Tuesday

学校の勉強に、祓魔師としての仕事。両立は難しいけど、そんなの今に始まったことじゃない。僕はやれることをやる。やらなければならないことをやる。ただそれだけのこと。


「奥村くん今日のお弁当も素敵だね!」
「え、いや、これは兄が…」
「またそんな嘘ついてぇ」


嘘じゃないって。ため息をつきそうになって、すんでで飲み込む。昼休みにいつも僕のところに来ては色々話しかけてくるこの人たちは一体いつ昼食を摂っているんだろう。たまに一緒に食べようと言ってくることもあるけど、正直すごく困る。そして人の話は信じてほしい。ほら、向こうで兄さんが涙目だから。涙目で恨むように僕を見てるから。ああなったらまた兄さんがどんな弁当を作ってくるか分かったもんじゃない。謎ののり弁でも作られた日には、僕はもう兄さんには弁当を頼まないかもしれない。ああ。もう。隣でも苗字さんが僕を睨んでるじゃないか…って!


「なんであなたがここにいるんだ!!」
「こんにちは奥村くん。今日も素敵なお弁当ね」
「こんにちはじゃないですよ!」


なんで学園にまで来てるんですか!!思わず叫ぶように言ってしまい、周りの視線が僕に集中する。すぐにへらりと笑って頭を下げればその視線はすぐに散っていったけど、内心穏やかではない。ケラケラと笑う兄さんを睨み、ぶすっと口を尖らせる苗字さんの腕を引っ張って食堂から連れ出す。後ろで冷やかす声だったり、悲鳴だったり、僻みだったり、色々なものが聞こえるけど全て無視をする。なんたってこの人は、こんなところまで来ているんだ。しかも平然と。加えて兄さんといるときた。苗字さんが兄さんが作ったであろう弁当を食べていたから、兄さんは彼女が来るのを知っていた?じゃあなんで僕には何も連絡がないんだ。ああそうだこの人はいつでもどこでも僕の前に現れる。今から行きますなんて連絡はきた試しがない。まさに神出鬼没。いやお互いの連絡先なんて知らないんだけど。それでも、学園まで来るなんておかしすぎる!


「いい加減にしてください苗字さん!」
「知りません〜。私は私のしたいようにするだけなんですぅ」
「それは結構ですが、学園にまで来て一体何のつもりですか」
「いやあ、燐くんが雪男くんは学校でモテモテだーっつーから、敵情視察?」
「敵情って…」


はあ。と、この人の前では躊躇いなくため息をつく。いつの間にそんな話したんだ。兄さんを見ると、こちらに向けてドヤ顔。すぐに目をそらした。もう帰ってくださいね。と言っても苗字さんは僕の言うことなんて全くきいてくれなくて、まるでテーマパークに遊びに行って帰りたくないと駄々をこねる子どものように見えた。何度もくどいかもしれないけど、この人は一応大人だ。お酒もタバコも大丈夫な年齢だ。それがごねる子どもと同等って。年下相手にこんなこと思われてるなんてこの人はそれでいいんだろうか。


「雪男くん、あの中に好きな子とかいるの?」
「は?あの中?」


あの中とは、恐らくさっきまで僕を囲んでいた人たちのことで。苗字さんの拗ねたような顔がスゥッと、あの、年相応のどこか余裕を感じられる表情に変わる。なんだ。嫌な予感がして僕はゆっくり後ろを振り返った。愕然。そこには苗字さんのいう、"あの中"の人たちがいた。待て、待て待て待て。今から一体何が起きるっていうんだ。睨みあう両者。ああ、そうか。これが修羅場とかいうやつか。…どうやら僕も少し思考がおかしくなってきたようだ。


「あんた誰?奥村くんの何?」
「私?誰って言われてもなあ。雪男くんとは仲良くさせてもらってるんだけど…」
「は!?仲良くって…奥村くん!」
「い、いや、苗字さんとはただの知り合いですよ!」
「だそうだけど?」
「…うん、そうだね。ただの知り合い。気にしないで」


苗字さんは、いつものように微笑んだ。いや、違う。いつもはもっと優しくて、暖かく、幼い子どものようだったり、かと思えば淑やかだったり。でもこの笑顔は、なぜか僕には悲しそうに見えてしまった。ちくり、と、胸が痛む。もっとすごい言い合いが始まるのかと思っていたけど案外それはすぐにおさまって、思ったより苗字さんが食い下がったからなのか、どうなのかは分からないけれど、女子たちは満足そうに帰っていった。おかげで大事にはのらなかったのだが、なぜか、腑に落ちないというか、何て言えばいいんだろう。なんだか、怖い。というか。


「苗字さ…」
「帰る」
「え…!」


突然僕に背を向けた苗字さんは、そのまま歩き出した。女性の気持ちなんててんで分からない僕にとったらその行動はまさに謎で。確かに帰ってくれとは言ったけどさっきまであんなに嫌がっていたくせに。急に大人しくなって、しかも悲しそうな表情をした彼女に、ただ、心配になった。もやもやした、罪悪感のようなものと、不安感。多分これは心配とかいうもので、僕はだんだん小さくなっていく彼女の姿を追いかけると、考えるよりも更に早く、彼女の腕を掴んでいた。


「苗字さん!」
「…っ」


雪男くん。と、声にはならずに唇だけがそう動いた。くしゃりと顔を崩して、泣きそうな顔。その表情はまるでこの人と初めて会ったときのようで、こっちまで悲しい気持ちになった。魔障を受けて動かない体に、突然見え始めた悪魔の姿。たった一人で暗い路地でうずくまっていた彼女を見付けたのは僕で、助けたのも、僕。彼女は、あの時と同じような顔していた。させたのは、悪魔じゃない。紛れもなく、僕だ。


「雪男くんは、優しいね」
「え…?」
「追いかけてくれなくても平気だったのに」


ふにゃ、と力なく笑ったその人に、どんどん心が痛んでくる。平気というわりにはそんな顔していないじゃないか。強がりにもなってない。弱々しい彼女を見ると、どうしていいか分からなくなる。それでも、どうにかしてあげたいとも思う。苗字さんが現れてからというもの、分からないことが沢山できた気がする。その理由すら、僕には分からない。兄さん、あるいは父さんなら、分かったんだろうか。


「僕が優しかったなら…、あなたにそんな顔はさせてませんよ」
「はは、そんな顔って」
「…笑って、ください」


もちろんそんな泣きそうな笑顔が見たいわけじゃない。いつもみたいな、無邪気で、無垢で、明るくて、可愛らしい笑顔を見せてほしい。僕はもしかしたらすごくわがままなのかもしれない。わがままで欲張り。だってほら、面倒だなんて思ってたくせにいざ退かれるとこうだ。前にも言ったけれど、まんざらじゃないんだ。こうして苗字さんに絡まれるなんてことは。だから、と言えばいいのかな、この人が、僕の思い通りになってくれればいいのに。そんなことを考える。…これじゃあ僕の方が想ってるみたいだな。我ながらすごい独占欲を感じる。困ったように苗字さんは眉をたらして、僕の名前を呼んだ。ああやばい。途端に恥ずかしくなってきた。「…なんですか」とそっけなく返事を返せば、伸びてきた白くて細い手。その手は僕の頬をするりと撫でて、また元の場所へと戻っていった。その間わずか2秒間。僕にとっては、恐ろしく長い時間だった。


「泣きそうな顔してるよ」
「え?」
「やっぱ、迷惑、だったかな?」
「そんな…!」


そんなことない!そう続けたいのに言葉を途切れた。ごめんね、と謝った苗字さんに心がどんどん痛みだす。迷惑、迷惑だ。さすがに学園にまで来るのは正直どうかと思うし、塾が終わるのを外でずっと待機してるのも勘弁してほしいところがある。でも、と僕は苗字さんの肩に手を添えた。その肩は、びくんと跳ね上がった。


「…嫌じゃ、ないんです……」
「え…、え!?」
「だから!嫌ではないんです!」


ぱちり。苗字さんの大きな目が瞬いた。ああ、言ってしまった、言ってしまった。こんなこと一生かけても言うつもりなかったのに。苗字さんの表情がだんだん明るくなってくる。そうだ、そんな顔をしてもらいたいんだ。その代わりすごく恥ずかしい思いをしなくちゃいけなくなったから、なんか複雑だけど。


「雪男くん」
「なんです、か」
「あの中に好きな人はいるの?」


綺麗に微笑む彼女をとてもじゃないけど直視できなくて、僕はすぐに目をそらす。彼女も彼女で現金な人だと思う。苗字さんらしいといえば苗字さんらしいけど、こんな一言で喜んでくれるなら、もっと言ってあげてもいいかもしれないなんて、「…いませんよ」と先ほどの返事を小さな声で返した。


「雪男くん、」
「…はい」
「好きよ」
「…知ってますから」


やっぱりね。といつも通りの笑顔にドキリとした。そろそろ、自分に知らばくれるのも無理があるんじゃないかな。なんて、僕は下がってきた眼鏡をかけ直した。




火曜日
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