美狐はベッドの上で愛をささやく
第一章





chapter:失われた光







 ジージーと鳴く夏虫の羽音と一緒に、僧侶さんの低い声で読み上げるお経が聞こえてくる。

 今日は僕、美原 比良(みはら ひら)の父、美原 清人(みはら きよひと)さんのお通夜だ。

 父は齢七十を数える短い命だった。

 僕の隣では、喪服に身を包んだ父の娘さんである、奏美(かなみ)さんと奏美さんの娘さんで僕と同い年の高校二年生の美紗緒(みさお)さんが鼻をすすっている。

 朝から午後七時時現在までシトシトと降り続けている雨はまるで、父との別れを惜しんでいるようだ。

 そんな中、奏美さんの旦那さんである和夫(かずお)さんは、集まってくれた方々に深々とお辞儀をしながら挨拶をしている。

 父は優しく穏やかな人で、みんなから慕われていた。だから別れを惜しみ、こうやって通夜に駆けつけてくれる。

 僕ではきっとこうはならないだろう……。

 僕は、目の前にある父の写真さえも見ることができず、ただ顔を俯(うつむ)けていた。

 ぎゅっと噛みしめた唇は、嗚咽(おえつ)さえも許さない――。

 泣いてはいけない。泣く資格なんて、僕にはない。

 そう自分に言い聞かせ、奏美さんたちと同じ黒色をした、ズボンを膝の上で握りしめる。

 そんな僕を横目に、集まった人々は異質な視線を放ち、ヒソヒソと陰口をたたいている。

「あの子でしょう? 清人さんに拾われた子って……」

「本当、あの子よ。うわ、何あの雰囲気、肌が真っ白だし、覇気がないわね。それに、あの腰まである長い髪の毛……なにアレ、灰色? 幽霊みたい」

「こわいわ〜」

「ねぇ、聞いた? なんでも、清人さんが亡くなられる直前まで、あの子が傍にいたそうじゃない?」

「イヤねぇ、あんな、どこの子かさえもわからない子の面倒を見たばっかりに、清人さんはお亡くなりになったのよ?」

「ご家族の方は皆さん反対していたようじゃない? それを、清人さんは律儀というか、目が合ったって、たったそれだけで拾い、育てていたんでしょう? 清人さんもお人好しよね」

「でも、酷いわよねぇあの子。恩を仇で返すなんて」

「ちょっと、もうそれぐらいにしておいた方がいいわ。でないと、あの子に呪い殺されてしまうわよ?」


「…………」

 ――呪い殺す。

 普通ならばできるはずのないことだけど、僕なら、それもあながちできないことはないかもしれない。

 たたかれた陰口に、自分でも頷(うなず)いてしまいそうになる。

 この陰口と突き刺すような視線は今にはじまったことじゃない。

 これは僕が五歳になった頃から絶えずあったモノだった。

 それは黒とは決して言い難い灰色に近い髪の色と、日に当たらないために、真っ白い日焼け知らずの肌を持つ、人間離れした容姿。

 そして、常人にはない体質が関係しているからだ。

 だから今さらどうこうしようとも思わないし、陰口は当然だと自分でもそう思う。

 ……だけど、父が亡くなったこんな時にさえも、向けてくる冷たい視線は正直苦しい。

 でもそう思うのはけっして許されないこと……。

 みんなの反応はそうあって当然だ。だから仕方ない。

 だって、優しくて社交的で明るい父は亡くなる直前まで微笑んでいた。 僕が不安がっている時は側に寄り添ってくれたその父を……僕は――……。

 僕は僧侶さんがまだお経を読んでいるのにもかかわらず、失礼も承知で腰を上げ、席を外した。

 久しぶりに村のみんなに会っても思い知らされるのは、やっぱり誰にも受け入れてくれないという事実だけ。

 みんなが僕を白い目で見て、父が可愛そうだとそう言うだけ……。

 誰も僕に悔やみの言葉のひとつさえ、かけてくれない。


「父さん……」

 天国にいる父は、今の僕を見ているだろうか。

 縁の下におりて広い庭へと足を運び、空を見上げても、シトシトと降る雨はやっぱり止む気配さえない。

 真っ黒な黒雲しか見えなかった。

 そんな中で、僕は目の前にある大きな大木に隠れるようにして、そっと腰を下ろした。

 集団から抜け出てひとりになると、みんなの前では流すことを許さなかった涙が頬を伝って流れていく……。

 泣きながら思い出すのは、父と過ごした苦しいけれど楽しい日々だった。

 みんなが言うとおり、清人さんは僕の実の父親じゃない。

 それなのに、彼は僕を実の子供のように育ててくれた。


 ――それは、今日のような雨がシトシトと降る日だったらしい。

 僕の義理の父親、清人さんは、普段あまり通らない山道をたまたま歩き、道端に捨てられていた当時一歳くらいの赤ん坊の僕を拾い、育ててくれた。なんでも父は、僕を拾うその二ヶ月前に奥さんを亡くされ、命の尊さをあらためて知ったそうだ。

 父は山道に捨てられていた僕を哀れに思い、見て見ぬふりができなかったと、そう言っていた。

 今となっては遠い過去のあの頃が、とても懐かしい。

「父さん……」

 父と過ごした日々のことを思い出し、涙していた時だった。ふいに誰かの気配がして、身体が凍りつく。

 まさか『彼ら』だろうか。

 嫌な考えが頭に過ぎる。

 ううん、でも『彼ら』は僕の恐怖を煽(あお)るために、人数が少ない時にしか狙ってこないはずだ。

 だからきっと『彼ら』ではない、はず――。

 僕は、縁側を挟んだところにある明るい光の見える部屋をチラリと見た。

 みんながいる明るい部屋と、僕がいるこの庭は、見えない壁で隔離されているように感じる。

 ――ああ僕は今ひとりで薄暗い庭にいる……。

 そう実感すると、言い知れない孤独感が僕を襲った。

 背筋に寒気が走る。

 すると突然、僕の右肩に生温かい何かが乗った。

「っひ!!」

 反射的に身体が跳ねる。

「ひとりでいると危ないよ?」

 上から降ってきたこの声は知っている。

 父の知り合いの倉橋 千歳(くらはし ちとせ)さんだ。

 だけど、本当に彼は倉橋さんなのかな?

 違うモノが化けているんじゃないかな?

 なにせ『彼ら』は、成り済ますのがとても得意だ。もし、今僕が見ている倉橋さんが偽物だったとしたら……。僕を恐怖へと突き落とそうとしている『彼ら』だったとしたら……。

 すごく怖いけれど、本人かどうかを確かめるため、涙でゆがんだ視界のまま顔を上げた。

 すると眼鏡の奥から覗く優しい目が僕を見ていた。

「倉橋さん……」

 どうやら本当に倉橋さんらしい。僕を恐怖へと突き落とす『彼ら』はこんな優しい目をしない。だから『彼ら』じゃない。

 よかった……。

 僕は詰めていた息をそっと吐き出すと、立ち上がり、頭ひとつ分ほど背の高い彼と向かい合った。

 倉橋さんは父の友達の息子さんで霊媒師さんをしている。

 年齢は詳しくは知らないけれど、たぶん四十歳前後だろう。

 ここは薄暗いから良く見えないけれど、黒髪の中に少し白髪が混ざっていて、それが一段と優しそうに見える。

 どうして僕が霊媒師の倉橋さんと知り合いなのかというと、これには少し事情がある。

 僕はあまり大きな声では言えない、恐ろしい体質を持っているから……。

「驚かせてしまったようでごめんね。清人さんのこと……さぞかし辛いだろうね。何もできなかった私を憎んでいるかい?」

 そう言う倉橋さんも、泣いていたみたいだ。優しい瞳が悲しそうに光っていた。彼も父の死に心を痛めているひとりだ。

「そんな!! そんなことないです!! 倉橋さんは僕を助けようと一生懸命尽くしてしてくれました。感謝こそすれ、憎む気持ちなんてありません!!」

 倉橋さんの言葉に、ブンブンと頭を振れば、目から溢れた涙が散っていくのが見えた。

 そんな僕を見た倉橋さんは眉尻を下げて微笑む。その笑顔はとても悲しそうで――倉橋さんは根っからの優しい人なんだと、あらためて実感した。

「ありがとう……だけどね、自分の無力さに呆れてしまうよ。清人さんを殺したのは君じゃない。私だ。あの時……清人さんが君の身代わりになるという提案を呑まなければ、こうはならなかった。あのままでは君が命を落としてしまうと判断してしまったのが悪かったんだ」

『身代わり』

 ――ああ、やっぱり僕が父を殺したんだ……。

 倉橋さんの、その言葉で、僕は自分の罪を理解した。

 だけど倉橋さんは悪くない。

 悪いのは父を殺してしまった、この僕だ……。

「いいえ、いいえ!! それは違います!! 倉橋さんは、一生懸命僕を助けようとしてくださいました。だから……そんなにご自分を責めないでください」

 僕は首を横に振って、それは違うと倉橋さんに話した。

「比良君……ありがとう。ここで慰めなければならないのは私の方だというのにね、申し訳ないよ」

 倉橋さんはそう言うとまた微笑み、口を閉ざした。

 倉橋さんと僕の間に流れる沈黙を塞ぐかのように今も降り続ける雨が、葉っぱに当たる渇いた音が耳に届く。

 父を失ったという悲しみで言葉が喉につっかえる。何も言えずにいると、倉橋さんは沈黙を破り、ふたたび話しはじめた。

「君はこれからどうするんだい? 私が言うのも酷な話だが、君はこの村の人間に邪険に扱われているだろう? 普通の人間にとって、君は異質な存在だからね。君さえよければ、私と一緒に来ないかい? 私と一緒だと、おそらくはたいていの奴らは君を襲ってはこないだろうし……」

「………………」

 そうかもしれない。味方がまったくいない僕にとって、倉橋さんという存在は、とても心強い。

 でも……でも僕は……父がいた、この村にいたい。

 父の面影を見出して生きていきたい。そう思うのは、勝手なことなのかな……。

 倉橋さんの提案に、どう返事をすれば良いのかわからず、しばらく押し黙っていると、倉橋さんは微笑んで、冷えきった僕の背中に手をまわした。

「ごめんね、君を悩ませるつもりではなかったんだ。私と一緒にいた方が君も休まるのではないかと思ってね。だが、今はこの話をする時ではないね。だけど、気が変わったら連絡してほしい」

 倉橋さんは言い終えると、僕をみんながいる部屋へと促(うなが)した。


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