校内放送アナウンスにより、事態はパニックを起こしていた。
食堂に居た生徒たちが次々に屋外へと避難をすべく我先にと混雑を極める。
入り口から離れた位置に居た切島、上鳴、耳郎、八百万、邪神、轟、爆豪の7名は人の波に背中から半ば押される形で流されていた。

ドン、と背中を押されて前のめりになり、勢いよく床に叩きつけられそうになった禄の身体を両サイドから手を伸ばし、身体を支えたふたりの男子生徒の手。
彼女の身体に触れた際に、互いの指が重なり、互いに眉をぴくりと動く。そろりと横目で視線を重ねて、両者無言で睨み合っているように周囲は推察した。



『ありがとう』



彼女の感謝の言葉にふたりの意識は、彼女へ向けられる。
しっかりと床に足を着け立つと、禄は窓から見覚えのある黒い尻尾を目撃する。まさか……、と頭に過ぎった推察を確かめるべく窓際へ移動しようとするがそれは轟と爆豪に捕まれた手によって遮られた。



「無闇に動かない方が得策だ」
「離れんな」



邪魔だと、目を細めるが後ろから押し潰される勢いで出入り口へと勝手に導かれてしまう。混乱に乗じて抜けるなど実に容易いことはない。禄は態と二人に捕まれた腕を外し、近くにいた耳郎の腕を爆豪に掴ませ。轟には八百万の腕を掴ませた。そして人波に流されるフリをして窓際へ移動し教師しか知らない、外へと繋がる扉から易々と抜け出せた。
背筋を伸ばしながら草むらに隠れているつもりの黒い尻尾の正体を掴み上げ、目の前で吊るした。



『よお……フェンリル。朝ぶりだな』



歯を覗かせて口角を上げる禄の表情から推知できるのは、憤怒しかなかった。それを肌で直接感じたフェンリルはその長い付き合いからすぐさま拷問にかけられると恐怖し、子犬の姿のままえんえん泣き出した。



「俺じゃないって!今回の騒動は俺じゃない!!」
『へぇーじゃあ何でここに居るんだ?許可した覚えねえけど』
「そ、それは……その……」
『10、9、8「禄にちょっかい出す野郎が気になったんだよ!」



カウントダウンの途中でフェンリルは叫ぶように自供した。
人狼という個性を持つため人間より身体能力に長けているのが特徴だが、そんなものを物ともしない畏怖を兼ねそろえている禄の前ではまさしく今の姿のような子犬同然の気持ちになってしまう。心で負けているのだ。



「だって気になるだろ!禄だぞ!お前の背後には常に屍累で亡者を背負うお前のような奴を女扱いする人類発の生物を見てみたいと思うだろうが!!」
『土に還るか、海に還るかどっちか選べ』
「どっちも死じゃないデスカ!!?」



困ったことにこの狼、フェンリルは人間の姿に戻りたがらない。故に愛玩動物として主人と認めた禄の元に控え、主人の命令に絶対忠誠を誓ったのだが、このお調子者の口がヘリウムガスより軽いのだ。失言など彼の辞書にはない。
子犬の姿でえんえん、泣く子も黙る気高き人狼が聞いて呆れると長い溜息をつきながら攫んだ首根っこをゆらゆらと揺らした。



「マスコミだ!マスコミ連中が不法侵入したんだよ!」



器用に尻尾で指し示した方向には、確かに報道陣が押しかけていた。許可を得ていない謁見ということは、明らかに彼らは不法侵入を試みた謂わば、犯行者だ。



「オールマイト出してくださいよ!! いるんでしょう!?」
「非番だっての!!」
「一言コメント頂けたら帰りますよ!!」
「一言撮ったら二言欲しがるのがアンタらだ」



取材陣に対して対応しているのは、プレゼント・マイクと相澤消太のようだ。



「 不法侵入だぜこれもう敵(ヴィラン)だ。ブッ飛ばしていいかな 」
「 やめろマイク。あることないこと書かれるぞ。警察を待とう 」



小声で物騒な事を話しているようだが、そんなことはどうでもよかった。
禄は腑に落ちない点が気がかっているようだ。フェンリルをくるくると回しながら報道陣が何故侵入出来たのか。でも問題はそこではない。着眼点はその先だ。目的がある行動、囮、いや、何のために……。そこまで推論をたてていれば答えに辿り着くのに1分も掛からなかった。
回す手を止め、フェンリルを地面に下ろす。目を回しながら覚束ない足取りでふらふらとその場でステップを踏むフェンリルに禄は若干声を荒げた。



『システム管理室だ!』
「しゅ、てむ?」
『踊ってる場合じゃない』



焦燥が色濃く含まれた声にフェンリルは、反応を示す。主の命に従い、彼の体を煙が覆う。その霧のような靄が晴れていくと、現れたのは人が乗れるほどの大きさを誇る黒い毛並みの狼が凛として佇んでいた。
耳に納まっている小型無線機に『融』と呼びかけると相手も状況を理解しているのか焦った声で返した。



「セキュリティ操作された形跡はないから、無理矢理壊したと仮定出来る。そこから報道陣を目晦ましで使用した後に、学校ベースからシステムにアクセスしたみたい」
『まだ犯人は居るか?』
「多分データのバックアップをしてるんだ、まだ犯人は内部にいる」
『直ぐに校長に連絡。私は現行犯で抑える』
「わかった。僕も直ぐに学校へ向うよ!……無茶しないでね」
『誰に言ってんだよ』



一度回線を切りフェンリルの変身した背中に乗り、地面を蹴る。その跳躍力は凄まじく、校舎の壁を二三度蹴れば、目的のシステム管理室の窓を蹴破る。硝子の破片が内側へ散乱するが、そんなことを気にている場合ではないほど、酷く焦っていた。もし間に合わなければ、非常に拙い結末へと誘われるかもしれない。
背から降り、壁に身を潜める。先程の大きな侵入音で相手には追跡者だと警戒されたことだろう。あくまで”まだ”居ればの話だ。
鼻を動かし、フェンリルが唸り始める。



「単独犯だ。左方向、モニター前」



流石、人間よりも優れた嗅覚の持ち主。場所把握までとは感心する。と言った様子で禄は指で指示を出し、フェンリルに犯人を捕らえるよう回り込みをさせた。人間の足より狼である彼の方が暗闇の中で動く物を捕らえるのに最適な判断。
蠢くモノを見つけた瞬間、フェンリルは躊躇いもなく首を噛み千切る勢いで犯人に飛び掛った。暗闇の所為で目を凝らしても蠢くものたちの影しか見えぬ。大きな物音が続いたが、やがて唸る狼の鳴声に近くに位置する電気のスイッチを入れた。室内は途端に明るくなり壁から出れば、そこにはもう誰も居なかった。
フェンリルが頭を身体にすりつけてくる。頭を撫でながらモニターへ近づき操作をする。



『一体何が目的で、こんな杜撰な……』
「わからん…けど、嗅ぎ憶えのある匂いだった』



すまん。と取り逃がしたことを謝る彼の頭を撫でながら、口に咥えていた布キレを手に取る。それはただの黒い布キレだ。別に特別な布を使用している訳でもなんでもない。そこらへんの端切れとして売られているくらいのものだ。だが、禄は苦虫を潰したように眉根を寄せて、その端切れを握り締めた。



『まさか、な』



その後まもなく警報は止み。警察が到着した。報道陣たちはつつがなく連行され一見事なきを得たように見せたが、教師陣は顔を皆一様に顰めたままだった。



「邪神」
『……先生』
「名前」
『わかってますよ、相澤先生』



システム管理室にて、融が到着し前々から予定していたシステム強化修繕と今回の調査を現在急速で行っている。その後ろで相澤が駆けつけたのをおどけた様子で出迎えた禄。その肩には黒曜犬である子犬が乗っていた。
だがそれも束の間、すぐにその表情から余裕は消える。



『今調べてる最中だが、色々と偽造するために広大な範囲のバックアップを盗ったようだ。これじゃあ、相手が何を目的として侵入したのか皆目見当もつかない』
「そこまでの算段をして今回の騒動を起こした。そのリスクに見合うモノ、か……お前、教室戻るか?」
『いや、悪いが戻れない。校長に引き止められている。適当に誤魔化しておいてくれ』
「わかった」



相澤は背を向けて担任として教室に戻る際、もう一度だけ振り返った。制服に身を包む禄の背中は、不覚にも同僚そのものだった。



◆◆◆




1-Aの教室では学級委員に任命された、緑谷と八百万が壇上に立ち。早速他の委員決めをする責務を行っていた。
緑谷は緊張しながらも、自身の中に芽生えたものを直接口にする。



「委員長はやっぱり飯田くんが良いと…思います!」



詳細な理由を述べ推薦した結果、誰もが納得をし。学級委員長は飯田天哉になった。だが緑谷はこのとき、壇上に立ったことで気がついたことがある。



『 出久くん 』



―――そういえば禄さんの声が聞こえない


緑谷は視線を彼女が在席する位置へ定めるが、そこには誰も座っていなかった。
どうして、と疑問が広がる中。緑谷の他に彼女が欠席していることに気がついたのは彼女と共に昼食を採った上鳴、切島、八百万、耳郎。そして彼女と最後まで一緒に居た轟と爆豪たちは徐に視線を窓際の一番角にある、空席を見つめていた。



「あの先生。少々宜しいでしょうか?」
「なんだ八百万」
「邪神さんが欠席している件について何かご存知でしょうか?」
「ああ、あいつは一連の騒動で具合を悪くしたから一時的処置として保健室で休んでる」
「そう、ですか……」



相澤の言葉に半ば納得したように見えるが、気がかりに思った人物たちは皆一様にその説明口調には、噛み砕いて飲み込むことは出来なかった。



◆◆◆




システム室にて校門の粉々に砕けた門を確かめに視察してきた校長たちが、訪れる。
簡易的に椅子を持ち出し、各々集まれた教師陣たちが座りこの場で意見が持たれた。



「ただのマスコミがこんなこと出来る?」



校長の言葉に倣い、調査している傍らで融はスクリーンで門の様子を映像化させた。その技術力と機転ある行動に校長が「ありがとう」と声をかけ軽く会釈する融は、そのまま眼鏡をかけなおして再び調査を続行させていた。



「そそのかした者がいるね……。邪な者が入り込んだか、もしくは宣戦布告の腹づもりか…」



校長の言葉に周囲は静まり返る。相手は普段ヒーローたちが相手にしている敵とは訳が違う。知的知性を行使し、獰猛に活慎重に行動を起こし、何か大規模計画を算段しているのではないか。組織だって活動を行おうとしているのではないかと、誰もが予測した最悪のシナリオに周囲は息を呑む。



「調査結果が出ました」



そんなときにピピっと間の抜けた音が聞こえた。それは調査が完了した合図。
融はプリントアウトし、それを真っ先に禄へと提出した。疲れたのかフェンリルは禄の肩で眠り扱けている。
教師陣は一応に眉を顰めるが、校長はそれを黙認するため誰も口を挟むことはしなかった。融に礼を述べてから彼は背を向けて引き続き、システム強化修繕を行う。



「どうだい?」
『そうですね。融の結果によれば先程も話した通り。学校に関する広大な範囲の情報をランダムにバックアップしています。但し…主にカリキュラムと行事について』



校長にプリントを手渡す。文字の羅列を即読した校長はものの1分で理解した。



「生徒たちに危害を加えるかもしれない。相手がいつ動き出してもいいように、明日のヒーロー基礎学での救助訓練は四人体制とする」



校長の命により教師陣の身が引き締まる中。禄は一人俯いていた。
そんな普段と違い影を背負う禄に、校長が声をかける。それも比較的優しい声色だ。



「邪神くん、お願いね」
『…残業代でますか?』
「金の亡者だね」



表情に笑みを携えて普段どおりのお茶らけた態度でこの場を凌いだ。
周囲が立ち上がり今後の方針と対策について突き詰めるための会議を催すために、場所を移動する。
融が報告書の上にメモ紙を載せた。咄嗟にそのメモ紙を袖の中へ隠したが、彼女はその紙に書かれている内容が最も危険因子だと推察していた。


”生徒名簿が盗られている。ヒーロー科、1-A組だけ”




prevbacknext


ALICE+