端と端
自転軸

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ボーダー本部のラウンジにて、
空閑遊真は困っていた。
テキストと睨めっこして数十分。
日本語にようやく慣れた遊真は漢字を読めるようになってきていた。
問題文が読めず、問題が解けないというレベルはクリアされ、
誰の手も借りず問題を解けるようになった。
だからこそ、純粋に分からないところで躓いている。
どう考えても答えが分からず、備え付けの解答を見て記入しようかと思ったが、
修が理解していないのに正解を書いても意味はないと言っていた事を思い出したのでその選択肢は除外している。
しかし、幾ら考えても進まない…ならば、誰かに教えを乞うしかなかった。
誰に尋ねようかと周囲を見渡す。
良くも悪くも目立っている遊真は玉狛の白い悪魔として有名であり、
そこらの隊員では近寄ってもくれない。
ここで勉強するのは間違っていたか…と、反省する遊真の目の前を見知った顔が通り掛かる。
日本の諺でこういうのを藁に縋るっていうんだったか?と大変失礼な事を思いながら遊真は声を掛けた。
「桜花さん」
「何?」
普通に桜花は立ち止まってくれた。まずは第一関門突破だ。
問題は次だ。
「この問題を教えて欲しい」
遊真の言葉に桜花はあからさまに嫌そうな顔をする。
一応、遊真が手をつけているテキストを覗き見してから言う。
「私より適任がいるんじゃないの」
「修は隊長の定期ミーティングに参加してるし、他の人は見かけていない。
だから助けてください」
遊真は言う。
彼女の言い方からするとどうやらこの問題を知っているようだ。
縋った藁はただの藁じゃなかった…少し意外だがこれで第二関門は突破という事でいいだろう。
桜花は飴を舐めながら言う。
「見返りは?」
「ハンバーガー奢る」
「成立ね」
第三者から見ればいい大人が中学生にたかるなと突っ込むところである。
しかし近界育ちで、戦争の中に身を寄せていた彼等からすればそんなものは関係ない。
この辺りの価値観が同じ二人はこういう取り引き染みた会話や等価なやりとりができる事は非常に分かりやすくて安心できるものだった。

報酬分は面倒を見てくれるらしい桜花は腰を下ろし遊真に何が分からないのか聞く。
全部分からないと丸投げした遊真の頭部にチョップをかまし、考える気がないならやらないと返ってきた言葉に、
意外とこの人は真面目なんだと遊真は思った。
「ここが分かりません」
遊真は今、天体の問題を解いていた。
太陽と星座と地球が書かれた図を見ながら解く穴埋め問題なので答えは書いてあるようなものだ。
図には地球AからDが反時計回りに書いてあり、それぞれの空におおかみ座、くじら座、みつばち座、うさぎ座が書かれていた。
『地球がAにいるとき、真夜中の南の空に見えるのはおおかみ座で東の空に見えるのはくじら座』と、遊真はここは解いていた。
彼が頭を悩ませているのは『秋分の日と冬至の日の地球の位置』。それが分からないらしい。
「串が刺さった団子にしか見えん」
「地軸の傾きを見ればいいじゃない」
「ちじく?」
「……アンタこの問題どう解いたの」
「地球は反時計回りに回ってるって教えてもらった」
あってはいるが、理解はしていないんだろうなという事は分かった。
「北極と南極を結んで軸としたものが地軸。
それを中心に一日掛けて一回転するのが自転。
アンタが言う地球の反時計回りはこれ。
で、この軸はこれくらい傾いてるの」
言って桜花は自身が舐めていた飴を取り出して見せてくれる。
いわゆるあの棒が地軸なのだろう。
遊真にとっては団子が飴になっただけだが、言うと怒られそうなので黙っておいた。
「で、こいつが太陽に当たっている箇所が少ないところが冬」
「どの面も同じじゃないの?」
「秋分の日と冬至の日って聞いているから日本基準で考えればいいの。
日本は北半球にあるから考えるのは太陽に当たっている北半球の面積」
「ふむ、Dが少ないから冬至の日はこれか」
「それで地球は反時計回りに公転しているから秋分の日は」
「Cになるわけだな」
ふむふむと言いながらテキストに記入していく遊真。次は計算問題に躓いたらしい。
『一月一日の18時に南にいた星が二月一日に南にいる時は何時か』
日周運動と年周運動を考えなければいけないやつだ。

うーん……と悩んでいる遊真を見て桜花は言う。
「アンタなんとなくこっちの世界に来た口?」
「違うぞ。ボーダーに会うために来た」
「よくここまで来れたわね」
「相棒がいたからな」
「じゃあ感謝しないと。アンタじゃここに辿りつけないわ」
「うん」
遊真の心からの言葉に桜花はため息をついた。
理由は分からない。
遊真は嘘を見抜くサイドエフェクトを持っているが、
相手が何を考えているのかは分からないのだ。
桜花は喋ってくれない。
でも表情から見て少し嫌そうな顔をしていた。
何か彼女を不快にさせる事でもしただろうか…。
「今はオサムとチカがいる」
「そう」
桜花は興味なさそうに呟いた。
彼女は何に引っかかっているのだろうか。
少し気になって遊真は言葉を続けてみる。
「迅さん、こなみ先輩、しおりちゃんにとりまる先輩、レイジさん。
ボスにようたろう、雷神丸にあとヒュースもいるな。
…ボーダーにはキトラ、アラシヤマさん、よーすけ先輩、ミドリカワ、かざまさんにすわさん、むらかみ先輩に……」
見渡してみればこの世界に来ての三ヵ月、いろんな人に出会った。
かけがえのない時間を過ごしていてその時間が好きだという事に遊真はあらためて気付いた。
「桜花さん、おれ、この場所好きだぞ」
「良かったわね」
遊真のサイドエフェクトが反応する。
本当と嘘が混じっている。
「じゃあ、ちゃんと帰ってこないと駄目ね」
「桜花さんは今まで通りどこか行くのか?」
傭兵をやっていた人間にしか分からないその性質。
それが彼女という人間が信用できて、最も警戒しなくてはいけないところだ。
遊真はそれを解っている。
「向こうへ行く必要なんてないじゃない。
どこにも行かないわよ」
サイドエフェクトが反応する。
また、本当と嘘が混じっている。
その不安定さの理由はなんとなく遊真にも覚えがある。
戦うことだけしかない彼女には基準がないから帰ってくる場所がないのだ。

「自転も公転も大変だな」
「星の話?」
「うん、世界の話」

うむむ…と唸る遊真に、
テキストとは関係ない事を考えているなと思った桜花は遠慮なくチョップをかました。
恐らく生身なら相当なダメージだ。

「とりあえず、早く問題を解きなさい」

そしてハンバーガーを奢れという桜花に悪びれる様子もなく遊真は返事をした。
これは生涯を賭してやるべきものだなーと思うと、
意味が分からないこの問題に少しだけ理解しようと努力してみることにした。


20160302


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