過去と現在
アシタノヒカリ

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青葉たちの部屋に入り込んだ桜花はあの後無事に部屋を出ることに成功した。
尋問をしに来た隊員とそこには風間がいて桜花はあからさまに嫌な顔をした。
「あれだけ動くなと伝えたのに馬鹿か」とお小言を貰うかと思ったが珍しく風間は何も言わなかった。
部屋を連れ出された桜花はそのまま上層部がいる部屋に通される。
「ご苦労だった」
「いえ、それでは失礼します」
言うと風間が部屋を出て行こうとする。
また自分を1人にするのかと桜花が無言で訴えれば風間は無言で睨み返してきた。
「これくらいお前なら大丈夫だろ」そう言われたような気がした。
「椅子に掛けたまえ」
言われて桜花は慎重に座った。
動き始めと終わりが特に痛みを感じるがもう慣れた。
ただ平気なわけではないのでできるだけ痛い思いをしなくていいように心がける。
桜花の状態を何となく把握している上層部は彼女が座るのを待っていた。
「我々と交わした言葉を覚えているか?」
「……どれのこと?」
わざととぼけたのではなく本気で桜花は言う。
いろんなことがありすぎて全部を覚えていられる程、桜花の記憶力は良くない。
思い出そうとする素振りを見せる彼女の口から言葉が出てくるのを待つことなく城戸は言葉を発した。
「ボーダーのために命を懸けて働いてもらう……その言葉通り君は命懸けで戦った。
それについて我々は充分だと評価した」
あの時は自分達のいいように動かすための口実だと思っていた桜花は正直上層部の言葉を本気にしていなかった。
覚えていなくてもいい記憶に分類されすっかり忘れ去られていたが城戸の言葉を聞いて確かにそう言われた気がすると無理矢理思い出す。
命懸けで戦ったのは事実だが真実をいうと桜花はボーダーのために戦ったわけではない。
戦いは常に命懸けであり桜花は自分のために戦っている。当たり前のことだ。
当たり前のことを評価されても嬉しくもなんともないが貰えるものは貰っておこうと桜花は黙って聞いていた。
確かボーダーの提案は桜花がこちら側へ戻ってきた人間としての手続き、そして最低限の生活と安全の確保だったはずだ。
どういった形で果たされるのか想像がつかない。
あらためて彼等の口から説明されてもやはりピンとこなくて桜花は適当に相槌を打つしかできない。
こちら側へ戻ってきた人間として扱われるなら桜花は自由になったということだ。
誰の意志も関係ない。自分の意志だけで過ごすことができる。
そしてそれは最低限の生活に繋がる。
つまり上層部は桜花がボーダーにこのまま所属するもボーダーから抜けてここ以外の場所で働き生活するのも自由だと説明した。
「自由に決めればいい。私達は君の選択を尊重しよう」
それはずっと望んでいたことであったが実際に手に入れてみるとどうすればいいのか分からなかった。
向こう側へ行って4年半しか経っていない。だけど桜花にとってはあまりにもたくさんのことがありすぎた。
戦うことで生計を立てていた桜花は戦いの中でしか生きられないことは充分に知っている。だから最初に玄界に戻ってきた時にボーダーに従うことにしたのだ。
だけどそれとは関係なくもう一度自分の人生を見つめ直せを城戸に言われた。
戦うことを強いられた彼女がこれからも戦いに縛られることはない。
世間一般でいう彼女はまだ子供なのだ。自分の将来について考えそして行動する権利がある。
自分のやりたいことを諦める必要はないのだと林藤が補足してくれるが、その言葉を聞いても心が浮き立つことはない。
先程まで青葉に言い聞かせていたのが嘘みたいだ。
攫われたばかりのことなら自然と描けた夢。武器を持って戦わない所謂普通の生活。
向こう側にいた時はもう叶わないと諦めたこともあった。今だって憧憬していないわけではない。
ただ自分に似合わない……違う。それを求めなくなったのだと桜花は思う。
この部屋に入るまでのことを思い出す。
麟児や風間、自分のことを知っている隊員はそうでもなかったが全体的にボーダー隊員は桜花を快く思っていない。危険に晒した人間に対してそう思うのは普通なのだと理解している。
そしてそれは時間が解決するとかそんな問題ではない。
今はボーダーが彼等を管理している。今は彼等が理性で抑えようとしている。
だけどそれはいつまで続くか分からない。
いつかは敵意を向けて攻撃してくるかもしれない。それは今を生きようとしている自分達の邪魔でしかない。
だからなのだろうか。
桜花の頭の中で薄っすらと描く未来の自分の姿。
未来の自分はしっかりとトリガーを手にしていた。
戦うための武器。
武器を持たない自分でいるのが怖い。自分を守る手段を捨てるのが怖いという気持ちとは別の想い……目の前の敵、邪魔するものは排除したい。そのために力は必要だ。
誰に決められたわけでもない。誰かのせいにするのでもない。
自分が考えて導き出した明確な意思。
理由は青葉と話したことが全てだ。
桜花はどんなことがあっても生きていたい。
自分が生きていると信じてくれた人といたい。
自分を仲間だと信じて受け入れてくれた人と傍にいたい。
青葉みたいに好きな人に逢いたいという想いまではいかないかもしれないが逢いたいと想う人はいる。
見ていたいと想うものができた。だから桜花はこの場に留まることを選択する。自分がボーダーにいるためにはトリガーを手にして戦う方が手っ取り早い。
誰かを守る戦いも、誰かを導く戦いもできない。今回の件で明らかに自分には不向きだと悟った。それよりもただ只管目の前にある邪魔なものを斬る方が性にあっている。
いつもとやっていることは変わらないが、そういう人で在りたいと初めて自分で願った。
誰に知られなくてもいい想い。誰にも邪魔されたくない想い。心が強く叫ぶ。
やろうと桜花は決めた。であればあとは簡単だった。いつも通りに桜花は強気に言う。
「何言ってるの、私はこれからもボーダーにいるわよ」
これからもよろしくお願いしますなんて殊勝なことは言わない。
これが自分で当然でしょと桜花は主張した。
怪我しても変わらない彼女の態度に上層部の一部は苦笑した。



部屋を出て、桜花はラウンジ目指して歩いていた。
病院から怪我人を連れ出しておいて放置するとはどういうことか。しかも一応世間では重傷ということになっているから外出などせず安静にしておけと言い渡された。
彼女がじっとしていると誰も思っていないのか完治するまではトリガーは預かっているからと言われた時は嘘でしょと桜花は思った。
肋骨が折れているくらいであとは打撲。入院生活をしなくてもいいというのは救いだったが、だからといってトリガーを持たせてくれないのはいかがなものか。
空いた時間に訓練しようと前向きに思っていた桜花は見事心をへし折られた。
仕方がないからランク戦でも見るかと桜花はブースを目指す。
先程から隊員達が黙って桜花を注視する。
彼等が何も言ってこないのは先日ボーダーが隊員達の功績を発表したからだろう。頭で理解しようと必死な彼等。感情がついていかない彼等は桜花に厳しい目を向けるしかできない。
だが、やりたいことがはっきりしている桜花はそんな視線に怯むことはない。
ただ一歩一歩着実に歩くだけである。

「桜花!」
「あ、嵐山」

いきなり声を掛けられて桜花の肩は跳ね上がった。
痛いよりも先に何かが桜花を支配する。
「もう歩いても大丈夫なのか?」
心配で駆け寄ってきた嵐山に桜花は何を言おうか悩み、いつもの自分を想像する。
「そんなわけないでしょ。痛いの嫌だからそれ以上近づかないで」
勢い余って肩を叩かれたり身体に振動を与えられるようなことをされたらたまったものではないと桜花は先手を打つ。
桜花の言葉を聞いて目の前でぴたりと止まった嵐山に、何も言わなかったら……と考えるとちょっと怖かった。
言ってよかったと桜花は安堵した。
「怪我の具合はどうなんだ?」
「3週間安静にしてろって言われた。その間トリガー没収になっちゃうし最悪よ」
その言葉に嵐山は目を丸くする。そして微笑んだ。
「桜花らしいな」
「どういう意味よ」
桜花は悪態をつくしかなかった。
「三門市の復興は順調なの?」
「ああ、皆協力的で助かってる。夏休み明けにはいつも通りだと思うぞ」
「学生はもうすぐ夏休みか――……だったら丁度いいわね」
「何がだ?」
「動けるアンタ達が頑張ってくれないと困るって話」
「そうだな」
桜花の言葉を素直に受け取り返事をする嵐山に桜花はなんだか溜息をつきたくなった。
今まで通り普通に接してくれるのは助かるが少しばかり反応に困るのは桜花がまだ嵐山に言いたいことを言えていないからだろうか。
胸の中にある突っかかりを取るべく桜花は言葉を口にしようとする。
だけど何を言えばいいのか分からず言葉は音にならない。
口をぱくぱくさせるだけの桜花に嵐山は首を傾げた。
不思議がられるのはまずいと思った桜花はなんとか言葉を捻り出す。
「……ありがとう」
多分この言葉ではないと思った。
だけど桜花の頭に思い浮かんだのはこの言葉で口から出たのもこの言葉だった。
だから仕方がないと桜花は自分に言い聞かせる。
今の自分の気持ちを正確に汲み取り口にするには桜花は経験が足りなくそして今の桜花が口にして伝えることができる言葉。
「そんなことはない。桜花は仲間だからな」
嵐山から返ってきた言葉にがっかりはしなかった。
だけど何故か嬉しいとも感じなかった。
「どうせアンタは今から任務でしょ。早く行ってきなさいよ!――!!」
自分が怪我をしていることを忘れつい感情で動く。
いつもの癖で嵐山を小突いた瞬間襲ってきた痛みに桜花は唇を噛みしめた。
「大丈夫か」と心配する嵐山に平気だと告げるがどう見ても大丈夫そうではなかった。
「嵐山、そこまでにしておけよ」
「迅?」
背後から現れた迅に桜花は振り向かなかった。
かわりに目の前にいる嵐山だけが彼に反応する。
「何がだ?」
「そうだなー早く行かないと木虎達を待たせることになるっておれのサイドエフェクトが言っている。
このあと広報だろ?」
「ああそうだ。よく知っているな」
「今こんな状況だからね」
「確かに。じゃあ俺はそろそろ行くよ。迅、桜花を頼む」
「はいはい任されました」
嵐山は迅に桜花は怪我してるから気を付けろよと一言付け加え、次の現場へと向かう。
この時期の嵐山隊は防衛任務よりも広報関係が中心になり休みがない。
それが三門市復興に繋がるならなにも言うことはないのだが……桜花は不満気に言う。
「なんで私が迅に任されなくちゃいけないのよ」
「そりゃ、あんな桜花を1人にしておけないでしょ」
迅はぷっと噴き出した。
あんなとは一体何のことを言っているのか桜花には見当もつかない。
きょとんとしている桜花に迅は聞かれてもいないのに答える。
「口をぱくぱくさせてたヤツ。あれはダメでしょ」
珍しいものを見たと笑う迅に桜花は無性にイラついた。
「五月蠅いわね」
一発殴りたいと思うが残念ながら怪我が桜花にそれを許してはくれなかった。
最早態度で示すしかないと苛立ちを露わにする。
「桜花は何でここに残ることを選んだの?」
「聞いたの?早くない?」
「聞いてないよ。ただ今見えただけ」
桜花は迅の顔を見るが迅は何を考えているのか読ませる気がないらしい。何事もなかったかのような表情を貼り付けている。
何を考えているのだと桜花に思わせたくないのか、それとも純粋に聞きたいだけなのか。迅は間髪入れずに口にする。
「それを自分で手に入れようとは思わなかったの?」
「迅っておせっかい好きよね」
「実力派エリートとしては隊員の未来が気になるところだからね」
「私の勝手でしょ」
「それが今回みたいに大変でも?
知らなくていいことを知ることがあるかもしれない。戦わなくてもいいのに戦って、桜花がやらなくてもいいのに誰かを傷つけて自分が傷ついて危ない目にあうことが分かっても?」
「……アンタが見えている未来で私は何をしてるの」
「おれが聞きたいかな」
淡々と告げる迅の言葉は嘘か本当か分からない。
(迅は私にボーダーを続けて欲しくないってこと?)
心配なのか信用がないのか分からない。それとも自分では乗り越える力がないと思われているのか。
そう考えるとなんだか悔しい。
折角人が新しい気持ちで踏み出そうとしている時に……と桜花は舌打ちをした。
第三者がどう思おうが勝手だが未来視のサイドエフェクトを持つ迅に言われてしまうと困る。
「前にも言ったけど私は今まで自分が決めてなんとかしてきたの。
それはこれからも変わらないわ。
この先大変なことがある?そんなの生きている限り何かあるんだから仕方ないじゃない。
だったら自分が思う通りに動く方がいいわ。
自分で考えることができない。動くこともできない。何もできないのは嫌なの。
そんな当たり前なことアンタが分からないわけないでしょ?」
「そうだね」
迅は小さく同意した。
桜花の言葉を頭の中で数度繰り返し、受け入れたのか迅は表情を崩す。
「やっぱり無理か――……!」
お手上げだと迅は声を上げる。
その様子を見ていると先程までの深刻な顔が嘘みたいだ。
迅の態度に桜花は呆気にとられた。
「ボーダー辞めると思われていた方がショックなんだけど」
「ごめんって」
このまま終わらせるのは癪だった。何か仕返しをと思うが大したことは思いつかない。でも言わないより言った方がいい。少なくても桜花のお腹の虫は主張していた。
「そう思うなら何か奢りなさいよ。私まだ食べたりないのよ」
「はいはい」
迅の言葉にひとまず桜花は満足することにした。
逆に迅は苦笑する。
いつもの桜花ならここでスタスタと自分の前を歩いていくだろう。
有無を言わさず相手を振り回す彼女が少し懐かしく思いながら迅は桜花の隣を歩く。
ゆっくりと前へ歩いていく桜花に手を貸して一緒に歩くことを考える。が、迅は自分の拳を握り抑えるのに止めた。
「桜花」
「なに?」
「生きててくれてありがとう」
「当然よ。何が何でも生きててあげるから覚悟しておきなさい」
嬉しそうに答える桜花の顔を見て迅の目には彼女の未来が飛び込んでくる。
昨日までの君は笑えていなかったのかもしれない。
でも今の君は笑っている。
明日の君も笑っている。
笑えるように必死に足掻いている。
だったらそれでいいではないかと思うしかないのだろう。
桜花の言葉を聞いて迅は笑うしかなった。

「桜花」

迅は彼女の名前を呼ぶ。

今、ここにいてくれてありがとう――。


20170814


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