願わくば早急に死ね
 我が家は田舎によくある(実際田舎だし)タイプの平屋建てで、贅沢にもほぼすべての部屋が縁側を挟んで庭に面している。両親の話はしない。というのも、俺がこの家で彼らと過ごした記憶がほとんどないからだ。姉ちゃんの前にこの家の正当な保有者であったじいちゃんなんて、見たこともない。でも彼らは確かにこの家に住んでいて、この家で生活していたのだろう。そのへんの事実と記憶は俺のものではない、姉ちゃんのものだ。姉ちゃんにはこの家で俺や義兄以外と暮らした記憶がある。思い出がある。そのどれもがきっと特別覚えておきたいような記憶ではないだろうけど。
 ともかく俺が物心ついた頃からこの家はがらんどうに広く、姉弟二人で暮らすには心細いほどだった。使う部屋より余らせてしまう部屋のほうが多い。客間や物置にすらならない本当に使っていない部屋もある。
 15歳の頃、姉ちゃんの結婚の直前、その本当に使っていない部屋に二人でいた記憶がある。何年も立ち入ったことがない、自分の家なのに生活感のまったく無い部屋で、俺は本当に所在なくて、入り口の近くに突っ立っていた。姉ちゃんはというと、その部屋の何年も開かれなかった押し入れをあっけなく開いて、その前に座り込んで何かをしまい込んでいた。それとも出していたんだろうか。いや、しまい込んでいたんだと思う。何かを畳むような仕草、ほとんど何も入っていない押し入れにしまい込むために何かを畳み続ける姉ちゃんのか細い後ろ姿。何を畳んでいるのかはわからない、見えない。俺はその部屋の入り口から動かなかったから。姉ちゃんの後ろ姿しか見えない。一心不乱に押し潰すように何かをしまい込む後ろ姿はどこか痛々しかった。

「私が落ち着けば、アンタだって少しは気が楽でしょ」

 姉ちゃんが振り返らずにそんなことを言う。少し冗談めかすように笑いながら。本音を言うときの姉ちゃんの癖だ。そのくらい分かる。10近く離れてるけど、その時点で15年は“たったふたりの姉弟”をやってきていたのだ、そのくらいわかる。

「もうごちゃごちゃ考えなくていいからね、もっと単純に考えていいから、自分のことだけ」

 そしてそれは姉ちゃんのほうにも言えることであって、俺の頭の中なんかその頃の彼女にはお見通しだったに違いない。年の功で、姉ちゃんのほうが俺の頭の中をわかっていたのかも。押し入れに何かをしまい込み終えた姉ちゃんは音を立てて襖を閉じ、か細い肩を落としてため息をついた。突っ立ったままの俺はそのまま姉ちゃんの体がバラバラと崩れてしまうのではないかと急に不安になった。そういうところがある。姉ちゃんにはそういうところがあって、否応なしに俺は不安になる。俺のそんなまさに杞憂と言うべき杞憂とは裏腹にすぐに顔を上げた姉ちゃんは、俺を見てにっこりと笑った。

「幸せになっちゃうから、アンタも早く彼女くらい作りな〜」

 それが本心なら、きっと今押し入れにしまい込んだものはこれから訪れる幸せにふさわしくないのだろうと思った。これから、義兄と一緒にこの家に、姉ちゃんのもとにやってくる幸せにふさわしくないものなのだろうと。こんな、普段あったことすら忘れられている部屋のがらんどうの押し入れに、まるで隠し込むように。姉ちゃんの秘密。弟の目の前でしまい込んでいるのだから姉ちゃんにしてみれば秘密であるつもりなんて微塵もなかったに違いないけど、結局そのか細い肩越しにのぞく勇気が、一言「それなに」と聞く勇気がなかった俺は、その公然の秘密を見せつけられた気分になった。守ると誓えと、暗に言われているような気分になった。姉ちゃんの秘密。幸せにふさわしくない秘密が隠された、物置にもならない部屋。



 もしも義兄が知らずにいたなら、なんたる皮肉か!いや、知っていたほうが皮肉だしなんかすっげえネチネチした重たい意味込めてきてそうでイヤだけど。義兄が俺を犯すのは最初の夜からいつもこの部屋だった。物置にもならない部屋。姉ちゃんの秘密が押し込められた部屋。きっと偶然だろう。この部屋は姉ちゃんの眠る部屋から離れているし、ちょっと加減を間違えて物音や悲鳴を上げたってそう簡単には届かない。それこそ大絶叫でもしないかぎり。畳に直に組み敷かれて律動のたびにざりざり摺り下ろされる気分になりながら、朦朧としながら、俺はひっそりと沈黙した押し入れの襖を見つめる。鈍く響かない音を立てる九尾鞭で打たれなから、ぐちゃぐちゃの頭で俺は考える。姉ちゃんの秘密が俺の口を塞いでいる。姉ちゃんの暗い秘密が口と鼻を塞ぐ俺の手を押さえていてくれる。お前も同じだって。今ここで喘ぎと悲鳴を飲み込んでいるお前も俺と同じだって。姉ちゃんの幸せにふさわしくないもの。姉ちゃんが幸せになるために、目に見えないところに隠し込みたいもの。お前も同じだぜ、可哀想になって。口を塞ぐのを手伝ってくれる。気を抜けば引きずり込まれるに違いない。引きずり込まれてたまるか畜生が、死んどけ。俺は平気だ。全然堪えてない。まだ平気だ。まだ。
 そんなことを考えていると、腹の奥にねっとりした熱が広がる。



 衛が訪ねてきたのはいよいよ年末じみてきた頃の宵の口だった。俺は洗面台の前に立ち、そろそろ髭を剃るか剃るまいか喉でも掻き切るか、思案にくれていた。最後のはさすがに冗談だけど、わりと笑えないしおもしろくもない。反省。そういったある意味後先考えない勇気があれば一年前の時点で義兄を殴り倒している。髭は全然生えないし伸びないほうだけど、そうなるとちょびっと顎のキワに生えてきているのが逆にすごく気になる。やっぱり剃ろうとカミソリを探していると、ふいに洗面台横のすりガラスの窓がコンコンと叩かれた。家鳴りか、この家も古いからな、断じてラップ音とかではない、と自分に言い聞かせながら見やると、わずかに開いた窓の隙間、網戸越しにジャック・ニコルソンよろしく暴君めいた笑顔が浮かんでいて確実に数瞬心停止した。

「よおハルくん、なんで窓開けてんの?寒くない?」

 たぶん姉ちゃんが『空気の入れ換え』つって開けて閉め忘れたんだろうけど。なんか今日は冷えるな〜って思ってたけど。何しにきたんだ。百歩譲ってそれは置いとくにしても、なんで玄関から来ない。俺の入るところが玄関ってか、さすが衛さんは考えることが違うな!

「いやいや、ハルくんち、開放感溢れすぎてて逆にどこが入り口かわかんねえんだもん。ぐるぐるしてたらハルくんいたから」
「…ここは洗面所ですね」
「マジで?窓開いてたらのぞき放題じゃん。ハルくん姉に教えといてあげて」

 紳士的指摘はありがたいけどそんなんこっちは住んでるんだから承知済みですけどね、今日は俺だったからたまたま開いてただけで。まあ衛が玄関から正面突破していたらしていたで姉ちゃんに会わせてもめんどくさそうだし、開いてて良かった、窓。
 なおもコンコンされてようようガラス窓と網戸を開くと、衛は肘をついて乗り出してきた。ダウンジャケットを着こんでいるが鼻頭は赤い。俺は部屋着なので窓も全開に外と同じ気温になってしまうと果てしなく寒い。地獄的に寒い。なんなんだこの地獄のような逢瀬みたいな状況は。

「びっくりした。まじでびっくりした、なんなん?え、衛、おれんち知ってたっけ?」
「むかーし、かわいそうに喧嘩に巻き込まれてふらふらになったハルくんを送ってきてやったじゃないすかー?もしかして恩とか忘れるタイプ?」
「あーあーあー…あったわそんなこと。てかそんときだし、三年にキレたお前止めようとして肘食らったの、そんときだし、ふらふらだったのお前のせいだし」
「マジか、ごめん?」

 だからなんで疑問系だよ、と手頃な高さにあった衛の頭をグッと押す。普段は見下ろされる側なので新鮮に感じるとともにすこぶる気分がいい。衛はそんな扱いを受けてもぎゃははと笑っている。まったく堪えていない。怒りスイッチにかすりもしていない。つねづね思う。衛のキレるツボはよくわからない。ぶん殴られてもへらへらしているかと思えば、クチャラーごときで怒髪天をぶち抜く。いや、でもクチャラーが絶対ダメなのはこの高校生活で身に染みたけど。ホントにクチャラーダメなんだよねまもちゃん、気持ちはわかるけど。でもそれ以外の怒りスイッチはホントによくわからない。一度聞いてみた。衛は「そんなのわかるわけねーだろ」と当然のように笑っていた。そうだった、衛は自分を顧みない系男子だった。自分がどんなことがイヤで怒りを感じるかなんて、振り返ってみたことも無いに違いない。そんないつどんな刺激で爆発するかわからない爆弾と連んでいる俺の高校時代はよくよく考えなくてもロックすぎるのではないか?やっぱりバンド組まなきゃもったいないかな。

「なにしに来たの」
「いや別に。なあんにも。強いて言えば受験一ヶ月前だし、激励されにきたみたいな」
「はあ?意味わかんねえ」

 「別になあんにも」なんてそんな彼女みたいな理由で家まで会いに来られてたまるか、キッモい!激励されにきたにしても、衛は受験勉強らしき勉強なんて一ミリもしてないし名前書きゃ受かるらしいので檄も励ましも入れようがない。衛は笑顔だ。相も変わらずのよくわからない笑顔。その笑顔のまま俺の顔を見、俺の手にしたカミソリを見、そして俺の背後へ視線を投げてピタリと固定した。

「誰と話してる?ユキハル」

 背後から声を掛けられて、ぴしゃりと背中に冷水を浴びせられた心地がした。姉ちゃんの声ではない、ならば残るは一人。不覚にも俺は硬直し、衛のつんつん立った髪の毛のもっとも高いあたりを見つめたまま一ミリも動けなくなった。寒いのは窓を開け放してるから。硬直したのは少しびっくりしただけ。回らない頭でそう言い聞かせても気を抜けば狼狽してしまいそうで難しい。そもそもなぜ頭が回らないのか。狼狽しそうなのか。振り返れないのか。声すら出せないのか。普段は義兄の前でだってなに食わぬ顔で振る舞っているのに。もっとなに食わぬ顔してるのは義兄だけど。
 衛がちらりと俺を見上げた気配がした。気のせいかもしれない。なんにせよ衛が未だあの笑顔で、義兄を正面から見据えているのは確かだ。

「こんばんは、はじめましてお義兄さん?」
「こんばんは…君は?」

 わりと礼儀正しめの言葉の数々が衛っぽくなくて妙にツボるのが三分の一、そんならしくない言葉を吐いてどういうつもりなのか戦々恐々とする気持ちが三分の一、義兄は今、どんな表情で衛と見合っているのか、さらに戦々恐々とする気持ちが最後の三分の一。変な状況だ。衛がうちの洗面所の窓から身を乗り出していて、背後に義兄の気配があり、俺は部屋着で窓から吹き込む冷気に凍えている。そんな変な状況下で衛はあの暴君めいた笑顔を微塵も崩さず、剰え俺の手を掴む。

「彼氏です」

 …は?なに言ってんの?……あ?なに言ってんの!どんな嘘こいてんのコイツ!!脊髄反射で振り払おうとした手は先読みされ、万力のような力で握りしめられビクともしなかった。むしろ折れる。いたたたたたた折れる折れる折れる!なぜか声を上げることが憚られて、とりあえず目で訴えようと衛を見下ろしてゾッとした。目が据わっておられる。あ、これはガチで折られるかもしんね、と瞬時に心が半泣きの俺。仮に俺が女だとしてもこんな彼氏はイヤだ。かろうじて笑顔のままで、かろうじて友好的と言える表情を保ってはいるけれど、義兄がいるだろう空間を見つめる衛の目は今や完全に据わりつつあった。そう、義兄は。どういう顔をしてるんだ、俺の背後で。一気に怖気が背筋を這い上がる。呼吸が否応なしに震え、悟られたくなかった俺は止むを得ず息を潜めた。折られる勢いで握り込まれていなかったらこの手はぶるぶる震えていたに違いない。

「そうなんだ。そんなところで話してないで、上がってもらったら、ユキハル」
「いえお構いなく、すぐ帰るんで。こんなとこからどうもすみません」
「そう?遠慮しなくていいのに。ならお好きなように」

 冗談だと受け取ったのか受け取ることにしたのか、義兄はあっさりと流した。俺なら自宅の洗面所を他人がのぞき込んでたらもっとなにかしら言いたいと思う。なのに義兄はあっさり流した。不気味なまでに。
 背後から義兄の気配が消える。衣擦れの気配が遠ざかっていく。呪縛を解かれたように、今更心臓が耳元で鳴り出した。知らず止まっていた呼吸も速やかに再開する。あと手。手!

「折れる!」
「あ、ごめん。…いや折れるは言いすぎだろ」
「…ふっっざけてくれたなこのっ、クソヤロー…!」
「冗談、冗談だよハルちゃん、ね」

 ね、じゃねえ。あと言い過ぎじゃねえマジで折れるから。衛はまずそれが冗談かどうかすら吟味したこともなさそうだが、世の中には言っていい冗談と悪い冗談がある。今のはもちろんぶっちぎりの後者だ。そんなの普通に、普通に考えたらわかるだろ。ましてやコイツは俺と義兄のあれこれを知っているくせに…!頭をひっつかんでユッサユッサ振り回してやりたい衝動に駆られるが、手を握り潰されるところだったという直近のトラウマが邪魔する。ぼくはチキンです。

「信じたかな、お義兄さん」
「は?だったらなに?どういうつもりなわけ?どうなったら面白いとか思ってるわけ?」
「怖い?」

 窓に肘をついた衛が笑っている。品定めでもするように俺を見据えながら。カッと、頭に血が上るのがわかった。どういうつもりだコイツは。それが怒りかと言えば違う気がする。どういうつもりだコイツは。もっと複雑で、いろんな良くない感情が入り組んで入り交じっていて、とにかくいたたまれないようなものだったことは確かだ。どういうつもりだコイツは!俺はその場を離れようとした。洗面所から離れて、この家の奥深くへ逃げようとした。そこは決して逃げ場などではないのに、少なくとも一年は前から。しかしそんなのはもちろん衛にはお見通しだったらしい。すかさず腕を掴まれすさまじい力で引き寄せられ、そのまま勢い余って窓からまろび出そうになるのを、俺は窓枠に強かにぶつかることでようやく阻止する。

「逃げてんじゃねーぞコラ」

 地獄のような低い声。それこそ折れるんじゃないかと言う力に、限界まで顔をしかめた。暴力的で人の痛みに無頓着。なんなら暴君とも言える。その無作為な発露を浴びせられるのは俺だって例外じゃない。でも、それにしたって今夜の衛は酷い。こんなふうに陰湿に、まわりくどく悪癖の種を撒くのは衛らしくない。別に衛はサディストではないのだ。暴君なのは単純明快かつ正しい怒りの結果であって、人をいたぶるのをネチネチ陰湿に楽しむために暴君になるわけではない。
 衛はなおも力任せに腕を引き、ガクリとこっちの首が反るほどの力で俺を引き寄せた。そうしていよいよ窓から落ちそうになる俺の額に自分の額を押しつける。衛の、氷のかけらのように冷えた鼻先が目の下を掠めた。唇が触れないのは俺の腕を握りしめていないほうの手が俺の後頭部をギリギリ掴んでいるからだ。ほとんどゼロ距離で見る衛の瞳孔は完全に開ききっている。目元が翳ったせいかもしれないけど。

「今、まだ『誰か』が俺らのこと見てたら、キスでもしてるように見える」

 最悪な解説をありがとう、願わくば早急に死ね。

「半信半疑でもさすがに信じる。『セックスくらいしてる仲かも』って。当然裸だってみたことあるんだろうってな。…その背中もな。まあある意味間違ってないけど、美乳首なのも知ってるし」
「…俺の乳首の話は金輪際しなくていいから」
「今なら出血大サービスでチューまでなら無料、いっそ既成事実作っとくか?ん?」
「俺はセール中じゃない。キスは3000円から」
「おいやめろその生々しい値段設定。自分を安売りしないでハルちゃん!」

 てめえがさせてんだろうが、と喉まで出かかったが出なかった。さっき俺を逃げさせようとした良くない感情の複合物が俺の喉を静かに塞いだ。衛が手を離す。距離を取って、それでも衛から目を反らさない。反らせない。どっちかわからないけど。衛はもう笑っていない。目が据わっている。見たことのない表情だ。信じられないことに、それは怒りを必死で押さえ込んでいる表情に見える。

「ハル、暴れてるときだけが俺がキレてるときだと思ってる?」
「…なに?俺にキレてんの?」
「さあ?」

 衛は肩をすくめ、次の瞬間盛大に噴き出した。なんかそういうおクスリでもやってんじゃないかって、そう思うほど堂に入った哄笑だった。その笑い声だけは確実に、この家のどこかにいる義兄にも聞こえていたに違いない。とうとうラリってしまったかと健気にも心配する俺をよそに、ひとしきり笑った衛は涙まで拭う。そしてこの自分を顧みない系男子は憎たらしいほどあっさりと言ってのけた。

「そんなのわかるわけねーだろ」

 窘めるように鼻を摘まれ、しかし一度折れてから鼻への強い刺激に過敏になっている俺は、まあそれだけのせいではないけど、身を竦ませるしかなかったのだった。




 それからは何もなかった。本当に何も。年が暮れ年が明け、しばらく経っても何もなかった。義兄が、ありとあらゆるどんな意味でも俺の身体に触れることはなくなった。義兄の生白い女顔は表面上変わることはなく、そして夜になっても犯されることはなかった。ムチで打たれることもなくなってしばらく経ってから、四苦八苦して自分で鏡を見て期待したけれど、少しは癒えても背中の傷痕が完全に消え去ることはないようだった。まあ女子でもないし良いんだけど。
 何もないあいだに俺は18歳になり、衛はまったくありがたみもなく受験にのこのこ出かけていった。あの夜衛が義兄と対峙して、この家のなんとか平静を装っている水面に石どころか手榴弾を投げ込んだ。衛のセリフはだって、そのまま戦線布告だ。爆弾発言だ。『お前のやったことを知っているぞ』そう言い渡したようなものだ。実際戦うというか耐えることになるのは俺だと言うのに。波紋を呼ぶどころか水柱さえ立てるだろうと俺を戦々恐々とさせたそれは、不発のままあっけなく水底に沈んでしまったらしい。義兄は何も言わない。あの夜にも、衛の存在にも、俺の身体にも触れない。俺は衛に感謝しないといけないのか?腑に落ちないけど。そう、真剣に悩みすらした。本当にこのまま、もう二度と何も起こらないんじゃないかって、捻くれた俺がかすかに希望を抱くほど何も起こらなかったのだ。姉ちゃんと義兄は夫婦で、義兄と俺は素知らぬ顔で振る舞い、それも板についてきて、本当にこのままもう二度と何も起こらないんじゃないかって。もう二度と。
 そう思ってた。
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