あのね、
[今日はゆっくり休んでください。]
斉藤はそのまま立ち上がり踵を返す。
「痛いです。」
カラカラの喉から這い出でるように名字は言った。のそりと起き上がった名字は、胸当たりを耐えるように握り顔を顰めた。
「手首じゃない…、胸が、心が痛いです…!」
名字はそう言うと縮こまって、三角座りになると顔を足の間に埋めた。
斉藤はそっと名字に近づき隣に座った。
いつもの様に撫でようと手を伸ばす斉藤は、先程の辛そうな名字の顔が横切り、ここに来る前のことを思い出し手を引っ込めた。
「終。」
昼食を食べ終わり自室に戻る所を、土方に呼び止められた。土方が外に来いと手招きするので付いていく。
「名字の事なんだが。」
突然切り出された名字の話。今朝起こしに行った時体調が優れなさそうだったのでそのままにしてきて、それ以来今日は一度も見かけていない彼女。何かあったのだろうか。
「昨日、アイツ酔った勢いで襲われそうになってた。」
まさかと思ったが、土方はそんな嘘をつくような人ではないのは知っていた。彼女は体術も人並み以上に優れている。そう簡単に襲われるわけがない。
「すまいるに行った時だ。アイツ相当酔ってたみたいで、抵抗するにもできなかったみたいだ。」
それにここで働く同士だと言う。
あの店にいた時自分は、女性に寄られていて彼女の方に全く意識を向けられていなかった。
「何か悩んでるみたいだった。自暴自棄になっている感じがあった。酒のせいだとは思うが、終、お前何か聞いてやってくれねェか?」
自分の前ではそのような素振りは見せた事がない彼女。土方は少ないやりとりの中で見つけたというのか。それとも、彼女は土方を頼りにしているのか。その言葉にコクリと頷いて彼女の部屋に向かおうとする。
「お前じゃねェとダメだと思うからよ。」
そんなことはない。そう伝えたかったが、書くことも首を振って否定することもしたくなかった。名字が土方の方を慕っていると認めたくなかった。再度縦に首を振ってその場から離れた。
自分の思い上がりが許せなくて、名字が頼るのが土方であって自分出ないのが許せなくて。斉藤は名字に何もしてやれなかった。
下腹部に痛みを感じ始める。久しぶりの感覚に冷や汗をかく。名字がいる時は腹痛も、それによる催しもなかった。初めてあった時よりも遠い距離感を感じて、伸ばす手も届かないように思えた。
どんどん悪くなる体調。名字の痛みがこっちに来てるならいいのに。名字の様子を見ると小さく震えていた。震える手を名字の頭に乗せて、いつもみたいにポン、ポンと撫でた。震えは止まらなくて、普段の時のようにリズムが取れなくて、斉藤は何をしているんだと思った。しかし不器用に撫でる手は止まらなかった。
「あのね、」
名字が鼻をすすりながらポツリと言う。
「私、隊長と打ち合いした時、自分の師と同じくらい強い人がいるんだって感激したの。ここで働けるって分かった時、貴方に絶対ついて行こうって思ったの。でもね、私隊長に迷惑ばっかりかけてた。朝だって起きないし、髪だって自分じゃ結えないし、この前だって一人で乗り込んで勝手に負けて被害を増やしただけ。仕事もまともにできない。」
堰を切ったように話す名字は、苦しそうに吐いた。
「昨日も、隊長が女の人話してるの見て嫌だとか、それで飲んじゃったら酔っ払っちゃって、楽しい酒の席も台無しにしちゃった。」
くぐもった声が震え、弱々しく溢れていく。
斉藤は撫でる手が止まった。
その内容なら、上司である自分に相談する事も、本人である自分に愚痴を言うことすらできない。
「私、付いていくどころか足を引っ張って、足止めさせてた。……斉藤隊長の副官なんて大層な者になっちゃダメでした。」
その言葉は斉藤の琴線に触れた。
ノートとペンを引っ掴み、ペン先が曲がるくらい強く書きなぐった。
雰囲気でわかる斉藤の怒りに名字は顔を上げた。斉藤はいつに無く眉がつり上がっていた。ズイッと向けられたノートを見る。
[確かに名字さんは、朝は起きないし、髪も上手く結えない、私の指示を聞かずに行ってしまう考え無しの所もあります。]
[ですが、朝起きないなら私が朝礼に連れていきます。髪が上手く結えないなら、私が結います。それは私が好きでやっていることです、嫌なら今後やりません。それに、指示を聞かないなら、信頼を持って貴方にその仕事を任せます。自信を持ってやり切ってください。どれだけずぼらで不器用で考え無しであったとしても。]
ペラリとノートが捲られる。
[私の副官は貴方にしか務まるわけがない。]
二人はまるで同じことを感じているかのように、胸が急に暖かくなり、奥底に冷え固まった氷塊を溶かすように、ダラダラと涙を流すのだった。
「……隊長、いつもの語尾のZ、忘れてますよ。」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で名字は、可笑しそうに笑う。斉藤はノートを捲ったが次はなく、言い訳をする代わりにノートを名字に差し出した。
名字は角が捲れ上がったそのノートを、愛おしそうに抱き締めた。
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