02



細道を通り抜け、路地裏の奥へ進む。
街中の喧騒から離れ静かな時間が流れる其処に、その店は存在した。

四回建てビルの一階部分、昔は小さな書店だったその場所。数年前に閉店してからは人の出入りはほぼ無くなり、”close”の札が入り口に掛けられている。



その店の前に、彼女は静かに立っていた。
周囲を確認してから鍵を開け、中へと入って行く。扉を閉めると直ぐに奥から声をかけられた。



「今日は随分と時間がかかったのね」



元はレジが置いてあった場所に腰掛け、煙草の煙を吐き出している人物に、彼女は鍵を閉めながら返事をする。




「うん、さきちゃんの猫が中々見つからなくて」
「ああ…あの子、」
「港の近くまで迷い込んでたから危なかったけど、見つかったから良かった」
「そう…って、アナタその服どうしたの?」
「…ちょっとね、人とぶつかって」



汚れの付いた服を指さされ、先程の出来事を思い返した。

ただ街中でぶつかっただけの事だが、やけに白髪の少年が印象に残っている。
そして僅かではあるが、何か”違和感”を感じていた。



「なら早く着替えなさい。少し前にアナタ宛に電話が入ったのよ」
「…私に?誰から、」
「ええと、誰だったかしら…この辺にメモが、嗚呼これよこれ」



「武装探偵社のナカジマっていうヒト」




























______約一時間前、武装探偵社。



社へ戻った敦は、扉を開けたすぐ目の前に探していた太宰が倒れているのを見つけ反射的に後退りをした。



「だ…太宰、さん?」
「戻ったか敦」



敦の存在に気付き、奥に居た国木田が声を掛ける。




「く、国木田さん、此れは一体どういう状況ですか…?」
「勤務時間に堂々とサボっていた此奴が悪い」
「…何となく、察しました。でも結局何処に居たんですか?」
「下のうずまきだよ」



いつの間にか起き上がっていた太宰の声に、敦は思わず肩を揺らした。
色々と乱れたその姿は、国木田の制裁がどのようなものだったかを物語っていた。



「それに、サボってた訳じゃないよ。喫茶店は色んな人が集まるからね、情報収集には持ってこいの場所だ。私は定期的な聞き込みをだね、」
「情報の収集ならば俺が昨日行っている。それならば太宰、貴様先日の窃盗事件の報告書は終わっているのだろうな?」
「……さて敦君、街を歩いて何か変わりは無かったかな?」
「誤魔化すな!!!」



見慣れたようで未だ慣れない二人のやり取りを見て、敦は苦笑いを浮かべた。

そして太宰の言葉で先程の出来事を思い出した。



「あ、そうだ。お二人に聞きたい事があるんですが」



敦の声に、国木田は渋々太宰の襟元を離す。
対して太宰はしめたと云わんばかりに国木田の腕から抜け出した。




「何だい?」
「実はさっき人とぶつかってしまって。その人が落としていった物なんですが、コレ何だか判りますか?」
「どれどれ?」



敦がポケットから取り出した物を見て、太宰と国木田の二人は顔を寄せた。
桜色のケースから一枚の名刺を出し、其処に書かれた文字を読み上げる。



「”まほうやさん”…何だ此れは」
「僕もさっぱりで。でも電話番号が書いてあるから名刺かなぁと思うんですけど」
「…嗚呼、そういえば聞いた事があるよ」
「!本当ですか?」



顎に指を当てながら答える太宰に、敦は顔を向けた。



「表向きは子供だけを対象にして何でも屋みたいな事をしているらしいよ。でも、その”まほうやさん”自体が何処にあるのかは誰も知らないらしい」
「何だか都市伝説のような話ですね」
「…表向き、という事は違う顔があるという訳か」



国木田の言葉に、太宰は口角を上げる。




「そう。本来は横浜を拠点にする裏の情報屋。裏社会のありとあらゆる情報を握り、多くの組織と取り引きをしているという噂を聞いた事がある」
「えっ、そ、そんな黒い噂があるんですか…?」
「まぁ、あくまで噂だけどね。私も実際に見た事も会った事も無いから正確な事は判らないけれど」
「…そんな風には見えなかったけどな」



印象に残る彼女の姿。

儚げな雰囲気を醸し出していた彼女が、裏社会を生き抜く情報屋である等信じられなかった。



「でも落とし物なら一応電話した方が良いですよね?」
「只の名刺だろう。新たに作ればいい話だ、特に困るとは思えん」
「まぁ、確かにそうなんですけど…。ケースも一緒なので困りませんかね?」
「無意味に厄介ごとを持ち込むな。良いから業務に、」
「良いじゃないか、連絡してみよう」



否定的な国木田に対して太宰は敦の背中を押す。
やけに楽しそうな太宰の表情を見て、国木田は眉間に皺を寄せた。



「太宰…お前な、」
「別に無意味じゃあさいさ。噂が本当なら情報屋と関わりが持てる。探偵社にとって悪い事ではないだろう?」
「お前のその顔を見る限りただ面白がっているようにしか見えん!仮にそうだとして、社に害を及ぼす可能性が無い訳でも無いだろう。何故わざわざ素性も知らない人間に関わる必要がある」
「”彼女”はそんな人じゃないと思いますけど…」



敦の呟きが耳に入った太宰はパッと表情が変わり、敦の肩を掴む。



「と云う事は落とし主は女性かい!?」
「えっ…まぁ、ハイ」
「聞いたかい!国木田君!此れは矢張り連絡を取るべきだよ!!」
「今の話で俺が頷く要素が何処にあると判断したんだ」



拳を握り力説する太宰に国木田は大きな溜息を吐く。
悔しいがこうなった太宰を止める術を知らなかったからだ。




「…判った好きにしろ。但し、何か怪しい所があったら直ぐに云え。いいな」
「疑り深いなぁ国木田君は」
「当たり前だ馬鹿者」
「じゃあとりあえず電話してみますね」



デスクにある電話から名刺に書かれた番号をプッシュする。

すると呼び出し音が鳴り、まず繋がった事に敦は安堵した。数回のコールの後に通話に切り替わると、緊張からか少し声が上ずった。



『…はい』
「あ、え…っと、突然すみません、武装探偵社の中島と云います」
『はぁ、何でしょう?』
「あの、先程街で此方の電話番号が書かれた名刺入れを拾いまして、それで電話をしたんですけど…。あ、桜色のケースです」
『…嗚呼あの子のだわ、もう。すみませんねぇ、まだ外に出てるので戻ったら取りに行かせるわね』
「そうですか、判りました」
『えっと…探偵社の…?』
「あ、中島です」
『ナカジマさんね、ご丁寧にどうも〜』



失礼します、という言葉と共に受話器を置く。
後ろを振り向くとやけに楽しそうな表情の太宰が此方を見ていた。



「繋がりました。落とした方はまだ戻っていないようなので、後で取りに来てくれるそうです」
「そうかい。じゃあこの”まほうやさん”とやらは実在した訳だね」
「架空の存在を利用した違う人間という可能性もあるだろう」
「もうー、国木田君は疑り深いなぁ。もうすぐ答えが出る訳だし、のんびり来客を待とうじゃないか」
「そんな暇があるなら報告書をまとめておけ」





太宰と国木田の云い合いを聞きながら、敦は改めて名刺を見つめる。

偶然人とぶつかり、偶然拾ったその名刺が、後に探偵社で起こる騒動の発端になるなど、その時はまだ気付いていなかった。
















降り続いていた雨が止み、夕焼けで空が赤くなった頃、外に出ていた谷崎と妹のナオミが探偵社へ戻った。



「お帰りなさい。偵察任務お疲れ様でした」
「ただいま敦君。社長は?」
「まだ戻られてないようですね」
「そっか、…もうこんな時間かぁ。特務課との会合長引いてるンだね」



そこで時計を見た敦は、先程の電話から二時間程経過している事に気がついた。



(まだ来ないなぁ…)



電話をしてからというもの、太宰は入り口と一階エントランスを往復しながら名刺の落とし主を待ち続けていた。が、一時間を過ぎた辺りから応接用のソファに腰掛け始め、今となっては寝転んでしまっている。



「あーつーしーくーん。本当に来るのかい?その麗しの淑女とやらは」
「そう云ってましたけど…確かにちょっと遅いですね」
「…誰か来客があるの?」



事情を知らない谷崎が敦に問いかける。

大まかな説明をすると、一緒に聞いていたナオミが表情を輝かせて声を発した。



「まぁ!正に運命の出会い、羨ましいですわ〜!!」
「嫌、そんな大したものじゃないよ」
「そんな事ないです!きっとその名刺がきっかけになって、これから新しい物語が始まるんですわ!」



まるで恋する乙女のように夢中になって話すナオミに、敦と谷崎は思わず苦笑する。

そんな時、探偵社の入り口が静かに開いた。





「すみません、電話をいただいた者なのですが」




凛とした声が響き、その場にいた全員が振り返る。
敦から聞いていたものの、想像以上の容姿、存在感を目の当たりにして一瞬時を忘れていた。



「あ、先程はすみませんでした」
「いえこちらこそ。わざわざ拾っていただいて、ありがとうございます」



そして彼女の声が聞こえたのか、ようやく太宰がソファから起き上がる。

何時ものように甘い言葉を囁こうと口を開きかけた太宰だったが、その姿を見た瞬間、言葉を失った。






「…………ナマエ、…?」






その太宰の声を聞き、敦と向き合っていた彼女も太宰を視界に捉える。

しかし少し困ったような表情を浮かべ、こう呟いた。






「…何処かでお会いしましたか?」





 
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