ファントム・エンジェルの御告げ




 切島くんの顔が、とてもとても近くにある。

 放課後の教室。夕焼け色で塗り替えられたみたいな私の世界で、一番綺麗な赤色を持っている彼は、とても真剣な表情だった。逃げられないように、なのだろうか。私のほっぺたをむにっと両の手のひらで挟み、顔を固定して、至近距離で見つめ合っているこの状態は、かれこれ数十秒続いている。
 視界には見切れる程いっぱいに、切島くんの顔。
 だけど様子はなんか変。
 こっちは恥ずかしくて死にそうなのに、切島くんの方は全然照れてなんかないんだ。無言でじいっと見つめてきていて、やだな、なんか。ずっとずっとこのままでいるなら、いっそぱくりとキスしちゃうか、ちょっと寂しいけど離して欲しい、なんて軽率に考えてしまう。ドキドキドキ、と心臓はうるさい。

 真正面で向き合っていたのが、く、と少しだけ首を傾げて、角度を付けられる。これから私を食べるみたいにギザギザの歯と、赤い舌が動いた。ひぃと喉の奥から悲鳴が上がる。あ、まって。ほんとにキスするの?だって、まって。私、は、初めてなのに……!

 くちびるまで、あともう、3センチ。

「きゃああ!」

 思わず上がった悲鳴。布団を投げ出さんばかりの勢いで飛び起きてから、切島くんにされたみたいに、ほっぺたを両手でむにっと挟んだ。ここまでが最高速。ああ、なるほど状況把握!ぷしゅうと空気が抜けた風船のように再びベッドに四肢を投げ出し、背中から倒れ込む。うわあ、わあ、なんて夢を……!

 そう。さっきのアレは、夢だ。私の、個性。

 睡眠をとると、その度に夢を見る。それはただの夢ではなくて、その日起こり得る出来事が夢となって出てくる、所謂予知夢というもの。触れるものや、空気感、そういうものまでとてもリアルに体験できるだけではなく、夢の中では見えなかった情景が、眠りから覚めた時にすっと情報として頭の中に流れ込んでくる。誰がいつどこで誰と何をしたのか、些細なことまでだいたいは。

「き、き、キス……しちゃう……!!」

 顔どころか体中から湯気がでそう。うううあああ!なんて奇怪な悲鳴を上げてベッドの中でどうしようもない熱を持て余し、じたばたと暴れる。どうしよう、どうしよう、と真っ赤になって燃えるように熱を発するほっぺたを押さえつけるけど、そんなことで収まるはずもなかった。

 そもそも、私と同じクラスの切島くんは、付き合ってなんかいない。好き、だとか、そんなこともない。ただのクラスメイトだよ。会話をすることはあるけど、毎日じゃない。挨拶をたまにするくらいというか、それくらいしか用事なんてないんだもん。

 と、とにかくさっきの夢をまとめよう。
 切島くんと私が、放課後の教室で、き、キスをしようとしていた。
 そしてここからは特に夢の中で描写があったわけじゃないけど、なんとなく感じたのは、そう、多分家に帰ろうとしていたんだ。そこを、切島くんに呼び止められて、話をしているうちにああなってしまった。会話の内容は……ううん、よくわからない。なんとなく、悪い感じではないのは伝わってきたけれど。
 落ち着いて、大丈夫。私の夢は回避しようと思えば回避できる。無数にある未来の一つが、夢になってこうして現れるだけ。
 別に切島くんのことが嫌いなわけじゃない。でも、今まではただのクラスメイトとしか思ってなかったから、突然そんな、き、キス、とか。全くもって意味がわからない。そんな軟派な人とは思えないし。

「大丈夫。今日一日を乗り切ればいいだけ。大丈夫、大丈夫」

 こんなこと知る由もない切島くんには申し訳ないけど、今日はとことん逃げの一手でいかせてもらうんだから!

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