいたんだろう。身体は疲れているはずなのに、彼も大概、世話好きじゃないか。
多少、強引さはあるけれどそれが嬉しくて、つい背を向けて眠る彼に口元が緩む。


「ありがとうございます、レッドさん」

「・・・」


返答はないけれど、構わない。ピカチュウくんがベッドにのぼってきたのでそのまま布団の中に招き入れた。
ベッドから落ちる黄色の尻尾が可愛い。

そりゃあ、レッドさんと一緒に眠れるほどソファは広くないもんね。
短いピカチュウの毛に擦り寄りながらぬくぬくと夢の世界へ歩き出す。

明日から、は、また旅を・・・・





「ッド・・・」


うる、さい、なぁ・・・


「おい、レッド。起きろっつってんだろ!!」

「あと32秒だけ…」

「はぁ?待てるかよ、直接帰ってきた連絡もせずにそれでも幼馴染、かッ!!!
 …………は?」


がばり、と布団を剥がされたらしく冷たい空気が忍び込む。
腕の中にいたピカチュウくんももそもそと動き出して本格的に起きなくちゃ、と目を擦って布団泥棒を見る。

よく喋るとは思ったけれど、このひと、レッドさんじゃない…。

ぽかん、とあたしを見る青年と、ぼーっと見返すあたし。
膠着状態が続いて(その状態を打開できるほどの策が寝ぼけ頭じゃ思いつかずに)部屋の扉が開くまで、ふたりして固まっていた。
ピカチュウくん、どこいったんだろうと目をやれば黄色い身体を抱いた、レッドさん。


「レッ…レッド、お前、女、連れ……?」

「うん」

「はああ!!?あのレッドに女がデキ…おい、どういうことだよ!聞いてねー!!」

「おはようヒスイ、朝食できてる」

「おはようございます。あと、できればまず多大な勘違いをされたご友人の誤解をといてくださったらありがたいです」


やっぱり、今日も波乱万丈。悩む暇なんてなさそうだな。
ひとり大騒ぎする彼の友人になんと声をかけようか考えて、まずは顔を洗うことにした。



2012.04.08





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