出発


朝日が木々の合間から覗く小道を、サーシャとカイン、クリスは歩いていた。まだ太陽が昇ったばかりで空気が冷たい。

「カイン殿は朝が弱いのかな?顔が強張っておるぞ」

クリスの言葉にカインは無言で睨み返す。

「集団行動が苦手なタイプみたいよ?彼」

サーシャが代わりに答えてやる。するとクリスは目を大きくした後、眉を寄せた。

「なんと、何かトラウマでもあるのか?仲間を失った経験でもお有りかな?しかしな、若いのだからそういう経験も……」

「朝が苦手ってことにしといてくれ……」

カインは遮るように手を振り呟いた。

妙に機嫌の良いクリスに適当に話しを合わせるサーシャ、不機嫌さを露骨にするカイン。そんな調子で歩みを続けていると、急に景色が開けて来た。

眼下に広がる地上の景色を眺めてサーシャが二人に問う。

「あの辺がたぶん古代遺跡の始まりね」

緑色の大地に茶の染みのようなもの。円形に広がるそれは基本的な古代遺跡の姿だ。

「あれは『ファースト』だな。古代遺跡の中でも外郭だ。『ワーヴ』はもっともっと奥だ」

カインは顎に手をあて答える。

「お二人とも『ワーヴ』の名を聞いて尻込みしなかったとは心強いな。あそこは人が踏み入れることならず、な場所だと聞くぞ」

クリスはそう言いながらも嬉しげだ。

『冒険者を志す者なんてそんなものだ』サーシャはふと祖父の言葉を思い出していた。

「普通の人間の中で普通の暮らしを送る、そんな当たり前のことが出来ない異端ものが冒険なんてものに憧れるんだ。決して言われるように格好いいもんじゃないさ」そう言いながらかつての相棒であるロングボウを撫でる祖父は、サーシャの英雄だった。

何故今思い出したのかは分からないが、今の状況にはとても馴染む台詞のような気がした。





歩き続ける三人の空気が単調なものになってきたので、クリスがしりとりをしようと持ちかけ、二人に丁重に断られた時だった。

ぎいぎい、というような耳障りな声が微かに聞こえる。声の方向を意識すると殺気、怯えが混じったような空気を隠そうともしない集団が近づいてくるのがわかる。

「くせえな」

カインはそう言うと剣の柄に手を伸ばした。するとクリスが手で制す。その行為にカインは文句を言おうと口を開いた。

と、その時、茂みからサーシャの想像通りの生き物が現れた。

ゴブリンだ。赤黒い顔の中で光る瞳をぎらつかせ、手に持った汚いダガーをこちらに向けている。

その後ろにも数匹、こちらに出てくる機会を伺っている。

「……おい、ちょっと……」

カインが再びクリスに抗議の声を上げるが、クリスはカインの前から動かない。

その様子を見てサーシャがどう動くか決めかねていると、

喝!!!!

辺りに轟音が響く。サーシャは耳に手を当て、思わず目を瞑った。

目を開けると、ゴブリン達が慌てて逃げていく様子が見える。

「で、でけー声……」

カインも耳に手を当て眉間に皺を寄せている。

クリスの一声によってゴブリン達を退散させたのだ、とサーシャが理解した時、クリスが二人に向き直ってにっこりと笑う。

「どうだね?無駄な殺生をせずとも方法はあるのだ」

確かにすごい特技であり、素晴らしい意見だとは思う。思うのだが……。

「誇らしげな顔がむかつくんだよ……」

カインの言葉にサーシャは思わず吹き出した。

当のクリスはただにこにことしているだけだ。普段からこんな人なのだろうか。





ぱちぱちと爆ぜるたき火の音を聞きながら、サーシャは不気味に蠢く男の影を見ていた。

「食わねーのかよ」

カインの声に我に返ると、目の前にこんがりと焼き上がった獣の肉を突き出されている。

「あ、ああ……ありがと」

串刺しになったそれを受け取ると、サーシャは再び影の方向をちらりと見る。

「……ラシャ神へのお祈りってあんなに動かなきゃいけないわけ?」

「ああ、あれ気持ち悪いよな」

カインのあっさりとした返事にサーシャは頬を引きつらせる。

二人より少し離れてクリスが毎晩の慣習であるラシャ神への感謝の祈りを捧げているのだが、サーシャの知っている僧侶の祈祷の姿より大分激しい。ラシャ神は比較的人気のある神であるため、信者を目にするのは珍しいことではないが、クリスの行っているような踊りは見たことが無い。

「まあ本人が幸せならそれでいいんだけど」

「信仰なんてそんなもんだろ」

カインの返事にはどこか刺があるように感じる。サーシャ自身、信仰心の無い人間な為あまり言えた立場ではないがどうもひっかかる。

「あんまり好きじゃないみたいね、宗教的なもの」

サーシャの言葉にカインの雰囲気が明らかに変わった。

どうやら地雷というやつらしい。ぴりぴりと殺気に似た空気を感じるが、生憎サーシャは気の弱いタイプとは程遠い。あっけらかんとしたまま問い続ける。

「クラウザー城でも思ったのよね。聖杯の話しになった途端、あんたぴりぴりしだしてたし。隠そう隠そうとはしてたみたいだけど、気がだだ漏れだったわよ?……聖杯っていうよりは、……ラシャの名前が出た時から、って言った方が良いかしら」

「うるせえ!」

睨むカインにサーシャは一瞬呆気に取られる。意外な反応に触れて返す言葉を失ってしまった。会ったばかりの人間に事情をぺらぺらと話すようなタイプでは無いと思っていたので、簡単に話しを流されると思ったのだ。

「……ごめんなさい」

自分の軽薄さを後悔してサーシャは素直に謝罪した。

カインは無言で首を振る。彼もまた、自分の未熟さに嫌気が差していた。これでは自分のトラウマを露呈したのと同じではないか。

重苦しい空気になったところに、額の汗を拭いながらクリスが戻ってくる。

「いやはや、満天の星空の下で祈祷をするというのもまた一興。その心地よさからかラシャからのインスピレーションを授かったよ」

インスピレーションとは僧侶や巫女など高レベルの神聖魔法の使い手が、信仰する神からたまに「助言」を受けることだ。

「何て?」

そう問うカインの表情は何かを拭い去ろうとしているようだ。

クリスは胸を張って答える。

「『輪を乱すことなかれ』だそうだ。この先の困難を考えると、パニックになってお互い疑心暗鬼にならぬよう気をつけようではないか」

疑心暗鬼?まともに信頼すら築けていない関係でそんなことがあるのだろうか。サーシャはたき火の火を見ながらぼんやりと考えていた。
非ぬ方向へと曲がってはえる柱。欠けたレリーフ。最早どこの部分であったかもわからない石の塊や土と同化する手前となったレンガ。全てがどこか哀愁を漂わせている。

「人類の繁栄と衰退、まさに諸行無常とな」

クリスが呟いた。

古代遺跡へと足を踏み入れた三人だが、目的はまだまだ先だ。

「いちいち感傷に浸るなよ、うっとおしいなぁ」

カインがクリスの背中に拳を突いた。

「カイン殿はまだ若い故にわからんのだ。この生命の儚さを…」

「お前がいちいち足を止めるから時間かかってしょうがねえんだよ!さっさとしないと置いてくぞ!お前からも何か言えよ。昨日は野宿なんて嫌なんて言ってたじゃねえか。このペースじゃ何泊することになるかわかんねえ」

サーシャはカインの言葉に首を振る。

「私は気持ちわかるわ。こんな歴史を直に触れるようなところにいると気持ちがざわつくのよね……」

憂うように目を伏せる。と、カインがサーシャのおでこを指ではじいた。

「いたっ!何すんのよ!」

「うるせー!昨日の夜は『古代人って超階級社会で奴隷使って酒池肉林の生活送ってたのよね。滅んで当然だわ』とか抜かしてたじゃねーか!」

「女の子は雰囲気に弱いのよ!」

言い合いを続けていた二人の動きがふと止まる。クリスも何か感じ取ったように空を見上げている。

「さっそくお出ましか!」

クリスが吠えた。

「今回はあんたの一喝も効かなそうだな」

カインはにやりと笑うと剣の柄に手を伸ばす。

サーシャは地面を蹴ると二人から距離を取った。カインの持つバスタードソード、クリスの構える大振りのポールウエポン、二人の武器を見るに後衛に回った方が良さそうだ。

足下に影が差した。耳に甲高い鳴き声が響いてくる。

「ケエエエエエェェエ!!!」

目障りな赤の体に金色の瞳。巨大な鷹のようなそれが羽ばたく度に瓦礫も吹っ飛びそうだ。

「コカトリスか!二人とも視線に気をつけたまえ!」

クリスが叫ぶがカインは敵の方向へと突っ込んでいく。

「わかってるよ!」

そのまま飛び上がるとコカトリスに向けて剣を振るう。

早い!サーシャはカインの獣を思わせる動きに目を見張った。

「ちっ!」

カインの剣の一振りはコカトリスの太ももあたりを薙ぎ払ったが、致命傷には至らなかったようで逆に怒りを露に鳴き声を上げる。

そのままカインに向けて目から激しい光線を出した。

「ぬん!」

クリスがカインに向けて片手を突き出すと、コカトリスからの光線をカインの目の前に現れた光の盾が四散する。

「よけーなこと!」

そう言いながらもカインはクリスに向かってにやりと笑う。

その間に、狙いを定めていたサーシャの弓が矢を放った。

どん!!爆音に似た振動はアーチ部分からの軋み音なのだろうか。光の一線のような一筋が、コカトリスの片羽に突き刺さる。

ピー!というような悲鳴とともにコカトリスの体が傾く。

そこにカインの剣が襲う。首元を狙う一撃は、コカトリスを絶命させるに充分だった。





燃えるような羽根色が美しい魔獣の横たわる姿をサーシャは眺めていた。

動く気配はない。普段ならこの手の魔物に対して積極的に近付く戦法は取らないサーシャは、少々戦い方を変えなくては、と思った。

ポールウエポンを背中に戻した神官戦士が満足気に頷いている。

「二人とも怪我はないかな?」

クリスの言葉にサーシャは溜息をついた。

「今の呆気無さで怪我する方が難しいわよ」

「それもそうだな。いやはや、カイン殿は身のこなしが素晴らしいな。サーシャ殿の弓の腕も見事であった」

引率の教官のような台詞にサーシャは思わず苦笑する。彼の年頃を考えれば仕方ないかもしれない。

「おい、行くぞ」

カインの一言にサーシャとクリスは顔を見合わせた。

「戦いが終った途端に不機嫌ねー」

サーシャが言うとカインは困ったような顔をする。意外な反応だ。サーシャは少し嬉しくなり、歩き始めた青年の隣りへと駆け寄った。

「あんたさぁ、実は不器用なだけでしょ?」

からかうような質問にカインの肩が小さく震える。

「違う。もう何年も一人旅だったから人とどう接して良いかわからないとか全然違う」

「……かまってほしいのかどっちなのよ」

空気が解れつつある、クリスはそう感じてにこにこと笑顔で二人の後を追った。

『冒険者なんてそんなもんだ』

昨日会ったばかりの者同士がお互いの命を預かる。確かに妙な関係性かもしれない、とサーシャは祖父の言葉を思い返していた。





「もうかなり奥の方まで来てるはずよねぇ」

いまだ入り口を見せない遺跡『ワーヴ』にサーシャは頭を掻いた。相変わらず景色は風化する一歩手前の建造物で覆われているだけで、足を踏み入れるような建物がまず無い。

「入り口にはラシャの紋章があるという話しだったかな?」

クリスの問いにカインは頷いた。

「だったら私が見逃しているとは思えんな。もう少し奥だろう」

クリスの顔には『絶対!』と書いてあるようだ。信仰する神に対しての絶対的な信頼が自信に繋がっているのだろうか。

歩き続けると地面が円形にぽっかりと空いているのが見えてきた。随分巨大なそれはまるで局地的な地盤沈下でもあったように見える。サーシャは近づくと下を覗き込む。

「……発見しちゃったんじゃないのぉ?」

サーシャのはずんだ声にカイン、クリスも大穴を覗いた。

「確かに、ラシャの印に見えるな……」

クリスは薄暗い中に浮かび上がるラシャの紋章の一部を見て頷いた。

大穴の壁面に潜り込むような形で神殿の入り口が口を開けている。大分崩れてはいるが荘厳さは失われてはいない。その様子に三人は暫く見とれてしまった。
「降りるか」

カインはそう言うと呪文を唱え出した。その紡ぎ出されるルーンを聞いて意図を読み取ったサーシャ、クリスはカインの元へと近寄った。

「レビテーション」

カインの「力ある言葉」によって三人の体が浮かび上がる。そのまま大穴の上に移動するとゆっくりと下降し始めた。暗くなる視界にサーシャもルーンを組み合わせ始める。

「ライト」

人の頭程の光球が辺りを照らす。明かりによって詳細が浮かび上がってきたその佇まいに、これまで見てきた遺跡にはない古代人の『中へ侵入する者』への厳重さを感じる。

ふっ、と重力が体に戻ってきた。サーシャは足下に危険がないことを確認するととんとん、とつま先を突いた。

次の瞬間、カインが剣を引き抜く。クリスも両手にポールウェポンを構えた。

「何?」

慌てないよう気をつけながらサーシャが二人に問うと、カインが顎で神殿の入り口を指す。

威圧的なオーラを放つ、動かぬ竜の石像がそこにいた。

伸びる角、口から覗く牙、体を覆う鱗に手足から生える爪。

「竜……?」

サーシャの呟きにカインは頷いた。

「ガーゴイルだな」

「ガーゴイル?」

自分の中にあったガーゴイル像のイメージとかけ離れた目の前の石竜にサーシャは眉をひそめる。あれは確か羽のはえた悪魔のようなものではなかったか。

「侵入者を阻むように近づくと襲ってくる石像、それがガーゴイル。竜の形をしていてもそれは同じこと。しかし竜の姿という大掛かりなものは初めて見たな」

クリスが感嘆の声を上げた。

ということは近づけば動き出すのだろうか。近づかなければこのまま黙ったままなのだろうが、それは無理な話しだ。神殿に入らなければならないのだから。入り口の真ん前に佇む竜はその為の存在なのだから当たり前だが、一行にとっては邪魔でしかない。

「どうするの?」

サーシャが聞くとカインはニヤリと笑う。

「こーするのさ!」

そう言うと腰にあったナイフをガーゴイルへと投げつけた。

ぶつかるより早く、瓦礫の崩れさるような音を立ててガーゴイルは目を開ける。

「オオオオオォォオオオオォ!!!!」

耳を塞ぎたくなるような咆哮。次の瞬間にはこちらに向けて、光のブレスを吐くために口に光の粒子が集まる。

「ちょおおおおおおおっ!!!」

サーシャは避けるために駆け出した。とはいっても限られたスペースにいるのだ。直線上からそれるので精一杯だが。体勢を整えると弓を引き絞り構えを取る。カインがガーゴイルに向かって走る姿が見えた。

それは青年が一番彼らしい生き生きとした様子に変わったような光景だった。

ガキン!と嫌な音を立てて、カインの剣はガーゴイルの肌にはじき返される。それでも青年は剣を振るうのを止めない。

「どういう無鉄砲さなのよ……」

カインの戦い方にサーシャは理解出来ないといったように舌打ちした。

しかし急に懐に入られたことでガーゴイルの方もブレスを吐くのを中止したようだ。怒り狂ったようにかぎ爪を繰り出している。

「普通の剣は通用しないようだぞ、カイン殿!」

ガーゴイルの横腹をポールウェポンの刃先で突きながらクリスが叫んだ。そのまま後ろに跳び退くと呪文を唱える。

「エンチャントウェポン!」

クリスの右手にあるポールウェポンが青白い光に包まれた。「魔力付加」の呪文だ。すぐにそれをガーゴイルに突き刺すと、先程とは打って変わり肌に減り込んでいった。

「効いているぞ!」

ガーゴイルの鈍い唸りを聞き、クリスは叫ぶ。カインの方を見て、青年の剣にも魔力付加を与えようと呪文を唱え始めた。

サーシャも二人の合間から敵を討つべく弓を引き絞る。

と、その時、カインの剣とガーゴイルの鈎爪が激しく交差した。

(吹っ飛ばされるわよ!)

いくら力に自慢ある者だったとしても相手はドラゴンだ。サーシャが次の展開を予想した瞬間、カインの口元に浮かぶ笑みが見えた。

「レグヴォルド!」

カインの一声と共に吹き荒れる風にサーシャは思わず目をつむる。

いや、これは風などでは無いのかもしれない。纏わり付くような粘着性と踏み締めなければ飛ばされるような威圧感。相対する感触がサーシャを襲う。

カインの構える剣の刃が黒く染まっていく。まるで辺りの物質を飲み込むかのように渦巻く霧のようなものが刃から漏れている。

ガーゴイルに感情があるとは思えない。が、明らかに目の前にうごめく力に動きを止められていた。

自分を破壊する力を前に。

カインが剣を振る。

対峙していた石竜の鈎爪を呆気なく斬ると、そのままの勢いでガーゴイルの身体を裂いていた。叫びは無い。

ガーゴイルの巨体が地に沈む寸前、その姿は光の粒子に変え、四散した。





サーシャは無意識に腕を押さえた。肌が泡立って痛い。

それは圧倒的な力を見せたカインのバスタードソードに対してか。それとも、カインが言い放った名前に対してか。無意識に腕を摩るが感触は無かった。

レグヴォルド――ある悪魔が産み落としたとされる一筋の剣。

その悪魔は自分と同じ名をその剣に付けた。

何の為に生まれた剣なのか、それは誰も知らない。でも冒険者なら一度は耳にしたことがあるはずだ。

人が持つような力では無いということも。
呆然とするサーシャの耳に靴が砂利を踏み締める音が聞こえてきた。

「なぜ、なぜその剣を持っている?」

クリスの声にはっとし、サーシャは二人に目をやった。

クリスはカインから目を逸らさない。その顔に宿るのは怒り。

聖職者である彼には当然のことかもしれない。レグヴォルドに限らず、悪魔の存在は禁忌と言っていい。なぜなら彼らはラシャなどの創造神とは正反対に位置する邪神の使いだ。

カインは元の銀白色に戻りつつある剣を鞘へと戻すと、ゆっくり答えた。

「俺のものだからだ」

「……っ!」

クリスは思わず出そうになった罵倒の言葉を飲み込むと、極めて冷静を装い言った。

「貴殿のもの?それは違うだろう。それは悪魔の剣であり、悪魔の化身だ。貴殿は、人間だ」

最後の一言は言い聞かせるようにゆっくりと出された。

今だ張り詰める空気にサーシャはカインの態度が改められることを期待するが、カインはただ苦笑を浮かべるのみで弁解も述べない。

クリスが額に筋を立てカインへと歩み寄る。サーシャは堪らず二人の間に割って入った。
「ちょっとちょっと!いい加減にしなさい!クリス!揉め事起こしたいならここでお別れよ。貴方は依頼を受けた訳でもない、私達の仲間でもない人間よ」

自分の倍程の年齢を重ねた相手に非情な言葉をぶつけるのも気が引けるが、こんな所で争い続ける程暇ではない。正直な気持ちはクリスと同じ嫌悪感を抱いていたサーシャだが、外見に似合わず彼女は大人だった。

「どうするの?」

サーシャの真っ直ぐな瞳にクリスの表情が普段のものに戻っていく。

「……失礼した」

素直に謝られたことで気まずいのかカインはそっぽを向いて歩きだした。そっと息を吐くサーシャ。

「中へ行こう」

カインの言葉にサーシャ、クリスは頷いた。

折角生まれつつあった柔らかな空気を、あっさりと壊したカインに対して苛立ちもあったが、それ以上に彼に対して同情をサーシャは抱いていた。何故?自分でも分からないが、青年が戦闘以外の場では苛立つ程不器用だからかもしれない。





黴くさい匂いが鼻につく。神殿全体が土に埋もれているからか空気まで湿っぽい。

真っ暗な奥を見てサーシャは短く呪文を唱える。

「ライト」

続けざまにもう一つ呪文を唱えた。

「ストーン・サーバント」

地面が歪んだかとおもうと地中から土の魔人が顔を覗かせる。続けてまるで水から這い上がるかのように起き上がった。サーシャより頭一つ小さいぐらいだが、ずんぐりとがっしりした体型だ。

「先行させるわ」

サーシャの言葉に土の魔人は薄暗い神殿内をのしのしと進み始めた。

カインが呟く。

「……便利な奴だな」

「そうでしょ。罠に引っかかる事もないし便利よ」

「いや、そうじゃなくてお前が」

その言いようにサーシャは喜んでいいものか片眉を上げた。ここは素直に褒められたと解釈する。

「ありがと」

サーシャの言葉にカインの顔が赤くなっていく。

カインのこの反応に、サーシャは少し戸惑ってしまった。この青年はこちらが慌てるほど傍若無人な態度を取ったかと思えば、こんな反応も見せる。

そう、どこか人に慣れていない感じだ。どこか人里離れたところの出身なのだろうか。

「では行こうか」

いつもの調子に戻ったクリスが二人の肩を叩いた。カインもひょいと肩を竦めると歩きだす。

神殿内は湿っぽさ以外は割と綺麗だ。ここはエントランスなのかがらんとしており、均等に並んだ柱と奥の正面に掲げられたラシャのレリーフ以外に目につく物は無い。所々欠けたりはしているものの、今でも奥では古代人が祈りを捧げているのではないか、そんな想像をしてしまう。

特に異常は無いのか、サーシャが呼び出した魔人ものしのしと歩き続けていた。

「……今でいう大神殿クラスだな、これは」

クリスが感心したように呟いた。大神殿といえばラシャの大僧正達が集まる神殿や現在の法王がいるウィレスタなどの『信者ではなくとも名前は知っている』ような規模のものだ。

「聖杯があってもおかしくない雰囲気になってきたんじゃない?」

サーシャは微笑む。

次の瞬間、三人は同時に入り口方向へ振り向いた。風も無く、転がる瓦礫が傾くことも無い。静寂が広がる。

「……感じた?」

サーシャの問いに二人とも頷く。

「気のせいじゃなかったみてえだな」

カインがにやりと笑った。

「……誰か付けてきているのか?」

クリスの質問にサーシャは肩を竦める。

「だとしたらそうとうな使い手ね。もう丸っきり気配消してる」

一瞬だけ感じた気配は、小さな違和感と言ってもいいような僅かなものだった。それが今は微塵も感じない。

「面白くなってきた」

どうしてこうも血の気が多いのか。カインを見てサーシャは溜息を漏らした。
耳をつんざく咆哮と共にデーモンが崩れさる。もう何匹目になるだろうか。

サーシャは構えていた弓矢を下ろすと、不気味に笑うカインを見遣った。

「その気味悪い笑い声なんとかならない?」

「……笑ってたか?」

「自覚無いの……?」

カインから返ってきた言葉にサーシャは脱力する。

「デーモンといえど、命を奪うはめになるときにはそれなりに敬意を払うべきではないかな」

クリスもやや引いた面持ちだ。だがカインは「失礼な奴らだな」と相手にしようとしない。

三人が葬ったデーモンはサーシャの両手足では数え切れない程になっていた。レッサーデーモンに始まり、上位種であるグレーターデーモン、名前の無い悪魔なども出てきた。もっともカインの持つ剣のレグヴォルドに比べれば、比較にならないような小者だが。悪魔にとって名前は力を表すもの。名前がある無いではかなりの差がある。

「結構奥まで来たはずよね」

サーシャの呟き通り、三人は神殿内のかなり奥まで来ているはずだった。神殿という建物の性質か、広い廊下や大部屋しかないので探索は単調だったからだ。

にも関わらず、今だ大した活躍が出来ていないことにサーシャは少しふて腐れた気分になっていた。

二人が強すぎるのだ。

カインは相変わらず命知らずな行動で、敵を見れば真っ先に突っ込んで行き、バタバタと敵を薙ぎ倒していく。切り損ねた敵がいれば、いつの間に唱えていたのか攻撃呪文で背中を打つ。

クリスの動きも豪快だった。彼でなければ扱いきれない大振りのポールウエポンを遠慮なく振り回す。戦闘が終わる度に言う「怪我はないかな?」という台詞が嫌味かと思った程だ。

二人に比べてサーシャは武器が後衛タイプということもあってサポートに回るだけになっている。一度、番人らしき大量のゴーレムが現れた時に活躍しただけだ。

普段、一人旅を送るサーシャは守ってもらうお姫様タイプではない。彼女にとって今の状況はかなり不満だった。

「ったく、どこまで続くんだよ、この神殿」

カインがぼやきながら薄汚れた石壁を叩いた。

「一度休憩したいものだ。お二人と違って若くないからか、疲れてしまったよ」

一番体力の有りそうなクリスが似合わない台詞を言うことで、サーシャは少し肩の力が抜けるのを感じた。

何度目かわからない廊下の曲がり角を通り過ぎる。マッパーとしての腕は自信はないが、冒険者としての常識の範囲内で整理すれば大部屋を囲む形で存在する廊下を歩いてきたはずだ。次を曲がれば更に奥へ足を延ばせるはず、サーシャは歩みを進めた。

「……おやあ?」

予定した通りに次の曲がり角を折れた時だった。

明らかに向こう側には何か有りそうな、重厚な石扉が立ちはだかるように現れた。

「いよいよゴールか?……聖杯が有ろうと無かろうと、これで終われるのは有り難いね」

カインがにやりと笑った。

「そういえば、入り口で感じた人影はとうとう現れなかったな」

クリスは顎に手を当て唸る。

「聖杯を手に入れた途端、なんてことも有り得るわよ」

サーシャが問うと、男二人は同じ笑みを浮かべて振り向いた。『ならば追い払うまで』そう言っているのだ。何だかんだで気が合うんじゃないの?この二人。サーシャは決して口には出せないと思いつつ二人を見遣った。

「じゃあ行くぜ」

カインはそう言うと扉の中央、ぴったりと閉じた割れ目に手を触れる。すると、そこを起点に扉中にある紋様に光が走っていくではないか。

サーシャはカインが何かしたのか?とも思ったが、呪文などを唱えたようには感じなかった。カインもこの仕組みを知っていたわけではないのだろう。ただ自然に体が動いた、そんな感じだった。

長い時を経て、扉は久方振りにその役目を果たす。鈍い振動を起こしながらゆっくりと開いていく。

「これは……」

サーシャは思わず口にしていた。初めて体験する空気だ。部屋が青い光で満ちている。その光源は広い部屋いっぱいに描かれた魔法陣だろう。その中央に浮かび上がるのは異形の姿。三人は弾かれたように武器を構えた。

『……懐かしい姿を見るな』

魔法陣に浮かぶ何かがゆっくりと口を開く。全身が白く、巨大な羽根を生やした姿は優雅にも見える。能面のような白い顔に青く光る瞳、同じく白い陶器のような体は男女どちらなのか読み取れない。そこにいるというだけでぴりぴりと感じる気は悪魔のようにも感じるが、そこまでの禍々しさも無い。だが異界の者というのは確かであろう。

『何年振りに開いたのであろうな、その扉は。……ここは忘れ去られた間、用が無いのなら立ち去るがいい』

ぼんやりとした光に包まれたそれは、まるで頭の中に直接語りかけてくるかのような不思議な声で警告をしてきた。
「悪いがあるんだよ、用事が」

カインは剣を構えつつ前に出る。白い者は無表情のまま右手をゆっくりと上げた。

『警告は与えた。消えるがいい』

暴れ狂う光、サーシャにはそう見えた。いきなりの攻撃だ。白い者が放った青い衝撃波が三人に迫る。

「ホーリーウォール!」

油が跳ねるような爆音を立てて、衝撃波は四散した。クリスの唱えた防御シールドによってだ。

「……カイン殿、無策は良くない」

そう呟くクリスの額には汗が滲んでいる。敵の強さを読んだ為か、それとも今の呪文のせいか。

どちらにしてもこんな相手にまでただ突っ込んでいこうとするカインにサーシャは苛立を覚える。自分一人の無鉄砲さならいざ知れず、仲間を巻き込むような真似は勘弁して頂きたい。

「ちょっと……」

文句を言おうと口を開いたところで再びカインが走る。

「消えるのはテメーだ!」

『ほう、レグヴォルドか。面白いものを持っている』

白い者が笑った……ように見えた。しかし目に見えるのはただ無表情のままの白い顔だ。カインが床を蹴り、斬り掛かる。

次の瞬間、息をするのも阻まれるような空気の圧が襲いかかってきた。サーシャは足に力が入るあまり、弓矢を構える手がぶれる。が、次の瞬間に聞こえてきたカインの倒れる音に反応し、素早く弓を構え直した。

予想通り倒れたカインに白い者が衝撃波を放とうとする姿を見る。サーシャが右手を放した瞬間、爆発に似た音を立てながら矢が走っていく。対悪魔であろうと効果がある自信はある。

案の定、白い者はカインへの攻撃を中断するとサーシャの矢を叩き落とした。そうせざるを得なかった為だろう。

「こちらもいくぞ!」

御丁寧な挨拶の後にクリスがポールウエポンを突き刺す。それを脇腹と腕で挟み込んだ白い者が、クリスの体ごとポールウエポンを持ち上げた。

「お、おおお!」

驚きの声を上げながら天井方向へ向かっていくクリスをサーシャは唖然と眺めてしまった。この展開は読めなかった。

「こっちは無視かよ、なめんな!」

クリスを持ち上げた白い者のがら空きになった胴体にカインの剣が走る。いつの間にか刀身が黒に変わっていた。

『くっ……』

流石に白い者に焦りが見える。空いた左手が刃物のような形状に変わった。次の瞬間、辺りに響くのは金属同士がぶつかり合うような音だった。

「な……」

カインが驚愕の声を上げた。自分の剣を受け止める白い手刀。剣の力を解放して斬れなかったものは初めてだったのかもしれない。カインが明らかに焦りの表情に変わった。
それでも白い者の腕は焼き焦げたように変色している。無傷ではないのが初めて見せた歪んだ顔に現れていた。

『……そんな出来損ないを振り回すとは愚かな人間よ』

どん!という鈍い音を立て衝撃波にカインが飛ばされた。が、

『な、なに……』

次の瞬間、唖然とした声を上げたのも白い者の方だった。自分の首元に刺さる一本の矢をゆっくり触る。指先が矢に触れるとぴくりと震えた。

『……久方に現れた人間は、やはりそれなりに知己を持った者であったか』

苦々しく呟くと矢を引き抜こうとする。サーシャは弓をもう一度構えた。いつの間にか地に足をつけたクリスも武器を構え直す。カインは平気か、とサーシャが右手に目を向けた時、白き者がうなり声を上げた。

『……見事』

白い者の腹からはえた黒い刀身。いつの間に、とサーシャは息を飲む。肩で息をしたカインが白い者を背中から撃ったのだと理解した時、異界の者は空へと消えていく。

ふっ、と部屋が暗くなった。魔法陣が消えたのだろう。サーシャは随分と長い間の役目を終えて異界へと帰っていった白い者の姿を思い出しながら、明かりの呪文を唱えた。

「大丈夫か?」

クリスがカインに声を掛けながら近づく。床に座り込んだ青年の肩口を見ると眉を寄せ、呪文を唱えだした。

「やめろ!」

唱え終わる前にカインがクリスの手を払いのける。激しい拒絶だった。クリスは単純にびっくりしたようで目を丸くしている。

「そうは言っても自然治癒にはかなり無理がある傷だぞ?やせ我慢は止めてくれ。私とカイン殿の仲じゃないか」

そんなに仲を語れるような間柄じゃないだろう、とサーシャは突っ込みたかったが、黙ってカインに近づく。思い当たることがあったからだ。

カインの脇にしゃがみ込むと血が滲む肩に手を当てた。

「なんだよ!」

「黙って。わたしのは単なる白魔術よ。神聖魔法じゃない」

カインはサーシャの言葉に一瞬目を大きく開ける。

「……ちっ」

舌打ちと共にカインの力が緩んだ。サーシャは肩の傷を治してやる。本来、彼女が一番得意とする種類の魔法だ。

塞がっていく傷口を見ながらサーシャは昨日のカインとの会話を思い出していた。クラウザーの屋敷でラシャの名前が出た途端にカインを取り巻く空気が一変したこと、またそれをサーシャが尋ねた時のことだ。過剰と言えるような怒りの表情を見せたカイン。クリスに対してもそうだ。彼のキャラクターのお陰で今の空気が保たれているが、初めてクリスと対面した時にカインから僅かに漏れた殺気にも似た嫌悪感を、サーシャは見逃していなかった。

何があったのかなんて知らない。神を憎むだなんて馬鹿馬鹿しいことだ。でも、神の力を拒否する青年を放っておくには忍びなかった。

「サーシャ殿は本当に色々と出来る人なのだな」

クリスが感心したように頷いた。クリスも何となくは事情を察したに違いない。それをあえて触れないように、こんな態度を見せるこの人は、本当に大人なのだな、とサーシャはクリスに微笑んだ。

カインはふて腐れたように横を向いている。

「あんたさあ、あんな無鉄砲な戦い方するなら、簡単な治癒術ぐらい覚えておけば?」

サーシャが言うもカインは答えようとしない。クリスがにこにこと、

「まあまあ、人には向き不向きがあるものなのだから」

と言うと、

「勝手に出来ないことにするなよ!」

カインはムキになったように反論する。

こういう返事は出来るんじゃない、とサーシャは腹立ちまぎれにカインの肩を抓りあげた。
目の前にある光景は新しい世界の扉を開けてしまったか、とサーシャが息を飲むものだった。

青い光に包まれた空間は、現代の神殿と呼ばれる建物が丸々入ってしまうのではないかと思う程広い。その中央に鎮座する祭壇は四方を階段で囲まれており、サーシャ達の目から見ると小山のようだ。

「ここにあるっぽいな」

「あるとすればね」

カインの呟きにサーシャは軽く頷き、答えた。

「もう何も出て来ないだろうな」

カインはそう言いながら周りを見渡すが、ずかずかと足を進める様子はあまり慎重とは言い難い態度だ。

サーシャが眉をひそめるのを見たのか、

「大丈夫。何の気配も感じん」

クリスが肩を叩いてきた。そのまま彼も歩き始める。その二人の背中越しからサーシャは祭壇を見上げるが、残念ながらここからでは聖杯の姿は見えなかった。

(『ハズレ』だったかしらね)

サーシャは半ば諦め気味に二人の後を追いかける。

祭壇へと続く階段に来たあたりでふと思う。この神殿の大きさは、外から見た埋まり方より大きすぎやしないか。サーシャは一瞬疑問を感じたが、いくら考えても答えなど出なさそうだ。素直に階段を上る足に集中することにした。

「ふう、昔の聖職者は一々こんな階段を上がり下がりしていたのか」

クリスがぼやく。彼の場合は重そうなプレートアーマーが問題のようだ。しかしそう言いながらもひょいひょいと上っている。太い体は全身が筋肉なのだろうか。

あと少し、というところで先頭を歩いていたカインの足が止まった。そして残り数段を駆け上がる。

「おいおい、マジかよ」

その言葉にサーシャとクリスは顔を合わせ、次に二人も一気に駆け上がった。

サーシャは時の流れを感じさせない、汚れの無い祭壇を見る。白く沈黙する神への祈祷の場。白はラシャのシンボルカラーだ。その上にある物を見てカイン同様、声を上げそうになった。

サーシャの手の平より一回り程大きいカップ。銀色に輝いてはいるものの、装飾も簡素なものだ。

「これ……なの?」

サーシャが隣りにいるクリスを見ると、彼も少々呆気に取られた顔になっていた。サーシャの中でも無意識の内に想像していた物よりも大分質素な成りをしたそれに、落胆まではいかないが驚いていた。ラシャの神官であるクリスの思いはどのようなものだろう。

カインが祭壇の上に手を伸ばす。カップに触れる瞬間、流石に少し躊躇し指先でカップを弾いて様子を見た後、改めてカップを手に取った。

「……本当にこれかよ?」

カインは眉間に皺を作りながら銀色のカップをあらゆる角度から眺めている。

サーシャが自分も確認の為に彼に手を差し延べた時だった。

「おや、少し遅かったか」

何の前触れもなくいきなり現れた気配に、三人は慌てて振り返る。階段の下にいる人物を見た瞬間、サーシャはロングボウを構えていた。カイン、クリスもそれぞれの武器を抜いて刃の先を現れた気配に向けている。

全身真っ白なその人物は、体の大きさからして女だろうか。何しろ顔まで白い装束に覆われていて左目しか覗いていないのだ。真っ白な装束に真っ白なマント。手ぶらのようだが、それが逆に不気味だった。彼女の放つオーラは常人のものでは無いのだから。

三対一、しかもこちらは既に武器を構えた態勢だというのに、女は焦りなど微塵も無い様子で立っている。

「……入り口で感じた気配の本人だ」

そう呟くクリスの額には汗が滲んでいた。

「お三人方、それが何だか分かった上で手にしているのか?」

真っ直ぐに尋ねてくる声は、低いトーンだがやはり女性のものだった。ここまで感情の読めない声は初めてだ。

じり、と女の足が動いた瞬間、

「カイン!」

サーシャの制止も虚しくカインが階段を飛んだ。落下するように女に向かって行くと剣先を振り下ろす。

鈍い金属音に似た響きを立ててカインの剣が瓦礫をまき散らしながら床を割る。その刀身は既に黒い物に変わっていた。

「ほう、レグヴォルドか。面白いものを持っているな」

難なく攻撃を避けた女の左目が細く歪む。笑っているのだろう。

「な……」

カインの顔に焦りの色がありありと浮かんだ。攻撃を避けられたからではない。悪魔の名を相手が簡単に呼んだことにだろう。先程の白い者も名前を出していたが、あれは完全に異界の者だった。目の前の女は見た目だけなら人のはずだ。

それでもカインは女に向けて剣を振るい続ける。サーシャは思わずその光景に見入ってしまった。

カインの動きが速いことは分かっている。大振りのバスタードソードを第三の腕のように振り回す彼の身のこなしは、この数日で嫌という程見てきた。常人では全てを目で追うことも難しいかもしれない。が、その彼の攻撃を見切ったように女は避けていく。無駄の一切無い動きはけして速いようには見えない。なのに避けている。

「くそっ!」

カインの歯軋りが聞こえた。

「挨拶も無しに来るというのは褒められない」

女がそう呟き、カインの渾身の一撃を受け止める。

クリスの息を飲む音がした。

女は白いグローブに覆われた手で魔剣レグヴォルドの刃を掴んでいた。添えるようにさほど力を入れているようにも見えない。

「おいおい……」

カインが無意識にであろう、感嘆とも取れる声を漏らした。次の瞬間、

ざあ!という砂が流れるような音を立て、レグヴォルドの刀身が空へと消えた。
「……やべっ!」

剣の柄のみを握りしめたカインが女の動きに気づき、叫ぶのと同時に女の蹴りがカインの体を吹き飛ばす。

その展開にサーシャ、クリスは階段を降りようと足を踏み出した。しかし、それも止まってしまう。女が既に階段のすぐ下にいたからだ。

白いマントを微かに揺らしながら女は階段を上ってくる。じりじりと下がりながらサーシャは祭壇に目をやった。

カインがいつのまに戻したのか、聖杯が静かに鎮座している。どう隙をついて奪い取るか……。めまぐるしく頭を回転させていると女が口を開いた。

「さあ、どいてもらおうか。聖杯を渡してもらおう」

クリスがゆっくり首を振る。

「断る、と言ったら?」

サーシャは「戦うのかよ!」と文句を言いそうになった。どう考えても分が悪い相手だ。正直、そこまでして依頼を優先したいとも思えない。

女はクリスをゆっくりと眺める。私は相手にもならない、ってことかしら、サーシャは思わず苦笑した。

「ならしょうがない」

ふう、と息を吐く女にサーシャとクリスは身構えた。

「ど、どういう事だ……?」

クリスが掠れた声をあげた。

女が踵を返し、階段を下り始めたからだ。サーシャは二重のショックを受ける。一つは彼女があっさりと引いたこと。クリスの言葉だけで引いたのだとすれば理由が分からない。
もう一つはサーシャとクリスに簡単に背中を向けたことだった。カインとの手合わせで女の実力は大体分かったが、それでもサーシャはショックを隠せなかった。悔しさで奥歯を噛み締める。

「い、要らないの?」

思わずサーシャは女に尋ねていた。引いてくれれば有り難いことにはかわりないが、理由は聞いておきたい。

女がくるりと振り返る。

「そこのラシャの神官が『拒否』したからな。神官に言われたらしょうがない。……後々面倒だからな」

女の言葉にサーシャは首を傾げるとクリスを見た。クリスも眉を寄せている。

女はそのまま階段を下り、部屋の入り口へと歩き続けている。

「待てよ!」

瓦礫を押し退けながらカインが顔を出した。

「何してくれたんだよ!俺の剣!」

カインがブンブンと振る手元には、すっかり刀身が消え失せたレグヴォルドの柄のみがあった。

「……お前には必要無いんじゃないか?」

女が冷ややかに言うとカインが憤怒の表情で立ち上がる。

「何だと!?」

「お前はレグヴォルドの力を何も分かっていない」

女の言葉にサーシャは改めて息を飲む。彼女は、全て分かっている。

「あんたには分かってるような言い方だな」

カインが女を睨みつける。

「少なくともお前よりは、な」

女はそう言うとカインの脇腹を指差した。

「それが証拠だ」

言われたカインは自分の脇腹辺りに手を伸ばす。何も無いじゃないか、と言いた気に眉を寄せた時、指先に剣の鞘が当たった。空になった鞘に、それを固定していたベルト。カインの腕がぴくり、と動いた瞬間、女の左目が笑みの色を浮かべた。

そのまま部屋の外へと消えていく女を、三人はただ眺めているしかなかった。

「くそっ!」

カインが瓦礫に拳を叩きつける。刀身の消え失せた剣をもう一度眺めた。

「大丈夫か?」

クリスがカインの元に近づくと怪我の有無を確かめる。サーシャも二人に駆け寄ると聖杯を掲げた。

「とりあえず目的は達成出来たんだし、こんなところ出ない?」

クリスは頷き返すが、カインの顔色はお世話にも良いとは言えないものだった。

サーシャはどう語り掛けるか迷ったが、下手な慰めは止めておくことにする。

「……何者だったんだよ、あいつ」

カインの問いに二人は答えられなかった。





「同じ聖職者だったのかしらね?」

神殿を行きとは逆に歩きながらサーシャはクリスに尋ねる。

「さあ……、ただそれだけの理由で譲ってくれたとは考え難いな」

クリスが顎を撫でながら首を傾げた。

『そこのラシャの神官が拒否したからな』

白装束の女の言葉を思い出し、サーシャは頬を掻く。どういう意味なのだろう。

「『後々面倒だ』とか言ってたってことは、他の神の神官だったのかもよ?ラシャの聖杯だから、ってことで譲ってくれたんだったりして」

「それなら出来た人だな。余計な争いは避けるという考えは良いことだ」

クリスがサーシャの言葉に頷いた。二人があれこれ話している間も、カインは黙ったままだ。無理もない。サーシャはカインの空になった剣の鞘を眺めた。彼の腕にあるのは刀身を失った剣の柄のみがある。妙に痛々しかった。

女はただの神官などではない。カインの剣を消し去った光景を思い出し、サーシャは目を細め眉間に皺寄せた。

悪魔の化身レグヴォルドの力はサーシャが見る限り本物だった。自分が身震いした力を見せ付けた剣を、簡単に消してしまった彼女。いや、ただの鋼で出来たソードだとしても、あんな芸当出来るのだろうか。

これからきっと、カインは剣を元に戻す旅に出ることになるのだろう。このメンバーでの旅はもうすぐ終わりを告げる。きっと、きっとこの青年ならやり遂げるのではないか。サーシャはカインの背中を見て旅の成功を祈ることにした。

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