Oh, sleepy. I want to see a good dream.


 ──十四松が風邪を引いた。
 松野家の母が溜息をもらす。ポカリスエットなどの飲み物が入ったスーパーの袋が音を立てた。
「あの子たち、一緒の布団で寝てるじゃない?だから一人が風邪を引くとあっという間に皆引いちゃうのよねぇ」
 そう言ってまた深刻そうに溜息をついた。松野家の母の苦労が目に見えるようで、道端で出くわしただけの私もつい溜息をついてしまう。そもそも十四松が風邪を引いたのは先日の窓ガラス事件のせいではないだろうかという疑念も溜息の原因かもしれない。
「大変ですよね。松代さんも風邪、引かないように気をつけてくださいね」
「ありがとう、ななしちゃん。大丈夫よ。私が風邪を引くのは大抵六つ子が治った後だから」
 からからと笑って、それじゃあななしちゃんも身体に気をつけるのよ、なんて優しい言葉をかけてくれる。
 軽く頭を下げて、家に戻ると直ぐに手洗いうがいをしたのだった。
 ニートの六つ子と違って、私は仕事がある身なのだ。簡単に熱を出すわけにはいかない。
 そんなことを思いながら、うがいを終えた生温かい水をべっと吐き出した。

 次の日の夜。明日はようやく仕事が休みだと、疲れた身体を引きずって玄関の扉を開けようとした時、ふと視線を感じて振り返った。心臓を撫でつけられたようなぞわりとした嫌な予感がした。
 けれど、嫌な予感に反して振り返った先には誰もおらず、松野家がやたらと静かにただずんでいるだけだった。
 そういえば最近、あの家がやけに静かだなと思った日に六つ子の騒動に巻き込まれていたことを思い出す。嫌な予感が明確なものになる前に家に入ってしまおう。
 玄関の鍵を差し込んだところで、背後から引き戸が開けられる音がした。振り返ればやはり、松野家の玄関扉が開いたところだった。
 ピンクのパーカーに綿入りのピンクの半纏、ピンクのマフラー。これでもかというくらいピンクな格好をしていて、成人男性でこんなにもピンクを着ているなんて、林家ピーチクパーチク夫婦と彼くらいのものじゃないだろうかと毎回思う。
 その男のマスクの越しの顔は熱に浮かされていて赤かった。しんどそうな虚ろな目は地面を向いている。ずびっと鼻をすする音が聞こえた。
 私に気づいた様子もなく、ふらふらと歩き始めたトド松に思わず手を伸ばしていた。トド松の肩を掴む。
「ちょっと、あんた。大丈夫なの?」
「あ……ななしちゃん。お仕事お疲れさま」
「いやだから大丈夫なのって聞いてんの」
 風邪を引いているのは見てわかった。目も潤んでるし、吐く息が切れ切れで辛そうに見える。
「大人しく寝てなよ。どこ行く気?」
「十四松兄さんが風邪引いちゃって、そしたら僕たちみんな風邪引いちゃったんだ。いつもなら母さんが色々してくれるんだけど、今回は珍しく母さんも一緒に風邪引いちゃって……。食べる物もないから、スーパーに行くんだよ。せめて兄さんたちに何か食べさせてあげなきゃって思ったんだ」
 マスク越しに弱々しく笑うトド松。わざとらしいまでの長々とした説明にあざとさと胡散臭さを感じたが、病人相手に無視はできなかった。視線がそっと下に下がる。
「……明日、私休み。だから松代さんの看病ついでにあんたたちの面倒も見てあげても、いい」
 彼らの母にはお世話になっているから、大変だというのなら助けたいと思う。六つ子の看病だけなら死んでもごめんだが、そこに彼らの母が入ってくるなら話は大きく変わるのだ。
「でもななしちゃんもお仕事で疲れてるんじゃない?女の子なんだから無理しないで」
「……松代さんにはお世話になってるし。あんたたちはどうでもいいけど。風邪引いてるくらいが大人しくてちょうどいい」
「……本当にいいの?」
「うっさいなぁ。大人しく家入んなよ」
 トド松の背中を押して無理矢理松野家の中に押し込んだ。そのせいでトド松がどんな表情をしているのか、この時の私には全く分からなかったのだ。
 にやりとほくそ笑むトド松の顔を見ていたなら、ついでに看病をするなんて言葉、死んでも言わなかったに違いない。

 家の中に入ると、玄関はひんやりとしていた。きっと居間に人がいないからだ。電気も消えていてしんと静まりかえっている。いつもなら誰かしらが居間にいて何かをしているから、人の気配ならではの温かさがあったのだろう。
 とりあえずトド松を二階に促し、松代さんのところへ向かう。襖を軽くノックしてから開けると、布団に横たわる松代さんがいた。
 薄く開いた目が私を見る。
「あら……?」
「さっきトド松に会って。松代さん、風邪引いちゃったって聞いたから」
 どうやら松造さんはまだ帰ってきていないらしい。
 そっと松代さんの側に座り込むと、乾き始めた額のタオルを氷の入った洗面器に突っ込んで濡らす。よく絞ってから松代さんの額にのせた。松代さんが気持ちよさそうに息を吐いた。
「悪いわねぇ。またトド松が呼んだんでしょう?あの子、何かあるとすぐにななしちゃんに頼るんだから」
「いえ、頼まれたわけじゃ……。たまたま玄関前で会ったから。辛そうだったし、明日仕事休みなので」
 口の中で言葉を転がすようにもごもごと言えば、松代さんは可笑しそうに笑う。
「あの子たち、本当にななしちゃんのことが好きなのよ」
「……六つ子が好きなのは、私じゃなくてトト子です」
「そうねぇ。あの子たちもお父さんに似て女の人が大好きなのよ。だからどっちのことも同じくらい好きなんだわ」
 小さく笑った松代さんが私を見る。「ななしちゃんには迷惑な話かもしれないわねぇ」と眉を下げた。
 何かを言おうと口を開くか開くまいか悩んでいると、二階からどったんばったんと激しい音が聞こえてきて、二人して天井を見つめる。ぱらぱらと木屑が落ちてくるほど震える天井からは同時に罵声も聞こえてきた。築何十年と経った家の天井が薄いのか、はたまた彼らの声が大きいのか。いずれにせよ、やけにはっきりと声が聞こえた。
「僕がななしちゃんに看病してって頼んだんだから僕が看病してもらうのは当然でしょ!?クソ松兄さんたちは引っ込んでて!!むしろその辺で死んで!!」
「ドライモンスターすぎるわ!!なんなのお前!?俺だってななしちゃんに看病してもらいてーわブァーカ!!」
「手柄を独り占めにする気〜?いやーそれはない。流石にそれはないよトッティ。ななしちゃんに看病される権利は俺にもあるでしょーよ。だって俺、長男だよ?」
「関っ係ねーだろクソ長男ゴルァ!!てめーはそこで虫のように這いつくばってろ!!」
「んだよシコ松!どうせお前だってななしちゃんが看病してくれたらそのあと自家発電すんだろ?だって自家発電三郎だもんな。お前も十分最低だよ、シコ松」
「それ以上言ったら殺すぞ!!むしろ今すぐ死ね!!」
「……むしろ看病してもらわなくていい。風邪で苦しんでる僕を見ててほしい」
「闇松兄さんは黙ってて!!」
「ふっ……愛しのヴィーナスは俺に微笑んだ、か」
「そのまま死ねクソ松」
「えっ」
 そのまま最低な喧騒が続いていく。十四松の声だけ聞こえないが、きっとすやすやと眠っているのだろう。
 松代さんと私の間に沈黙が流れるが、それを切り裂いたのはやけに冷静な松代さんの言葉だった。松代さんの眼鏡がきらりと反射する。
「ななしちゃん、迷惑な話は百も承知だわ。でもね、私も孫が欲しいの。安定した老後を送りたいのよ」
 熱に侵されているとは思えないほどしっかりとした口調ではっきりきっぱりと言われたものだから、私も咄嗟に言葉が出なかった。
 松代さんの視線が痛いほど突き刺さる。
「クソニートたちだけれど、いいところもあるわ。ななしちゃんの子どもだったらそれはもう可愛いと思うのよ」
「ごめんなさい無理です勘弁してください」
 静かに土下座をした私もきっぱりと言い返すが、松代さんも引き下がらない。
「なぜなの!?ニートたちの何がいけないのかしら!」
「まずニートであることが駄目ですから!!」
 どうやら松代さんも大分熱にやられてしまっているらしい。食い下がろうとする松代さんを宥め、温くなった氷嚢を台所でとりかえる。松代さんも頭の下に冷たいものがあてられると少しは楽になったらしく、静かに寝入った。早くも看病を願い出たことを後悔し始めていた。
 私は髪を一つにくくりながらまた台所に立つと、色々と探し出す。大きな鍋を取り出して水を入れ、大きな炊飯器で米を炊き、火にかけた鍋が沸騰するまでに冷蔵庫の中で余っていた長ネギを輪切りにした。静かな松野家に鍋の水が煮える音と長ネギを刻む音が控えめに響いた。
 中華の調味料を入れて、長ネギ、溶いた卵、細切れにした鶏肉を弱火で火を通す。その間に六つ子たちの氷嚢を変えてやろうと予備の氷嚢袋六つにがつがつ氷を入れていく。
 冬の作業だからあっという間に手がかじかんだ。氷を入れ終えた氷嚢に水を入れている間、どうして六つ子のためにこんなことをしなくてはいけないのだと思って「くそったれ」と思わず呟いてしまうあたり、私も相当性格が悪いらしい。このあたりで看病を願い出たことを完全に後悔していた。
 氷嚢を六つ運ぶというのもなかなか骨が折れる作業だった。氷と水が入った大きな袋が六つあるのだから当然だといえよう。とりあえず三つ抱えるとどったんばったんと騒がしい二階へと続く階段を踏みしめた。彼らが本当に病人なのか、とても疑問に思う。
 氷嚢を抱える腕があっという間に冷たくなる。手なんてもう冷たすぎて痛いくらいだ。
 二階の廊下が見えてくると壁に赤い三角コーンが突き刺さっていて、襖の一枚はすでに外れて倒れていた。残された襖も大きな穴が空き、骨組みも折れている。
 おっ広げになった部屋から枕が飛んできて、壁にぶつかって落ちた。
「てめーのせいで熱上がったわボケ!」
「んなこと言ったら俺だってチョロ松のせいでめっちゃ喉痛くなったよ?喉ちんこパンパンだよ?喉ちんこパンパンってやばくない?」
「てめーはちんこって言いたいだけだろ!!」
「ちょっと静かにしてよ、チョロ松兄さんたち。もう少ししたらななしちゃん来るんだから。そんなことばっかり言ってるから嫌われるんだよ、おそ松兄さん」
「トッティ最近なんなの?ねえ、ななしちゃん俺のこと嫌いなの?それマジ?」
「おそ松兄さん焦ってるーウケるー。そんなこと僕が知ってるわけないじゃん」
「こんっの末っ子が!ふっざけんな!」
 おそ松がトド松を蹴ると、「なにすんの!」とトド松が怒り出す。そんな様子をにこりと笑いながら見た。
「お前ら元気だね。十四松以外は看病はいらないようでよかったよかった」
 だいぶ荒れ果てた部屋に足を踏み入れると、案の定十四松だけがすやすやと眠っていた。顔を真っ赤にしたカラ松は何故か布団でぐるぐる巻きにされたまま、六つ子の足元に放り出されていた。少しだけ可哀想だと思って、紐を解いてやる。心なしか嬉しそうにしているカラ松が不憫でならない。後ろでおそ松が「ななしちゃーん、カラ松なんかほっといて俺の看病してよー」と甘えた声を出していたが、聞こえなかったことにする。
 熱は出ていても相変わらず格好つけるのはやめないらしく、きりりとつりあげた眉毛と口元のまま額に手を添えていた。
「麗しのナイチンゲールのお出まし、か。待っていたぜ、マイエンジェル!」
「熱は?」
「さ、三十八度六分だと思う」
「高いね。氷枕持ってきたから頭のせて大人しく寝な。顔赤すぎるから苦しくなったら言って」
 カラ松を一松の隣に寝かせると、ぬるくなった氷枕を変えた。その上に頭をのせたカラ松はほうと息をついて静かに目を閉じる。布団にぐるぐる巻きにされていたから頭も冷やせず、苦しかったに違いない。
 その隣の一松の歯軋りというか食いしばりというか、とにかく表情がひどくてカラ松に対してぶつぶつと呪詛を呟いていた。目がひどく血走っている。
「クソ松のくせにななしちゃんに看病されるとかなんなのお前。そのまま吐け。漏らせ。死ね。殺すぞ」
 せっかく安らかな顔になったというのに、カラ松はうなされるようにうんうんと唸りだした。
 今度は十四松の氷枕を変える。すぴすぴと寝息をたてながら眠る姿は本当に安らかなものだった。眠っていても口があいているのがとても十四松らしいし、何があっても起きない様も彼らしいと思えた。
 十四松の額に手をあてる。まだ熱いからもうあと三時間ほどはこのまま静かに眠り続けるだろう。額や頬に汗が滲んでいたから、すでに置いてある洗面器に入ったタオルを絞って軽く拭いてやる。
「ななしちゃーん、今度は俺の番じゃね?大人しく待ってんだけどー」
「ななしちゃん、おそ松兄さんなんかより僕のことみてよ!だって僕がななしちゃんを呼んだんだから!」
「おめーらうるっせーぞ!看病してもらえるだけありがたいと思え!」
「あんたたち元気だからあとね」
 並んで寝ている三人はぎゃいぎゃい喚いていてうるさい。ついには蹴り合いが始まったから三人の頭を殴りながら一松のところに行くと氷嚢をとりかえる。気持ちがいいのか、ゆっくりと息を吐いていた。
「熱は?」
「……測ってない」
「でもその様子だとまだまだ高い感じだね」
 そっと額に手を添える。一松の身体がぴくりと震えた。彼の額はやはり熱くて、冷たかった私の手のひらがじんわりと温かみをおびていく。
「……手、冷たすぎ」
「冬に氷と水触ったらそりゃこうなるよね」
「……こんなクズのために頑張ることないのに」
「別に頑張ってない。松代さんのついでだから。あんたたちのために頑張ったなんて思い上がりも甚だしいからやめてほしい」
 冷たくあしらうように言うと例にもれず、フヒッ……、という笑い声が聞こえた。ぼそぼそと口を動かしているのが、マスク越しからでもわかる。
「冷たいななしちゃん最高すぎる」
「クールビューティなナイチンゲールは麗しいということだな、マイブラザー」
「息してんじゃねぇよクソ松」
「えっ」
 この二人はどうも相性が悪いようだ。幼い頃はそうでもなかったというのに、どこで道を違えたのか一松の方はカラ松に対してすっかり捻くれた想いを抱いてしまったらしい。
 もうあと三つの氷嚢を持ってこようと一階へと降りる背中に、「ちょ、ええ!?マジで俺ら看病なしなの!?ななしちゃん戻ってきてよ!俺のことも看病してよー!」というおそ松の叫びが聞こえてくるがそのまま台所に向かった。
 中華の素がいい塩梅に溶け出して、長ネギもしんなりしてきたようだ。いい匂いがする。鍋の中に少し塩胡椒を振ってから、火をとめた。米はまだ炊けていないようだった。もう三つの氷嚢を抱えてまた二階に戻る。
 部屋を覗くとめそめそとしているトド松が見えた。
「おそ松兄さんたちはともかく僕のことまで無視するなんて……。おそ松兄さんばっかじゃないの!?あんなに駄々こねたらななしちゃんも嫌になるに決まってるじゃん!いい大人なんだから大人しく待つことくらいできないの!?」
「うるせー末っ子!俺だって辛い!ちょっと一松、その氷枕ちょーだいよ。ななしちゃんの温もりが残ってるかも」
「……」
「何その顔!?すんっげーむかつく!」
 縦の筋が二本できるほど顎を前に突き出した一松の顔は確かに人をいらっとさせるものだった。
 チョロ松はおそ松の喚き声に耐えるように目を閉じて眉間にぎゅっとしわを寄せている。けれど、もう我慢ならなくなったのかおそ松に抗議しようと目と口を開いたところで私に気付いた。
「あ、ななしちゃん……」
「チョロ松は熱どう?」
「えっと、熱はどうだろう。多分三十八度七分くらいだと思うんだけど、熱よりもすごく体が痛くて辛いかな」
「熱下げなきゃ痛み引かないやつか」
 チョロ松の頭の下にある氷嚢を新しいものにとりかえる。その時に髪の毛に触れたがごわごわとしていて、湿っていた。汗はそれなりにかいているようだった。
「着替えは?」
「へっ!?や、だだだ大丈夫だから!流石にそこまではしてもらえないっていうか……!」
「ばか。着替えるなら持ってくるってことだから。着替え手伝うわけないでしょ」
「そ、そうだよね!ごごごごめん早とちりしちゃって……!」
 高熱に更に羞恥心による熱が加わってしまったのか、目をぐるぐる回しながらあわあわとしているチョロ松に少しだけ、くすりと笑みがこぼれた。落ち着けという意味を込めて頭をぽんぽん撫でる。
「あ、ななしちゃんが笑った。やばい、可愛いすぎて胸が痛い。死んじゃう」
 手のひらで顔を覆うおそ松の言葉を聞くなり、すっと普段通りの愛想のない顔に戻る。確かに久々に彼らの前で笑った気がした。それがどうにも癪にさわって仕方がないので、せめてもの気晴らしにおそ松の頭を叩いた。
 トド松の氷嚢も交換する。
「トド松はどうなの」
「僕はななしちゃんが来てくれたからだいぶ良くなったよ。来てくれて本当にありがとう」  えへへと笑うトド松は確かに可愛い。それでもあざとい風にしか見れないせいか、「あっそ」と愛想のない言葉しか出てこなかった。可愛くもない対応しかしないのに、私のどこがそんなにいいのだろうとふと思う。
 トド松もそんな私の対応に慣れているからか大して怒った様子もなく、「もー、おそ松兄さんが変なこと言うからななしちゃん笑ってくれなくなっちゃったじゃん」と頬を膨らませた。
 トド松が十四松の次に早く治りそうだ。食欲もありそうだし、あとはゆっくりと寝ていてもらうしかない。
「いま雑炊のもと作ってるから。あとご飯入れて煮込むだけだから食べなよ」
「本当に何から何までありがとう。今度お礼におすすめの美味しいパンケーキ屋さんに連れてくね。そこ、カフェアートもすごく可愛いんだよ」
「あっ、トド松ずりーぞ!ななしちゃん俺ともデートしてよー」
 そう言って私を見上げてくるおそ松の目はきらきらと輝いてはいたが、それは純粋なものなんかではない。目の中にセックスという文字が所狭しと並んでいて、それがきらきらしているように見えているだけなのだ。デートとセックスはこの男にとっては一緒だった。
 不快感から顔がこれでもかというくらい歪んだ。
「お前とデートしたら吐きそう。いや、吐く」
「どんだけ俺とのデート嫌なの!?顔がいつかのチョロ松みたくなってるけど!」
「だってあんたとデートしたらセックスしか言わなさそうだし。そんな人に休みを使いたくない」
「じゃあ僕とパンケーキを食べに行ってくれる?」
 うるうると目を潤ませながら上目遣いをしてくるトド松を一瞥すると、考えるように顎をさすった。最近仕事で疲れているし、パンケーキを食べて甘い物を補充するのもいいかもしれない。トド松一人なら面倒なことにはならなさそうだ。
「風邪が治ったらね」
「フゥーー!!!!!!やったー!ななしちゃんとデートー!!フゥーー!!!!!」
 両手を挙げて喜ぶトド松の足元はばたばたと弾けている。トド松が両足をばたつかせているからだ。
 その辺りの毛布がばさばさと波打っていて、隣のおそ松が「ななしちゃんとデートとかなに調子にのってんだてめぇ!」と叫び、反対隣のカラ松が「やめてくれ、マイブラザー。これじゃあ深い闇に身を委ねることができないだろう?今の俺たちはゆるやかに闇におちていくことが必要なんだ」と穏やかに言っている。「今日はよく喋るなクソ松」と一松が呟いた。そしてやけに低い声で、どこか楽しげに、ぼそぼそと話し出した。こういう時の一松が話し出すと、大概六つ子の誰かが不幸になる。
「……どうでもいいけど、トド松。お前、デート誘うためだけにななしちゃんに看病頼んだんでしょ。看病してくれたお礼にっていう口実なんてちょうどいいよねぇ。でも僕見たんだよね。トド松が母さんに向かって一生懸命咳き込んでるの。あれ、風邪移そうとしてたんじゃない?ななしちゃんをデートに誘いたいからってそれはないわー。必死さが伝わりすぎて逆に引くっていうか。さっきも窓からそわそわしながら外見てると思ったらななしちゃんが来るし?トッティ、それ世間じゃストーカーって呼ぶんだけど知ってる?普段僕のこと闇松闇松って言ってるけど、お前も相当クズだよ」
 こんなに喋る一松なんて久々に見た気がする。おそ松が一松を横目に「長々と喋る時の一松はやばい。精神的にやられる」と呟いた。
 トド松を見てみると先程の喜びの舞はどこへいったのか、白目をむいてがたがたと震えていた。心なしか涙が滲んでいるような気がする。
 ──やはり、下心があったか。
 やたらと話が説明口調だと思ったし、胡散臭いなとは思っていたけどよもや己の母に風邪をうつしてまで私に看病を願い出るだなんて思ってもみなかった。正真正銘のクズである。
 そこまでして私と何かしたいと思うなんて、呆れるを通り越してなんだか可哀想だった。私の目に同情の色が浮かぶ。
「トド松……」
「な、なに……?」
「もう、わかったから。こんなことはやめよう?頑張って他の女の子探そう?今時母親に風邪うつす真似する大人がどこにいるの?怖いよ、意味わかんないよ」
「僕はななしちゃんがいいの!こんなに僕たちのことわかってて一目で僕たちを区別できる女の子、トト子ちゃんとななしちゃん以外いないよ?さらに言えばニートでも相手をしてくれる可愛い女の子なんてななしちゃんとトト子ちゃんだけなんだから!」
「私もトト子もお前たちの相手なんて金魚の糞ほどにもしてないから」
 きっぱりと否定しても、やだやだと駄々をこねるトド松が面倒臭くて溜息をついた。これが末っ子というやつなのかもしれない。
 トド松の言葉に賛同するように、おそ松を筆頭に五人が頷き出した。
「そうそう。すんごい可愛い。俺たちの憧れで自慢の幼馴染」
「俺たちの麗しきマドンナだからな。俺が摘むまで誰にも摘ませないぜ」
「摘んだら枯れるだろ馬鹿。遠くで見てるのもいいけど、やっぱり近くで見てたいよね。ななしちゃんもトト子ちゃんも本っ当に可愛いからどんだけ見てても飽きないよね」
「こんなクズの看病してくれるし、罵ってくれるし、言うことない」
「ななしちゃんって普段はすごくクールだけどほんとは優しいし、笑顔だって可愛いし、サイッコーだよね」
 五人が五人して私のことを褒めそやす。腕を組むとゆっくりと首を傾げて彼らを見下ろした。
「……あんたたち、本音は?」
「ななしちゃんとセックスがしたい!」
 嬉しそうに笑ってそう答えるおそ松を筆頭に今度は残りの四人が頷いた。本人を目の前にしてこの潔さ。怒ることもできない。
 やっぱり私とトト子に執着する理由はたまたまそばにいてヤれそうだからということを再度胸に刻んだ。彼らはやはりクズだ。なんだか腹の底からむかむかとしてきた。彼らのこういうところが腹立たしいのだ。
 普段から彼らに好きだの可愛いだのと言われて、ほんの少しだけ浮き足立っているかもしれない私の心にも腹が立つ。
 すっくと立ち上がるとそのまま部屋の外に出て、振り返ると十四松以外の五人が固唾を飲んでこちらを見ていた。
「やっぱりお前らなんか嫌い。そのままくたばっちまえクソニートども」
 唾を吐く真似事をしながら勢いよく立てた親指を下に向けた。どすどすと重たい音を立てながら階段を降りて少しすると、六つ子たちの喚き声が聞こえたが無視して家に帰った。
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