落下

「掃除当番、やっといて」
「あ、…うん。わかった」


こんな会話が半刻ほど前。私は未だに掃除を終わらせていなかった。だって五人でやる掃除を私一人で、だよ。半刻じゃ終わらない。しかも武器庫の掃除なんて、本当についてない。武器は拭かなきゃいけないし、床もほこりだらけだし、天井は蜘蛛の巣が張ってる。なんだここ今まで掃除してなかったのかな。なんて思えるくらい汚れてた。はあ、とため息。今日は委員会の当番なのになあ。


「よ、い、しょっ」


掛け声もなければ重たい物も持てない。いい加減腕力も人並みになってくれてもいいと思うのに、筋肉なんか全然ついてくれなくて、贅肉が目立つ。こんなにいつも重たい物を運んでいるのに、なんでだろう本当に不思議。特に胸、とか、訓練のときとか邪魔なだけだ。成長しなくていいところだけ成長している気がする。…ダイエットしようかな…。


「これで、おわ、り…っ!」


あれからもう半刻経っただろうか。最後に床を雑巾がけして、掃除が終わった。てきぱきと掃除道具を片付けて委員会へ急ぐ。うん、これなら間に合いそうだな、なんて。ちょっと浮かれたのがいけなかったのかもしれない。


「ひふっ」


ズドンッ!突然足元にあったはずの地面が消えて、もはや声なのか?って感じの奇声が出たかと思うと腰を強打した。物凄く痛い。ああ、落とし穴に落ちちゃったのか。それに気がついたのは、穴の底に腰を打ち付けた瞬間だった。私も不運委員…もとい保健委員だからこんなの初めましてでもないし、むしろ、よう二日ぶり!の勢いだ。そして犯人は十中八九同じ年の忍たま、天才トラパーと呼ばれる綾部喜八郎くんで。私は遠くから見たことしかなくて関わったこともないけど、常々その子には怒りを覚えていた。落とし穴は、競合区域で作れよ。と。だけど、


「はあ」


そんなこと怖くて言えません。それに私がそれを訴えたとして、相手に私がのろまだから落とし穴に落ちるんじゃないのか?と言われたらどうする。言い返せない。微妙な土の変化や、膨らみ。ちょっとした違和感を見つけれないでどうする。落とし穴に落ちるのは、自分の責任だろう。そう言われたら、私は黙りこんで、その末には私が謝っていることになっているはずだ。それに、綾部くんの落とし穴、上級生が落ちたなんて話、あまり聞かないし(善法寺先輩は、あれだ。あの方は実力はあるけど不運だから)


「深いな…」


今はクナイも鉤縄も持ち合わせていない。あははどうだ。不運委員会の恐ろしさを思い知ったか。…なんて。一人でふんぞり返っても仕方ないだろうに。わーんどうしよう委員会に遅れちゃうじゃん。いやでもいっつも落とし穴に落ちて委員会に来ない、来れない人とかいるから、大丈夫、なの、か?


「…。」


あれ。どうしよう。なんかすごく、すごく悲しい気持ちになってきた。私がいないても、委員会は成り立つ。だって正直怪我の手当ては他の人の方が上手だし。一年の猪名寺くんや、鶴町くんも、二年の川西くんも、善法寺先輩も…、あ、あと三年の三反田くんも。…ごめん三反田くん一瞬忘れてた。私が包帯巻いても大抵巻き直しだし、私が出来ることと言えば、保健室利用者名簿にそれを記入することと、育てている薬草の世話をするくらいで、薬の調合もできないし…。上級生なのに。


「誰か探しに来て…。くれない、よ、ね」


役に立たないんだから、探す必要もないし、ここは人の通りも少ないところ。今まで私が落ちてきた穴は(不幸中の幸いと言うべきか)比較的自力で登れるようなものばっかりだったから、苦労はしたけど委員には間に合ったし自分の部屋に帰ることだってできた。だけどこの穴は深い。私が小さいからというのもあるだろうけど、深い。きっと忍たまの六年生の中在家先輩の身長と同じ高さくらいかな。


「いつまで私はひとりぼっちなんだろう」


その声は誰にも届かない。だから呟いた。今までも、これからもきっと私はひとりぼっちで、このままいけば就職だってできないだろうしきっと結婚なんてせずに死んじゃうんだ。どうにかして、雑用でもなんでもいいからどこらの城に雇ってもらわなきゃなあ。なんて。私はなんでこんなときに就職のこと考えてるんだろう。あれ、こんなときだからこそ?なんだか自分に笑えてきて、あはは、半ば自暴自棄に自嘲した。やだな。一人はやだな。それでも私はずっと一人ぼっちだ。


「苗字」
「…え?」
「やっと見つけた」


突然、上から伸びてきた手。穴の外から覗く顔は逆光でよく見えなかったけど、私には声でそこにいるのが誰なのかがわかった。目付きがちょっと…どころか私にとってはすごく怖くて、武闘派で、でも特に後輩にはすごく優しくて、善法寺先輩もいい奴だよ。なんていつも言ってるし、ショタコンじゃね?なんてくのいちクラスで噂されてる、六年生で、用具委員のあの人だ。


「食満、先輩…」
「保健委員が妙に騒がしくてな。何かと思えばお前がいないんだと」


しかも保健委員全員で苗字大捜索の結果、見事全員が不運発動させて身動きがとれなくなってんだ。苦笑いを浮かべる先輩に、喉の辺りがきゅうって締め付けられる感覚になった。きっとこれは私が泣きそうになっているんだと、出てきそうな涙を必死で堪える。嬉しい。そう思った。ありがとう。そう伝えたくなった。私なんかを探してくれてありがとう。優しいみんながすごく好きで、自分の居場所はそこにあるような気がして、嬉しい。食満先輩だって関係ないのに私のことを見つけてくれた。この人は顔や噂に似合わず本当に優しいんだなあって、そう思って、遠慮がちに上から伸びてくる手を取った。


「怪我はないか?」
「だ、大丈夫です…」
「ったく、喜八郎のやつだな」
「…た、多分」
「お前もこんだけ落ちてんだから一言言ってやったらどうだ?」
「へ!」


なんてことを言うんだこのお方は!そんなことをしたら私は生き埋めにされてしまうんじゃないだろうか。考えただけでも恐ろしい!ぶるりと身震いするとそんな情けない姿をしっかり食満先輩に見られていて、食満先輩は面白そうに笑うと私の頭をぽすりと撫でた。う、と声がつまる。反射的に、体が硬直した。恐る恐る顔を上げると、やっぱりそこには、食満先輩の笑った顔。


「寂しかったか?」
「そ、そんなこと、は…」
「じゃあ怖かったか」
「いい、え」
「そうなのか?顔はそう言ってんのにな」
「えっ」


ひたり。と自分の頬に手を添えた。私はそんな顔をしていたのだろうか。ああ、表情も作れないなんて、私はどんだけ忍者にむいてないんだろう。視線を落とせば私が泣いたと思ったのか、食満先輩は焦ったようにフォローをしてくれた。なんだ、その、俺は六年だから。とか、そんな下手くそなフォロー。どうしてこの人は私なんかを探しにきてくれたんだろうって、今更ながら思った。それはきっと食満先輩が優しい人物だからなのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。ほら、不運なところとか、善法寺先輩に似てるからじゃないかな。


「あー…戻るか」
「はい、…ありがとうございました」


そう考えたら、少し切なくなった。
食満先輩の背中を眺めながら保健室を目指す。保健室につくと委員のみんなが本当に心配そうに私のところにかけつけてくれて、さっき感じた少しの切なさは、記憶の彼方。
気が付くと食満先輩はどこかに消えていた。



落下
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