Oh, sleepy. I want to see a good dream.


 少しだけ春の兆しが見えてきた、よく晴れたある日。松野家の六つ子宛に一通のはがきが届いた。
 今日も今日とて彼ら六つ子は二階の部屋に揃っていて、雑誌を読んだり、鏡を眺めたり、オセロをしたり、各々がしたいことをしている。
 この部屋に六つ子が揃っていることは大して珍しいことではなかった。
 仕事もせず学業にも精を出していない暇な彼らは何もすることがなく、自然と慣れ親しんだこの部屋に集まってしまうのだ。
 さて、つい先程彼らの母が持ってきたはがきは黄緑のつなぎをきっちりと着たチョロ松の手の中にあった。
 表から裏にひっくり返して読もうとしたのだが、真っ白な紙の上に黒いペンで書かれた文字はミミズがはったかのようなよれよれのもので到底読めそうにないものだった。
 それでもなんとか解読をしてみようとするチョロ松の目が細まり、ぎゅっと眉間に皺が寄った。すこぶる人相が悪い。
「なにこれ。何にも読めないんだけど」
 文字として成り立たないそれを読むことはどう頑張ったって無理らしい。
 はてと、チョロ松は首を傾げる。つい最近、似たようなこんなはがきが届かなかっただろうか。
 トド松とオセロをしていた十四松が四つん這いで這いながらチョロ松の近くにくると、すんすんと鼻をひくつかせた。まるで犬のような仕草だった。
 赤のカラーコーンが頭からずり落ちないことに少しだけ感心する。同時にこれにも既視感を覚えた。
 もう少しで出てきそうで出てこない、何かが喉でつっかえているようなもどかしさに顔を顰めた。こめかみを人差し指でつつく。あともう少しで何か閃きそうなのに、閃かない。
 匂いを嗅いでいた十四松の頭上に、ぴーんと電球が輝いた。
「あ、これハタ坊からだ!」
「そうだ、ハタ坊だ!」
 チョロ松の中でようやく腑に落ちた。胸のつっかえがすとんと落ちたからか、眉間の皺もすっかり消えた。
 それにしてもあの時同様自分たちが二階の部屋に集まっていて、なおかつあの時のようにつなぎを着ているなんて何かしらの因果を感じる。
 そんなことを思いながら、もう一度はがきを見た。十四松もチョロ松と一緒にはがきをのぞきこむ。
 ハタ坊からだとわかるとはがきの内容は自然と読むことができるようになったのだから不思議だ。
「えーと、なになに……?明日の、夜……創立十周年の、パーティー……が、あるんだじょー。みんなも、来るんだじょー、だって。どうする?行く?」
 チョロ松が他のみんなを見渡して問う。
 適当に寝そべりながら雑誌を読んでいたおそ松が顔を上げた。
「うまい飯食えるんなら行きてーかも。明日から母さん旅行行くとか言ってたし、飯作んのめんどーじゃね?」
「まあ確かに」
 チョロ松が腕を組みながらうんうんと頷く。
 明日から町内会の付き合いで一泊二日という短い小旅行に行くのだと知ったのはつい昨日のことだった。
 母がいない食事の時間が良くて三回、これは明日の昼食と夕食と次の日の朝食の回数だ。
 最悪次の日の昼食と夕食まで作らなければならない状況になると五回になる。置いてあるお金は限られているので、全ての食事を外食ですますことはできない。
 ましてや自分たちに残されたお小遣いで外食など論外だった。月初めに支給されるお金がこの月末において残されていることなんてほとんどないのだ。
 しかも、近頃ツケで飲みすぎたためか、チビ太の店から厳しい出禁が言い渡されている。まあいざとなったらそんなことは関係なく押しかけるのだけれど、いざこざの種は少ないほうがいいだろう。
 そこまで一気に思考を巡らせたチョロ松はもう一度頷いた。
「せっかくだし行こうか。僕たちでご飯を作る回数は極力減らした方がいいからね」
 母がいない時の松野家の台所の荒れ模様は凄まじいの一言に尽きた。
 誰かが玉子をかき混ぜていれば誰かがぶつかってボウルが宙に舞い、洗い物をしていたら頭の上にその玉子が降りかかる。そんな台所では喧嘩を普段の何倍もするし、より攻撃的になるのだから危険極まりないのだった。
 他の兄弟も異論ないらしい。
 トド松はスマートフォンを片手にふんふんと鼻歌を歌っている。
「パーティーかー。可愛い女の子いっぱいいそう!お洒落してかなくっちゃ」
「ふっ……ダンスの練習をしておかなければならないな。まだ見ぬカラ松ガールのために!」
「……人混みめんどい」
「パーティー!僕初めて行くかも!何すんの!?殴り合い!?多分だけどねー僕強いよ!」
「なんっでだよ!そんな物騒なパーティー聞いたことねぇわ!十四松、お前ちゃんと大人しくしてろよ。ちゃんとだぞ」
「あいあーい!ガッテン聖澤庄之助ー!」
 両手を挙げて振り回している十四松を見ていると、不安しか芽生えないチョロ松だった。


「げっ!」
「あっ!」
 二つの声が交差する。一つはとても嫌そうで、六つはとても嬉しそうだった。もうここは会場の受付場所で、逃げ出せそうにはない。
 その嫌そうな声を出した私は心底迷惑そうに眉をひそめる。こんな盛大なパーティーに何故ニートである彼ら六つ子までいるのか。
 いや、いる方が妥当なのか。確かこの会社の社長はハタ坊なのだから。
 ハタ坊と言えばイヤミやチビ太と同じくらい六つ子と縁があったはずだった。
 彼ら六つ子は揃いも揃って水色のスーツを着ている。スーツ姿だと色での区別がなくなっているから普段よりももっと見分けにくい。とててて、とどこかの妖精のような腹立たしい走り方で近寄ってきたのは多分おそ松だと思う。そのでれでれと鼻の下を伸ばした顔には見覚えがあった。
「ななしちゃん、なんでいんの?いやそんなことより今日ほんっとーに可愛いね。惚れ直しちゃう」
「そんな想いはとっととドブ川に捨てろ」
 冷たく言い放ちながら、かつかつと黒いヒールを鳴らして歩く私の後ろ──というよりも周囲を六つ子に囲まれる。歩き辛いし、周囲からの視線が痛い。
 はべらす気もないのに、あたかも私が六人の男をもてあそびながら連れ回しているように見えるではないか。もてあそぶ価値もないこのクソニート六人のせいでそんな風に周囲から思われるのは心底嫌だった。
 トド松がひょいと身を乗り出してくる。相変わらずのあひる口で、大きな黒目は純粋そうな輝きを放っていた。
「今日も可愛いね、ななしちゃん。そのドレス、すっごく似合ってる。ふんわりカールも女の子らしくていいよね」
「はいはい。で、なんであんたたちがいんの?」
「ハタ坊からはがきがきたんだー。来てもいいよって。ななしちゃんは?」
「私も招待状もらったの」
 鞄から一通の招待状を取り出す。淡いクリーム色の上にパステルカラーの蔓と薔薇で縁取られた便箋には美しい字でパーティーへの招待文句が綴られていた。心なしかいい匂いがする。
 六つ子に送られてきたはがきとは質も気合も何もかもが違うそれに思わずチョロ松が口を開いた。
「何それ!?僕たちとぜんっぜん違うじゃん!おかしくない!?」
「ハタ坊も立派なガイだ。ななしちゃんにたいして格好付けたかったんだろう」
「この会場で一番格好つけてるカラ松兄さんに言われたくないよね、ハタ坊もさ」
 トド松の嫌そうな視線はカラ松の下半身に向けられている。よくよく見てみると、そのズボンはきらきらと輝くスパンコールに包まれた物だった。一度気付くと気になって仕方がない。ついちらちらと見てしまう。
 カラ松は何を勘違いしたのか、得意げに頬を染めてサングラスをかけた。
「ほんっとイッタイよね〜!カラ松兄さんと兄弟だと思われるなんて最っ悪だからね!」
「そ、そんな……!俺のオーラがすごすぎてマイブラザーに痛みを与えるほどそう思わせてしまうなんて……くっ、俺はどうすればいいんだ!これはまさに神から与えられし試練!」
「ま、どうもしなきゃいいんじゃね?お前のそれはもう治らねーよ」
 おそ松がなんてことないように言うとカラ松も安心したのか、「そ、そうか……」と胸を撫で下ろしている。いや、ほっとしている場合ではないと、そう思ったが口にしたら話がややこしくなりそうだったので何も言わないことにした。
 私の目の前にばっと十四松が躍り出た。どいつもこいつも、自己主張が激しい。
「ななしちゃんいい匂いすんね!いつもと違う!」
「ば、ばか!匂い嗅ぐな!」
 鼻をひくつかせた十四松が私の耳元あたりの匂いを嗅ぐ。ふと大学の授業の余談の中に耳の裏から加齢臭が出るという話があったことを思い出して、恥ずかしくてカバンで十四松の頭を殴った。
「あっだー!!」
 頭をおさえた十四松を見て、全く、と鼻を鳴らしたところで私の目がぎょっと飛び出す。本来なら男性のそこを凝視することははしたないことだが、今の私にはそこしか見ることができなかった。
 はっと我にかえると、かあっと頬が熱をもつ。ぎゅっとカバンを握り締めた。身体がわなわなと震える。
「ちょっ、と!十四松あんた馬鹿なの!?意味わかんない!あほ!不潔!近寄るな!」
 見えた下半身。
 チャックのあるズボンの部分は男にとって大切なものがぶら下がっているはずだったけれど、今やぱんぱんに膨れ上がっている。
 つまりは、そういうことだ。目の前の無邪気な顔をした男は、私の匂いを嗅いで興奮しているのだ。「タッティ!!」なんて言いながら猫目になる十四松の頬を思いっきり殴る。
 トト子直伝の右ストレート。「ボゥエ!!!!!」という濁った声とともに十四松は床に伏した。
 他の六つ子一人一人をぎろりと睨みつけると、だんっと強く足踏みする。
「お前ら今日はもう一切私に近付くな。近づいた途端ちんこもぐぞ」
 自分の顔の横でぐっと拳を握り締める。
 玉がヒュンッと縮み上がったのか、十四松以外の六つ子は真顔になると、きゅっと内股になって、股間を手のひらでおさえるのだった。


 ハタ坊のパーティーは本当に豪華だった。思わず感嘆の声がもれる。
 天井からぶら下がる大きなガラスのシャンデリアからきらきらと光が注ぐホール内、床はワインレッドのカーペットで敷き詰められ、真っ白なテーブルクロスに身を包んだ丸いテーブルが中央のスペース以外に等間隔で並べられていた。
 おそらくそのスペースがダンスホールのようなものなのだろう。その辺りで出番を待つ管弦楽団がチューニングを合わせたりしている。
 なんだか急に心細くなってきた。
 周囲を見渡すと、ドレスコードに身を包んだ男女の組み合わせが多く見られる。女性はみんな着飾って美しい。男性は優雅に女性をエスコートしていた。
 正直な話、羨ましい。あんな素敵な男性に出会えたらとても幸せなことだと思う。
 私も年頃だというのに彼氏の一人もいないし、ましてや周囲にいるのは六つ子だけ。日頃から彼らに女を探せと言っているわりには私の男性交友も大したことはなかった。
 ため息まじりに受付で貰った一枚のカードを見ると「124」と書かれていた。
 どうやら指定席のようで、テーブルの中央に数字の書かれた紙が置いてあり、それを確認していきながら手元の紙と同じ番号を見つけると腰掛けた。
 見計らったように現れたボーイがグラスにシャンパンを注ぐ。小さな会釈をすると、若々しいボーイは小さく笑んでお辞儀をした。
 澄んだグリーンの瞳にきらきらと輝く金色の髪。高い鼻、白い肌。北欧系の青年だった。頭の上に日本の国旗がはためいているのさえ気にしなければまるでおとぎ話の中から現れたかのような顔立ちをしていた。
(スタイルも良いしかっこいいなぁ)
 あんな人が彼氏だったら毎日がとろけそうな幸せで満ちあふれそうだと、シャンパンを飲みながら思う。
(でもきっと、少し退屈なんだろうな)
 そのボーイの後ろ姿を少しだけ見ていたが同じテーブルに誰かが座ったようで、視線を外した。
「げっ」
 本日二度目の嫌そうな声と顔をあらわにする。目の前にいたのは六つ子の一人だった。
 昔は毎日のように遊んでいたから、一人一人の癖だとかほんの少しの違いで見極めることができていた。
 近頃は彼ら一人一人のシンボルカラーに頼ることも多いせいか、彼らが同じ服を着て揃うとすっかりわからなくなってしまうことの方が多くなった。
 それでも昔からの癖や、逆に大人になって声変わりしたことで昔よりも見極めることが簡単になったように思う。それに不本意極まりないが、私は目の前に座るこの男のことだけは初めて会った時から今まで一度も間違えたことがなかった。十回名前を呼ぶことがあれば、十回とも正解するのだ。
 得意げに鼻の下をこするこの男はきっと──。
「おそ松、あんたもここなの?最悪すぎてシャンパンも泥の味がしてきた」
「ひっじょーにきびしー!でもななしちゃんのそういうとこ、嫌いじゃないんだよね〜。あ、隣座ってもいい?」
「あれ、おそ松には見えないの?わたしの両隣にはもう座ってる人いるから。ああそうだ。馬鹿には見えない人なんだよなー今座ってる人達って」
 両隣の空白の椅子を叩きながらしれっと言う私の言葉なんて聞こえていないかのように、「ななしちゃんの隣ゲット〜」とはしゃぐおそ松は隣に座った。思わず舌打ちが出る。
 諦めを含んだ溜息をつきながら、シャンパンに手を伸ばした。
 昔からおそ松はすぐにわかった。どの六つ子と一緒にいても、いや六つ子全員が揃っていても迷うことなくおそ松の名を呼ぶことができた。
 他の六つ子たちを呼ぶときは間違えないようにじっくりと観察してから名前を呼ぶが、おそ松は見ただけでわかる。その上気持ち悪いことに、おそ松が他の六つ子の真似をしていても見抜くことができたのだ。
 それを見た他の六つ子たちからはよく不満があがり、「僕たちのことも絶対あてて!おそ松だけずるいよ!」と喚いていたことを思い出す。それぞれを当てることはできても、彼らが他の六つ子の真似をすると途端にわからなくなってしまって、それが申し訳なくて大泣きしたこともあった。
 ゆっくりと管弦楽団の音楽が流れ始める。空いたシャンパングラスには先ほどのボーイがお代わりを注いでくれた。
 おそ松のグラスにも注いだが、まるでビールでも飲むかのように一気に飲み干してしまったため、もう一度注ぎ直していた。くすりと笑うボーイについ目が釘付けになる。
 本当にかっこいいし、ボーイ達の中でもずば抜けた容姿で周囲のマダムの視線を一身に集めていた。
 視線は去っていくボーイに向けたまま、シャンパンを飲んだ。いい目の保養だ。
「他の六つ子はどこいったの?」
「ああ、あいつらならみんな番号が違ったからばらけて座ってる。その中でも俺がななしちゃんと一緒って、これもう付き合うしかないと思わない?だからそろそろ俺にしよーぜ。別に減るもんじゃないし、俺も捨てたもんじゃないよ〜?こう見えてすっげー尽くすし」
「寝言は寝てから言え、馬鹿。私の精神的な何かと貞操がなくなる」
 指先でナンバーの書かれた紙の縁をなぞりながら、顔をしかめた。尽くすとか尽かさないとかそういった問題以前の問題だ。
 唐突に音楽が派手かつ壮大なものになった。目を白黒させていると明かりが薄暗くなり、スポットライトがテーブルがない空いた空間にあてられた。
 そこにはスポットライトに照らされるハタ坊がいた。「じょ」と言いながらいつもの何も考えていないような顔をしている。
 ワインレッドのカーペットがめくれあがると、床が盛り上がるように動き出す。機械仕掛けの舞台だ。
 その上に乗っているハタ坊がそのままゆっくりとあがっていく。
 ハタ坊がぱたぱたと両手を振った。
「みんなーよく来てくれたじょー!嬉しいんだじょー!今日はいっぱい楽しんでいってほしいんだじょ」
 わっと声があがる。どれもハタ坊を賞賛したもので、私はその熱におされて控えめに拍手した。おそ松はつまらなさそうにつまみのチーズを齧っていた。
 他のテーブルをみてみると、確かに六つ子は散らばって座っているようだった。
 ここのテーブルと違うのは、他のテーブルには六つ子一人に対して綺麗な女性が五人ほど座っているということ。どの六つ子も言い寄られているのか鼻血をたらしていたり、顔を真っ赤にして固まっていたり、様々な反応を見せている。
 結局彼らは綺麗な女性に弱いのだ。
 ふと見えた先にはトト子もいた。可愛らしく着飾ったトト子の座るテーブルには、美女の代わりに美男子がずらりと座っていた。
(トト子……。あんたも鼻血出てる……)
 幸せそうなトト子な顔を見てしまえば、みっともないよなんて言えるはずもない。あの中から彼女の運命の人があらわれることを願うのみである。
 それにしても、このテーブルには私とおそ松しか座らないのだろうか。
「あ!!」
 おそ松が大きな声をあげる。びくっと肩を揺らして、「うるさいな」と邪険に言いながらおそ松の視線の先を辿るとカラ松たちがいた。弟達を見るおそ松の顔がひどい。
「んだよ、あいつら!あんな綺麗なお姉さんたちにちやほやされやがってよー!ずっりーの!!」
「だったら行けばいいでしょ」
 私の周りは本当に顔しか見ない奴らばかりだ。かくいう私もシャンパンのボーイを目の保養にしているのだが、彼らはあわよくば一夜を共にしたいという下衆な考えが常に胸中にあるのだ。その差は大きい。
 疲れたようにそう突き放すと、「えっ、いいの!?」なんて目を輝かせる。先ほどまで付き合おうと言っていた男の台詞とは思えない。
 頬杖をつきながら、じとりと睨みつける。
「私は別に一人でいい」
「んー……そっか。んじゃ行ってきまーす」
 目をハートにしてあっさりと去るおそ松の背中を見ながらシャンパンを飲み干した。
 またあのボーイが来るのかしらなんて思っていれば、今度は違うボーイが注いでくれる。そのボーイも日本の国旗が頭上に刺さっていることを気にしなければ充分かっこいい。
 ハタ坊はまだ舞台の上で話していた。
「今回のパーティーの目的はパートナー探しだじょ。会社も十周年を迎えてそろそろパートナーを選んだ方がいいと言われたんだじょ。ついでだからみんなのパートナーも見つかればいいと思ってそれぞれのテーブルに相手を配置したんだじょー!みんな頑張るんだじょ!」
 ──ハタ坊、ワタシをもらってクダサイ!
 そんな片言の女性の声があちらこちらからわく。あんな感じだけど、こんなにも大きな会社の社長であるハタ坊は六つ子達なんかよりモテてもおかしくない。
 ハタ坊がのっていた舞台がそろそろと降下すると、カーペットも元通りになる。
 そこをダンスホールに見立てたのか、素敵な男女が颯爽と出てくると楽しそうにくるくると踊り出した。音楽も一層華やなものになる。
 よくよく見てみると、六つ子も綺麗に着飾った女性たちと踊っていた。
 トド松はいいとして、カラ松や一松、チョロ松なんて上手に踊れずに女性の足を踏んだりして思いっきりビンタを食らっている。おそ松はといえば期待を裏切らず、女性の胸やら腰やらを揉んでこれまた思いっきりビンタをされていた。
 頬杖をつきながらシャンパンを飲み干す。無惨に散っていた六つ子を見て、いい気味だと鼻で笑ったところで十四松がいないことに気付いた。多分今ダンスホールにいないのは、十四松だ。
 こういったことにすぐさま参加しそうな男だというのにどこへ行ったのだろうと周囲を見渡すために振り返ってぎょっとする。
 じいいいっと穴があくほど見つめられているのだ。これでもかというくらいの至近距離で。
 鼻と鼻とがくっつきそうなほどの距離感に感じる圧迫感に、ひくりと頬が引き攣った。
 目をそらしたいが、十四松の目力が強すぎて目が離せない。普段は焦点があっていない目がこんな時だけしっかりと私の目にあわせてくる。
「ななしちゃん踊らないの!?」
「そんなことより距離近くない!?」
「踊らないの!?」
「だから距離近いってば!うっさいな!」
 十四松が話を聞かないのは今に始まった事ではない。ぐるると威嚇する犬のようにまなじりを吊り上げていたが、すぐに諦めてため息まじりに「相手いないから」と呟けば、ぱあっと顔を輝かせて私の手を取った。
 温かくて大きな手だった。
「じゃあ俺と踊ろうよー!」
「や、いいよ。踊れないから。十四松はあの綺麗な人たちと踊らなくていいの?」
「え、なんで?ななしちゃんがいい!ななしちゃんとならきっと楽しいよ!ダンスとかあんましわっかんないけど、どうにかなりまっせー!」
「あっ、ちょ、こら!」
 ぐいっと引っ張られる。重い腰が浮いた。
 十四松の背中がなんだか眩しく感じられて目を細める。
(ななしちゃんとなら楽しい、か)
 先ほどの十四松の笑顔と言葉がすうっと心に沁みている。むず痒いような嬉しさがあった。好きとか愛してるとか可愛いだとか、そんなことを言われるよりもずっとずっと嬉しい言葉だった。
 気付いたら胸の中に小さくほっこりとしたものが芽吹き、はにかんでいた自分に気付いて、また小さく笑った。昔から十四松はこんな温かい思いを私にくれる。
 ダンスホールに出ると、十四松と向かい合うが一向に私の手を取る様子がない。ただ向き合って立っている。
 もしかしたら本当にわかっていない可能性があると手を伸ばしかけた瞬間、突然十四松が右横にステップを踏みながら両腕をうねうねと触手のように動かした。今度は左横に飛び跳ねながらあらゆる顔の穴から水を噴射させて、身体はトルネードを巻くかのようにすごい勢いでまわっている。
 びくっとひくついた手はそろそろと私の胸の辺りにおさまる。ぎゅうっと握り締めた。胸の中は不安でいっぱいだった。
 恐る恐る十四松に声をかけた。
「じ、十四松……?」
「なに!?」
「それは、なに?」
「えっ、ダンスだよ?」
 先ほどの奇怪な動きをとめた十四松はけろりと言う。ぐりんと首を傾げて頭の上にはてなマークが浮かんでいた。
 私は全力で首を振るしかなかった。そんな踊り、私にはできそうにはないし、人類ではできる人なんてそういなさそうに思う。
 あらん限りの力で否定した。
「違う!!ダンスはそんなんじゃない!」
「そーなの!?じゃあどうやってやるの!?」
「私もそんなに詳しくないからわかんないけど……」
 おそるおそる十四松の手を取った。「えっ……えっ!?」と困惑する十四松をよそにもう片方の手を背中に回して、控えめに身体を寄せる。
「多分これが踊りの構えみたいなものだから、ここからステップを踏んでいくと思うんだけど……。十四松?」
 どういったステップを踏めばいいのかわからなくて考え込むように伏せていた睫毛を持ち上げる。
 見上げた十四松はいつもの笑顔のまま、顔を真っ赤にしてがちがちに固まっていた。目が忙しなく動いている。十四松の握った手が、顔が、じわりじわりと汗をかいていた。
 ──十四松が照れている。
 それが伝わらないほど鈍感ではないが、それを見て動じずにいられるほど男に慣れているわけでもなかった。
 かっと頬が熱をもつ。
「ばっ、ちょ、なんで照れてんの?やめてよ、私まで恥ずかしくなる」
 ふいと視線をそらして悪態をつくことしかできなかった。
 最近窓ガラスを割ってそのままソファで寝て、しかもついさっきまで無遠慮にいきり勃ったものを見せてきた目の前の男になぜ胸をときめかせなければならないのか。
(よく考えろ、私。こいつはニートだ。クソニートだ)
 とりあえず深呼吸をすると少し落ち着いてきた。
 こんな風にダンスの構えまでとってしまったのだから、踊ってしまおうと思える余裕が生まれたくらいには冷静になれた。
 周囲をくるくると楽しそうに踊る人たちを真似て足を踏み出すが、がちがちに固まってしまった十四松は動けそうにない。手を引っ張っても動いてくれないのだ。
 その場から一歩も動けないのではどうしようもない。でもそれが十四松らしくて、思わず小さく笑った。
「私たちにはまだ早いね」
 すっと身体を離して、手も離す。テーブルの方を指差した。
「ほら、やっぱりダンスって簡単じゃないでしょ?テーブルに座ってご飯食べるよ」
 身をひるがえしたところでハタ坊がマイクを持って話し出したから、みんな一様に動きをとめた。
「みんなー、楽しんでるじょー?今からパートナー探しを始めるじょー!この会場に招待した女の子たちを穴に落としてからがスタートだじょ。みんな番号札を持ってると思うんだじょ。その番号が書かれた女の子を助けに行って欲しいんだじょー。これは釣り針効果を狙ったんだじょ」
 軽快な口調で話された内容は、耳を疑うものだった。
 まず第一に、釣り針効果ではなく、それを言うなら吊り橋効果だし、第二に穴に落とされる意味がわからない。何か催しをするにしても、もっとこう安全で穏便なやり方はなかったのだろうか。
 この後に待ち受ける展開には嫌な予感しかせず、ぞわりと鳥肌が立った二の腕を摩りながら帰ろうと決意した。ホールから玄関に繋がる扉に足を踏み出した。
 ──ぱかっ。
 すうっと内臓がせり上がってくるような浮遊感が身体をおそった。背中が冷えるような危機感と不快感。
 ──あ、落ちる。
 そう思って手を伸ばした時には、すでに私の身体はほとんど真っ黒な穴に飲み込まれていた。
 焦ったように伸ばされた十四松の手は空をかき、私の伸ばした手の先で床が閉じた。視界が真っ暗になるのはあっという間の出来事だった。
 ──みんなに素敵な相手が見つかるといいんだじょー。
 落ちる間際に聞こえたハタ坊の台詞に腹が立ちすぎて拳を握ると、腹に声をためて吐き出した。
「相手もクソもあるかぼけええ!こちとら落ちたら死ぬんだからなあああああ!!」
 音もない真っ暗な穴の中で、私の声だけが空虚に響き、落ちていく私は化粧が崩れることも気にせずひどい顔で涙を流すのだった。

to be continued...

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