03




人気の無い細道を、太宰は一人歩いていた。




探偵社でナマエと酷似した人物と会ってから三日。
太宰は彼女に関係しているであろう"まほうやさん"についての情報を、連日集めていた。

ただ集めながらも、冷静な頭の隅で考えていたことが一つ、



"ナマエが生きている筈が無い"



という事だった。




四年前、
雨の降るあの夜。確かに彼女は死んだ。

自分のこの手で、彼女を殺したのだ。


自分が一番痛いほど判っている。あの日の事を、彼女の事を忘れた事など一度も無かった。




(それでも、)



探偵社を訪れた彼女の姿は、今を生きている筈のナマエの姿そのもので。あまりにもナマエに似ている姿が脳に焼き付いて離れなかった。

しかし、自分を見ても何の反応も示さず、まるで初対面のような対応。
ポートマフィアをはじめ、過去の彼女を知っている裏の組織は少なくない。誰かが彼女のフリをしてナマエの存在を利用しようとしている可能性も少なくないが、太宰は違う何かを感じていた。


そして調べを進めていく中でまほうやさんには彼女の他に"もう一人の人間"が関わっている事がわかった。
ありとあらゆる方法を使いまほうやさんの拠点を調べ上げ、今日は真相を確かめる為にとあるビルを探していたのだ。



(本当にただの他人なのか、それとも)



もう一人の人物が誰なのか、まほうやさんの正体は何なのか。

太宰はただひたすらに、狭い道を突き進んで行く。














「…此処か、」


古びたビルの一階部分。
closeの札がかけられた其処の昔の姿は容易に想像出来た。

窓越しに店内を確認すると、壁際にある本棚には未だに本がびっしりと並んでおり、暗い其の場所は異様な雰囲気を醸し出していた。



「ウチに何か御用?」
「!」



突然聞こえた声に、太宰は後ろを振り向く。
其処には一人の男が立っていた。

目の前の事に集中していた事もあるが、背後に人が近づいている気配すら感じなかった事に驚き、太宰は言葉が出なかった。
そんな太宰を見て、男は微笑みながら声を発する。


「ウチじゃなくて"あの子"に用があるようね。…アナタ、表の人間じゃないデショ」
「そう云う、其方もコッチ側の人間でしょう?」
「否定はしないケド。で?わざわざこんな所まで浮気調査に来た訳じゃ無いみたいだし、何を調べに来たのかしら?武装探偵社の太宰治さん?」
「…全てお見通しか、」



観念したように両手を上げ、改めて男と向き合う。

中性的な顔立ちをしたこの男が、まほうやさんに関わるもう一人の人間で間違いないようだった。




「腹の探り合いは無駄なようなので単刀直入に聞きます。彼女は何者ですか?」
「ウチの従業員よ?」
「この期に及んで誤魔化しは無しにしましょう。…私の予想が正しければ、彼女は、」
「元ポートマフィア特別幹部、一条ナマエの筈だって?」



口にする事を躊躇っていた太宰を遮り、男ははっきりと彼女の名を口にした。

過去の肩書を淡々と述べる男の表情を見ながら、太宰は閉じかけた口を静かに開く。




「…流石、裏社会を把握している情報屋の名は伊達ではないようですね」
「君の噂は嫌でも聞こえてくるからね〜、自然と周りの事それなりに入ってくるのよ」
「彼女は、…ナマエ、なんですか」



久しぶりに声に出した彼女の名前。
無意識に、彼女を撃った夜の事を思い出した。

"愛してる"と囁いた、彼女の最後の表情を。




「…一条ナマエであって、一条ナマエでは無い」
「!」



壁に寄りかかりながら取り出した煙草に火をつける男。
そして煙を吐き出しながら静かに答えた。



「君が考えてる事はきっと半分当たってる。でも答えにたどり着いた所で、君が望むものは何も無いわ」
「其れはどういう、」
「此処から先は料金発生するわよ。それに、今から依頼人が来るから今日はお引き取りいただける?」
「…判りました」



素直に従う太宰に、男は笑みを向ける。
踵を返し歩き始めた太宰だったが、数歩歩いた所で後ろを振り返った。



「…貴方の名前を伺っても?」



太宰の問いに、男は笑みを浮かべ静かに答えた。




「そうね、カオルさんとでも呼んでちょうだい」





































買い出しを頼まれた敦は一人、横浜の街を歩いていた。

事務用品の買い物は直ぐに終わり探偵社へ戻ろうとしていたその時、見覚えのある横顔が視界に入った。



「あ、」
「!」



敦の声に反応し、その人物が此方を振り向く。矢張り、数日前に名刺を拾った彼女であった。
しゃがみ込んでいた彼女の目線の先には幼い少女が一人立ってあり、急に声を掛けた自分を不思議そうに見上げている。




「じゃあおねえちゃん、ばいばいっ」
「バイバイ。気を付けてね」
「…すみません、急に声を掛けてしまって」
「いえ、大丈夫ですよ」



笑顔で駆けていく少女を見送り、穏やかな笑みを浮かべる彼女。無意識に見惚れていた敦だったが、振り向いた彼女と視線が交わり背筋を伸ばした。


「えっと、確か探偵社の…」
「中島敦です。先日はありがとうございました」
「こちらこそ、あんなものをわざわざ拾っていただいて。捨てていただいて良かったのに」
「いや、流石にそれは…」
「"まほうやさん"だなんて、都市伝説か何かだと思ったでしょう?」



笑顔のまま問う彼女にどう言葉を返したら良いのか判らず、敦はあからさまに視線を泳がせた。



「あ、まぁ…ハイ」
「ふふ、無理もないです。でも、実際に頼ってくる子はいるんですよ」
「え?」
「さっきの子もそう。内緒で世話をしていた野良猫の行方が判らなくなって。誰にも言えなくて私のところへ来たんです」



確かに、少女は小さい猫を抱いていた。
敦はまほうやさんが実在した事に多少の驚きを感じながらも、気になっていた事を彼女に問う。



「…あの、」
「はい?」
「噂で聞いたんですけど、その…まほうやさんは表の顔で、本当は裏の世界の情報屋だっていうのは、本当…なんですか?」



恐る恐る、といった感じで声を発する敦に、彼女は笑顔のまま静かに答えた。



「…武装探偵社の人間に誤魔化しは通じないですね」
「!それじゃあ、」
「そう。君が考えている通り。…私は裏の世界で生きてる」



その言葉を口にした途端、彼女の纏う空気が一変した。
ピリ、とした空気に中てられ、敦は思わず生唾を飲んだ。



「本当はこんな陽の下を歩いてはいけない人間だけど、まほうやさんとして仕事をする時はどうしても表に出ないといけないから」
「…余計なお世話かもしれないですけど、どうしてわざわざそんな事を?ボランティアとも思えないんですけど…」
「理由、そうね…」


「罪滅ぼし、かな」




そう話した彼女の表情は、何処か悲しそうな表情をしていた。

何か声を掛けようとした敦だったが、上手く言葉に出来ず立ち尽くすだけだった。




「それより敦君、買い出しか何かの途中じゃない?」
「あ!そうでした…!」
「じゃあ、気を付けてね」
「あ、ハイ」



急いで探偵社へ戻ろうと走り出した敦だったが、不意に足を止める。
そして彼女の方を振り向き、もう一度声を掛けた。




「あのっ!」



敦の呼びかけに、彼女はゆっくりと振り向いた。




「…名前を、聞いてもいいですか?」



その言葉に、一瞬の間を作った彼女だったが、静かに声を発した。





「…一条、ナマエ」




そう呟いた彼女は敦の顔をもう一度見つめ、そして静かにその場を後にする。


その後ろ姿が見えなくなるまで、敦は何故かその場から足を動かせずにいた。







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