08 : Trauma






「んじゃあ、レッドのこと、頼んだぜ」

「はい。こまめに連絡させますね」

「じゃあ」


グリーンさんに2,3回頭をぽんぽんされて(親しくなってみれば兄みたいに優しい人だった)(あたしのほうが年上だけど)慌てて頭を下げる。
レッドさんはもう歩き出していてその後姿を慌てて追った。

それにしてもグリーンさん、なんで最初あんな態度だったんだろう…。
うーん、レッドさんのことが好きとか「ヒスイ」「うぁはい!!」


「今、グリーンのこと、考えてた?」

「あー…はい、まぁ。最初の態度、やっぱりちょっと変でしたし。
 さっきも少し無理してたような気がしましたし」

「グリーン、ファンの人にあまりいい印象持ってない。詳しく聞いてないけど」


なんかされたんじゃないかな。珍しく、レッドさんの語尾が弱まった。
そうか、それで彼はグリーンさんのところに一泊したんだ…ツモる話は、慣れた自室のほうがしやすい。
壁に耳あり障子に目あり。なんて言うもんね…彼らほど有名な人間なら尚のこと。

それにしても、何をされたんだろう・・・。
レッドさんはそこまで厳密なことは言わなかったけれど、恐らく何か"されて"いる。
クッキーに髪の毛を入れられたとか、無理矢理キスされたとか、それ以上のこと。…とか。

ならば頷けるのだ。彼がレッドさんに執拗に構う理由も、あたしを敵視した理由も。
一応、女として見てもらえただけ…まだいいほうだよね。
いつもは「ボウズ」扱いが多いし。これからこの先、レッドさんのファン対策にこの恰好を続けなければならない。
ってことは自ずと(それを望んでいるとはいえ)「ボウズ」扱いになるだろう。

最後の華、というやつもしれない。彼に女の子扱いを受けたというのは。


「ところでレッドさん」


トキワシティを歩きながら声をかけた。
流れるトキワの景色はもう一度見ることになるのだろう。森が近くにあるこの付近の空気は澄んでいる。
その時に、あのお爺さんに会えるといいんだけれども。

話を戻して。レッドさんがだるそうな視線を向けてくる。


「あたしがポケモンと話していたとき、何も言わないでいてくれましたけど…
 何も、言わないでいてくれる気なんですか?」

「…何か言ってほしいの」

「いえ、そういうわけじゃ…」


そう言われてしまえば、何も言えなくなる。
正直なところ何も話さないでいるほうが楽。でもこの先一緒に旅をするとき道中で紅霞たちと話せないのは多分、紅霞たちのストレスも溜まってしまうと思う。

今朝のことが頭によぎって、胸がぎゅっと締め付けられた気分を味わった。
紅霞、きっとすごく参ってた。ってことは翠霞に白波、ギャラドスさんは大人だけど…真紅もきっとそうだ。
元々あんなことがあったのに真紅に無理をさせてしまっては、トレーナーとして失格だと思う。
家族としては、もっと。


「別に、俺もピカチュウたちとよく話す。…だから、気にしない」


レッドさんが区切り区切り、言葉をつなげていく。
でもそれは犬に対して「今日のごはんはちょっと奮発したよ」とか、「お散歩どこいこうか?」とか、そういった投げかける一方的なものであって、対話ではない。
もちろんピカチュウくんは答えているのだろうけれどレッドさんにそれは理解できないとおもう。

あたしのは、完全なる対話。
そのことにレッドさんがどれほど他人に興味がなかろうともそのために待たされ目の前でされてはいくらなんでも気づかないはずがない。

…ってことは、気づかないフリ、してくれているということ。


「……俺の才能、自分で理解してる。ヒスイの才能、でいいんじゃない」


ゲートを潜る際、レッドさんがぽつりと零した。
無機質な音を立てて開くそれに混じって小さくくぐもった声は聞こえづらいものだったけれど、それでも、耳に届いた。

彼の物事への価値観は変わっている。
だからこそ彼はあたしの中では「変な人」なんだけれども、変だからダメなんじゃなくて、なんというか。
好きになれそうな「変」さで。

扉の向こうで振り返った彼が「行くよ」と薄く口角を上げたのを見て、自然と、笑顔になってしまう。
魔法でもかけられたみたいに足が軽くなって「はい!」という返事と同時に足を動かした。




・・・までは、良かったんだけれども。


「ううう…」

また迷子なの、ヒスイ…


呆れ顔で翠霞に言われる。
そう、また迷子・・・だけど!今回はあたしは悪くない!

ゲートを通って暫く歩いたところで、レッドさんの肩でうとうとしていたピカチュウくんが突然顔を上げた。
スピアーの群れには一度襲われたことがある手前、つい警戒してしまう。
あの時は確か…えっと、オーバさんが逃げて、デンジさんが…。

なんて思い出していたら肩に乗っていたピカチュウくんが足軽に地に飛び降りた。


あ、こえがする!


そういいながらピカチュウくんが走っていってしまったのだ。その足の速さといったらもうすごい。
そして、それを無言で追うレッドもすごく速かった。
そうして黄色い悪魔と赤い悪魔が茂みに紛れていってしまって。

置いてけぼりをくらってしまった、というわけである。

そこで待っていればよかったのかもしれないんだけれど何も考えずに追いかけてしまって、案の定迷子。
……ああ、あたしが、悪いのか。


真紅、何かわかる?

んー…この森広いし、あちこちから生体反応がある。


やる気なさそうにあたしの腰に巻きつきながら真紅がぼんやりと言う。
嘘ではないんだろうけれどこのやる気のなさ…ううん、やっぱりもうちょっと(レッドさんもああいってくれていることだし)外に出してあげないと。
運動不足になりそう…だよね……?


「とりあえず…翠霞に真紅、一緒にきてくれる?」

構わないけど…真紅、ヒスイからいい加減離れて

・・・イヤ。


あっ…、歩きづらい。がっしりと抱きついてくる真紅の頭を少し撫でる。
ぴくぴくと動く耳が可愛くてついつい指で弄る。
真紅も乗り気じゃないし、ふわふわの手を引いて翠霞を手招きする。

大人しくついてきた真紅と一緒に大きな木の下に腰掛ける。
翠霞も真紅と反対側に座った。いい香りがする。いつも、翠霞から華やかなにおいがするんだよね…草ポケモンの特権かな。
黄緑の長い首に手を滑らせると気持ちよさそうに目を細くした。


「ね、翠霞。あたし疲れちゃったから少し休憩してもいいかな?」


そう尋ねれば翠霞も満更でもなさそうに頷く。ごろり、と真紅が横で寝そべった。


アイツの名前、アカギ

「・・・アカ、ギ?」

あの、オッサン。じーさんじゃないほう。じーさんは確か…プルート、って言ってた気がする


ハナダの洞窟のあの偉そうな人物のことを真紅は言っているんだろう。背を向けて転がっている真紅の表情は見えない。
確かにあのおじさんが「プルート!」と大声を上げていて、お爺さんがきた。
あの人は……アカギ、っていうのか…。

なんて返して良いかわからないまま彼の腕を撫でる。
後ろからすっとするいい香りが漂ってきて、振り返ると翠霞がウィンクした。
そっか、これは翠霞が落ち着く匂いを出してくれているんだ…ありがとう、そういう意味をこめて口角を上げた。


「あの人たちは、なんなの?」

・・・ギンガ団、そう呼ばれてた。詳しくは知らないけど、じーさんがボクを研究してた

「プルート…確かに、あの時あの"アカギ"って人があたしを研究しようとして……」

っは!?


いきなり飛び上がった真紅に肩を掴まれる。
痛い、と彼を見上げると今にも泣きそうな表情と、焦りが混じっていて何も言えないまま固まる。
蔓がぺしん、と彼の腕を叩く。さほど痛みはないだろうその音は少なくとも真紅を正気に戻すくらいの力があったようで。


っ…ごめん、ヒスイ。

「ううん、だいじょうぶ…どうしたの?」


バツが悪そうな真紅に尋ねる。
ぽつり、ぽつりと真紅が言葉を選んで落としていく。心なしか顔が赤い。


研究、ってスゴく痛いし、こわい。アイツら、ヒスイに何もしなかった?
 ボクが弱いから…ヒスイのこと、追い詰めた、ワケだし……


「・・・真紅は、弱くないよ。ピンチになっちゃったくらいあたしが弱かっただけ。
 だから、あたしこそごめんね」


垂れ下がった耳についつい苦笑する。
あたしのことになるとすぐに自分を責めてしまう真紅は捻くれてるけれど心は優しい。だからこうして、過度に心配してしまう。
そのことにずっと前から気づいていたはずなのに今回また真紅の心に影がさすことを許してしまったのはあたしの落ち度。

ふわふわの身体を抱きしめる。胸についているツメのようなものがあたしの身体に食い込むけれど気にしない。
「ありがとう」ってぎゅっと抱きしめるとテレたように別に、と零した。
後ろで翠霞のため息が聞こえて、慌てて離した。


「じゃあ、レッドさん探そうか!」

それよりもヒスイ、出口に向かうべきじゃない?どちらも目的地はニビシティ、なんだからさ。
 入れ違いになったら洒落にならないよ


「うーん…そうだよねぇ」


翠霞の言うことも尤もだ。
というよりレッドさんはあたしが「方向音痴」だということをたぶん知らない。ってことはつまり、出口で待ってる可能性のほうが高い。

探してもらえるほど親しくなってるとも思えないし…ううん。


「じゃあいこっか」

ダメ、ヒスイ。・・・なにかがこっちにくる


臨戦態勢に入った真紅が地を蹴った。翠霞が壁を張る。
真紅の拳に合わさったのは黄色い悪魔……ピカチュウくんだった。二人とも逆方向に吹っ飛んで、体勢を立て直す。


「ピカチュウくん!」

いったたぁ…あ、おねーさん!むかえにきたよー

アンタが急に走り出さなかったら迷ってなかったワケだけどね


えっへん、と胸を張るピカチュウくんに真紅が毒づく。
ごもっともなんだけれども真紅を嗜める。その場で待っていなかったのはあたしの判断ミスだし。

ありがとうね、ピカチュウくん。と言えばちょっと恥ずかしそうに俯いた。


ごめんね、ぼくの家族の気配がして、ついはしっちゃったんだ…

「そういえばピカチュウってここが生息地、なんだっけ?」

うん!じゃあマスターのとこまで案内するね!


マスターも探してたんだよ、と嬉しそうに先を歩き始めたピカチュウくんに慌ててついていく。
そっか、レッドさん探してくれたんだ…意外だなぁと思う以上に、嬉しさを隠せずににやける頬を抓って誤魔化した。



2012.04.20





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