「禄…もう怪我は平気か?」
『大丈夫だよ』



瞑らな瞳で見上げて来るフェンリルの頭を優しく片手で撫でていると扉をノックする音が数回聞こえて返事をすると、融が入室してきた。白衣に眼鏡をかけて紙の束を片手に禄へ視線を向けると喫驚した。



「禄ちゃん…熱下がったから多少動いてもいいとは言ったけど。何でダンベル持って筋トレしてるの?!!しかも10キロを片手で持たないで」
『四日も身体動かしてないから不安で』
「なにを?!」
『鈍ったら戦いに支障があるやん』
「だとしても!安静に!!」



不満そうにダンベルをベッド脇に置いてフェンリルをわしゃわしゃと撫でまわしていた。
手持無沙汰のようだ。嘆息を吐きだしながらベッドに腰掛ける融。



「やっと40度の熱が下がったんだから無茶しないで」
『はいはい。心配性だなおまえは』
「“個性”の遣いすぎだよ。また作ったから今度は外さないでね」



ポケットから正方形の小さな箱を取り出して、ベッドサイドに置いた。それから融は何事もなかったかのように資料へ目線を落とした。



「禄ちゃんに調べるように頼まれた少女のことだけど……あの子の人形だった」
『やっぱり』
「高性に創られた人形だね。皮膚や血液、それらを構成する骨組まで本物の人間から採取したものだった」
『悪趣味な人形だな』
「脳に該当する部分にスピーカーが搭載されていて遠距離用に創られたものだと断定できる故に機械的な仕組みはあまりなかった。構築されている電子プログラムも既製品を少しだけ改造しただけだったし。つまりあの人形は戦闘用ロボットっていうより、あくまで操り人形に近い性能だった」



レンズが反射する中禄は特に動じることもせずただフェンリルの頭を撫でながら自虐的に微笑んだ。



「よく気がついたね。アレが人形だって」
『音だよ』
「音?」
『音の反響が微妙に濁っていた』
「……耳がいい禄ちゃんだから気づけた盲点ってところか」
『或いは初めから気づかれる事を解った上での挑戦か』



フェンリルの頬肉を左右にひっぱり遊んでいる。まだ彼女の腕の包帯は取れない。完全完治とまではいかないが、大体の外傷は癒えてきていることを融は理解していた。そこへインターフォンの音が聴こえた。融が立ち上がり退出するとフェンリルがイヤイヤと首を左右に振り禄のお腹に突進してゴロンと横になって落ち着いてしまう。



『いつになく甘えん坊だな』
「癒し系なのオレは」



無理もない、心配をかけすぎた――禄は何も言わずにフェンリルを甘やかしていた。すると扉を叩くノック音が響き渡る。扉の外には二つの気配。彼女は誰が訪れたのか察したのかコホンっと咳をしてから『どうぞ』と声をかけた。



「突然お邪魔してすみません―――禄さん」



扉が開き一歩中へ脚を遠慮気味に踏み出した雄英の制服を着た男の子、緑谷出久がそこにいた。



『いらっしゃい出久くん』





◆◆◆






インターフォンを押して名前を伝えると顔を出したのは今、クラスで話題になっているイケメンお兄さんが扉を開けていた。



「どうぞ」
「あ、す、すみません!」



落ち着いた声に優雅な所作。大人の男性を目の当たりにした僕はある種別の意味でも混乱していた。そんな僕にお兄さんはクスっと喉を震わせて。



「僕は禄ちゃんの幼馴染だよ」
「へッ?!あ、そ、そうですか」



―――顔に出ていたのかな?


御伽話に登場してくる王子様のような出で立ちに僕は内心ドキマギしていた。寧ろここに来るまでこんな高級マンションの最上階に暮らしているなんて驚いた。しかもセキュリティー抜群でコンシュエルジュまでいたよ。住む世界が次元から違うんじゃないかと心臓を吐きださないように口を抑えていた。沢山ある扉の中で一際陽当たりのよさそうな南部屋の前でお兄さんは立ち止りノックをした。すると中から『どうぞ』とよく親しんだ声が聴こえて喉がきゅっとなった。
足元ばかりを見つめていた僕は徐々に顔を上げていくとまず点滴スタンドが目に入った。それから細長い管が白い腕に繋がっている。腕は包帯が巻かれていてそろりとまた上げて行けば漸く彼女の顔に到達した。頭には包帯が巻かれているし彼女が身につけている服もパジャマというパジャマでまるで病人だった。
なのに、彼女は普段通り微笑むから、また目頭が熱くなってしまった。



『元気そうでよかった』
「あ、いえ…僕の怪我はたいしたことではないので。そ、それよりも禄さんの方がッ」
『私?怪我はほぼ完治したから大丈夫だよ。ただ熱で身体がだるくてさ』
「……んん?」



混乱する僕の脳内。すると背後からお茶の用意をしてきてくださったお兄さんが控えめに笑いながら入って来て僕にティーソーサーを手渡してくる。というかなんだこのお茶会みたいな食器の数々とお菓子の数々は!



「禄ちゃんの怪我は二日で治ったんだけど、問題はそのあと高熱だしちゃって。だから点滴はその後遺ね。点滴打ち終わったら外すから」
『今日は学校行けると思ったんだけど融が安静にって』
「学校来る気だったんですか?」
「でも止めたよ。治ったばかりだったしまだフラフラしてたでしょ。身体に負担かけすぎ」
『大丈夫だって。心配し過ぎなんだよ融は』



仲が良いのか禄さんは教室でみるより何処か砕けたような雰囲気だった。あの日から下手な敬語が外れて、本来に近い禄さんの姿が目の前の状態に近いのだと思うと、僕は何故だろうとても羨んでいた。
彼女を見つめると何を悟ったのか、彼女は融さんに席を外すように声をかけた。そして自身の手元にいる子犬にも促す。何だか子犬は出て行きたくなさそうでずっと瞑らな瞳で禄さんを見つめていたが彼女が『お願い』と声をかけるとしぶしぶ立ち上がり融さんの脚元へ歩み退出した。
瞳を閉じて耳を済ませた彼女が確認してから何も語らずに視線を僕へ向けた。それが合図だと思い僕はゆっくりと深呼吸をしてから口を動かした。



「僕は……調べました。あなたのことを……“赤ずきん(敵)”だったんですね」



僕の問いかけに彼女は何も語らずに『続けて』と手を動かした。何故こんなにも胸が痛むのか、否定して欲しかったのか?調べておいて?何を馬鹿なことを。そんな感情に首を振り僕は調べた事を述べた。



「あなたは数年前世間を少し賑わせた。“敵”でありながら“正義を振りかざす偽善者”だと世に言われ蔑まれてきた、と新聞の記載されていました」
『あら、まだそんな記事あったの?全て揉み消されたのかと思っていたけど』
「し、私立図書館にありました」
『へぇ〜そうなんだ』
「そ、そこで僕はあなたに助けられた人に逢いました。ずっとあなたのことを弁護していました。恩人だって、ずっと」
『胡散臭い?』
「いえ――僕は正直調べた記事よりもその人の言葉の方が信憑性が高いと信じました。だって僕が視てきた禄さんは―――僕の憧れるヒーローだから」
『……出久くんが調べた通りだよ』
「やっぱり、否定しないんですね」



僕の確信めいていた言葉にクスっと笑っていた。でもその笑いは嘲笑でもなんでもない。優しい程温かい笑みだった。こんな風に笑うんだって思う程、泣きだしてしまいそうになって僕は下唇を噛んだ。
この人の過去は深い。暗くて深くて―――深淵の底など誰も知りえないんじゃないかと思うくらい闇だらけだ。でも僕は信じたい。いや、信じている。僕が視てきた彼女自身のことを。



『あ、クッキー美味しいよ。融は料理が上手なんだ』
「じゃあ夕飯食べてく?」
「ひぃえ?!いつからそこにッ!」
「ちょっと待っててね。あ、禄ちゃんはおかゆだからね」
『固形物食わせろ』
「駄目」
『ちっ』



カップに口をつけてぬるくなった紅茶を飲み、クッキーを齧ると美味しさが空腹を刺激した。

ああ、もう日常だ―――。



「明日、一緒に学校行きませんか?」
『……いいとも!出久くんからお誘いだなんて明日は絶対に晴れね!』
「え、もしかして緑谷くんは狙っているの?」
「あ、あの包丁に血、血がッッ!!」
「あ。禄ちゃんスマホの修理終わったよ」
『さんきゅ』



融さんが徐にスマホを禄さんに手渡した。電源を入れると凄まじい通知の数々に驚いている。



「そういえば八百万さんが心配していましたよ」
『え、あ。ほんとっだ……』
「壊れてたんですねスマホ」
『脳無って奴に殴られたときにね。メモリー事破壊されちゃってさ』



フリック入力が早く八百万さんに返信をしているのか、やや悩みながら送信していた。
そんな禄さんの横顔もまた新鮮だった。なんだかこうして見ていると同級生みたいだ。
その日は夕飯を御馳走になり、融さんの腕前に惚れぼれした。そして翌日は禄さんの家の下で待っていると制服姿で降りて来た彼女を見て、やはりドキっと緊張してしまう。
前より親しみやすくなったと云えばそうなのだと思う。彼女と共に教室の扉をくぐるとクラスメイトに囲まれて歓迎される禄さん。何だか困っているようで眉をやや寄せていたがそれでも嬉しそうに対応していた。



「禄さん!」
『あ、ももッ?!』



八百万さんが勢い余って禄さんに抱きついた。それを不意打ちとはいえ軽々と受け止めた禄さんの身体能力は高いとみえる。



「心配、したんですよっ」
『ごめん』



頭を撫でて禄さんはその言葉だけを口にした。後から耳郎さんもやってきて。



「ほんとっあんたいないとつまんないからさ」
『響香…今日からまたよろしくね』



それを皮切りにA組の女子が禄さんを囲い皆少し涙目だった。もう禄さんもA組の一員なんだ。欠けてはいけないクラスメイトなんだと僕は内心喜んだ。あの淋しそうな背中をもう見なくて済むような気がして、嬉しかったんだ。



「ンだよ、復帰遅かったな」
『かっちゃんおはよう』
「るせ………ッ?!!!!」
『あ、間違えた。えっと爆破!』
「邪神!!?それ個性ッ!!」



切島くんが慌ててかっちゃんとの間に入ったが、当の本人は怒りは怒りを抱えているようだが、どちらかというと震えていた。もしかしてかっちゃん……呼ばれて嬉しかったの?よくわからない。



「邪神。怪我の具合はいいんだな」
『轟くん。ありがとう大丈夫』
「そうか」



すれ違うように言葉を交わす轟くんと禄さんだけど、轟くんは数歩歩いた後振り返り禄さんを見つめていた。あの日から少しずつ変わり始めている、何かが起こる変革の予感を僕も彼も、そして……彼女も感じていたのかもしれない。



next generation………



ここでUSJ編は終了です!次回からはやっと二期に追いつく待ちに待った体育祭!千聖さん、またお会い出来ると嬉しいです。やっと轟くん回ですよ★



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