覆われた十六夜
「やっぱ言うこと聞くのはムリかなー」

気だるげに紫原がため息と同時に零した。紫原の前で息を荒く吐いている征十郎の表情はここからでは読み取れない。これ以上はもうやめてくれーー何もしないまま頭だけでそう願っていた。
ここにいる誰もが思った。あの赤司が負けるのか、と。

紫原が征十郎にしかけた勝負は1on1で5点先取した方が勝ちという単純なものだった。征十郎が勝てば紫原は練習に参加する、紫原が勝てば練習には参加しない。
監督に告げられたこれから青峰が練習に参加しないことに、元々ヤル気のなかった紫原が「なら俺も参加したくない」と言いだしたことが発端だ。

「あれ止めなくていいんスか?」
「まあ……征十郎に任せておけばいいんじゃない」

黄瀬が僅かな好奇心を覗かせながら尋ねてきた。けどその時の私は征十郎が負けることなど想像もしていなくて、不安はあるがこの勝負で紫原が負ければ納得するだろうと口出ししなかった。
ただこの胸騒ぎが杞憂で終わればいいと。


「少し調子に乗りすぎだぞ敦。あまり僕を怒らせるな。僕に逆らう奴は親でも殺すぞ」

何の感情もない冷たい表情の征十郎にひゅっと息を呑んだ。
現実を認めようとしない頭で、すぐに「ああ、あの子だ」と思った。声のトーンも喋り方も雰囲気も私の知っている征十郎と全く違う、ふとした時に出てくるあの子。いつからそういうことが有ったのかはもう覚えていない。

「ごめん……今日はもう帰る」
「えっ、でもまだーー」

試合の結果など最後まで見なくてももう分かりきっている。残っている仕事を終わらせて足早に体育館を後にした。後日、さつきから勝負には征十郎が勝ったのを聞いた。
あの日から青峰と紫原の姿を練習で見かけることはなくなった。練習だけでなく変化は試合にも顕著に現れた。チームプレーはなく、パスは必要最低限。青峰に至ってはマークされていても無理矢理にでも抜こうとする。……それでも抜けてしまう度に誰にも彼らを止められない事実を突きつけられるような気がした。

「黄瀬、部活行かないの?」

体育館までの道を歩いていると校門に向かっていく後ろ姿が見えて無意識のうちに話しかけていた。

「銀城っち……えーっと、今日はモデルの仕事が入ってて」
「……そう」
「明日はちゃんと行くっスから!」

また、気を遣わせてしまったかもしれない。反射的に出てしまったような黄瀬の返答にぼんやりと、これから黄瀬も練習に来ることが少なくなるんだろうなと思った。
別にサボることについて非難するつもりもないし、一度も彼らと真正面からぶつかったこともない私にする資格もない。私の中に残っているのは諦めと寂しさだけだ。

「ね、銀城っち今度の日曜空いてるっスか?」

申し訳なさそうな、好きなものを我慢している子供のような、何とも形容し難い顔で黄瀬がそう言った。数回の瞬きの後、漸く質問の意味を理解して日曜日の予定を思い出す。

「何もない、とは思うけど」
「じゃあバッシュ買いに行くの付いてきてくれないっスか?」
「詳しいこととか分からないけどいいの?」
「いいんスよ! 迷った時とか一人だと長いことかかっちゃうから誰かいてくれた方が嬉しいっス!」

声色は明るくてちゃんと笑顔なはずなのに何故か、黄瀬が悲しんでいる様に見えた。けど違和感は感じない。寧ろ、見慣れた表情だとも思った。
そういえばずっと黄瀬の楽しそうな笑顔を見ていない気がする。黄瀬がこんな顔をする様になったのはいつからだったのだろう。私が気づかなかっただけで最初からだっただろうか、それとも全中が終わった頃からだろうかーー。

「銀城っち? どうかしたっスか?」
「あ、そろそろ行かないと。じゃあ仕事頑張ってね」

この取り繕ったような笑顔が黄瀬にバレる前に早く別れよう。背中に視線を感じながらも小走りで体育館に向かった。
途中の曲がり角を曲がった瞬間に盛大なため息を吐いた。緊張が解けたみたいで体から力が抜けてその場にズルズルと座り込んだ。幸いここは人通りが少ないので誰かに見られる可能性は極めて低い。

「嫌になるなあ……ホント」

気づきたくて気づいたわけではない。何となしに浮かんだだけだ。
目を逸らして背中を向けて、ずっと逃げているだけだと思っていた。けど黄瀬を見ていて気づいた。そもそも私は逃げてすらいないことに。
prev back next
ALICE+