09


ワインレッドの上質な生地が身体のラインにフィットし、妙に背筋が伸びる。
耳元に飾られたシンプルなデザインのピアスには、光り輝くダイヤモンドが惜しげも無く散りばめられ、今自分が身に纏っている物の総額は幾らになるだろう、とナマエは頭の隅で考えた。


「準備出来たか?」

扉の向こうで待つ男の声に返事をし、入室を促す。


「うん」
「入るぞ……おお、見事に化けたな」
「ちょっと、別の云い方が、」


あるでしょう、という言葉をナマエは思わず飲み込む。

入口にいる中也を振り返ると、何時もは無造作に流れている髪は後ろに綺麗にくくられ、前髪もオールバックに纏められている。
少し垂れ流された前髪が普段より一層色気を感じさせ、きっちり第一釦まで閉められたシャツ、上品な黒のスーツを身に纏った中也は、マフィアの人間とは思えない気品を漂わせていた。


「何だよ」
「…いい、何でもない」
「あァ…?」


不自然に自分から顔を逸らしたナマエに不信感を抱き、中原は近付きその顔を覗き込む。
するとナマエの顔がほんのり赤みを帯びている事に気付き、にやりと口角を上げた。


「何だァ?見惚れたか?」


意地悪く未だ顔を覗き込んで来る中原に、ナマエはじとりとした視線を向ける。
そして仕返し、と云わんばかりに中原に抱きつき耳元で囁いた。

「うん」
「は、」
「中也、格好良すぎ。仕事にならなかったらどうするの」


とてつもない言葉をストレートに発したナマエに、中原は一瞬硬直する。
しかし直ぐにナマエの腰に腕を回し、自分の身体に引き寄せた。


「お前…後で覚えておけよ」
「ふふ、私にもちゃんと言ってくれないの?」
「…似合ってる。綺麗だぜ」


満足そうに弧を描いたルージュの乗ったナマエの唇に、中原は今すぐ噛みついて押し倒してしまいたい欲求に襲われた。

ナマエの端正な顔立ちを、より一層際立たせるように施された化粧に、華奢な肩が見えそうな程広い襟元のドレス。
綺麗な金糸雀色の髪は纏められ、露わになったうなじからは眩暈を感じる程の色香を漂わせていた。


「そうだ、中也これつけてくれない?」
「…おお、じゃあ其処座れ」


ナマエに渡されたネックレスは中央に大きなダイヤが埋め込まれており、此れを準備した首領が彼女をどれだけ寵愛しているのかを中原は嫌でも意識させられた。


「ああ肩こりそう…」
「こんだけダイヤまみれになっておいて贅沢な女だな」
「早く終わらないかな…。考えただけで憂鬱」
「…全部片付いたらパークハイアットのスイート取ってやるよ」
「え!」
「こら動くな」


目を輝かせて振り返るナマエに落ち着けといった風に声を掛ける。
予想以上の反応に、中原も頬が緩んだ。


すっかり体調は回復し、通常通りの仕事をこなすナマエ。ただし、先日太宰と話した事を未だ彼女は知らない。
事実はどうであれ、仕事に対する責任感の強いナマエは自分のミスを一番許せない筈。そしてまだ自分の不始末が続いていると思い込んでいる。

表面には出さないものの、内心気にしている様子が伺えるナマエに元気を出させる為と、
彼女を守る為とは言え、彼女に対して初めて隠し事をしてしまっている事に罪悪感を抱く中原なりの罪滅ぼしだった。



「本当にいいの?」
「おう。偶には良いだろ」
「久しぶりね、楽しみ」
「…そうか、じゃあその時は」


チェーンの留め具がかみ合ったのを合図に、中原は両手をナマエの肩に置き無防備なうなじに噛み付いた。


「これの続きに付き合えよ」


ビク、と震える肩を押さえ、中原は舌を這わせたまま右手を腰から太腿、そしてナマエの身体の中心部へと動かしていく。


「ちゅ、や…だめ、」
「さっき煽ったのはお前だろ」
「あ…ッ、セットしたの、崩れちゃう」
「お前が暴れなけりゃあ崩れない」



(嗚呼、此奴は本当に)


麻薬のような甘さを持っている、と中原は思う。

沸々と湧く独占欲や支配欲。
其れ等を抑えようとするが、いざナマエを目の前にすると歯止めが効かなくなるのだ。






「主人の妻に手を出すとは、とんでもない執事がいたものだね」



音も気配も無く現れた太宰に、中原は盛大に舌打ちをした後、ナマエから離れ太宰を睨む。


「其れは任務上の設定だろうが」
「駄目だなぁ中也。既に任務は始まっているようなものだよ」
「五月蝿ェ!大体なァ…」


「何で俺が手前の執事役なんだよ!!」



今回の任務はとあるパーティーに潜入し、主催者の男に近付き情報を得る事。

裏社会の社交場となるそのパーティーはごく一部の富裕層が招待されている。
怪しまれず、自然に潜入するには場に適したドレスコードと、ある程度の役作りが必要になる。

今回、太宰が貿易会社を経営する富豪でナマエはその妻。そして中原は太宰に仕える執事の役だった。


「仕方がないじゃないか。今回、潜入するまでの裏工作をしたのは私だ。口裏を合わせるには私が表に出た方が都合が良い。」


それに、と目を細めながら中原を見つめる太宰。


「君、ナマエと並んでご覧よ」


ナマエの身長は162センチメートル。
ドレスに合わせ、今は7センチのヒールを履いている。つまり彼女は今169センチ。

そして中原の身長、160センチメートル。



「富豪が集まるパーティーに溶け込むには見た目やバランスも重要だよ。中也とナマエがペアで歩いて、私が後ろから付いて歩いたら悪目立ちするだろう?適材適所というやつだよ」
「クソ…!」


文字通り上から目線で物を云われ、体を震わせながら悔しさを露わにする中原。

そんな中原を放置し、太宰はナマエに向き直る。


「嗚呼、矢張り私の見立てに狂いは無かったね。ナマエ、よく似合っているよ」
「…これ治が用意したの?」
「調達は首領に頼んだけれどね。選んだのは全て私だ」


そう言う太宰はダークグレーのスーツを着ており、普段巻かれている包帯等は取っているようだった。

中原と違い髪型は何時もより整っている位だが、元々端正な顔立ちをしており、スラリと伸びた手足。所詮モデル体型と呼ばれる身体付きの太宰は、上品なスーツも着こなしていた。


「治も似合ってるよ」
「そうかい?いやぁ、慣れない物を着ると疲れてしまうね。と、云う事で早速出発しよう」




「仕事の時間だ」



太宰の言葉で、ナマエと中原の目の色が変わる。

緊張感を部屋に残し、三人は執務室を後にした。



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