はじまるのは名前のない関係
ああ、学校行きたくないな。
まさかそんなことを思う日が来るなんて思わなかった。朝からこんなにも鬱屈とした気持ちを持つことなんてただの一度もなかったものだから、余計に気分は沈んでしまう。
ずっしりと重い身体に鞭を打ち、淡々とまだ新しい制服に着替える。朝までずっと泣き通しだった瞼は腫れて重い。顔でも洗えば、少しはマシになるのだろうか。
つい数日前までは、こんな準備ですら楽しかった。憧れだった雄英の制服に袖を通すことに未だ浮かれ、早く学校行きたいなとか、勉強は嫌いだけど個性を使った訓練は好きだから、早くいろんなことを学びたいなとか、友人達と楽しくお話をしたいなとか。一日一日が幸せだった。楽しいことがたくさんあった。今も、未来も。楽しいことだらけだったはずなのに。
それは、全部全部、幼なじみの男の子がいつも一緒にいてくれるからだったんだよね。
朝は待ち合わせして一緒に学校行って。
学校でも二人でべらべら喋りまくって。
戦闘訓練でペア組んで。反省会して。
一緒に帰って。たまに家で夜ごはんをご馳走になって。
本当に、寝る時以外の時間はほとんど一緒にいたもんね。ずっと、ずっと。
私からあの幼なじみを取ってしまったら、一体何が残るんだろう。ううん、何も残らないかもしれない。
だって、まだその宣言から一日も経っていないというのに、身体の真ん中にぽっかりと穴が空いてしまったみたいなんだもの。辛い何かを実感するような時間すらなかったはず。ただ決別の宣言をした、それだけなのに。
今までのような学校生活なんて送れない。離れる、とはそういうことだ。これから私はどうなってしまうんだろうと考えると、身体の中心に空いた穴に向けて、追い討ちをかけるように冷たい隙間風がぴゅーぴゅーと吹き込んでくる。ああ、それが、とても冷たくて痛いんだ。
変なの。私から言い出したことなのにね。この世の誰よりも幸せになって欲しい。だから、その為にはいつか引き下がらないといけないとわかっていたはず。それが、あの日だったというだけ、なのに、
私は知らず知らずのうちに、高望みしてしまっていた。もしかしたら、私だってその隣に立てるかもしれない。立つ権利が、あるのかもしれないと。今が苦しいのは、そんな良くない希望を抱いてしまったことが原因だという事はわかっていた。誰も悪くない。ただ私が、現実を見れてなかっただけなの。
「私は、やっぱりただの幼なじみだったんだ」
好きだと告げた時のあのこわばった顔と、わけがわからない、と訴えかけてくる瞳は、目を閉じる度に思い起こされた。瞼にこびり付いて離れてくれない。冗談だよ、なんて言えるような強さもなかった私は、ただ呆然と私じゃダメだったのだと理解するしかなかった。
幼なじみ。それは今の私には辛い関係だった。最も近くて、最も遠い、微妙な関係。一生秘めているべきだった想いを告げてしまった以上、もう、そんな微妙な関係にすら戻れやしない。決別を決めたのは、そういう理由があった。
だけどそれだけじゃダメだった。一晩中ぐるぐると頭の中を巡りに巡ったモヤモヤのその答えが、ようやくわかった。
好きな相手にとって自分はただの幼なじみでしかなかった。その真実は、私にとっての毒だ。吐き出さないと、どうにかなってしまいそう。それはとても一人よがりで悲しい思考だけれど、脆弱な心はそうでもしないと今にも砕け散ってしまいそうだった。ごめんなさい、許して。許してね。ごめんなさい。
そうして私は、これからの関係だけじゃなく、過去の関係も無かったことにしてしまった。
これは、自分の中から捨て去るべき事案だ。最初から私には幼なじみなんていない。彼は、数ある友人の一人だったのだ。私にとって、その存在は大きなものでもなんでもない。だから、いなくなっても大丈夫。せめてボロボロの心が修復できるまでは、そうやって、身勝手にも涙を零し続けることを許してください。誰にも迷惑掛けないようにするから。もう泣かないから。泣くのは、心の中だけにするから。
これは私が前に進むために必要な傷。だから、大丈夫。普通に過ごそう。ただ、いつも一緒にいた彼との時間を、他のことに使うっていうだけのことじゃない。響香ちゃんや梅雨ちゃんやお茶子ちゃんと、楽しく過ごす時間が増えるのだから、喜ばしいことだよ。
そうやって、しばらくは、話はしない。いつか私の心が強くなって、普通に振る舞うことができるようになったら、その時は以前のように名前で呼ぼう。このくだらない気持ちのことも笑い話にしてみせよう。それがいい。そうしよう。大丈夫。すぐにそうなれるよ。私は、すぐに大人になれる。いつまでも甘えていられない。子供じゃ、ないんだから。涙が滲みそうになったら歯を食いしばれ。耐えろ。泣くな、泣くな。忘れろ。今だけは、全部全部忘れてしまえ。
さあ、もう、前を向かないと。