第5話

朝になり、一行は出発した。

ふとサラダから視線を感じ、リッカはサラダを見つめ、目でうなずいた。サラダは安堵したように進むペースを上げて、自分の班の隊列に戻って行った。

サラダは、口では人をからかうところがあっても、本当はきめ細やかな気配りができる、優しい子だ。今回の任務が彼女の班と合同でよかったとリッカは思った。

「ハジメ先生!もっとスピード上げようぜ!」

突然、コウライが飛び出して行った。彼は短気だから、ペース配分を考えて進むことが苦手なのだ。

「あっ、コラ、コウライ!」

サラダが呼び止めるも、コウライは気にせず木から木へと飛び移って行ってしまう。

「この!負けるかってばさ!」
「コラー!ボルトまで!」

負けず嫌いに火が付いたか、ボルトまでも飛び出して行ってしまった。木ノ葉丸がすぐさま追いかけていって、二人を説得している。
リッカは体の倦怠感を忘れようとしながら進んでいて、突然飛び出したコウライを呼び止める余裕もなかった。サラダにもらった薬のおかげで痛みは引いたものの、まだ気だるさと眩暈が残っている。

「リッカ」

不意に落ち着いた声がかかって、見ると、いつの間にかイブキが隣に並んでいた。

「大丈夫?」

イブキの言葉は純粋な疑問を口にしたという感じだったが、リッカはぎくりとした。

「…どうして?大丈夫よ。」
「そう、ならいいけど」

と、イブキは案外あっけなく納得した様子だったが、変わらずリッカの傍を離れずに進んだ。不調に気づかれているんだ、と気付いて、リッカは恥ずかしくなった。



太陽が真上に昇った頃、一行は広い街道に出た。

「ここまで来れば、あとは楽な道のりだよ」

ハジメの言葉で、リッカは安堵した。

辺りには霧雨が降っていた。皆身震いして、任務用のマントを着た。体が冷えると、リッカはますます疲労感を感じた。サラダにもらった薬の効き目も切れ始めたのかもしれない。

「リッカ、マントを交換して。」

急に、そう言ってイブキが自分のマントを押し付けてきた。

「え?どうして?」
「どうしても。」

腑に落ちないながらも、リッカは自分のマントを脱いでイブキと交換した。イブキはさっさと少し小さめのマントを羽織ってしまった。リッカも寒さから早く逃れたくて、イブキのマントに袖を通す。すると、心地良い温かさが体を包み込んだ。

「これ……」

リッカがマントをめくってみると、薄手の柔らかな裏地がついていた。支給されたマントにはないはずのものだ。

「兄さんが使っていたマント、貰ったんだ。霧隠れは寒いって聞いたから」
「イブキ…ありがとう」
「いいよ、思ったより暑かっただけだから。」

そう言いながら、イブキは少し寒そうに手をこすりあわせた。

「お前ら、隊列崩すなよー」
「へーい」

ハジメがコウライとボルトに向かって声をかけると、コウライが面倒臭そうな返事を返した。
その様子をほほえましくも、元気いっぱいな様子の彼らを羨ましくも眺めながら、リッカは歩く。時々サラダが心配そうな目を向けてくれることと、イブキがペースを落として付かず離れず傍を歩いてくれていることが、何より救いだった。

国境を越えて、しばらく進むと村が見えてきた。今日はここの宿で1泊する予定になっている。水影が話を通しておいてくれたようで、ハジメと木ノ葉丸、ボルトとミツキ、コウライとイブキ、サラダとリッカの組み合わせで4部屋用意されていた。
有難く好意を受け取って、それぞれの部屋へ向かう。

「リッカ、調子は?」

荷物を下ろしたサラダが布団の準備をしながら問う。

「だいぶ、楽になったよ。明日にはもう、問題ないと思う。」
「そー、それならいいけど。」

リッカも布団を敷いて、窓の外を見た。雨脚は強まり、冷たい雨がしとしとと降り続いている景色は、見ているだけで肌寒い。

「ねーリッカ、体冷えちゃったし、先にお風呂入ろうよ。」
「でも私…」
「だいじょーぶだって。私たち以外に客、いないしさ。」

サラダに連れられて、リッカは浴場へ行くことにした。
当然だが、浴場には誰もいなかった。

「貸切ねー」

サラダが上機嫌で服を脱ぎ始める。リッカも服を脱ぎ、髪をまとめた。体は冷え切っていたから、お風呂はありがたかった。

脱衣所から浴場に入ると、むっとした温かい蒸気で肌がつつまれた。髪と体を洗い、ふたりでお湯につかる。少し熱めの湯は、じんわりと体の芯を温めた。

「は〜〜〜…最高ね〜〜」
「うん…気持ちいいね」

サラダに同意したところで、ふと、サラダがじっとこちらを見ていることに気が付いた。
眼鏡を外したサラダは珍しい。黒目がちの強い目は、きっと父親似なのだろう。サラダの父親は、昔、ちらっとだけ見たことがある。とても強い忍で、唯一七代目と互角に渡り合える忍だと言われている。

「リッカって、前から思ってたけど、本当に肌が白いわねー」
「え?」

リッカがサラダを見ていたように、サラダもリッカをよく見ていたようだ。リッカは湯から腕を上げ、サラダの肌と見比べた。

「そうかな?」
「うん。ほんと、雪みたいで綺麗。いいなあ。リッカは髪も綺麗だし、それに…」
「?」

じっ、とサラダが自分の体を見つめたので、リッカは疑問符を浮かべた。何?と尋ねようとした時、突然、サラダが背後に回って、がしっ、と胸を鷲掴みにされた。

「ひゃっ!?」
「や…やっぱり私よりおっきい!なんで?どうしたらこうなるの?」
「や…やめてサラダちゃん〜〜」

「…おい!押すなよ!」
「なんだと!お前が…」

ふと、響いてきた声に驚いて、リッカとサラダは動きを止めた。それから顔を見合わせ、頷く。
今の声は間違いなく、ボルトとコウライだ。

リッカとサラダは風呂を出て浴衣に着替え、脱衣所を出た。すると廊下で、予想通り、ボルトとコウライに出くわした。ボルトとコウライはサラダとリッカを見つけると、ぎくっと肩を竦めて立ち止まり、回れ右をした。

「待て」

サラダが問答無用でふたりの肩を掴み、引き留める。ふたりは冷や汗をかき、ひきつった笑顔でこちらを振り向いた。
ちょうどそこへ、ハジメと木ノ葉丸、ミツキとイブキも風呂桶を持ってやってきた。風呂に入りに来たところらしい。4人はサラダたちを見つけ、そのただならぬ雰囲気に驚いた。

「どうしたんだお前ら?」

ハジメが問うと、コウライが頭をかいた。

「い、いやあ…その…」

コウライはちらり、とリッカを見る。そしてその火照った白い肌を見て、ぼーっと頭に血が上ってしまったのか――たらり、と鼻から真っ赤な鼻血がこぼれた。
それですべてを確信してしまったリッカは、肩を震わせ、顔を赤くして、うるんだ目でコウライを睨みつけ――思い切りビンタをお見舞いした。



夕食の時間になっても、コウライはリッカに口をきいてもらえなかった。

目が合おうものなら、つーん、とそっぽを向かれてしまう。リッカが普段優しい分、その冷たい態度は思いのほかコウライにとって堪えるようだった。

「しかたないよ。お前が悪い」

イブキがきっぱりと言って、みそ汁を啜った。

「うるせー!んなことわかってんだよ!」
「じゃあ、これからは改めることだな。」

くっ…と、コウライは悔しげに言葉を飲み込んでイブキを睨みつけた。

「なんだよ!お前だって、あのときもし風呂にいたら、俺と同じことをしたに決まってらぁ!」

そう言ってやると、イブキは茶碗を盆に戻し、静かにコウライを睨み返した。

「な……なんだよ……」

思わずコウライが怯むと、追い打ちをかけるように、イブキがきっぱりと言った。

「しないよ。僕は絶対にしない。」

うっ、と、コウライが言葉に詰まった。それから、どっと後悔が押し寄せてきたのだった。



夜が更けて、各々部屋で休むことになった。コウライは、部屋に向かう途中、リッカを見かけた。こっそりと後を追うと、リッカは外に出て、宿の中庭の屋根の下に腰かけた。そして、しとしとと降っている冷たい雨にそっと触れた。すると、リッカが触れた雨だけが、キラキラと輝く粉雪に変わり、地面に音もなく落ち、土に染み込んで消えた。

リッカの忍術はとてもきれいだ、と、アカデミーに通っていた頃からずっと思っていた。リッカによく似合う力だ。きらきらしていて、綺麗で、思わず目を奪われてしまう。
今もそうだった。思わず見入ってしまって、窓枠に手を置いて、キッ、と小さなもの音をたててしまった。ハッと息をのんだときには、振り返ったリッカに見つかってしまって、自分が何か言う前にリッカはまた前を向いてしまった。
まだ怒ってる――よな、そりゃそうか。
数刻前の自分を殴ってやりたい。しかし、そんなことはできない。
コウライは覚悟を決めて、リッカに歩み寄った。

「リッカちゃん、あの――」

リッカは振り向かなかったが、耳を傾けてくれていることはわかったので、コウライは言葉を続けた。

「あのさ――ごめん。馬鹿なことして…」

謝ると、リッカがようやく振り返ってくれた。

「……いいよ。許してあげる。」
「! 本当!」

よかった、と声にしそうになったとき、リッカが「ただし、」と言葉を続けた。

「ただし、サラダちゃんにもちゃんと謝ること。じゃあ、おやすみなさい。」

そしてリッカはにこりともせずに、室内に戻ってしまった。

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