さながら飛行をするかのように




「学校、やすんじゃった」

 はぁー、と、大きな大きなため息を吐く。
 時刻は午前10時30分を回ったところだ。今頃2限が終わって、休み時間中かな。百ちゃんや尾白くんが、恐らく心配してくれて、なのだろう。メッセージを送ってくれていた。だけどどうも返す気にならなくて、既読すら付けていない。心配を掛けてしまって、なんだか申し訳ない。

 あの後、いつまで経っても起きてこないことを心配したお母さんが様子を見に来てくれて、それで漸くあの発作のような息苦しさは収まった。

 私の個性はお母さんから受け継いだものであるから、何か知っているのかもしれない。
 そう思って、夢の中の他人の感情が流れて込んできてとても苦しかったの、という至極簡単な説明をしてみると、「そんなこと、」と不安そうに息を呑んだ。この個性と何十年も一緒に生きてきたお母さんですら、体験したことがないらしい。本格的に怖くなって、私、死んじゃうのかな、なんて弱音を吐く。
 お母さんは自分の不安を私に悟らせないようにしているのか、「大丈夫」と気丈に答えた。
 不安なら、一緒に病院に行こう。先生に見てもらったら、きっと何も無いことがわかって、安心するから。
 そんなふうに言ってくれて、うん、と返事をする。けれど、心の中では躊躇した。病院に行っても、どう説明すればいいかわからない。それよりなにより、夢の事は、切島くんのあの気持ちのことは、ほかの人に簡単に打ち明けていいものじゃない気がする。あんな、辛くて悲しくて、切ない気持ち。

 明日以降も同じことがあれば、また相談させてね、と話を打ち切り、一人にしてもらう。
 寝る事ははばかられた。また朝みたいなことになったら今度こそ死んでしまいそうで、怖かった。

 ああ、予知夢の影響なのかな。酷くはないけど、頭が痛い。こめかみをぐりぐりと揉みほぐすと、少しだけ痛くなくなるような気がした。それから、ゆっくりと深呼吸。息を吐き出すのと一緒に、ふと、思ったことをそのまま口にする。

「……切島くんは、私のことが、すき?」

 疑問形。だけど本当は、確信を得ていた。
 怖いくらいに溢れた恋心と、夢で見た私を見つめる、切島くんの切ない表情。
 言いたいことがあったはずなのに、それをはっきりと口にはせず、悲しそうに零した涙。
 謝罪の言葉とともにゆっくりと行われた、口付け。

 思い出すと、また動悸が激しくなる。だけどこれはもう、切島くんの感情じゃない。
 あんなに苦しい思いをしないといけないくらい、私のことを好きでいてくれている。
 その事実に、自分の心臓が恥ずかしさを耐えられず、脈打っているだけだ。その伸縮の激しさといったら。肉を突き破って飛び出してくるか、口からぼえって出てきちゃいそう。ああ、恥ずかしい。

「……どうして、切島くんは私が好きなんだろう」

 何度も何度も同じことを言うけれど、私は切島くんと親しくない。挨拶だって、両手で数えられるくらいしかしてない。昨日は、どうしてか帰りに話し掛けられてしまったけれど……。

「……って、あ!対人戦闘訓練!」

 しまった、朝のあれのせいで完全に忘れてた。今日のヒーロー基礎学で、ペア組もうって言われてたのに!
 なんか、うわ、切島くん、私が避けてるみたいに思ってないかな。だって、昨日は普通に学校にも道場にも行ったのに、今日になって謎の体調不良で欠席だよ?自分との戦闘訓練が嫌だから休んだみたいに思ってないよね……。だ、だ、大丈夫、だよね……?

「……でも、私が切島くんの立場だったら、好きな人にそんな風にされたらちょっと悲しい、かも。違うんだろうなとは思いつつ、もしかして、とか。変な風に考えて、なんかモヤモヤしちゃいそう」

 切島くんは優しい人だ。特別彼と仲良くしている訳ではないけれど、その人となりは大して親しくない間柄の私でもよくわかる。
 人の気持ちに敏感で、情に脆い。そんな人だと思う。だから、あんなに慕われる。彼の周りには男女問わず、いつもたくさんの人がいる。

 ……いい人、なのはわかる。けれど、私が切島くんのことを好きなのかと聞かれたら、正直わからない。

 だから、もし。もし好きじゃないとして、果たして希望を持たせるようなことを簡単に言ってしまっていいのだろうか。
 ここで「今日はごめんね。次のヒーロー基礎学は、ペア組もうね」そんなことを言って、あたかも気があるような態度を取ってしまったら、逆に彼を傷付けてしまうんじゃないだろうか。

「……考えすぎかなぁ。よくわからないよ。ぜんぶぜんぶ、初めてのことなんだもん。
 どうしたらいいの?どう言えばいい?いっそ何も言わない方がよかったりする?でも、それじゃあ……」

 うう、と、唸る。男の子のことをこんなに考えるの、恥ずかしい。ドキドキする。
 いつの間にか頭の中は切島くんのことでいっぱいで、何に心臓が高鳴っているのかもわからない。身体が火照っていて、落ち着かない。考えれば考えるほど、ドツボに嵌っている気がする。

 その時、突然鳴り響いた甲高い鈴の音のような音に、思わず肩が跳ね上がった。先ほどとは違うドキドキが、胸を極端に圧迫する。

「び、びっくりした……メッセージ来てる……」

 とりあえず、と送信者の名前だけを見て、少し固まる。上鳴くんだ。上鳴くんといえば切島くん、というように、軽く連想ゲームみたいな事をしてしまって、誰に見られるわけでもないのに髪で顔を隠してしまった。何してるんだ私。混乱しすぎだよ。それに、地味に上鳴くんにも失礼だ。ご、ごめんね上鳴くん……。

「……あっ、うあ、ちょ、ひあ!」

 動揺しすぎたのかなんなのか、謎の悲鳴を上げて、スマホを手から滑り落としてしまった。その際、あらぬところをタップしてしまって、しまった!と焦る。
 あ、うわ、やば!百ちゃんたちのメッセージですら既読つけてないのに、上鳴くんのだけ間違えて既読つけちゃった!うわぁ、やっちまったー!
 もうこうなってしまったら仕方ない。本文を読んで簡単にお返事を返そう。……というか、そもそも今ってもう3限始まってるはずだよね?こんな時間に送ってくることがすでに、嫌な予感。

「ええっと………………ん?」

 なに?これ。……え、なに?
 なんで、上鳴くんがこんなことを?

 そうじゃなくても既に混乱していた私を、予想外の方向から更なる混乱に突き落とした上鳴電気というクラスメイトに、思わず、あー、なんて声を上げながら天を仰ぐように頭を後ろに逸らす。
 収まっていたはずの頭痛が、ずくん、ずくんと蘇って来たのがわかって、最早ため息も出てこない。

 思考回路を投げ出したいけどそんなことは無理。だから、現実から逃避した。持っていたスマホを、電源を落とした上で物理的に遠くに置く。
 そんなことをしたって何にもならないことは百も承知だ。だけど、自分勝手なことを言うようで大変申し訳ないんだけど、今だけは何も考えたくないよ。

 全然、全く、これっぽっちも悪くない上鳴くんには本当に本当に悪いんだけど、お返事は、その、ちょっと休んでから返そうと思います。

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