暫く談笑していると、扉からノック音が数回聞こえた。引かれる扉から中へ入ってきたのは一人の医師と若い看護師だった。



「エイルさん。検査の時間です」



看護師が禄の祖母に声をかけ車いすに乗せ、医師は傍に居た禄を視界に捉えるなり恭しく頭を垂れた。



「検査結果を後程お伝えさせて頂きます」
『宜しくお願いします』



軽く会釈程度に頭を下げた禄の対応に女性はやや違和感を悟るが、禄から向けられる笑みですべてを呑み込んだ。



「じゃあまたお話ししましょうね」
「はい」



祖母が別れを告げて病室から去っていくと、禄が振り返り腰を折って手を差し出した。



『病室までお送りします』
「いいえ。大丈夫よ」
『おばあさまに恥をかかせる訳にはいきませんので』



かしこまった口調に、大人びた行動は女性にとって不思議な感覚を味合わせた。雄英の制服を着た女子高生にしては達観しているのが、彼女にとって何かを想起させたのか愁然とした面持ちで両手を握っていた。そんな彼女の様子に禄はそっと手を重ね柔らかく微笑んだ。その笑みを見つめながら彼女は細々と息を吐き出してゆっくりと立ち上がり、エスコートするように連れ立って病室から廊下へと歩みだした。
彼女の病室は案外近く、扉を開けて中へ入るよう促し、ゆっくりと扉を閉めてベッドに座らせた禄。



『何か飲みますか?ずっとお話をされていたのでしょう?あ、冷蔵庫開けていいですか?』
「ええ」



では――と禄は冷蔵庫を開けてお茶を取り出し紙コップをふたつ取り出し、注いで手渡した。近くにあった椅子を引き寄せて腰かけると彼女は不思議そうな表情で禄を見つめた。今度はあまりにも無遠慮だったため。



『また祖母の相手を宜しければお願いします。あまり外界に触れられないもので。あなたが苦でなければの範囲で構いません』
「わたしも是非お話ししたいわ」
『ありがとうございます。ところでなにやらお聞きしたそうでしたので、まだ時間はありますから』



彼女はその言葉に一驚しながらも「ふふ」と笑い声が漏れ出た。



「その制服、雄英のものでしょう?どの科に属しているのかなと思って」
『よくご存じですね!ええ、私は雄英のヒーロー科に所属してます』
「そう、じゃあわたしの息子と同じなのね」
『おや、息子さんと同じでしたか!奇遇ですね。いやこれは運命とも言うべきですかな』
「ふふ、そうね。息子は……とても優しいの」
『素敵な息子さんですね。ここにもお見舞いに訪れたりするのでしょうか?』
「……来ないわ」



憂愁に囚われたような顔をして彼女は窓の外を眺めた。もう夕刻も沈み切ろうとしている群青の空がうかがえる外界。禄は紙コップを手元で揺らしながら先ほどと変わらぬ声色で訊ねた。



『何故、来ないと?』
「わたしがいけないの……あの子に酷い仕打ちをしてしまった。まだ4歳だったのに……ッ」



痛哭の涙を流しながら彼女は拭うこともせずシーツを握りしめていた。禄は彼女が言わんとしていることを理解したのか、椅子から立ち上がると窓に近寄り開け放った。
外からは気持ちの良い風が吹いているのか、室内にそよいでくる。まだ昇りきれていない夜空を見上げて一番星の輝きに瞳を細めた。



『逢いに行けばいいじゃないですか』
「え」
『だって“来ない”ってあなたが憶測で決めつけたのでしょ?その息子さんから言われた訳でもあるまいに』
「で、でもきっと息子はもうわたしの顔も観たくないと」
『誰が決めたの。息子に直接言われるのが怖いんでしょ?お前なんていらない顔も観たくないって。そう言われるのが怖いんでしょ』



風が強く吹き込む。両者の白髪が濃紺の空にたなびき、禄はまるで化け狐のような恐ろしさを表現していた。彼女は喉を鳴らしながら両手を胸の位置で握り合いながら禄の背中を見つめた。



『でも言われる方が何倍もマシ。だって勝手に気持ちを決めつけて答えのない出口を探すより、嫌いでも死ねでもどんな言葉でも伝えてくれた方がずっといいよ。そっちの方がいいよ』



夜空を見上げながら禄は振り返る。空寂な室内に佇みながらその白くなってしまった髪を掴みばらけさせて放つ。次第にゆったりとした動作で禄の瞳は彼女の存在を捉えそっと両手で彼女の手を包み込んだ。



『怖いよ。鋭い刃で斬りつけられる痛みのようにきっとあなたを蝕んでくる。でも話せる内に話した方がいい。受け止める怖さより伝えられない後悔の方がもっと辛い……』
「……あなたは優しいのね」



そっと禄の頭を撫でながら彼女は、淵の滴に気がつかないフリをした。





◆◆◆






「軽い腰痛ですのですぐに回復するでしょう。痛み止めは打っていますから安静に」
『そうですか。ありがとうございます。じゃあ退院は一か月延長でお願いします』
「いつもと同じように手配させて頂きます。それとこちらは先日頼まれていたリストです」



医師から手渡された白い封筒を受け取った禄は中身を取り出して目を通していた。



「20代〜30代の女性で手術痕があり美容外科の通院者、幅広く見積もっても1万件以上は該当します。この中からあなたのお目当ての人物がいるかどうか……」
『心配することはないですよ。あなたの口座には指定金額を振込ませて頂きます。私と先生の仲じゃないですか』



封筒を鞄にしまう動作を見つめながら医師はゴクリと喉を上下に揺らした。



『ああ、ついでにもうひとつ。10代の失踪者について資料取り寄せてもらえます?』
「10代、ですか?」



一歩ずつ近寄り禄の美麗な白髪をひと房掬いくちづけ首筋に鼻孔を押しつけてくる。
珍しくスカートを履いている所為か、医師の指先がタイツの上から這わせてきた瞬間扉が無遠慮に開閉された。姿を現したのは融だった。やや気だるげに「禄」と名を呼ぶ。
流れる眼光は鋭く、碧眼がきらりと光る。それにたじろいだ医師を余所にそれをそろりと避けて口元を優美に描いた。



『お願いしますね、センセイ』



理事長室を後にした後、絶叫をし始めた。



「ダァ―――!!!きっしょくわるっっ!!!!」
『いや〜案外上手くいくもんだな』



白髪の鬘をズルっと外して顔を覆っているフェイスマスクを外せばそこには禄ではなく、融が姿を現した。それは融に変装していた禄も同様。指をぱちん、と鳴らせば魔法が解ける瞬間。女子高生の制服を纏う融が男の身体つきに戻り、男子高生の制服を纏う禄は女性の身体つきに戻った。



「禄ちゃんは今まであんな変態野郎の相手をしていたんだね…変な事されなかった?」
『そうだな……後ろでハアハア言われてたくらいだな』
「それも何か生理的にイヤッ!!」
『あそこまで露骨なのは融相手くらいじゃない?』
「なんかそれも…すごっ〜く嫌だな」



続いて指をぱちん、と鳴らせばふたりの服装が入れ換わった。ほっと息つく融とうって変わって禄は先程頂いた資料に目を通していた。



『ここからデータベースで探せる?』
「それは愚問だね。任せて」
『あと体育祭での舞台設定と衣装の手配と用意それから……設備もお願いね』
「え……やっぱ作るの?でも確証がないんじゃ」
『絶対来る。間違いない』



どっからそんな自信がくるのか融は不思議そうに禄の背中を眺めた。それがどんな意味に直結しているのかわからない訳でもないから無性に胸が苦しくなる。
とある病室の扉をノブを掴んだ途端、禄は数歩下がった。その様子に融は小首を傾げながら一歩前に出ると中から話声が聴こえてきて融も一歩後退した。中にいる人物との接触を互いに拒みどうするか目で相談しながら回れ右をしたところで豪快に扉が開閉し肩を掴まれた禄と融。



「おばあさまの病室はここだぞ」
『……』
「ひ、久しぶりだね」
「融は相変わらず可愛いな。……んで禄。お前は看護師のお姉ちゃんを魅了しすぎだろ。ちょっとあの受付にいた女の子紹介して」
『勝手に口説けよ。万年発情期』



近寄るな、と禄は珍しく感情を曝け出していた。そんな態度の禄にますます構いたくなるのか、その男性は禄を後ろから抱きしめながらじゃれついていた。
そんな様子を病室から覗いていた祖母は楽しそうに笑いながら写真を撮っている。



「そだ。禄、お前体育祭出場決定な」
『…はァ?!』
「社長命令!お前が好き勝手してくれちゃった結果首回らないの。だから体育祭に出場して指名数ゲットして来てくれ」
『意味わかんないってッ!?』
「あ、ちゃんとDivaとしての仕事もこなせよ?うちの看板背負ってんだからしっかりやれよ歌姫ちゃん」



投げちゅうをしながらその男性は嵐のように去って行った。そんな男の後ろ姿に看護師たちが騒ぎ始める。
ややゲンナリしている禄は気を取り直して祖母のいる病室に入り、融は台風の予感を拭いきれずにいた。



「あら禄が体育祭に出場するの?じゃあハイビジョンシアターで観賞しなくちゃ!!」
『あ、いや…おばあさま。撮るとか視るとかじゃなくて』
「融頼んだわよ」
「任せてください。必ずや禄ちゃんの雄姿を納めてみせます!」
『んなところに力入れんなよ、オイ』



肩を落としながら禄は若干疲れ気味な瞳で彼らを見つめていた。
もうすぐ体育祭が始まる―――。





◆◆◆






「皆準備は出来てるか!?もうじき入場だ!!」



飯田くんの掛け声に僕の心臓は加速度を増していた。これ以上緊張したら心臓への負担が大きそうだと胸を撫で下ろす。ふと僕の隣にいる禄さんの静かさに疑念が宿る。


―――なんだか今日の禄さんは元気がない……?


頬杖をついてぼんやりとしている様に声をかけると禄さんは僕を青く映すなり眉根を寄せた。



『ごめんね』
「え」
『参加する予定じゃなかったのに』
「あ、でも…僕は禄さんも一緒だと、その、心強いですよ」



何に悩んでいるのか、苦悩している彼女の表情はあまり見たくなくて出来る限りフォローしたつもりだけど、彼女はやんわりと表情を緩めてぱっと腕を上げて僕の首に巻き付き抱きしめられた。



「はなっ?!へばッ!??」
『ありがとう出久くん』



うわ……いい香りがする。心なしか薄らと化粧もしているのか今日の禄さんは大人の女性を感じさせるような雰囲気を醸し出していて、免疫のない僕はたじろいでしまった。



『やるからには楽しむぞ!青春とは時に甘く、時に苦く、辛いけど癖になる!イエイ!!』
「なんでそんなハイテンションなのよ」



耳郎さんが禄さんの頭をこずいていた。



「緑谷」
「轟くん……なに?」



タイミングを見計らったのか轟くんが僕を呼び、目の前に立ちはだかる。それはまるで闘う前の闘志を胸に秘めた熱した鉄のような、それでいて冷たい氷の刃を僕はひっそりと感じていた。
そんな轟くんの行動にA組の視線を集めた。



「客観的に見ても実力は俺の方が上だと思う」
「へ!?うっうん……」
「けどおまえオールマイトに目ぇかけられてるよな」
「!!」
「別にそこ詮索するつもりはねえが…おまえには勝つぞ」
「おお!?クラス最強が宣戦布告!!?」



上鳴くんの言う通り轟くんは僕に言い放った。その闘争心をむき出しにして、確固たる信念を元に、彼は僕に宣戦布告をしたんだ。何故なのか、僕にはわからない。けれど、ゆらりと彼の瞳が移動する。その刹那的な時間、彼の視線は小型無線機で会話をしている禄さんへと注がれた。



「急にケンカ腰でどうした!?直前でやめろって…おい、邪神も手伝ってくれよ」
『あ、ごめん。キャッチ入った』
「電話中?!!」



禄さんは自由な人なのでそのまま僕らを通り過ぎて飯田くんに道を譲ってもらい廊下へ出て誰かと通話していた。途方にくれる手を払い切島くんが仲裁に入るが、轟くんはお構いなしに肩に置かれた手を跳ね返した。



「仲良しごっこじゃねえんだ。何だって良いだろ」



背を向けて去ろうとする轟くんの背中に、僕は口を空ける。



「轟くんが何を思って僕に勝つって言ってんのか…はわかんないけど…。そりゃ君の方が上だよ…実力なんて大半の人に敵わないと思う…客観的に見ても…」
「緑谷もそーゆーネガティブな事言わない方が…」
「でも…!!皆…他の科の人も本気でトップを狙ってるんだ」



轟くんが立ち止まり振り返る。彼の冷ややかな瞳が僕の姿を捉える。



「遅れを取るわけにはいかないんだ」



オールマイトとの特訓中のことを思い出す。僕の目標は、僕がなりたいヒーローはオールマイトのような強くてかっこよくて笑顔で人々を助けるヒーローで、そして……どんな屈強にも弱音を吐かずに護ろうとしてくれた綺麗で脆くて、でもかっこいいDivaのようなヒーローになるために!!



「僕も本気で獲りに行く!」
「………おお」
「……っ」
『……』



出入り口付近の壁に背もたれを預けながら端末機を顎にあて、禄さんは瞳を細めた。
もうすぐ入場だ――――。



また伏線回収の旅に出ます。かなりまきました。摘み取るのが大変です。SEY!! HEY!!!!!


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