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「受験勉強とかマジだりぃー」
「それはこちらの台詞だ。
いくらボーダー提携校があるとはいえちゃんと勉強しろよ」
「へいへい、流石に防衛任務もランク戦も禁止されたらやるしかねーよな…」

下校中の会話。
秀次の隣を歩く米屋が肩を落としながら呟くのを聞いて、
普段からきちんとしていれば問題ないと正論で反す。
会話から察する通り、テスト勉強をしなくてはいけない彼らは、
ボーダーには行かずそのまま真っ直ぐに帰宅することになっていた。

「あれ、秀次の妹じゃね?」

米屋の言葉に秀次はため息をついた。
勉強の話をしているので米屋が話を逸らすためにわざわざそういう話のふりをしたのだと思った。
しかし次の言葉に秀次は無視できなくなった。

「アレ陽太郎と玉狛にいる近界民じゃねぇ?
どういう組み合わせなんだ」

玉狛と近界民。
秀次にとって嫌なものに分類されるワードが二つも出てきた。
それを聞いて咄嗟に思いだすのはもさもさした白髪の少年だ。
彩花はボーダー隊員ではないし、関わる機会なんてないはずだ。
秀次がA級の隊長になってから近界民が民間人を襲ったという話は大規模侵攻戦以外聞いたことがない。
立ち入り禁止区域に侵入した人間も、
そして襲われたというのも少なからずあったが、
その中に妹の名前はなかったはずだ…多分。
少なくても彩花はルールを破るようなやんちゃでもなければ、
アクティブな性格ではなかったはずだ…多分。
これだけでもなんとも言えない感情が秀次の中に渦巻いたものだが、
玉狛の、しかも近界民と交流があるなんて想像がつかず、
思わず見てしまった。

そこには米屋が言うとおり、どうしてだと問い質したくなる組み合わせだった。
秀次は今でも近界民が嫌いだ。
いくらボーダーが正式に彼を隊員だと認めても、
秀次はこの人間をまだ認めることはできなかった。
玉狛の近界民…
それは大規模侵攻でこちら側を攻めてきたヒュースだった。

米屋が彩花と陽太郎に声をかける。
それに反応した二人は立ち止まった。
二人が立ち止まるという事は必然的に一緒にいたヒュースも立ち止まることになる。

「陽介先輩、陽太郎くんの事知っているの?」
「うむ、ようすけは陽なかまだからな」
「??」
「ああ、従兄弟がボーダーの玉狛支部にいるからなー。
たまに本部連れてくっし、そこで面倒見てたら仲良くなった」

確かに米屋の性格上、子供の面倒見良さそうだ。
陽太郎が時折「玉狛」と言っていたが、
それはボーダー支部の一つだという事を彩花はこの時初めて知る。
…という事は、なんとなく想像がつくが……。
彩花はちらりとヒュースを見る。
ヒュースはいたって普通…いや、少し顔が強張っていて少し怖い感じだ。

「よ、玉狛の。メガネボーイ達と一緒じゃねぇのな。
外歩いてるとこ初めて見たぜ」
「貴様は確か槍使いか…よくユーマと試合してるな」
「ヒュース君とも知り合い?」
「彩花」
「…お兄ちゃん?」
「何故、近界民と一緒にいる」
「え?」

彩花の思考は一瞬停止する。
今までの事から考えるにヒュースが玉狛支部に所属しているという事はボーダー隊員という事だ。
しかし彩花が知る近界民というのは、
この世界を脅かす侵略者であり、ボーダーが戦っている相手のはずだ。
それがボーダーに所属しているというのはどういう事なのだろうか。
世間一般が認識している凶悪なイメージと彩花が知るヒュースはイメージがあわない。
秀次がヒュースに向ける目は、秀次がボーダーに入隊する事を決意し、
そしてボーダー隊員として過ごしていた時の昨年までの雰囲気と同じで、
嘘だという事は考えられなかった。

「ヒュース君は近界民なの?」
「……ああ、そうだ」

混乱する頭を整理するために事実を確認しただけだった。
自分が考えるよりも冷たい声が出た事に彩花は驚いた。
そしてその後に返事をしたヒュースの声を聞いてはっとする。
彼の顔を慌てて見る。
ヒュースが見せる拒絶の顔…初めて見たのだ。

「…兄がいるなら送っていく必要はないな」

そう言って去っていくヒュースの背中を見て、
彩花は動くことも、声をかける事もできなかった。


「あちゃー…オレ達なんか邪魔しちゃった?」

気まずそうに頬を書く米屋の呟きは誰も拾ってくれず、
代わりに秀次が彩花に詰め寄った。

「彩花どうしてアイツと一緒にいる?」

近界民に向けるその目。
正面から初めて見る彩花は、まるで秀次が自分にその視線を向けている様に感じた。
ただでさえ状況整理ができていない状態でこの睨みを受け止めるには、
一般市民で、しかも人にこのような憎悪を向けられた事がない彩花には少しハードルが高い。
秀次に言いたい事はある。
ヒュースについて聞きたい事はある。
だけど何から聞けばいいのか分からない。
ただ秀次の言葉に答えるしかできなかった。

「友達。友達だから一緒にいたの」
「お前は何も分かっていない。
アイツは…」
「分からないよ。お兄ちゃん何も話してくれないんだもん」
「とにかくお前ら落ち着けって」

このままだとヒートアップしそうだからという事で、
三輪家に一旦帰った彼らはとりあえずリビングにある椅子に座り、
先程の続きをする。
まさか家族団欒のこの場で話す事がボーダーの事になるとは夢にも思わなかった。
ヒュースは数か月前に三門市に攻めてきた近界民の一人だった。
捕虜だったがある取引でボーダーとして玉狛支部に所属。
そして今日までボーダー隊員として過ごしてきた。
世間では近界民を捕虜にした事も、ボーダー隊員として三門市を守っている事も知らされていない。
ヒュースが近界民だという事は同じボーダー隊員でも知っている者は限られているらしい。
だからこの話は他言無用だという事だった。
そんな話、本来ならすべきことではないのだろうが、
秀次は大の近界民嫌い。
自分の身内と交流があるのが嫌だったのだろう。
とりあえず事情は理解した。
だが、気持ちの整理が出来たかといえばそういうわけではないのだ。

「今日はもう寝るから」

安易に一人にしてくれと彩花は告げる。
それに対して秀次も止めはしない。
後方から「お前ちゃんとフォローしろよ」と米屋の声が聞こえたが、
そこまで気を回せるほど彩花に余裕はなかった。
自分の部屋に入り、彩花はベットに突っ伏した。
秀次が近界民が嫌いなのは知っている。
兄にこちらを見てほしい彩花としては、
本来ならば関わりを持たない相手だろう。
だけど既に関わりは持っている。
ヒュースが先日攻めてきた近界民だと聞いてもイメージができないのだ。
彩花が知るヒュースは口数が少なく、表情もあまり変わらないぶっきらぼうで、
それでも陽太郎の面倒をみるいいお兄ちゃんだ。
そして学校帰りの彩花の話相手だ。
いつも持ってきたお菓子を陽太郎と一緒に食べてくれる。
食べている時だけ表情が少し崩れる。
それを見るのが彩花は好きだった。
今日だって様子がおかしかったが、
それでも彩花の本音を聞いてヒュースなりに励まそうとしていたのではないかと思う。

「どうしよう…」

ヒュースはあの時何かを言おうとしていた。
…恐らく自分は近界民だというのを伝えようとしていたのかもしれない。
それはヒュースなりの誠意だったのではないだろうか。
なのにそれを完全に受け入れる事が出来なかった彩花の声に反応したヒュースの顔が忘れられない。
初めて逢った時とは違う。
米屋達が話しかけてきた時のような警戒している顔とも違う。
傷ついたわけではない…ヒュースが自分を見下ろす目は、
昔、秀次から向けられた事がある。
自分の世界には入ってくるなという拒絶だった。
完全に線引きされた。
それまでは普通だったのにそうさせてしまったのは自分のせいなのだろう。
ヒュースが近界民だという事よりもあの顔の方がショックすぎて、
彩花はどうすればいいのか分からなかった。

明日、いつも通りに公園に行こう。
そうすれば今日みたいにいるはずだから、直接話をしよう。
とりあえず、そう彩花は考えた。
まずは頭の中を整理して……。


翌日、彩花は公園に行った。
しかしそこにはいつもの二人の姿はなかった。


20160616


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