緑谷の様子を見にやってきた禄だが、調度治療を終えた後だった。
扉の前に居た彼女に先に気がついたリカバリーガールは、手招きで呼んだ。



『出久くん、どうでした?』
「ああ、問題ないよ。治癒の活性化も滞りなく済んだ」
「あ、禄さん!」
『問題なくてよかったです。もう今日はこれで終わりだそうですので、帰りましょう』
「は、はい!」



緑谷は直立姿勢で立ち上がりリカバリーガールに頭を下げる。



「いいかい。肝に銘じておきんしゃい。身体に負荷をかけ続けたらいつか死ぬよ。私の個性は万能じゃないんだからね」



緑谷はゴクリと喉を鳴らしながら「は、はい。すみません…」と消え入りそうな声で頭を垂れるが、リカバリーガールの視線は禄へと注がれていた。
皆まで云わんとしている事を理解している彼女は、ただただ口角を少し上げただけ。
緑谷が「失礼しました」と保健室を去る際、禄はリカバリーガールに引き止められた。



「悪いけどあんたにはまだ話があるんでね」
『ごめんなさい、出久くん。先に行ってください』
「あ、えっ……あ、うん」



戸惑いながらも緑谷は保健室から退出した。その扉がきっちりと閉まり、足音が遠ざかったのを確認してから患者が座る椅子に腰掛けて禄は少し砕けた姿勢をとった。
まるで顔なじみとも思える雰囲気を互いに醸し出していた。



「まったく。あんたも無茶するね」
『してないですって……たぶん』
「嘘いいんしゃい!あの子に疲労困憊を軽減させるモノを精製したろ」
『……飴ちゃんはあげるものですよ』
「禄」
『……ごめん、なさい』



普段から口の減らない禄は、年上だろうがお構いなしな態度を示すのだが。
何故だか妙齢のしかも女性だけには、その口も形を潜めてしまう。
素直に謝罪を口にする禄の姿に、少し長めの溜息をこぼしてしまうが、そっと手を伸ばして彼女の頭を撫で始める。



「昔から手がかかる子だよ、まったく」



まるで孫に接するかのように、禄の頭を優しく撫でて続けた。
その行為を甘んじて受け入れ何も発しない禄は瞳をゆるりと潤わせた。
それは何だか、帰郷した子供のように―――。



◆◆◆




生徒と同様帰り支度をし、玄関を出て校門付近までひとり歩いていた。
耳から伸びるコードはイヤフォンのようだ。携帯端末と繋がっている。音楽を聴きながら歩く禄の視界に飛び込んだのは、先に帰宅路についたとばかり思っていた緑谷と麗日、飯田の三人が誰かを待ち伏せている格好でそこに居た。
驚いていると、彼女の存在に気がついた緑谷が名を呼びながら控えめに手を振る。驚きのあまりぼんやりとしたまま彼らの元まで歩み、端末機の電源を切り、イヤフォンを取り外した。



『どうしたんですか、皆さん……こんなところで』
「えっと、禄さんを待っていたんだ」
『……ぇ』



緑谷の言葉に動揺してしまった禄は言葉が出てこない。けれどそんな事を気にしていない面々は口囃しに声をかけ続けた。



「私も偶然、飯田君とデク君に会って。駅まで一緒に帰ろうと思って。そしたらデク君が禄ちゃんを待ってると言うからうちも待ってたんだ。一緒に帰ろうと思って」
「俺もその口だ。異例の特待生である邪神君がどんな個性の持ち主でどれほどの実力なのか話を訊きたくて」
「僕は純粋に一緒に帰りたかったからなんだけど……その、迷惑でした?」



一方的に聴いているだけだった禄は突然訊ねられぎょっとしてしまう。
不意打ちに弱いのか『あ…』と音を漏らしては、続かない言葉をなんとか紡ぎながら出したのは、本人でも意外だった。



『かえ、ろう……』



その言葉に周囲は喜びで顔を緩め始める。そんな面々の表情をぼんやりと眺めながら麗日に腕を取られて引かれる。



「私、麗日お茶子。あなたのこと、禄ちゃんって呼んでいい?」
『構いませんよ。お茶子ちゃん』
「……禄ちゃんってモテそう。主に女子に」
『え……』
「それわかるかも。禄さんって格好いいから」
「だよね!私も思った」
『あ、いや…』
「君たち。仮にも女性に格好いいというのは如何なものか。確かに背は女子の平均から考えると高い方だと思う。俺と目線の差をあまり感じない女子生徒は今までいなかったが」
『……』
「飯田くん。それ一番傷つくやつや」
「なぬ!?すまない邪神君!他意はないんだ」
「言い訳が更なる傷口に塩、だね」



賑やかな放課後。彼女の周囲に人が溢れて、楽しそうにワルツを奏でる。
そんな日常を味わったことのない彼女にとって、新鮮でそしてどこか余所余所しく感じてしまう。



「禄さん?」



今まで黙っていた禄を心配して緑谷が訊ねる。すると顔を上げた彼女の表情は連想も出来ないような、不器用な表情を浮かべていた。
眉がハの字に曲がり、困った表情に見えなくも無いが、それでも口角は少し上がって雰囲気は柔らかだ。
そんな見たことの無い彼女の拙い表情に、緑谷は何故だか自然に喜んだ。



「……は?」



反対側の歩道に佇む黒服の男が、無造作な髪を風になびかせる。フードを被っているが、視線は真新しい雄英の制服に袖を通したばかりの学生の帰宅様子へ注がれていた。
続かない言葉の先は、喉元を通り過ぎるだけ―――。



◆◆◆




雄英高校、ヒーロー科。
と、言っても学生は学生。義務教育化に在席している以上、学生の本分は勉学。
一般教養を養うために、授業も通常の学校と同じレベルのものが行われる。

だが、邪神禄にとってこの時間は全てが無意味である。
眠い目を擦りながら欠伸を設ける。枕でも用意してくればよかったと、内心は花畑に今すぐ旅立てる状態だった。
ペンをくるくると手元で回しながら教職員の講義を左から右へ流す作業。既にベルトコンベアーは休憩の根を上げていた、のだが……休み時間だけはあまり迎え入れたくない気持ちでもあった。



「邪神」
『……何ですか』



もう何度目の質疑応答になるのだろうか。禄は絶句していた。
心なしか少しやつれかかっている。彼女の席に近い八百万や常闇は「不憫だ」という眼差しで事の行く末を見守っていた。



「違うのか?」
『……そんなに似てますかね』



轟は禄をあの歌姫、Divaだと依然疑っている。
確かに邪神禄はDivaである、が。これを無闇に広言してはならない。
それは混乱を招くという意味合いも篭っているが、大前提に学校側の対策を露見させてしまうということだ。校長との契約の元、禄はあくまで学校に雇われた人材職員。規律には従わなければならない責務がある。


―――好奇心の猛獣。


この短期間で轟焦凍という少年を心の中でそう銘々したのは、多分禄だけである。
探究心とは備えて損をするものではない。実質問題とてもよい価値観であると前提する、が、それは時と場合によるものだと、辞書に是非とも付け加えて欲しいと禄は思いながらも、表情はあくまで社交的に振舞っていた。



「確かに似ている感じは受け取れねえが……」



轟が頭の天辺から足のつま先まで禄を観察するが、目線が一瞬胸部に止まったのを禄は見逃さなかった。



『慎ましい私と違って、歌姫様は女性らしいですからね』
「……すまない」
『おや、何故謝るのですか?』
「机……半壊してるぞ」



轟が指した先には、禄が拳を机に奮ってしまった所為で見るも無残な姿になった机が足元に藻屑となって存在していた。
あ……、と思いながらも表情は変えず、終始穏やかな笑みを浮かべている。
前席に位置する八百万が「直しましょうか」と提案をしてくれたので、彼女にお願いした。



『何処にも類似点はないじゃないですか』
「……目」
『はい?』
「目は、同じだな。その碧眼」



意外に鋭い洞察力に思わず口を閉ざしてしまう禄。やはり迂闊に相手をするべきではなかった。軽くあしらえる相手ではないことを再認識させられる。
それにしても何故轟は禄がDivaである事を疑ってかかるのか、本人からしても謎である。誰も到達しえない人物像であるからして、まるで必死に彼女であることを否定して欲しいかのようにも窺えた。

手で「T」の文字を作りタイムを取り押さえながら、次の回避作戦を練り直す。
視界の端に緑谷が映り、心配そうに此方を窺っている。彼だけしか知らない秘密の共有。心配かけてしまうのは何とも心苦しいと禄は唸りながら、目を見開いた。



『相澤先生。席替えを要求します』
「いいぞ」



教室に居た全員が教卓へ視線を向けると、確かに相澤はそこに居た。
いつの間に教室に入ってきたんだ、そしてまたしても寝袋かよ!という生徒たちの内心のツッコミを感じつつも、意外にあっさりと許可を下ろした事にも驚きを隠せないでいた。



「因みに要望を訊くが?」
『出久くんの後ろで』
「(ブれねえな)八百万、替わってやれ」
「別に構いませんが…」



お気の毒ですから、という言葉がもれなく聴こえた。
憂い憂いと八百万と席を交換する禄だが、そう簡単にいかせてはくれなかった。



「先生。なら俺も常闇と席を替わりたいです」
「……は?」



流石の相澤もこれには驚きのあまり素で答えてしまった。
常闇の肩を掴むなり無言の圧力をかけてくる轟だが、常闇はちらっと禄の様子をみやる。彼女は手を組んで懇願していた。あまりに必死だったので常闇は「だが、しかし」と躊躇していた。



「目が悪くて後ろだと見えないんだ」



だから替われと正論を言う轟に対して。



『出久くんの半径1メートル以内じゃないと酸欠で死にます』



ふざけているのか本気なのか判断に困る回答を口にするが、目は本気な禄の言い分にクラスメイトたちがどよめき、次第に騒がしくなっていく。
それに見兼ねた相澤が「面倒くさい」と呟きながらドンと黒板を叩き、その場を静粛にさせた。



「異論は認めないからな」



その言葉と共に座席は然程変更はなく。引越しをしたのは轟と上鳴だけだった。
緑谷の後ろに成れない事に不満を抱くが、これで尋問から逃れられると手放しに喜ぶ禄と納得のいかない轟。



「じゃあ授業始めるぞ」



相澤の声に従って授業が始まった。
平穏が訪れ、安眠が出来ると眠る姿勢に入ろうとした矢先に隣の上鳴が上機嫌で声をかけた。



「邪神って緑谷の事好きなん?」
『……かっこいいです』
「それって恋愛として?」
『いえ、生き様が』
「即答かよ!じゃあ邪神ってフリーなんだな」
『……自由ですね』



何処かおかしいな、と禄は思いながらも上鳴の会話は続く。



「轟とどんな関係なん?」
『初対面です』
「マジかよ?!じゃあ轟も狙ってんかな」
『何をです?』
「ほら、邪神って美人じゃん。俺なら御近づきになりたいと思うからさ。これ男の性ね」
『ワットくんは元気ですね』
「俺、上鳴ね」



禄は自身の正体を知られる訳にはいかない立場で、それを脅かそうとする原因を退けることに成功したはずだ。確かに成功した。これは成功と評してもなんらおかしくはない。だが、だからと言ってこの選択が決して彼女の正解かと問われればそれは違うのだと否定する。
質問攻めの種類を変えても、所詮は質問。この質疑応答から逃れられないのだと悟るまで残り20分と迫っていた。



「じゃあじゃあ好みの男ってどんなタイプ?」
『……静かな人』



眠りたいという願い事は物理的に叶うことはなかった。



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