ひとさじの春でもここにあるのか




「あ、あの!切島くん!少しよろしいでしょうか……!」

 翌日、土曜日。
 相変わらず夢に見るのは切島くんのことばかりで、朝から恥ずかしさに悶えながら登校してきた。それでも、昨晩上鳴くんと話したことを嘘にしないために、勇気を振り絞ったんだ。そういえば自分から彼に話し掛けるなんて、初めてかもしれない。手に汗を握りながら、私より数分遅れて登校し、鞄の中身を出し入れしている切島くんに声を掛けた。

「へ!?あ、えっと、何?どした?」
「えっと、あの、ほら、この間の戦闘訓練約束守れなかったから、その、よかったら、来週月曜日のヒーロー基礎学で相手してもらえないかな……なんて」

 あ、やばい。ちょっとたどたどしい話し方になってしまった。変に汗が出てきて、熱くて、パタパタと手をうちわ替わりにして仰ぐ。視線があちこちへ向いている。やけに喉が渇く。そわそわとスカートの裾や髪を触る。落ち着きがないことは自分でもよく理解していたけれど、こんなもの、生理現象のようなものだ。どうしようもない。ここはただ、羞恥に耐えるしかないんだ。だけどもし、切島くんに変な人だと思われてたら、どうしよう、恥ずかしい。それだけが心配だ。

「え、あ、あー!もちろん!」
「ほんと?よかったぁ……。あ、それから……この間は約束破っちゃってごめんね、」
「それ昨日ちゃんと聞いてる。気にしなくていいって!俺が勝手に言ってたんだし!や、でも、みょうじから誘ってもらえるとか……その、嬉しいな!」

 へへへ、と顔を赤らめながら、切島くんが嬉しそうな笑顔を見せてくれて、思わず私まで照れてしまった。感情表現がストレートすぎて、なんだか恥ずかしい。
 とりあえず。上鳴くんとの電話の通り、私からも切島くんに歩み寄ることを決めていた。今日の目標は月曜日の約束を取り付ける、だったわけだけど、早々にそれを達成できたことは喜ばしい。ああ、よかった。
 ほっと一息吐いた時、ずっと話が聞こえていたのか切島くんの斜め前に座る響香ちゃんがくるりと後ろを振り返った。そうしてゆっくりと私と切島くんを交互に見て、にやり。あ、意地悪そうな顔してる。

「楽しそうだね、お二人さん。初々しすぎて聞いてるこっちが恥ずかしいんだけど」
「え!や、ちが、違うんだってば!響香ちゃん何言ってるの!」
「あ、あのな耳郎、頼むからそういうこと言うのやめてくれ、ホントに……!」
「いやぁだって、ほんと可愛いカップルって感じで」
「や、や、ほんとちがうかりゃ……!」
「なまえ、噛んでる噛んでる。動揺しすぎ」

 響香ちゃんは至極愉快そうに笑い声を立ててから、笑いを堪えきれない顔で、そういえば、と私に向き直る。「相澤先生のとこ行かなくていいの?」という言葉に、あ、と声を上げる。そうだ。個性のこと、一応相澤先生に報告しておこうと思ったんだった。個性の件は昨日のうちに響香ちゃんにはメールでざっくりと話していたから、教えて貰って助かっちゃった。切島くんとのお話で朝の時間を使っちゃうところだったよ。
 少しだけ気まずかったから、ちょうどいいかもしれないと思って、切島くんと響香ちゃんにお礼の言葉を残して、職員室へ向かうため廊下に出た。相澤先生、時間あるかな。忙しくなければいいんだけど。





 職員室へ行くと、相澤先生はデスクで教材をまとめていた。ああ、やっぱり忙しそう。こんな話、別に朝一じゃなくていいんだけど、どうしよう。こんなこと言ってて、言うタイミング無くしたりしないかな。
 今話し掛けても大丈夫なんだろうか。廊下からこっそりと手隙になるのを待っていると、プレゼント・マイク先生が声を掛けてくれて、相澤先生に取り次いでくれた。その取り次ぎ方が少し無理矢理だったために、相澤先生はすごく嫌そうな顔をしていたけれど……それでも机の上の教材をすべて隅っこに追いやって、身体ごと私に向いて話を聞いてくれる先生は、とても優しくて生徒想いな人なんだなと思う。なるべく手短に済ませようと、切島くんのことには一切触れず、個性に違和感を覚えて病院に行ったという経緯と、診断結果を簡潔に話した。

「ああ、なるほどな。わかった」

 先生は短くそう言葉を発し、私が話し終えた内容をその辺にある裏紙を掴んで簡単にメモに残していた。でもまぁ、と頭を掻きながら、話を続ける。

「お前の個性には雄英も、警察も期待してる。一度視界に入れたやつの思考を読み取って未来を教えてくれるっていうなら、ただの予知夢よりも凶悪犯罪防止に役立つだろうしな。的中確率がどうあれ、危険思考を持っているやつの情報が事前にわかるのは大きい。今後、変な夢見たら逐一教えろよ」
「へ、変な夢……ですか」

 変な夢、と言われて真っ先に切島くんの夢のこと頭に浮かんでしまった。うわあ、なんて失礼なことを。それにまさか切島くんと、き、キスしてる夢のことなんて相澤先生に言えるわけがない。逐一報告、とはいえ、これは多分、相澤先生が求めているような夢の内容ではない、と思うし。

「ん、なんかあるのか?」
「い、いえ……!大した夢じゃないので!」

 追求されるのが恐ろしくて、逃げるように頭を下げ、職員室を出る。相澤先生に名前を呼ばれたような気がするけど、ごめんなさい、聞こえないふりしちゃいました。荒い息のまま、廊下の壁を背に、ああ、びっくりした、と胸をなでおろす。危うく余計なことを言いそうになっちゃったよ。恥ずかしい恥ずかしい!
 ふう、と息を吐いて教室へ戻ろうとした時、スカートのポケットに入れていたスマホがブルブルと震えた。メッセージが来たのかな。差出人は響香ちゃん。内容は簡潔に、「なまえは切島のこと好きなの?」と。ああ、うん、それをはっきりさせるための行動の一つとして、月曜日の戦闘訓練、なんだよねぇ。「よくわからない」と、正直に返すと、またすぐに返事は返ってくる。「応援してるからね」なんて。いやいや、一体何を応援してくれるつもりなの、響香ちゃん。
 そうだよ、私は切島くんのこと、好きかもしれないし、そうじゃないかもしれないんだから。もし、好き、だったら。その時は響香ちゃんの言う通り、がんばるしかないんだけど、そうじゃなかったら私、どうするんだろう。複雑な気持ちは、多分表情にも出ていたと思う。お礼の言葉を返してはみたものの、素直な気持ちで「ありがとう」の五文字を打つことはできなかった。

/ 戻る /

ALICE+