Oh, sleepy. I want to see a good dream.


 ──ピピピッ。ピピピッ。ピピ──
 目も開けずにスマートフォンのアラームをとめると、ぐっと眉間に皺を寄せた。
 瞼も腕も重くてあがらないし、足も同じだった。足の筋肉が時折ぴくぴくと痙攣している。それほどまでに身体は疲れ果てていた。
 ぐったりとしたまま、身体全体にまとわりつく疲労感に頭が痛くなる。
(くっそ怠いぞ。もう起き上がりたくないし、何もしたくない)
 頭のてっぺんから足の爪先までぴくりとも動かしたくない。ぼんやりとした眠気がおそってきて、頭の中がぐるぐる回り始めた。眠りに落ちる前の感覚に身を任せて眉間の皺も呼吸も穏やかになり始めた頃、玄関の扉がかちゃりと鍵が回った音を立てた。 不穏な空気が音もなく忍び寄る。
 すうすうと静かに寝息を立てている間にも、ぎしりぎしりと床が踏みしめられ、次は階段が音を立て始めた。
 ──ぎし、ぎし。
 穏やかではない空気が一階から二階へと流れ込んでいく。侵入者は部屋の前で足をとめるとにやりと笑った。
「ななしちゃん起きて!今日も特訓するんだから!」
 大きな音を立てて扉が開かれる。唐突に起こされた私は「ふぇえっ!?」という間抜けな声を上げながら、思わずびょーんと飛び起きた。飛び起きた時に出た涎を手の甲でぬぐいながら、何事かときょろきょろと辺りを見渡す。
 そして侵入者の顔を見て、これでもかというくらい顔を歪めた。
「……もう無理。私もう無理だよ、トト子。一歩も歩けやしないよ」
「もう、何言ってんのよ。まだ若いじゃない。こんなことでへこたれてちゃだめよ!」
 腕を組んで頬を膨らませるトト子はぴんぴんしている。昨日のことがまるで嘘のように元気いっぱいの彼女を見ていると、心がげんなりしてきた。
 ユニットを組むと決まってからトト子は仕事終わりの私に毎晩のように過酷な特訓をしいてきた。スクワット五百回、腹筋五百回、背筋五百回、腕立て伏せ五百回、などなどのありえない回数の筋肉トレーニングメニューを始め、振り付けやら歌やらの練習をさせられているのだ。
 もとより運動能力が大してあるわけでもなかった。リレーを走れば七人中四位、体力測定の腹筋は三十秒中十回しかできなかった。大してあるわけでもないというより、どちらかといえば筋力がほとんどない運動音痴だった。
 そんな私が肉体の全盛期の年齢を過ぎた今になってアスリート並みの運動をこなせと言われても不可能でしかないのだ。
 幼馴染であるトト子がそれを知らないわけがない。じとりと睨みつけた。
「あんたほんとばっかじゃないの?私が運動できないってしってるじゃん」
「でもユニットを組んだからにはトト子のためにも頑張ってもらわないと。それにななしちゃん、最近太ったんじゃない?痩せるなら今のうちよ?」
 悪魔の角をにょっきりと生やしながらにやにやと笑うトト子に対して、ぴきっとこめかみに青筋が立つ。確かに社会人になって飲み会も増えたし、やけ食いも増えたから腹が出てきた自覚はあった。
 得意げな顔をしたトト子がこれみよがしにすらりとした己の体躯を見せびらかせてくるものだから手のひらは自然とかたく拳を握るのだった。
「絶対いつか泣かす!」
「いつもそう言うけど、一度も泣かされたことなんてないんだから」
 うふふ、と笑うトト子はどこか嬉しそうだった。


 六つ子の幼馴染がユニットを組んでから初のライブ。客は閑散としているかと思えば、会場内は意外と賑やかだった。年配の方が多く、そこかしこで井戸端会議をひらいていた。
「いやぁ、あのななしちゃんがアイドルとやらになってライブなんてねぇ」
「まあまあ、こんなにも大きくなったなんて時代の流れは早いものだわ」
「トト子ちゃんは小さい頃から別嬪さんだったが、ななしちゃんも大人になってえらい別嬪さんになったもんだよ」
 トト子が美貌で人を惑わす街の小悪魔的マドンナだとしたら、ななしは気配りと優しさを持って人から好かれた街のみんな理想のお孫さんのようなものなのだった。
 そんな会場で最前列をキープするのは当然六つ子たちだった。
 以前購入したトト子のグッズにくわえ、今回ななしとユニットを組んだことによって新たに販売されたグッズも身につけていた。
 アイラブななしと書かれた明るい茶色のTシャツを着て、トトベア!と書かれた水色のタオルを首に巻いたおそ松がチョロ松を睨めつけた。
「おい、チョロ松。お前今回はトト子ちゃんに何してもらったんだよ」
「べっ、別に何にもしてもらってないけど」
 目が泳ぐチョロ松は頭に光るサイリウムを二本挿していて、アイラブななしと書かれた明るい茶色のTシャツにトト子最高!と書かれた緑の法被を着ていた。
「チョロ松兄さん、嘘ついてるでしょ。かんっぜんに目が泳いでるからね!?嘘つくのへっただよね〜!」
 以前購入したアイラブトト子と書かれた黒のTシャツに、熊耳のついたカチューシャを身につけたトド松もチョロ松を睨めつけた。
「何してもらったか言えよ、チョロ松!」
「チョロ松兄さん、正直に言わないと卍固め食らわすよ!十四松兄さんが!」
「え!?トッティ呼んだ!?」
「十四松兄さんは待機してて!」
「あいあい!」
 びしっと敬礼をする十四松の両手には熊の手をイメージした手袋がはめられている。Tシャツは明るい茶色のアイラブななしと書かれたものだ。
「ほら、早く言えって!」
 おそ松がチョロ松を小突く。チョロ松は顔を赤らめながらもじもじしだした。
「フェ……」
「フェエエエエ!?」
「チョロシコスキーてめーまさか口でしてもらったんじゃねーだろなぁ!?ああん!?」
 トド松がムンクの叫びを体現ような顔をした横でおそ松はチョロ松の胸ぐらを掴んで揺さぶった。チョロ松はぽっと頬を染めて幸せそうに笑う。
「フ、フェイスブックでいいね押してもらっちゃった」
「くそぼけ死ねチョロシコスキィィイ!!」
 トド松の跳び蹴りがチョロ松の顔面に見事に決まる。「ぶべっ!」という声とともにチョロ松は倒れこんだ。それが許されるスペースがあるくらい、前の列にはあまり人がいない。
「なぁにが、フェイスブックのいいねを押してもらっちゃった、なわけ!?最早身体すら触れられてない!なんなの!?童貞力がありすぎて引くわ!」
 トド松になじられようと、鼻から血をたらそうと、チョロ松は幸せそうにほわほわと笑っている。
 腕を組んで何かを考え込むように黙り込んでいたおそ松がそんなチョロ松をじとりと見ながら、重い口を開いた。
「……おい、チョロ松。お前まだ何か隠し事してるだろ。この長男様に嘘をつけるとでも思ってんのか?あん?てめー、ななしちゃんにも何かしてもらったんじゃねーのか?」
「ぎく!」
「ぎくって言っちゃったよこの人!ほんっと嘘つけないよね〜!昭和童貞だよね〜!!」
 だらだらと汗をかきだしたチョロ松は観念したようにまたもじもじと指を動かし出した。
「……てもらった」
「はあ?よく聞こえねーよ」
 おそ松がしゃがみこんでチョロ松の口元に耳を近付けると、何かを叫ぶようにチョロ松は大口を開けた。
「だから、ななしに頭を撫でられながらいいこいいこしてもらったんだっつーの!ななしちゃんの手のひら柔らかかったー!嫌々だったけどそこは童貞の妄想力でツンデレなななしちゃんが照れながらも一生懸命僕を励ましていたっていう設定にして、かつななしちゃんが僕の彼女だったらということにしたからこれで何があっても生きていける!フー!トトベアサイッコー!!超絶可愛いよー!」
 すっくと立ち上がるなり、サイリウムをぶんぶん振り回しながらきゃあきゃあと騒ぐチョロ松を見る二人の目は死んでいた。
 トド松の指がすっとチョロ松を指した。無機質な声が指令を下す。
「十四松兄さん」
「お呼びですかい、トッティ!?」
「卍固め」
「あいあい!」
「アッー!話の流れええええ!いやあってたああああ!」
 ぎちっと卍固めをチョロ松にきめた十四松は「あはは、兄さん抜け駆けはよくないよね!」と底抜けに明るい笑顔で言っていた。
 技を卍固めからジャイアントスイングに変えた十四松はえげつない高速回転をしていて、チョロ松は白目を向いて泡を吹いている。お客の中にプロレスファンがいるのか、「おお!」という感嘆のざわめきが起きた。
「ふっ……。チョロ松がトト子ちゃんとななしちゃんをアイドルという光に導いてくれたゆえに、俺は今、ここにいる」
 器用にも指先でサングラスを回転させてから着用したカラ松は全身が新しいグッズに包まれていた。半分が青く、半分が茶色いアイラブトトベアと書かれたTシャツを着て、熊耳のカチューシャをつけ、手には熊の手をイメージした手袋をはめ、トトベアと書かれた水色のタオルを首に巻いている。
 一松が舌打ちをした。
「クソ松、金持ってんな」
 一松は以前購入したアイラブトト子という黒のTシャツだった。なけなしのお金で買ったお腹にななしと刺繍が縫われた可愛らしい熊のぬいぐるみを抱いている。
「カラ松兄さん、どこにそんなお金隠し持ってたわけ?今回も三十万近く買ってるでしょ」
「マミーより与えられし恵みを日々聖なる壺に入れているんだ」
「それだけじゃこんなの無理でしょ!もしかしてカラ松兄さん、バイトでもしてるんじゃないの?」
「マミーと父さんに救いの手を差し伸べると時折恵みがふってくるからな。それも聖なる壺におさめている」
「いい歳して親の手伝いで金稼ぐってどういうこと!?もう終わってる!人として終わってることに気づきなよイタ松兄さん!!」
「ハッ!トッティ、それは俺がカラ松だから木の板とかけているのか?賢いじゃぐふぅあ!」
「もう黙ってサイコパス兄さん!」
 トド松の右ストレートがカラ松の頬に決まって一松が楽しそうに笑った時、十四松のジャイアントスイングがいよいよフィニッシュを迎え、チョロ松を天井に打ち上げて刺さり、それを見たおそ松が「おおー、カジキみたいに刺さった」と天井のチョロ松を見上げた時、ぱっと会場内の電気が消えてステージの明かりだけになった。
 曲のイントロが流れてくるのと同時にステージ奥のカーテンが開き、二人が出てくる。
 トト子は以前と変わらない魚の衣装を着て、ななしはと言えば薄茶のもふもふもした布で作られた腹出しのトップスにジーンズの短パン、革の編み上げブーツとその辺にいそうな安いアイドルの格好をしていた。
 それでも黄色い声援をみんな飛ばさないのは、そんな安い格好をしているからではなく、ななしが頭に被っている被り物のせいだった。
 一瞬ツキノワグマが現れたと錯覚しそうになるほど精巧に作られた被り物が、ちょうど口の辺りからななしの顔が出ているようになっているため、まるで頭を喰われているように見える。
 ななしの手にはぎらりと光る爪もきちんと再現された精巧な熊の手の手袋がはめられていて、マイクを掴むのも大変そうだった。それでも歌い始める。

ああ、そろそろ冬がくるよ!
(すっごく寒いよ北極圏!)
私は眠らなくちゃいけないから
何か食べ物を探さなくっちゃ!
(食わなきゃ損損生きてけない!)
そうだわ川で鮭を食べよう
あいつらみんなわたしの食糧だもの!
(君に食べられこれ本望!)


 ぽかんとしている聴衆を見て、心の底から恥ずかしさで死にたいと思ったななしの顔は真っ赤だった。だからこんなのは売れないと言ったのに、トト子の頭の中は一体どうなっているんだと隣で歌いながら踊る幼馴染を殴り飛ばしたくなる気持ちでいっぱいだった。
 最前列でグッズを身につけた六つ子ですらぽかんとしているのだから、このユニットも失敗に終わったようだ。
 そう思ったのも束の間、六つ子たちの目が輝き出し、頬が赤らんできた。
 先ほどまで天井に刺さっていたはずのチョロ松がいつの間にか最前列でサイリウムを振っていた。
「ああああ二人とも超絶可愛いよー!!」
「ななしちゃんの腹出しサイッコー!へそのしわ、すっごく綺麗!」
「あはは、よくわっかんないけどななしちゃんたち可愛いよね!熊って強いし、僕好きだよ!」
「熊ってネコ科?……まあいいか。……とりあえず二人とも可愛すぎる」
「お、おおお……!これが女神たちの祭典……!このディスティニーに感謝を捧げるぜ!」
「ほんっと可愛すぎ!もう俺たち一生君たちについてくよー!」
 目をハートにしながら六つ子たちが合いの手をいれていく。

て、ん、て、き!やばいのきたよー!
(その怖さがたまんない!)
わたしは魚だから、秋になったら食べられるの
(秋が旬だよ、しゃけしゃけしゃけしゃけ!)
それでもいいのよ!だってわたし!
あなたが好きだからー!
(一生一緒!絶対離れなーい!)


 ──ッハイ!ッハイ!ッハイ!
 六つ子たちがハイテンションな声をあげる中、ななしは気付いていた。
 後ろの方に立っている年配の方々が自分と同じように死んだ目をしていることに。
 そもそも喰われた系アイドルって何なのか。ここまで被り物を精巧に作る意味はあるのか。手袋も精巧に作られすぎてマイクが掴みづらいなんてアイドルの衣装として失格のような気がするし、ファングッズの方がデフォルメされていて可愛いというのは発想を逆転させ過ぎなのではないだろうか。
 熊耳のカチューシャこそ、アイドルがつけるものではないのか。
 そんな多くの疑問を抱えたまま初ライブを終えたユニット、トドベア。
 当然のように売れるわけがなく、ユニットはこのライブを機に解散した。もちろん、ななしが解散を宣言したのだ。
 しかし、魚系アイドルと喰われた系アイドルという斬新(?)なユニットにコアなファンがついてCDもプレミアがつくようになったとかならなかったんだとか。
 ななしにとってこのアイドルユニット事件は、つくづく幼馴染たちに巻き込まれて何かいいことが起きたこと試しないと痛感する出来事となったのだった。

トト子とアイドルユニット編 fin.

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