感情

「あんた食満先輩と付き合ってんの?」
「え…?」


今日も今日とてビリっけつ。いつものように一人片付けを始めたのだけど、今日はいつもとは違うことが起きた。
片付け始めて間もないとき、急にそんな言葉をかけられて聞き取ることができずに聞き返してしまった。きっと口とかも半開きで間抜けな顔をしていたんだと思う。声をかけてきた同じ組の女の子が苛立った様子を隠すことなく舌打ちをした。


「だから、食満先輩と付き合ってんのって聞いてんのよ」
「え、ええ!?違うよ!あり得ないよ!!」
「そうよね。あり得ないわ。でも、」


いきなりとんでもないことを言われて慌てて返事を返せば、なにか、納得のいかないことを私が言ってしまったのか胸ぐらを掴まれた。その勢いで手に持っていた手裏剣がキィンと高い音をたてながら地面に落ちていった。その子のすごい剣幕に圧倒されてしまいどんどん心臓の動く速度が早くなって、大きくなっていく。怖い、怖い怖い怖い。どうしてこの子は怒っていて、私は一体どうなっちゃうんだろう。
周りはみんな無関係。仲裁者はいない。


「色の実習ですごく楽しそうだったじゃない」
「…、」


私は、私はのろまで不器用で頭も良くなくて、引っ込み思案で何もできないけれど鈍感なわけではなくて。だからさすがにわかってしまったのだ。
この子、食満先輩のことが好きなんだ。
だんだん掴む力が強くなってきて苦しさが増す。さすがに息ができないというわけではないけれど、私の目からは生理的な涙がでてきた。


「…泣いたらやめるとでも思ってる?」
「そ、んな、こと…」
「ある!ムカつくのよ弱いからってちやほやされて!」


ちやほやされてなんかない。そう言いたいのに声を出すことができなかった。あなたは勘違いをしてるよ。確かに実習のときに忍たまの人たちには優しくしてもらった。でも私がカッコ悪いことには全然かわらないしあれはちやほやなんかじゃなくて、きっとあの人たちは優しいから困ってる人はほっとけないんだよ。私は容量が悪いから。ちやほやとか、そういうことじゃない。


「いつもわざとみたいに実技はビリだし、用具倉庫に行きたいからじゃないの」


それで食満先輩に同情してもらってるんでしょう!投げるように放されて上手く受け身もとれずにお尻を打ち付けてしまった。手のひらも地面に擦れたからきっと血が出てくるんだろうな。痛みを堪えながらその子の顔を見る。涙で視界がぼやけて綺麗に表情を確認できなかったけど、たぶん、怒ってる。


「ち、ちがう、よ」
「また泣くの?泣いてどうなるの?誰も助けてなんかくれないのに」


誰も助けてなんかくれないなんて、そんなの自分が一番わかってる。今だってそうだ。周りはこれを面白そうに見てるか無関係を決め込んでいるか。私には友達がいない。仲間がいない。だから私は一人でこうやって情けなく泣くしかないんじゃない。


「今日は私が片付けてあげる。…ああ、でもくの一教室の分は片付けるのよ」
「え…」
「なに嫌なの?」
「う、ううん…。あり、が、とう…」


それからやっと、彼女から解放されることになった。くの一教室の管轄にある忍具は私が、忍たまの分は彼女が片付ける。そのおかげでいつもよりずっと早く片付けることができて余った時間をどうしようかと考えてせっかくなので鍛練することにした。
きっと、いつもの私ならすぐにでも休んでいたのだろう。でもなぜかすごくもやもやして、すっきりしなくて、じっとしていられなかったのだ。


「えいっ」


ガサッと手裏剣が向かった先は的代わりにしていた木ではなく草の中だった。うう、なんで当たらないんだろう。また手裏剣を取りに戻って再び構える。腰の位置。肘の曲げ具合とか姿勢その他もろもろ。山本シナ先生に習ったことを思い出しながら一気に的を目掛けて、投げる!


「ああもう!なんで…」


それでも手裏剣は的へ当たらない。だんだんイライラしてきた少し休もう。腕の力が弱いの?足の支えが足りないの?どうして私はこんなにダメなんだろう。
じわ、と涙が出てきてその場に蹲った。いつもわざとみたいにビリなんて。さっきあの子の言った言葉を思い出す。そんなことない。私だって精一杯頑張ってるよ。用具倉庫に行きたかったんなら、いつも手伝ってくれてもよかったじゃない。こうやって、こうなるまで、私が悪いみたいに、私のせいみたいに。


「強くなりたい…」


だから休んでちゃだめなんだ。涙をぐしりと拭い立ち上がる。でも辺りも暗くなってきた。月明かりだけでは手裏剣がなくなった時に探すことができない。これ以上手裏剣の練習はしない方がよさそう。
小さくため息をついて空を見上げた。今日は天気が少し悪くて月が雲に隠れて綺麗に見えなかった。こういうときみんなどうやって鍛練してるんだろう。まだ部屋に戻りたくないな。筋トレとか、するべきかな。


「苗字?」
「…え?」


私を呼ぶ声。もう聞き慣れてしまった、優しい声。振り向くとそこにはやっぱり私の想像した通りの人がいて、慌てて頭を下げた。でも、少し会いたくなかった。それは怖いとか、そういうことじゃなくて、なんかもっとこう、モヤモヤするっていうか、後ろめたいというか、自分でもよくわからない。そもそもこの人に対して怖いという感情は、ここ最近めっきり薄れているから。もっと別の感情で埋まってきてる。


「食満先輩…」
「珍しいな。鍛練か?」
「は、はい。でももう手裏剣を投げるのには暗くて…」
「まあ、そうだな」
「はい…」


今日は委員会じゃないのかな。こんな時間帯なら私が用具倉庫に行くといつもいらっしゃるのに。なんで?きっと一方的なんだろうけど顔を合わせづらい。会いたくなかった。いつも以上にどう接していいか、わかんなくなる。
そんな私の気持ちが伝わっているのか今日の食満先輩もどことなく気まずそうな雰囲気を放っている。お互いに何も喋らないまま、静かな時間が少し流れた。


「せ、背中」
「え?」
「背中はもう大丈夫だったか?」
「は、はい…。ちょっと痣になったくらいで…」


綺麗な紅葉型の痣ができたのは秘密。だってそんなこと言ったらきっと優しい先輩のことだから責任感じちゃうんだ。私なんかに謝るのは変だ。でも下手に嘘をつくわけにもいかなくて、ほどほどに私は返事をした。
それにしても、私の会話力は本当に壊滅的で、食満先輩も返しやすいような言葉を言ってあげればいいのに会話がそこで終わっちゃうようなことしか言えない。直さなきゃとは思うんだけど、なかなかうまくいかない。優しい先輩に、甘えているのもあるのかもしれない。


「…苗字」
「っ、はい!」
「……いや、悪い。なんでもねえ」
「は、い……」


なにを、言いたかったんだろう。頑張れよって、そう言ってくださった笑顔はいつものようなものではなくて、私もそれに歯切れ悪く返事をするしかなかった。
私の横を通りすぎる食満先輩に、あの、先輩。そう声をかけることができたらいいのに。でもそこから続く言葉は見付からないし、私は話題の一つも持ってない。ううん、違う。呼び止めたい理由はわかってる。だけど私にはその言葉を紡ぐ勇気がなくて、いつかのように私は見えなくなるまで先輩の背中を眺めているだけだった。


「ばかだよなあ」


情けない自分はいつまでもここにいる。それに気付いていながら一歩を踏み出せない自分は馬鹿だ。それをも分かっているのにこうして突っ立っているだけで、私は本当に、何なのだろう。


感情
捨てることができるならどれほど楽になれるのだろうback