はためく赤色

私が意識を失っていたのは一瞬なのか、それとも長い時間なのか。地響きと低いうなり声のようなものが聞こえて、私は目を覚ました。見渡せば、街にはまだ靄がかかっている。

もしかしたら、そんなに長い間気絶していたのではないのかもしれない。

ふわりふわりと蛍が飛んで、私の周りを鈍く照らす。どおん、どおん、と地響きが聞こえて、はっと顔をあげた。

そうだ、私は家に帰る途中なのだった。
逃げなくちゃ。

いったい何から逃げるのか。それもわからないまま慌てて起き上がると、がちゃん、という鈍い金属音がした。それに何だか頭も体も重い気が…


「え、な、何これ?!」


甲冑。多分それが一番適切な表現だと思う。右手見て左手見て自分のお腹を見て、さらに頭に手を当てると、ごつごつした感触がした。そして、背中には籠。おかしい。なぜ私はこんな格好をしているの?!


「えええ!何で?!何でなんで?!」


もちろん私自身が着替えた覚えなんてまるでないし、そもそもこんな格好、私の趣味ではない。
急いで脱ごうとしたものの、どうしたことか、うまくできない。
その間にもどおん、どおん、という足音がこちらに近づいてくる。「アッカアアアーーーン!」という、地を這うような声も。

そして、はっと顔を見上げた瞬間。


「アッカーーーン!!」


私がへたり込む道の先、金棒を持った、大きな赤い鬼の姿があった。


「アアアッカアアアアーーーーン!!!」


どうしてこうなった、何が起きている、誰かに問いただして答えがもらえるなら今すぐにでももらいたい。
けれど甲冑を脱ぐ余裕さえもなく、私は重い体を動かして、駆け出した。私の姿を認めた赤鬼は、私に向かって走ってくる。
あんなに大きい体なのに、早い。コンパスが違うから?


「ひっ…!何、何なの、やだ、逃げなきゃ、やだ…!!」


死に物狂いで、走る。どおん!という音と、風圧が私の横を通りぬけた。赤鬼が、あの大きな金棒を私に向かって振っていたのだった。


「た、助けて、誰か…!」


まだ死にたくない!

やり残したことはいっぱいあった。
友達と新しくできたカフェにパフェを食べに行きたかった。勉強は好きではないけど、それなりに将来かなえたい夢があった。大好きなアクセサリーやシールをもっとたくさん集めたかった。恋をして、結婚して、自分の子供がほしかった。それなのに、ここですべてを失うの?


「アッカーン!」
「やだやだ…!誰か、助けて…!」


しかし、重い甲冑に重心を奪われ、ガシャン!と勢いよく躓いた私に、大きな影が落ちてくる。「アッカァァーン!」赤鬼が金棒を振りかぶる様子は、まるでスローモーションのようだった。「だれか、お願い…!」ぎゅっと目をつぶる。金棒が振り下ろされる気配がする。もう、駄目だ。


「…こんなところで何をしている!」
「へっ…!?」


次にやってくるだろう、衝撃を私は待っていた。そしてその先にある死さえも。
しかし、私に聞こえたのは死の音でも何でもない。ガキン、という金属がぶつかり合う音と、「立て!!昇天されたいのか!」誰かともわからぬ声。

そっと目をあける。まず視界に飛び込んできたのは、鮮やかな赤。風に揺れて、それがはためいた。金色に輝く編み傘を被り、刀で赤鬼の金棒を抑えている。


「何をぼーっとしている!早く立て!」
「は、はい…!?」


その声に慌てて立ち上がろうとしたものの、どうにも足に力が入らない。「こ、腰ぬけた…」その呟きはどうやら彼にも届いていたようで、こちらを顔だけ振りかえらせた後、「ちっ」とあからさまに舌打ちをした。


「あ、あの…!」
「…仕方ない。しばしそこで待て!」


赤いマントの彼は、金棒をはじき返すと、赤鬼に蹴りを繰り出した。「アッカーーン!」赤鬼がよろけたところに、さらに一撃を加える。どうやら赤鬼にとっての急所に当たったようで、その隙に私のもとへ駆け寄ると、そのまま雑に体を抱きあげられた。


「へ…え!?」


なんてことだ。
生まれてこのかた、俵抱きなんてされたことないのだけど!



「大人しくしろ。とりあえず逃げるぞ!」
「は、はい…!」


しかし、恥ずかしがっている場合ではない。うずくまっていた赤鬼が顔を上げる。悔しそうな目と目が合った瞬間に、赤いマントの彼は走りだした。びゅんびゅん、風を切って徐々に赤鬼から遠ざかっていく。途中視界の端で、きらりと光ったオレンジ色の玉を見つけた。綺麗だ。この切迫した状況にも関わらず頭の隅で思う。そんな私の様子にマントの彼は気付いたのか、飽きれ気味に言う。


「鬼玉は放っておけ!このままバスターズハウスに向かう!」


あのオレンジ色の玉は鬼玉っていうのか。
それに、バスターズハウスってどこだろう。

私はただ、大人しく、赤いマントの彼の肩の上でおとなしくしているしかなかった。