07 : Guidance





ポッポの鳴き声と、オニスズメの鳴き声が重なって聞こえた。
もう朝か…とぬくもりに擦り寄る。昨晩は確かレッドさんは、グリーンさんの部屋に泊まったはず。
ならもう少し寝てもいいかな、と目すら開けずに二度寝を嗜もうと意識を手放そうと、した。

けど、なんかちょっとおかしい。この布団こんな感触じゃない、ような…?

んん?と顔を上げる。ようやく外気に晒された眼球が捉えたのは、黒い、ゆったりとしたシャツ。
流れるように落ちている紅い髪。繋がる先の、隻眼の整った顔立ち。
そういえばいつかもこういうことがあって、大体誰かが助けにきてくれるはずだけれども今日は静かだった。

閉じられた瞼から生えた紅い睫。ばさばさで、長くて羨ましい。
抱きかかえられるようにしてずっと眠っていたんだ、どうりでちょっと肩が痛い、ような。

寂しかったのかなぁ…そうだよね、みんなのこと、出してあげられなかったもんね。
紅霞はあまりハッキリとは言わないけれど一番寂しがるタイプだとおもう。くすぐったいような、心配だけど、うれしいような。
ゆっくりと起こさないように腕を動かして、顔にかかった前髪をよける。
深い古傷が皮膚に痕を残して、言いようのない感情が喉で留まる。
そのまま頬に指を滑らせると、自分とは違う少し硬く引き締まったものを感じた。


ん・・・


ゆっくりと瞼を開いた紅霞とバッチリと目が合う。
おはよう、と声をかける。暫く瞬きを重ねた紅霞が見たことないくらい柔らかく笑った。
それから、腰に回されていた腕に力が入って抱き寄せられる。ゼロ距離で、耳にかかる吐息がくすぐったい。


はよ、…ヒスイ

「今何時かな、朝ごはんの準備とか、しようとおもうんだけど」

つれねェな……もうちょい、いいだろ


すっかり覚醒した様子なのに起きるつもりもなさそうに、込められた力は強くなる。
でもどこか寂しそうで、つらそうで、あたしもちょっとさみしかったから。

彼の鎖骨に擦り寄る。こうしてると、本当に人間みたい。
ポケモンって、なんなんだろう。家族だったり、友達だったりだと思ってた。

でも、もしかしたらポケモンに恋したっておかしくない。
だって白波は元々人の姿をとることができたんだもの。ならば尚更、人とポケモンの境界線があやふやになって。
ただそれはあたし、人間(に近しい、が正しい表現だけど)が言ってることであって、ポケモンからしたらどうなんだろう?

顔を少し上げると力が弱まった。
どうした?と紅霞か視線を下げてくる。


「紅霞は、ポケモンは人間と恋に落ちることができると思う?」

はっ…!?い、いきなり何言ってんだよ!

「な、ないよね、そうだよね、うん・・・」


紅霞があまりにも動揺するからつい怖くなって忘れて忘れて、と視線を外してしまった。
そんなに慌てなくてもいいのに…あれかな、もしかして紅霞は、あたしに好かれたと勘違いして、それで…嫌だったから、慌てた?

失礼だなぁ紅霞……そんなこと考えたこともないのに。
それと同時にちょっと悲しくなる。紅霞は少なくともちょっとはあたしを女だと思ってくれてると思ってた。セクハラまがいな発言してくるから。
罪作りなリザードンめ、とその首筋に噛み付いてやろうかと思ったけれどやめた。なんだ「かみつく」ってあたしはポケモンか…!違う!ポケモンではないたぶん!

ひとり悶々と苛々を重ねていれば、上から小さく、別にと降ってくる。
なんだなんだと顔をもう一度上げようと力をいれる前に回されている腕に力がこもった。


べ、別にいいンじゃねェのか、ヒトとポケモン、でも。少なくとも俺はアリだと思う、けど

「へ?意外…あの反応、勘弁してくれって感じだと思ったのに」

ばっ…バカ!ちげェよ!!


今度こそ必死になって弁解する紅霞は別の意味で動揺していて、なんだかさっきまでの苛々が嘘のように溶けてなくなった。
それどころかおかしくなって笑いすらこみ上げてくる始末で、肩を震わせて我慢していたら怒ったらしい紅霞に身体を押しのけられる。

真っ赤な顔した紅霞が一瞬見えたと思ったら背を向けてごろり、と寝返る。
布団をひっぱって頭からかぶってしまった。ああ、やってしまった。それは篭城だよ紅霞…長期戦に持ち込むつもりらしい。


「ああーもうごめんって紅霞ー!」

・・・バカ!!

「オトメ心のわからない彼氏にスネた彼女みたいな言い方してないでさ、朝ごはんにしようよー」

(男心をわかってねェお前に拗ねてンだよ!わかれ!…って、)スネてねェ!!


だってもー完璧にスネてるよそれ…。はぁ、まぁ笑っちゃったあたしが悪いよね、うん、そうだね・・・。
どうやって彼の曲がった機嫌を元に戻そうか思案していると、ぐい、と手を引かれた。
どうやら思案中に布団の中から腕が伸びてきたようで、全然気づかないまま力の望む方向へと身体が引かれた。

そのまま、唇の端、たぶん、頬というんだろうその位置に何かが押し当てられる。
その感触が離れるにつれてアップになっていた紅霞の顔が小さくなっていく。

紅霞、いま、なにを・・・


これでわかっただろ、

「紅霞、今…きっ・・・」


はやくも飽きたらしい篭城に、飛ばされた布団から出てきた身体があたしを捕らえる。
鼻と鼻がくっつきそうな距離で、紅霞の口角が面白そうに上がった。


なンなら、試してみてもいいけど?

「こっ……」


ぱかん、とこの場に似つかわしくない音が鳴った。頭がついていかずに固まってたあたしの身体が後ろに引かれる。
そして紅霞がそのまま後ろに倒れていく。少しだけ見えた、真っ直ぐに紅霞に向かって飛んでいった緑色の何か。

絡まる腕に柔らかい緑の髪。華やかな香り。
振り返ると翠霞がおはよう、と笑いかけてくれる。


ホント、紅霞は学習しないね。ヒスイ、大丈夫?

「あ、うん、おはよう翠霞」

朝食はフレンチトースト、なんてどう?


フレンチトーストかぁ…最近食べてなかったね、と翠霞の案を採用すると彼は嬉しそうにあたしの手を引いてキッチンへと向かわせる。
こっそり振り向くと紅霞のおでこにはしっかりと葉っぱが刺さっていて、苦悶の表情でそれを抜くのに必死だった。





いつもどおり、男の子っぽい恰好をする。むしろ、今回からは「好んで」そういうスタイルだ。
昨日のうちに買っておいた服で引っ掛けたり穴を開けたりしない限りは暫くはもつだろう。

ギャラドスさんを近くの池でボールから出して朝食をあげていた。
橙華はご飯を食べないし、みんなは人の姿をとれるから一緒に朝食をとれるのだけれどもギャラドスさんだけは別だった。
この巨体は流石にポケモンセンターの一室では出してあげられないし、人の姿をとることも(多分)できない。

だからこうしてギャラドスさんのご飯だけは別。外で食べることに関しては何も問題ないというか今まで外だったからそちらのほうが慣れているようで、食べ終わったギャラドスさんは羽を伸ばすために少し泳いでいた。
蓮の葉が彼の泳ぎに揺られている。


「美しいギャラドスじゃの」

「あ、えっと、ありがとうございます」


赤い彼の身体は水の中でもよく映えた。それを見てか、後ろから声をかけられる。
お爺さんが池から視線を外さずにそのまま口を開く。


「おぬし、ジムに挑戦しにきたんじゃろ?」

「ええっと…トキワの森を抜けて、ニビジムから始めるつもりなんです。
 グリーンさん、お強いと聞いていますから」


だからジム戦はまだするつもりはないんです、と笑えばお爺さんはこちらに顔を向けた。
目を少し見開いて驚いたようにあたしの帽子を眺める。何か、変なところでもあっただろうか?

暫くそうしているとお爺さんが「ジョウトの者か」とぽつりと呟いた。


「ジムバッジを8つ揃えるほどの実力者というのに、謙虚なんじゃな」

「…いえ、負けて、ポケモンたちが傷つくのがこわいだけなんです」


赤いギャラドスさんに目を移して零すように言った。
実際のところ零れたようなものだった。愚痴や弱音なんていうのは他人が聞いて心地よいものじゃない。
ましてや初対面の他人に向かってこんなこと、と慌てて頭を下げる。


「すみません、弱音なんて」

「……共鳴、しとるんじゃよ」


リン…と静かに、音がなった。お爺さんを見ると視線がぶつかる。
鈴の音がまた震える。お爺さんの着物の帯に括られているふたつの鈴から発せられた音だった。
淡く、弱々しく光っている気がした。太陽に反射しているだけかもしれない。

薄く青みがかった鈴、淡く山吹に色づいた鈴、どちらも透明に近い色のはずなのに中に鈴をならすための玉は見受けられない。
なのに、音が鳴っている。お爺さんが鈴を揺らしたわけでも、風に揺られたわけでもないのに。


「初めてのことじゃった、この鈴が鳴ることがあるとは夢にも思わなんだ」

「共鳴、って?」

「おぬしと、じゃ。ここにきてはっきりとわかったんじゃよ…鈴が、おぬしを見つけたのじゃ」


帯から外された鈴がお爺さんの手の平の上で転がった。その透明な鈴たちは音を発して何かを訴えている、そんな感じだった。
鈴の音が、次第に間隔を狭くしていく。


--- …を…ぶ…は、…な…か…

--- …を呼……は……


びく、と鈴から咄嗟に離れた。何かが、聴こえた。
声のようなもの、ひどく遠くからのように小さくて聞き取れはしなかったけれど、確かに、声だった。
しかもひとりじゃない、ふたり…だった。惹かれるように鈴に手を伸ばしかけていたそれを引っ込める。


「お、お爺さん…、今、なにか」

「……なにか、やはり聞こえたのじゃな」


もう鈴の音はしなかった。淡く光っていたようなそれも今では見受けられずに、ただの、音の鳴らない鈴へと変わってしまっている。
幻聴だったのかもしれないと空を見上げれば手に違和感を感じた。
「失礼、」とお爺さんがあたしの手首を持ち上げる。

下っ端さんにもらったブレスレットの横にその鈴の紐が括りつけられていく。


「持っておいてくれんかの、ジジイの腰にあるよりは、役割を果たしてくれそうじゃからな」

「で、でも」

「共鳴したんじゃ。おぬしは、それを受け入れるべきなのじゃよ」


華を描くように結ばれた紐に触れようと指を近づければふたつの鈴が同時に音を上げた。
びくり、と指が止まる。結び目はかたく、外すのは難しいかもしれない。
なんていえばいいのか、お爺さんにひとまずお礼を言おうと顔を上げるとそこに誰の姿もなかった。

街は賑わいはじめ、明るい人の声が響いている。見渡してもそれらしい人物はいないけれども。

・・・どこに行っちゃったんだろう。また会えたら、ちゃんとお礼を言おう。
綺麗なふたつの鈴は時折小さく鳴るだけであの声がまた聞こえることはなかった。



2012.04.17





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