「嫌な予感がしてね…。校長のお話を振り切りやって来たよ。来る途中で飯田少年とすれ違って…何が起きているのかあらまし聞いた」



オールマイトが歩くたびに、黒曜狼が匂いを嗅ぎながら周囲を見渡していた。


―――まったく己に腹が立つ…!! 子どもらがどれだけ怖かったか… 後輩らがどれだけ頑張ったか…!!


「もう大丈夫。私が来た」



締めたネクタイを千切りオールマイトの表情は強張っていた。怒り、なのか…彼の笑顔は見る影もなかった。



「待ったよヒーロー。社会のごみめ」



死柄木が恍惚そうにオールマイトを見つめた。
その直後オールマイトは残党敵を倒し僕を救出。死柄木を殴り蛙吹さんと峰田くん、相澤先生が横たわっている場所へといつの間にか移動していた。
膝をつき相澤先生の脈を計ったオールマイトは苦々しい口調で述べる。



「皆入口へ。相澤くんを頼んだ意識がない!」
「え!?あれ!?速ぇ…!!」
「オールマイト…!!」



僕はこの状況に半ばついていけてはいなかった。まだ脳が処理をしきれていないのだ。



「ああああ…だめだ…ごめんなさい…!お父さん……」



殴られた死柄木の顔を覆っていた手が外れ落ちたそれを怯えるように慌てて取りに行き顔に再び装着させてから安堵の息を吐きだした。



「救けるついでに殴られた…ははは国家公認の暴力だ。さすがに速いや目で追えない。けれど思った程じゃない。やはり本当だったのかな…?弱ってるって話……」



何かに勘づいている死柄木の言葉は不安しか与えなかった。僕は相澤先生を担ぎながらオールマイトに言うか言わないか迷いながらも口を動かした。



「オールマイトだめです!!あの脳ミソ敵!!ワン…っ僕の腕が折れないくらいの力だけどビクともしなかった!!きっとあいつ…それに。禄さんが奴らに捕えられてしまって…」
「緑谷少年」



僕の言葉は遮られる。よく見覚えのあるあの表情で。



「大丈夫!」



歯を覗かせて笑った。その言葉はきっと沢山の意味や意図を込めたもので、僕はそれ以上なにも言えなかった。まだ悩んでいたんだ。オールマイトの傍には黒曜狼が低く呻く。



「フェンリル君。気持ちは汲むが今は子どもたちを無事に送り届けてほしい」
「はあ?!禄が捕まったってのにオレがへなちゃこなヤツらの面倒なんかイヤだぞ!」
「私は蕾青年に頼まれた。必ず助けだす」



牙をむき今にも飛掛かろうとしている巨躯な黒曜狼はオールマイトの言葉で次第に落ち着きはじめ、最後には「はあ」とため息を溢していた。



「わぁーったよ。やりゃいんだろ、やりゃ!おいへなちょこ共!オレの背にそいつ乗せやがれ」



ぶつくさと言いながらも狼は背に乗せろと促し、僕らは相澤先生をゆっくりと彼の背に乗せた。



「それが終わったら、他の子たちを見つけて保護もしといてね」
「ケっ、おおかみつかいが荒いぜたくよ」



狼が歩き出す。相澤先生が背中から落ちないように支えながら、僕は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。





◆◆◆






彼らを見送ってからオールマイトは脳無へと突っ込んだ。



「カロライナ…」
「脳無」



死柄木がそう呼べば手に持っていた禄を物のように投げ捨て間に入った。オールマイトは宙を浮く禄を助けようと両手を伸ばすが脳無によってそれは遮られた。
硬いコンクリートの地面に叩きつけられても禄は目覚める事はなく意識を深く手離している様子。そんな禄の脇と膝に腕を差し入れ抱きあげる死柄木。彼からはもう禄への殺意は消えていた。今は目の前に現れた最終地点のボスを倒すためだけに全神経を注いでいるようだった。



「女性を投げるなんてナンセンスだね」
「脳無に性別を識別出来る良識ってものは備わってないんだよ」
「じゃあ君と邪神くんの関係はなんなんだ」
「なんでもいいだろう」
「何でもいいなら返して貰おうか。彼女を必要とする人に託されたんだ。君の身勝手な情に付き合わせる義理はない」
「身勝手?……あーそうか。ああ、そうだね。じゃあ救ってみろよ平和の象徴。ヒーローなんだろ?」



腕の中にいる禄の身体を持ち直しながら挑発する死柄木にオールマイトは「そうさせてもらう」と言って目の前に立ちはだかる脳無に全神経を注いだ。
上半身は鍛えられる故、オールマイトは標的を顔へと移行。顔面を的確に狙いを定めて殴るがこれも全くと言っていい程相手にはダメージを与えられているとは思えなかった。反撃の手が伸びるのを避ける。



「効かないのは”ショック吸収”だからさ。脳無にダメージを与えたいならゆうっくりと肉をえぐり取るとかが効果的だね……それをさせてくれるかは別として」



白い腕がだらりと落ちてそこへ血液が流れていく。禄の容態は一見して生死の境を彷徨っているかのように窺える。オールマイトはやや焦りつつも脳無を見据えた。



「わざわざサンキュー。そういうことなら!!やりやすい!!」
「おいおい……」



素早く脳無の背後へと回り腰をホールドからのバックドロップ。その爆風が死柄木の元まで届いた。
石や砂、風が凄まじい勢いで襲いかかる。死柄木はやや背を向けて様子を窺った。それはまるで腕の中で眠っている彼女を庇う様な仕草だった。



「っ〜〜〜そういう感じか…!!」



バックドロップは決まったかのように思えた。だが、本来の状況とはうってかわってコンクリートに突き刺さることはなく、逆にワープを通じて脇腹に深く爪を立てられ抉られていた。そんな想定内の動きを見せたオールマイトに死柄木は笑いが止まらないのか、上機嫌になり腕の中の禄をなるべく水辺から遠ざけた場所に横たわらせてから振り返った。



「コンクリに深くつき立てて動きを封じる気だったか? それじゃ封じられないぜ? 脳無はおまえ並みのパワーになってるんだから…こいつみたいに“重力操作”と“強化”が使えれば話は別だったけど」



オールマイト並みのパワーにプラスで負荷をかけることが出来る“重力操作”でまずは2倍。更に“強化”を使用して3倍の力でなれば埋めることは出来た。先ほど禄が動きを封じるために行ったように。だが、それは特殊中の特殊。脳無との相性は禄の方が遙かによかったのだと頷ける。



「いいね黒霧期せずしてチャンス到来だ」



黒霧の“個性”によって繋げられた所為で逆に不利となってしまったオールマイト。敵は一歩も二歩も先手を組んでいたのだと悟れる。



「あイタ!!」



深く突き立てられた爪は肉を食いこみ、古傷を抉られる。まさかそこを的確に狙っての犯行なのかは定かではないが、オールマイトは腰から腕をはずし脇腹に突き刺さる手を外しにかかるがビクともしなかった。



―――なんというパワー!! そこは弱いんだやめてくれ!


「君ら初犯でコレは……っ覚悟しろよ!!」
「私の中に血や臓物が溢れるので嫌なのですが…あなた程の者ならば喜んで受け入れる。目にも止まらぬ速度のあなたを拘束するのが脳無の役目。そしてあなたの身体が半端に留まった状態でゲートを閉じ引きちぎるのが私の役目」



黒霧が実行に移したそのとき、空気を裂くような音が黒霧を掠めた。小さな礫に見えるものはどうやらルビーのピアスのようだ。そして次の瞬間、氷柱の雨が横から吹き現れた。



「なにッ……!」



回避不可能な雨に黒霧は一旦ゲートを閉じることを中断させる。また脳無にもそれは猛威に襲い掛かり身を削っていく。死柄木の衣服も裂いた氷柱は地面に刺さるがその色は臙脂だ。視線を後方へやれば息も絶え絶えにうつ伏せの状態で“個性”を発動させていた禄の姿があった。



「邪神くん……!」
『はあ……はあ…ンぐッ…ゴホォ!!』



口からも吐き出される臙脂にさえ顧みないで、霞む視界のまま禄は攻撃をやめなかった。



「まさか自分の血液をつかって“凝固”まで発動させて援けるなんてね」



“水性”は触れた水を操ることが出来る。それは自身の体内にある水分も使用可能な個性。
流れ出た血液と吐血を使用して発動させ、あまつさえ“凝固”で氷柱にして攻撃をするとは予想もしなかった死柄木は苦虫をつぶす。振り返り禄の傍まで行くと片足を上げてその無防備な背中に振り下ろした。



『ガッ!!』
「いい加減にしろよ……俺だって旧友を傷つけるのは忍びないんだよ?」


返り血が死柄木の足首に付着するが頓着せず。二度、三度と足蹴にされても禄は気にも留めずに“個性”を遣い続けた。オールマイトを援けるために、はたまた何か秘策があっての行動か。ある種の信念を感じる行動だった。
暫くすると死柄木は左側にだけ反応が鈍いことに気がつく。観察してみると彼女の左耳からは出血が確認できた。内出血を起こしている。



「聴こえてない……?ああ……左をやられたのか」




『 わたし――…××みたいなヒーローになれるかな? 』


オールマイトは思い出していた。
大人びた幼い少女が自身の周囲を動きながら尋ねた言葉。それはあまりにも愛らしく無邪気に純粋なモノで、少女の頭を撫でながら答えた。その回答に唇を尖らせてぶぅぶぅ言っていたけれど、少女は次第に満面な笑みを浮かべていた。



「それ以上危害を加えるのは君の本心じゃないんじゃないか」
「……はあ?」
「私にはまだ彼女に用がある。お説教もしないといけない。だから……返させて貰おう」



奮起するオールマイトの言葉を戯言と受け取りはしたものの死柄木は、更なる保険をかけるために未だ地面に横たわるセルキーと呼ばれる少女のもとへ赴いた。



「セルキー……っていつ迄寝そべってるんだ」



しゃがみこみ顔を覗き込む。



「あー、まだ調整が必要だな……まあ試運転も兼ねて試作段階での投入だし、仕方ないか」



ゆっくりと立ち上がり背中越しに黒霧へと声をかける。それはまさに死刑執行の合図だった。



「黒霧」



再び再開される脅威に遠くから聞こえてくる足音が一筋の光となって現れる。



「オールマイトォ!!!!」



――緑谷少年―!! 君ってやつは―――…


「浅はか」



黒霧の“個性”が緑谷の眼前に出現する。それでも歩みは止められない。気持ちが加速し迫る恐怖が押し寄せたとき、聞きなれた声が緑谷の鼓膜を震わせた。



「どつけ邪魔だ!!デク!!」



それは突然の追い風。爆豪が緑谷の目の前を横切り、黒霧の靄で隠された動体を暴き地面に抑えつける。そして次に未だ脳無に捉えられているオールマイトを救出する轟の氷結が脳無の左半身を凍らせていき、動きを封じた。



「てめェらがオールマイト殺しを実行する役とだけ聞いた」



オールマイトは氷結に気がつき手が緩んだことを確認。うまく脳無の拘束から逃れ脇腹を押さえつつ後退した。
ぼんやりと状況を眺めている死柄木を頭上から硬化で奇襲した切島だが軽々と避けられてしまう。
だが、死柄木は目を疑った。



「禄ィ――!!!!」



切島の背後には緑谷が駆けだし禄が横たわる場所に到達していた。
死柄木は焦燥し、緑谷に抱きかかえられる禄を取り返そうと駆けだした途端、地面に膝をついてその場に留まっていた。



「な、んだ……どうなってッ」



死柄木の視線は黒霧を捉える。確かに黒霧にも同様の症状が起こっているのか、抑えつけられているにも関わらず悶えていた。
その隙に切島も緑谷に合流し、動かない禄を連れて皆が集まる場所まで移動した。
横抱きにしていた身体をゆっくりと地面におろし、緑谷は肩を抱いたまま固定した。



「オイ!邪神のコレひでぇじゃねえか!!」
「すぐに止血しねえと致死量だ」
「えっとぬのっ!ああ〜〜清潔な布ってないよ!」
「生きてんのか」
「爆豪少年!縁起でもないことを言わないでくれよ!!邪神くん!しっかりするんだ!!君はまだ生きるのだろう!!私の説教も聞かずに旅立つなんて親不孝だと思わないのか??!!!」



血を吐き出しながら大声で叫ぶオールマイトの顎を細い腕が掴み上へと向けさせた。



『っるさい、オールマイト。折れた肋骨に響く』
「邪神くん……無事でよかったよ。あとこれは扱い酷くないか?」
『右耳しか聞こえないんだから反響するし、あと血が飛ぶから喋らないで』
「酷い!」



軽口を叩く禄はゆっくりと瞼を上げ、漸くその碧眼は現実へと帰って来た。
自身の顔を覗き込むメンツに首をかしげつつ彼女は質問を述べ始める。



『相澤先生は?』
「フェンリル君が運んでくれたよ」
『あいつやっと来たのか…梅雨ちゃんと峰田くんは?』
「それもフェンリル君が」



オールマイトが答えるたびに禄はひとつずつ安堵しながらゆっくり肺を上下に動かした。
ぽたり、と禄の顔に水滴が断続的に付着する。視線をずらすと緑谷が涙を溢していた。それは段々と止まらなくなっているのか、大粒となっていく。
そんな静かに泣く緑谷を見つめながら禄は柔らかな笑みを浮かべた。



『聴こえたよ、出久くんの声』



その言葉を聞いた瞬間、堰を切ったように緑谷は禄を抱きしめた。



「よか…よかった……あなたが無事で……」
『うぇ?!!あ、ちょ、』
「ほんっとうに、よかった……」
『……』



最初は慌てたものの次第に禄は眉を寄せて緑谷の背中に腕を回して、よしよしと撫で始めた。
そして顔を寄せて頬にリップ音を奏でた。周囲も緑谷も呆然となる中禄は柔らかな表情のまま。


『助けてくれてありがとう』
「あ、あ、……ど、ドウシタシマシテ??!」



顔を真っ赤にしながら緑谷は答えたが、彼は変化に気がつく。それは怪我をした指が治っていることだ。


―――あ、個性……


彼女の先程の行動に結びつき、更に赤くなってしまった。



「邪神大胆だな」
「元気そうじゃねえか」
「そういうのなんか複雑なんだけどな、私としては」
「………あいつらなんで急に動きが鈍ったんだ?」



轟は少し低い声で禄に問いかけた。
彼が指すものを理解しているのかそれをゆっくりと紐解くために彼女は舌を転がした。



『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、かな』




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