装飾

今日は大嫌いな、色の授業がある日だ。


「では五、六年の皆さんは町へ。三、四年生の皆さんは今日は忍たまの区域で実習を行います。私は学園にいるから、五、六年生は何か成果として分かるものを必ず持って帰ってくること。いいですね?」


はい!勢いのよい返事が、教室中に響き渡った。では解散。とシナ先生の合図と共に生徒は一斉に散らばる。しまった出遅れた。そう思ったころにはもう遅く、目の前にいるシナ先生とバチリと目があって、「あなたもはやく行く!」と、早速怒られてしまった。


「…歩きにくい、臭いし…」


慣れない着物。慣れない化粧。慣れない香水。動きやすさを全く考慮してない女物の着物を着て、いつもは絶対にしない化粧を施し、香水をふりかける。化粧の匂いと香水の香りが混じって変なにおいがする。これで本当に、忍たまを最低でも一人、惑わすことなんて出来るんだろうか。不安でしょうがない。でも、私だって行儀見習いで学園に入学したわけではない。本気でくの一になりたかったから、入学したのだ。そりゃあこんな授業があるなんて知らなかったけど、くの一になるには、当然通らなきゃならない道で。


「…やめよっかな、学園……」


先の未来を考えたら、怖くなる。まず私なんか忍務で死ぬとか以前に、城に雇われるはずがない。働き口がなくてきっとそこら辺での垂れ死ぬんだ。それか、生きるために体でも売るんだろう。これはそのときのための、予行練習。できの悪い私には、一番必要な授業。


「学園、やめるのか?」
「え?ッギャアアア!」


独り言に、返事が返ってきた。しかもそれは頭上から。木からガサガサと葉や枝を揺らしながら影が目の前にドサリと落ちてくる。予期せぬ出来事に思わず絶叫。しまいには、腰を抜かしてしまったのであった。


「ははは!おーい、名前。大丈夫か?」
「なっ、な、な…っ」
「その格好…今日は色の授業か!」
「ななっ…な、七松、せ、先輩…っ」
「ん、なんだ?」


ニカリと輝く笑顔。なんだじゃない!と怒鳴りたくなった気持ちも殺がれてしまった。殺がれてなくても怒鳴れやしないんだけど。もし怒鳴ってしまえば私の命は確実にないと思う。私なんかきっとバレーボールにされて叩きつけられるかサッカーボールにされて蹴り飛ばされてしまうんだ。ああどうしよう、立てないじゃないか。多分私は今小さく震えているんだと思う。地面にへたれこんで、相手の顔もろくに見れやしない。そう、怖い。忍たまで、しかも六年で、しかも体育委員長。怖くないわけがない。選択肢を間違えればお前雑魚のくせして調子に乗るなよ!ドコーン!的なことになる。それは避けたい。一刻も早く、ここから立ち去りたい。


「それにしても、酷い化粧だな!」
「えっ」


これでも頑張った方なのに!バッと裾で顔を隠したら余計に笑われてしまった。「おまけに臭いな」とまたも女に言うような言葉ではない一言。もうすごく恥ずかしくて、穴があったら入りたいの状態で。こんな時に限って綾部くんの落とし穴がないなんて、本当に私はついてない。それに、私は自分を着飾ることすら満足にできないなんて。ああもう、本当に。どうやって生きていくんだろう私は。


「よし、行くぞ!」
「え?…わあ!」


突然引かれた腕。流れていく景色。風が顔に当たる。もつれる足。先輩についていけずに引き摺られる形になって、足が非常に痛い。そして何より、怖い。私は何故か七松先輩に腕を引かれ走らされていた。もっとも、私は走れていないのだけど。
乗馬の経験が一度ある。授業のときに、一度。でも私はその迫力と速さと不安定さにすぐ落馬。上手く受け身を取れずに腕の骨を折ったことがある。あれだ。これはその時の感じに似ている。速い、速すぎる七松先輩。恐怖のあまり声も出ずにただただ涙を垂れ流していると、ふ、と漏れた声に気が付いたのか七松先輩が後ろを振り返り、驚いたような顔をしてすぐに私を抱き抱えた。それも走りながら。横抱きにするものだから七松先輩の顔は近いし抱えられた時の浮遊感やらなんやらで私の心臓はもはや爆発寸前だった。息もろくに出来やしない。もう死ぬかと思った。


「せーんぞー!」
「…小平太、今は委員会ちゅ……なんだそいつは」
「拾ってきた!」


違います。これは誘拐だと思います。取り敢えず、止まってくれてよかった…と思ったのも束の間、目の前には忍たま、忍たま、忍たま、忍たま。忍たまばっかり。もう勘弁してください!やっと止まるかと思った涙をまだまだ止む気配はない。ひーひー言ってる私の頭を七松先輩は楽しそうに叩く。本人は優しくしてるつもりかもしれないけど、本当に痛い。


「化粧が落ちてしまったな!」
「うっ…はひ、…」
「なんだそんなに泣くことないだろ?」
「小平太」


美しい所作で、作法委員会委員長の立花仙蔵先輩が立ち上がり、七松先輩の横、私の前に座り直した。どうやら今は作法委員会中らしく、たまに見る顔がちらほら。一年生は分からないけど、とりあえず恐ろしいくらい美しい顔をした立花先輩を前に、私は一体どうしたらいいのだろう。そろそろ解放してください本当に、お願いします。


「なるほど、お前が苗字名前か。噂には聞いている。取り敢えず、これで顔を拭くといい」


渡された真っ白な手拭い。立花先輩の懐から取り出されたあたり、立花先輩のものらしい。サーッと、血の気が引く音がした。こんなところ、くのたまの誰かに見られていたら私は本当に命がないような気がする。首をぶんぶんと振りお断りすると立花先輩は面白そうにニタリと笑い、では私が拭いてやろう。なんて、真っ白な手を私に伸ばしてきた。この笑顔、きっとこの人は知っていてやっている。自分がいかにくのたまの間で人気なのか。そして、この行為がくのたまの間でどういう意味をなすのかを。なんて恐ろしい!この人は楽しんでいるんだ私がどうなろうと知ったこっちゃな…いだだだだ!


「せんぱ…っい、痛いっ…ひ、うぶ、」
「安心しろ。この場にお前以外のくのたまはいない」
「え?ぶふっ」
「よし、落ちたな」


手拭いをその場に置くと次はぐい、と指で頬を拭う。地獄だった。物凄い力で顔を拭われた。七松先輩が顔が真っ赤だと大笑いしてらっしゃる。止まったと思った涙が、またじんわりと目を覆いはじめた。


「もう泣くな。ちょうどいい。お前たち、今日はもうフィギュアでの練習はいい。こいつを好きなように飾ってみろ」
「は!?」
「立花先輩!その人は誰ですか?」
「おやまあ、知らないのか?苗字名前。くのたま教室で最も不出来なくのたまと謳われる四年生でーす」


余計なことまで言いやがって綾部喜八郎…!下級生もああ、あの噂の!なんて感心した目で見てくる。してやったりな顔の綾部くんを小心さ故に睨むこともできずに視線を下げる。ああそうさ。私はどうせくのたま一不出来さ。


「まあそう落ち込むな。さあ、ここに来たからには」


お前を度肝を抜くような美女にしてやろう。
そう言った立花先輩の顔が、度肝を抜くほど美しくて、それに準ずるほど恐ろしかった。



装飾

「さあ取り掛かるぞ」
「え?いや、ま―――…!!!」back