信用と信頼
戦争の結末

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「お前、桜花か」

急に声を掛けられる。
当真も米屋も桜花の事を明星さんと呼ぶ。
念の為に二人に目を配らせるが、
二人とも首を横に振った。
三人揃って聞き間違いなんてするはずもないとは思ったが、
聞かなかった事にしようと歩みを進めれば、
今度は「無視をするな」と言われてしまう。
自分を呼んでいる事に疑う余地なし。
ここ近界で彼女の名前を呼ぶ者…誰がいるだろうか。
以前、敵だった者かそれとも味方だった者か…。
自分の名前を知っているという事は仲間だったことがあるのだろう。
声を聞いてもなかなか思い出さないどころか、
振り向いて相手の顔を確認しようともしない桜花を見て、
相手は声を荒げる。
「俺だよ、ハロルド!
忘れたなんて言わせないぜ」
そこには中年の体格のいい男とその隣には小学生か中学生くらいの少年がいた。
一体どういう関係なのかと当真と米屋は興味津々に桜花を見る。
自分の事なんかより、
リーベリーの街並みにもっと興味を持てばいいのにと桜花は思うが、
それは二人には通じなかった。
面倒だなと思いながらも桜花は男の顔を見る。
確かこの二人は桜花がボーダーに入隊する前にいた国で、
一緒に戦った仲間だった人間だ。
「何言ってるの。
ハロルドの事忘れるわけないじゃない」
「思いっきり忘れてただろ!?」
「どうしてこんなところにいるの?」
「ふざけんなよ!彼処から生き残るのにどれだけ苦労したか…!」
ハロルドはワナワナと身体を震わせる。
そりゃそうだろう。
あの戦争は負け戦だ。
途中で太刀川達と乱戦したとはいえ、桜花は生き残るのは難しいなと思っていたくらいだ。
よく生きていたものだと素直に感心する。

当真と米屋は二人の会話を黙ってみている。
日頃何も考えていなさそうな馬鹿っぷりをみせているが、
決して二人は愚かではない。
ここが近界で相手は近界民だ。
近界民すべてが悪い人間ではないのは知っているが、
少なくてもこの男は自分達の味方ではない。
相手が一方的に桜花の事を知っているわけでもなく、
かといってただの知り合いという感じもしない。
勿論、友達とかそんな感じもしない。
…言っておくが二人の年齢差で判断したわけではない。
雰囲気がそう物語っていたのだ。
何があってもいいようにいつでも動ける準備はしていた。
この二人の凄いところは自分達が警戒している事を相手に気付かれないようにできるというところだろうか。
いつもと変わらない感じで桜花に話しかけた。
「明星さん、その人達誰?」
「あぁ、此奴らは前にいたとこで一緒に戦ってた仲間よ」
桜花の言葉に当真と米屋は一瞬思考が停止する。
そういえば、桜花はボーダーに入隊する前は近界で捕虜として、
そして兵として戦っていたんだったと二人は思い出す。
そういうことなら確かに、
一緒に戦った仲間の一人や二人いてもおかしくはないし、
出会う事もあるのだろう。
単純なことだが、
その事実に思い当たるまで時間が掛かってしまったのは、
桜花がそれを感じさせない程、玄界に馴染んでいるのか、
それとも彼等が桜花をいち個人として見、仲間として認識しているかのどちらかだろう。
決して彼等の頭が問題だとかそういう話ではないはずだ…多分。

「仲間なんて言うな!この裏切り者っ!!」

ハロルドの隣にいた少年が声を上げる。
この声により、街から生活音が消えた。
そう錯覚させる程、この声は辺りに響き渡った。
そして、その後には静寂がやってきた。
周囲の人々も驚いて、叫んだ少年をはじめとして桜花達一向に目線がいく。

「アンタが国を売ったせいでたくさん、仲間が…
ラズが死んだ!」

少年の主張に米屋はついていけない。
当真もどういう事だろうかと珍しく頭を捻って考えていた。
ボーダー入隊する前にいたところとくれば、
それは前回の遠征チームと桜花が初めて出会ったあの国の事だろう。
一部始終ではあるが、
戦争の内容と、桜花が戦っていた様子を見ていた当真は知っている。
桜花が国を売った。仲間を陥れた。
あの状況でそうとは思えなかった。
そう思える事実を当真は見ていたからだ。

「それで?」

どうなったのだと、わざわざ桜花は話を続けさせる。
この状況でそれを言わせるのは良くない事は当真だけでなく米屋だって分かる。
敢えて聞く桜花の意図が二人には分からなかった。

「あの後、属国になったみてぇだな。
俺達傭兵は解雇さ。
ま、殺されなかっただけマシだけどな」
ハロルドは少しおどけた感じに言う。
それでも目は笑っていないことは分かった。
多分、隠すつもりもないのだろう。
ハロルドにつづき、少年が口を開く。
「あの後、皆探して…ラズの死体を見つけた。
だけどアンタだけ見つからなかった」
少年が桜花を睨みつける。
ここまでくると彼等が言いたい事が嫌でも分かってくる。
仲間の死体は見つかったのに桜花だけが死体どころか姿さえ見つからなかった。
だから彼等は桜花が国を売り、
自分だけ安全なところへ行ったと思ったのだ。

真実は太刀川が捕虜として捕らえて姿が消えただけなのだが彼等が知るはずもない。
そしてそれから自分達の仲間となって行動しているなんて夢にも思わないだろう。

「ラズは傷が一つ…心臓一撃だ。
アイツにそんな事できる奴はお前しかいねぇ」
「へー心臓を…」

確か自分を殺そうとした男を太刀川が斬ったという話を桜花は聞いていた。
だから今更その事実を聞いたところで動揺はしなかった。
ただ、アイツを一撃で殺したのかと思うとやはり太刀川は相当な手練れなのだと実感したくらいだ。

「裏切り者…!」

手を上げようとする子供を止めたのはハロルドだった。
桜花はピクリとも動かずその動向を見ているだけだ。
ただ、その目はなんというかとても淡泊だった。
哀しいわけでも、冷たいわけでもない。無に近いそんな目だ。
そして、桜花のその目が答えだと少年は解釈した。
「箱入り兵士がよく言うんだけど、
傭兵などの道具は信用できないから、その場限り、使うのに限る。
昨日の敵は今日の友って事、よくあるし」
「今日の友が明日は敵だって事もある。か…
本当俺達、形見狭いねー」
ハロルドは苦笑する。
言いたい事の一つや二つあるのだろう。
しかし、それ以上言おうとはしなかった。
この場では。
何せここはリーベリーの栄える街の往来だ。
今、戦争と縁遠いとこにある国の真ん中で話すような事でもない。
幾らか街の活気が戻ってきたとはいえ、
先程の騒ぎのせいで、
街の人々がこちらの動向を探るように遠目で見ている。
その事に気付かない程、ハロルドも桜花も空気が読めないわけではない。
少なくても二人はここで話を終わらせた方がいいと判断したのだ。
最初にその合図を出したのは向こうだった。
「ま、次に会う時は敵じゃない事を祈るぜ。
お前と戦うのしんどいからな」
その言葉に桜花もこの場はここで終わらせることを承諾した。
どうでもよさそうに桜花は返事をした。
(そういえばこの男、嘘がつくのが苦手なんだっけ)
ふとそんな事を思い出し桜花は聞きたいことがあるんだけどと言葉を繋げる。
「近々この辺りで戦争でもある?」
「あったらお前と呑気に話すかよ!」
傭兵というものは戦争で生計を立てている生き物だ。
戦争がないところにいるはずがないと、桜花は続きを促そうとした。
「じゃあ何か美味しい話でも?今懐寂しいのよね」
「…そんなのしるかよ」
隣にいる少年の顔がどんどん険しくなる。
それを確認してハロルドはもう桜花と離れたいらしい。
だが桜花は空気を読まず用件だけ済ませる。
「じゃあ、この辺りに質屋ない?」
「コラリア。あそこが一番便利だ」
「ありがとう」
桜花は口の端をあげて笑う。
本当にアンタはいい奴ねという意味も込めて。
それに気づいたのかハロルドはバツが悪そうな顔をする。
「いいか!もう二度と俺達の前に現れるなよ!!」
ハロルドは少年の手を引く。
これではまるで言い逃げだ。
逆に少年の方はその間も桜花への憎悪を向け続けている。
少年がそのラズという男をどれだけ好きだったのか伝わってくる。

彼等がいなくなって緊張の糸が切れた。
いや、当真と米屋はこんな時でも通常運転だった。
ただ、些か空気を読んで大人しくしていただけだ。

「うわー明星さん、スゲー恨まれてるじゃん」
「あぁ…あの子ラズを慕ってたからね」
「で、オレ達おいてけぼりにされてたけど、
ラズって誰?」
「いや、俺はラズって奴分かるぜ」
「え、当真さん、いつの間に…!
じゃあ、オレだけ仲間外れだったのかよー」
米屋がワザと不貞腐れる。
それで、ラズって誰だよと促した。
「太刀川さんが殺した奴。っすよね桜花さん?」
「さあ、私見てないから知らないわ」
桜花のその言葉はもう正解だと言っているのと同じだ。
ただ、わざわざ自分の口から説明する気はないだけで…。
米屋は思い出す。
確か己の隊の隊長である三輪から軽く話は聞いたはずだ。
近界民を捕虜にした事に対して、ご機嫌ななめな三輪がインパクトありすぎて中々思い出せなかったが、
その捕虜の情報に、仲間である男に裏切られ殺されかけたとあった。
その男は太刀川が処理している。
確か心臓に一撃…。
桜花が近界民に攫われた、捕虜にされていた、という事実を知っているのは一部だが、
彼女がどういう経緯でここに来ることになったかを知っているのは更にごく一部だった。

「明星さんはなんで、本当の事を言わないの?」
「別にラズが死んだことは本当でしょ?」

確かに本当だが大事な事はその男の生死とは別のところではなかろうか。
「裏切ったのはラズって奴だろ?
明星さん悪くねぇじゃん」
それに対して桜花は返事をしない。
かわりに桜花は移動することを告げる。

少し、ここで目立ちすぎた。

妙な視線を感じ、
桜花はすたすた歩いていく。
彼女がそういう行動をされると当真も米屋もついていくしかないのである。

桜花にとって大事なのは過去よりも今であった。


20150817


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