辻新之助
伝えたい想い


俺はこの日が好きじゃない――。

俺はバレンタインが好きじゃない。
甘いものがもらえるのは嬉しいけど、
女性に囲まれなくてはいけないのは正直悪夢でしかない。
この日どうやって乗り切るか……。
逃げる事しか考えていない俺は情けなかったなと思う。
どうやって帰ったのかあまり覚えてはいない。
冷静に考えられる程、落ち着いた頃には無論そこは家で、
弟がチョコを貰えなかったと嘆いているのを見て、俺も気付いた。

神威さんは誰かにチョコをあげたのかな――。

そう思うと胸が苦しくなる。
自分からは告白どころか話し掛ける勇気もなくて、
いつも神威さんから話し掛けてくれるのに返事をするので精一杯だった。
義理でもいい。
神威さんからチョコが欲しかった。
ただのクラスメイトではない何かが欲しくて、
少しの自信と勇気が欲しかった。
……随分、身勝手だなと思う。


それから一ヶ月経った今……。
あの時のショックを思い出させないようにやってきたホワイトデー。
できるだけ受け取らないように立ち回っていたけど、
強引にも渡してきた人もいるのでその人達に返さないといけない。
凄く憂鬱だ。
「そんなに嫌なら返さなきゃいいのにー」と犬飼先輩は言っていたけど、
貰ったものは返すのが礼儀だと思う。
日本人の昔ながらの風習というか……それは共感できる事だし、
大切にしなくてはいけないとも思っている。
そう言うと「辻ちゃん真面目だね」と返ってきた。
……そんな事ないけど、犬飼先輩よりは真面目だとは思う。
やっと返し終わったそれに俺は一日分の疲労感が襲ってきた。
今日は帰って家でゆっくりと勉強をしよう。
俺は帰り支度をする。
これで暫くは心の平穏がやってくる。
それに安堵した。


「辻くん」

神威さんの声だ。
心臓が飛び跳ねた。
緊張が走る。
目はまだ見て話せないから、少しだけ逸らす。
視界の端に写る神威さんの顔を見て…
気づかれないように呼吸する。
息を吐き出すのと同時に声を、言葉を搾り出す。

「どうしたの?」
「今日はこれからボーダー?」
「…違、う」
「そっか」

少しでも会話を続けたくて、
何か繋げる言葉を探すけど見つからない。
逆に主張しすぎる心臓の音が五月蝿いと感じる。

沈黙。

それが長かったのか短かったのかは分からない。

「辻くんにこれ、あげる」

言うと神威さんは小さな包みを出す。
それがなんなのか分からなくて思わず神威さんの顔を見るけど、
目が合って、恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。
俺のそんな行為に神威さんは怒るわけでもなく、笑ったんだと思う。
何か優しい空気が流れてくるのを感じる。

「ホワイトデーのプレゼント。
いつもお世話になっているからお返し」
「そんな……」

お世話になっているなんて…そんな記憶は俺にはない。
俺は神威さんに話し掛けてもらったり、
今みたいに俺が中々言葉が出なくても出るまでじっと待っていてくれる。
どちらかというと俺が神威さんの世話になっている。
今だって俺が続きの言葉を言うのを待っている。
続きを言おうとして、珍しく……神威さんが俺の言葉を待たずに口を挟んだ。

「うそ。本当は先月渡す予定だったの。
でも辻くん、女の子苦手なの知ってたから渡せなくて……。
でもやっぱり渡したかったから」

神威さんにしては珍しく有無を言わさず俺の手にそれを渡す。

「お返しとかなくて大丈夫だから……!
じゃあね」

そう言って教室を出る神威さんはどんな顔をしていただろう。
彼女の方を見ようとしていなかった俺には分からない。
だけど神威さんの言葉はちゃんと聞こえていて、
手元には確かに神威さんから受け取ったものがある。
お返しなんていらないと気を遣って言ってくれた神威さんの気持ちを考えたらいてもたってもいられなくなって……いや、違う。
神威さんの気持ちに応えたいんだ。
その想いだけが俺を動かす。

「神威…さ……」

急いで教室を出て追いかける。
出なかった大きな声に神威さんは気づいて振り返ってくれる。
……向けられた視線に反射的に逸らしそうになるのをぐっと堪える。
いつまでも甘えてたらいけない。
神威さんの目を見るのは緊張するけど、本当はずっと前から見たかった。

「ありがとう……また、明日…」

俺の言葉に神威さんは笑って答えてくれた。

「また、明日ね!」

その顔が見れたから、
女の人と目を合わせられないとか、話すのが苦手だとかどうでもよくなって、
ただ単に嬉しかった−−。


20160314


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