君に幸あれと祈りし乙女




 うわあ、ああ、次は持久走だ。一番最初に行った短距離でも散々な結果を残した私は、走るのはどうも苦手だった。苦しいし、好きじゃない。でも、そんなことを言っている場合じゃない。体操服の裾をぎゅっと握って、相変わらず大丈夫大丈夫って自分に言い聞かせる。
 ふと、隣にいた独特の雰囲気を持つ女の子と目が合った。女の子はゲコ、と小さく声を出して「ねぇ、」と話掛けてきた。

「さっきからずっと思ってたの。どうして個性を使わないの?」

 きょとんとした顔でそんな風に尋ねられて、私は一瞬たじろぐ。なんて言おうか、と一瞬考えて、苦笑いを返した。

「私の個性、シールドを張ることだから。戦闘で攻撃を受けないと役に立たないっていうか」

 簡単に自分の個性について説明をすると、相手の女の子は「なるほど」と合点がいったようだった。少しだけ考える素振りを見せ、「それって、」と続けられた言葉に、私は目を見開くことになる。

「それなら、できるかも」

 やってみたことはない。でも、特性上確かにそういう使い方ならできるかもしれない。
 残っている種目で、その方法が試せるのはこの持久走しかない。ぶっつけ本番、どこまでできるかわからないけど、やるだけやってやる!

「え、なまえ、個性…!」
「あの子、みょうじさん?だっけ。個性全然使ってなかったけどここで使うの?」
「なんだろ、あのシャボン玉みたいなの」

 持久走のスタート直後から、私は個性を使っていた。なんだか注目されている気がして恥ずかしい。あ、電気もびっくりした顔してる。
 とりあえず走る。個性で向かい風を吸収しつつ、ただひたすら。100メートルも走ってないのに、既に息苦しい。入試前は勉強ばっかり、春休みは雄英に入れることに浮かれてしまって家でのんびり過ごしていたのが完全に仇になっている。ほんと私ってばバカでアホ!雄英嘗めてた!
 でも!でもでも!絶対こんなところで、諦めないんだから!

 走って、走って、でもどんどん抜かれていった。喉の奥から血の味がして、脇腹が痛くて、ヒューヒューと息が漏れる。死んじゃいそう。トップの人と300メートル近く差をつけられた。一番後方を走る私は、でも、まだ諦めていなかった。まだ、まだだ。直線に入らないと意味がない。
 普段ならとっくに諦めて歩いていたと思う。だから、中学の時の持久走はいっつもビリから2番目とか、3番目とか、そのくらいの位置だった。でも、今日は違う!今日頑張らないと、きっと一生後悔する!受験生活の全てをこの雄英に入るためだけに費やしたのに、入った瞬間に辞めさせられるなんてとんでもない!ふざけんな!そんな気持ちで、気力だけで走っていた。

 苦しい、苦しい、苦しい!

 直線、直線、直線!

 もうちょっと!あと少し!あと、少し!!

 ここだ!というタイミングで、私は吸収した向かい風の風圧を後ろに向かって全力放出した。
 何が起こったのかわからない。よくわからないけど、顔面から地面に突っ込んで、数秒間気を失っていたらしい。はっ、と気がついて起き上がってみたら、あれ、ここ、どこだ?顔面、すごく痛いんだけど!

「なまえ!おい!だ、大丈夫かよ!」
「あ、電気」
「うわあああお前顔面!顔面血だらけ!おい!おい大丈夫かよ!」

 顔面にベタっと両手をつけて、それを離した。視界には手の平いっぱいの血、土、血。道理で痛いわけだ。よく見ると新品の体操服もボロボロ。うわあ、最悪。

「は!そうだ!持久走!結果!」
「あ!そうだそうだった!すげーよお前!今のグループで2位だったぞ!すげーぶっ飛んでたけど!!」

 にい。にい?
 ズキズキと痛む身体に呻きながら、ゆっくりと振り返る。うわ、うわあ、なんだこれ。
 私がいたのはゴールを大きく飛び越えたトラックの端っこだった。個性のおかげで500メートルは軽くふっとんだだろうか。は、はは。まじか。一瞬で、こんなところまで。

「大丈夫?」

 ぴょこぴょこ跳ねながらわざわざ心配して来てくれたのは、アドバイスをくれたあの女の子だった。

「ごめんなさいね、女の子の顔に酷い怪我をさせてしまったわ。確かにヒーローらしいタイムは出たけど、あなたの個性もろくに知らないまま軽率なことを言ってしまったようだわ。まさかこんなに飛んじゃうなんて」
「ううん、そんなことない!ちょっと痛いけど、全然平気!私、自分の個性にこんな使い方ができるなんて知らなかった!ありがとう!あなたのおかけで自己新記録だよ!すごい!すごいよ!最高だよ!私、私、すごく嬉しい!!」

 興奮のあまり一人でわーって喋ってたら電気が顔面にタオルを押し付けた。どうやら鼻血が垂れていたようで、拭けと怒られてしまった。

「それ後にして、いいから保健室行こうぜ!傷残ったらやべぇよ!」
「あと2種目ある!がんばる!」
「いや!でもよ……」

「仲良いのね」

 蛙吹梅雨よ、とその女の子は名前を言った。あすいさん、と言い慣れない名前を復唱すると、「梅雨ちゃんと呼んで」と言ってくれた。

「梅雨ちゃん、ありがとう!私、みょうじ なまえ!」
「なまえちゃん、よろしくね。次の種目も参加するなら早く戻った方がいいわ。相澤先生が待ってる」
「うん!ありがとう!」

 擦り傷だらけの打撲だらけで痛かったけど、電気に肩を借りてヨロヨロと相澤先生の元に向かう。珍しく神妙な顔をした電気がマジで次も出るの?なんて聞いてくるから、もちろん!と返した。

「やっと、なんか、スタートラインに立てた気がするの!私の個性でも使い方次第で、通用するんだってわかった!それを試したい!」
「……はぁ。ほんと、お前さぁ、女なんだからあんま無茶すんなよ?」

 しょーがねぇなぁと言わんばかりに溜め息を吐いた電気を見て、ああ、やっぱり優しいなぁと思う。心配してくれてありがとう、と言うと、ん、と小さく返事があった。

 相澤先生にその顔面で本当にやるんだな?大丈夫なんだな?と再度確認を受け、大丈夫です!と返すと、周りにいたクラスメイトの人たちがざわついた。緑谷もすげぇけど、あの子もすげぇとかなんとか。いや、確かに緑谷くん、という人はすごかったけど、私とは比べ物にならないと思うなぁ。ちらりと例の緑谷くんを見ると、彼もこちらを見ていたようで目が合い、びくりと肩を揺らしていた。派手に飛んで顔面から落ち、血をダラダラと垂れ流している私と指だけ晴れ上がっている緑谷くんでは確かに私の方が重傷のように見えるかもしれないけど、私は骨が折れているわけではない。痛そうだな、と思わず顔を顰めてしまった。
 この人も努力して雄英に入ったんだ。だからこんなに一生懸命なんだ。多分最下位争いは私と緑谷くんだと思う。どちらかが、除籍処分。なんだか嫌だなぁと思った。二人ともこんな痛い思いをして頑張ったのに、それでも手が届かなかったら雄英はあっさりと私達を切り捨ててしまうのだろうか。緑谷くんも同じことを思ったのか、私からすいっと目を逸らしてしまった。
 でも、私だって負けられない。せっかく電気曰く、奇跡が起こってここにいるんだ。こんなところで躓きたくない。やれるだけのことはやりたい。
 私だって、ヒーローになりたいもん!

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