端と端
天国か地獄か

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女性に押し倒される状況とはどんな状況なのか。
男性向けノベルや漫画、ゲームにおいて故意的ならエロ展開になるだろうし、
事故なら所謂ラッキースケベ。これらは天国展開……つまりは読者サービスになるだろう。
しかし、当人達の想いはそれとは別物だ。
少なくても辻はそうだった。
ラッキーなんてものじゃない。
自分が苦手としている桜花に押し倒されている。……地獄だ。
こうなった原因を考えると更に地獄だった。


事の発端は一体どこからなのか。
三門市以外にトリオン兵が現れた事か。
近界民がそこに潜伏している情報を掴んだからか。
そのせいで二宮隊が派遣された事か。
近界民の事なら近界育ちの人間を使えという方針を上層部が平気で使うからか。
…彼女が契約には従順で信用できると判断されたためか。
トリオン兵排除のためにチームをばらけた事か。
廃墟に小型トリオン兵を掴んで立っている桜花を見つけてしまったせいか。
真面目な辻はそれを見て見ぬ振りができず、彼女に近づいた。
そのタイミングでトリオン兵に襲撃され、それに対応しようと桜花がトリガーを起動しようとしたところで足場が崩れた。
あの桜花がトリオン兵の攻撃にトリガーを弾かれて落としてしまうというまさかの失態に、辻が咄嗟にフォローに入った。
まずは旋空孤月で攻撃してきたトリオン兵を斬り、
その後辻は落下する桜花を救出しようとして目が合った。
全てが終わった瞬間である。
辻の動きが止まったのが先か、小型トリオン兵がトラップを仕掛けるのが先か…
トリオンで出来た箱に二人揃って入ってしまった。
その後天井が現れ、閉まってしまった。
トリオン性の牢獄だ。
あの小型トリオン兵は捕縛用だったようだ。
おかげで桜花は怪我をせずに済んだが、かわりに捕らわれてしまうという状況になってしまった。
最悪な状況というのは追い討ちするのが好きらしい。
牢屋が少しずつ縮んでいる。
その事に気付いた二人は意外と冷静だった。
桜花はトリオンの壁を触りまわり、辻は孤月で斬ってみるが傷一つつけられなかった。
その後、氷見に連絡を入れる。
辻がトリガーを起動しているおかげで位置情報は取得できた。
後は、救助が来るのを待つだけだ。
二人ともやることをやってしまい、途方にくれるしかなかった。
「辻ーさっきは…」
桜花が辻に目を向ける。
一応助けようとしてくれたんだし、礼は言うかと思っただけだ。
女性耐性がない彼が桜花の方を見ないのは分かっていたことだ。
それに関しては今更だし、困るのは本人だけだと桜花は割り切っている。
救助が来るまでの暇潰しに…と考えない訳ではなかったが、
状況が状況なだけに自重しようとした……が、
これは言わないといけないだろう。
「辻、身体ヤバイ」
「…!?」
身体を見てみれば、左手が原型を止めていなかった。
ふにゃふにゃ空気に漂うそれは確かにヤバかった。
でもそれ以上に辻に突き刺さる視線の方が気になってしまい、そちらの方に緊張が走った。
「(近い……!)」
桜花は辻の腕を見て自分の身体を確認し、何も変化がない事が分かると、再び辻の腕を見る。
近づいてくる桜花に思わず辻は一歩、また一歩と後ずさる。
「何で逃げるのよ」
「……(明星さんが、近づいてくるから)!!」
言葉に出ていない返事に桜花はため息をつき、そのまま辻の肩を押した。
壁際に追い込まれた辻は何が起こっているか分からず、
顔には出てないがパニックを起こしかけている。
「決まりね。これ、トリガー使い捕縛用だわ」
何故そんなことが分かるのか…辻の疑問に桜花は答えた。
壁に接触した辻の腕がトリオンの壁の一部と化している。
「アフトのとこのラービットと同じで、トリオンキューブ化して持ち帰るんでしょ。
それにしては圧縮速度が遅い気がするけど…何でかしら?
あ、とりあえず換装解いた方がいいわよ」
「(何でこんな手荒なことを…)!」
「そんな怯えた目で見なくてもいいでしょ。
アンタと会話にならないし、言っても聞く気ないでしょ?」
そんな事はないですと辻は答えたかった。
辻は人に敬意を払える人間だし、
桜花の言う通り、人の意見は全く聞かないという事はしない。
だが、それも相手による。
米屋達から桜花は有言実行の塊だという話を聞き、
犬飼から辻ちゃん喰われそうとか(桜花にとっては不愉快な嫌疑をかけられている)、
最後に自身の尊敬する隊長からあの女は一筋縄じゃいかないから気をつけろという有難いお言葉を頂戴し、
おかげで辻の中では桜花は要注意危険人物に認定されてしまった。
その認識もあまり間違っていないので誰も訂正しなかったのが、この状況を作り出すのに一役かっていた。
『――という状況なので、迅速に助けに来て下さい!!』
『……辻くんが大変なのは分かったわ。
犬飼先輩、後どれくらいですか?』
『目の前のトリオン兵倒したらすぐに行けるよー。
辻ちゃん助けたら喰われてたとか止めてね』
『はぁ…犬飼先輩』
『ひゃみさん……!』
無線で会話が行われているため、どういう話をしているのか桜花には分からないが、
辻の様子を見るに救出に時間が掛かるのかなと判断した。
トリオンの牢屋もトリオン体にあわせて設計されているなら、
生身の人間がいる以上体積より縮むことはないはずだ(と信じたい)。
どんどん縮んでいく牢屋を見て、呑気にそんな事を考えていたのは桜花だけだ。
話し終えたのか、辻が換装を解くのとそれは同時だった。

グラッ

牢屋が揺れる…を通り越して回転した。
外がどうなっているのか見えないからどうしてこうなったかは分からないが、
傍目から見て、桜花が辻を押し倒しているような形になった。

これが地獄の状況になるまでの流れだった。


桜花の背中にはトリオンの壁。
どうやら中にいる人間の体積にあわせて最少最低限の大きさになろうとしているようだ。
これで桜花が態勢を崩せば、更にトリオンの壁は迫ってくるだろう。
桜花から悪夢という名の現実を告げられてしまい、
辻は今、救出に向かってくれているであろう先輩の顔を思い浮かべる。
「………………さい」
辻はなけなしの勇気で言う。
桜花はその言葉を聞いて呆れるしかなかった。
「頑張るけど、何か違うわよね?」
「…………!」
「え、怒ってもいい?」
この距離で喋られると息がかかるから止めてほしいと、辻にしては頑張って口にした。
桜花がそれを聞いてイラッとしたのはなんとなく伝わってきた。
だがこればかりは辻は耐えようにも耐えられなかった。
ただでさえ桜花は髪が長い。
それが顔に掛かってくすぐったいし、シャンプーの香りがするし、
日頃は女らしさの欠片もないのに、
こんなところで女を主張するのは止めてほしいと切実に思った。
しかも耳元にダイレクトに息がかかってくる。
桜花と目を合わせないように顔を背けている辻を見て、
ここまでびくつかれると怒るのも馬鹿らしいなと、開き直ってしまった。
(辻って加虐心煽るの上手いわよね)
弱い者いじめをする趣味はないが、ここまで弱点を曝け出されると、
攻めたくなるのが攻撃手の性というやつだ。
……他の人間はどうかは知らないが少なくても桜花はそうだった。
しかし一応仲間であるこの年下男子にこれ以上精神を崖っぷちにするわけにはいかないと思い直した。
(子供なら頭を撫でたり、手を握ったりすれば少しは落ち着くんだけど…)
そう考えていたせいか無意識に桜花は辻の頭を撫でてしまった。
びくついたのが分かったが、いつもびくつかれているのでもう無視だ。
辻の髪はさらさらしていて何だか触り心地がいい。
触っていると急に桜花の良心が騒ぎ始めた。
このままでいいのかと……。
抵抗どころか抗議もしない所をみると少しだけ辻の将来が心配になる。
やはり耐性はつけるべきかと考え至り、
まずは救助されるまでの時間を有効活用して見つめ合う訓練から始めよう。
そう思い至って桜花は辻を呼ぶ。
「辻」

グラッ

そのタイミングで牢屋が回転した。
二人はバランスを崩したため、壁を押さえていたモノがなくなった。
まだ縮小できると判断した牢屋は更に縮んだ。
辻が、先程押し倒されていた方がまだ良かったと思えるくらいだ。
もしかしたらお迎えはすぐなのかもしれない…と遂に辻が現実逃避をし始めた。
必然的に辻を抱きかかえるような態勢になっている桜花は、
この状況だし…と、自分の腕の中の存在を気遣うのを止めてしまった。
女性耐性強化プログラムは今度やるとして、桜花はトリオン壁に耳を当てる。
微かに銃声が聞こえる…気がする。
隊員の誰かが来たのかもしれない。
「辻、トリガー起動準備しておきなさいよ」
「……」
返事はない。
流石にこれは目も合わせられない男子には難易度が高すぎたようだが、
そんなの桜花は知らない。
「苦情はあとで聞いてあげるから、とりあえずトリガーどこ?
言わなきゃ勝手に探すわよ」
「……上着の……に……」
桜花は辻の上着を漁る。
その時、トリオンの壁にヒビが入った。
壁が壊されたのと同時に桜花は辻のトリガーに触れ、起動した。
咄嗟に足元にシールドを展開する。
そんなに高さはなかったようで要らぬ用心だったようだが、
怪我せずに済んだのだからいいだろう。
二人は転がるようにして滑り落ちた。
トリオン兵は……と辺りを見るが、そこにはトリオン兵の残骸と犬飼がいた。
「辻ちゃん無事だった?」
「見れば分かるでしょう?」
「いや、だって明星さんいるなら逆に危ないかなーって」
「は?」
「っていうか、何で明星さんうちの隊服?
辻ちゃんのトリガー起動したの?え、なんで??」
桜花の手元から離れた辻はそのまま犬飼の後ろに隠れる。
犬飼は笑いながら銃口を桜花に向ける。
目は笑っていない事から返答次第では撃つ気だ。
これではまるで桜花が一方的に悪いようではないか。
「辻、何か言いなさいよ」
「…少し、時間をください……」
「は、何でよ!?」
「本当に襲ったの?明星さん最低だなー」
「辻!!!」

怒声と銃声が響き渡る。


二宮が現着した時には、
やり合っている二人の姿と隅っこに生身の辻の姿がそこにあった。
とりあえず現状把握のため辻から話を聞いた二宮は額に青筋を立て、問答無用でアステロイドを撃ち込んだ。


20160225


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