04



夜空に浮かぶ大きな月を見上げ、ナマエは目を細める。
夜の闇に紛れて歩く彼女の足は港の方角へ向けられていた。



数時間前に入った調査依頼。依頼主も内容も不明の電話だったが、裏社会の情報を求める依頼であればこういったケースも少なく無い。
午前零時、港の廃倉庫と指定された内容を頭に入れ、周囲に気を配りながら静かに目的の場所を目指した。



(…誰もいない?)



待ち合わせ場所である廃倉庫に着いたが、倉庫周辺に人の気配は無く夜の静けさに包まれていた。
時間を確認すると、ちょうど零時を過ぎたところ。この手の取引は時間厳守が暗黙のルール、しかも今回は相手側が指定した時間である。

悪戯か、それとも罠か。
少し様子を見ようと、念のために持ってきた銃に手をかけたその時、



「遅くなって申し訳ないね」
「!」



急に響いた声に、反射的に銃を向ける。
銃口を向けられたにもかかわらず、笑みを浮かべている目の前の人物を視界に入れたナマエは息を飲んだ。



「…貴方、確か探偵社の」
「先日はどうも。…随分と物騒なモノを持っているようだけれど」
「護身用です。こっちの仕事は乱暴な方を相手にする事が多いので」



見知った人物を前に、銃を下ろすナマエ。
気配を全く感じさせずに近づかれた事に、早まる鼓動を必死に落ち着かせた。



「依頼したのは貴方ですか?」
「嗚呼、そうだよ」
「内容は」
「ある人物を探して欲しい」
「…人探しならご自分でやられた方が早いのでは?」
「残念ながら私だけの力では限界を迎えてしまってね。頼れるのは君達だけなのだよ」




("達"、という事はカオルさんの存在に気付いてるのね)




太宰の言葉に、ナマエは一層警戒心を強める。
大袈裟に腕を振り、胡散臭い演技をする男を目の前にナマエは小さく息を吐いた。




「それで、探して欲しいというのは?」




ナマエの問いに、背を向けていた太宰がゆっくりと体を此方に向ける。

月明りを背負い、幻想的な雰囲気を醸し出す太宰を見て、思わず現実を忘れてしまうような何かを感じていた。






「一条ナマエという人間を探して欲しい」





太宰のその言葉に、ナマエは大きく目を見開く。

彼女の反応を見ても、太宰は何も云わずただ返答を待った。



その場を静寂が包む。夜の港に響く波音だけが耳に届いていた。

少しの間を置き、ナマエが漸く口を開いた。



「…貴方の事はある程度知っている心算です、太宰治さん」
「おや、美女に覚えていてもらえるとは光栄だね」
「過去の事、一条ナマエとの関係も」
「話が早くて助かるよ」
「…私のこの姿を見て貴方が何を思ったのかは容易に想像がつきます。だって、」




彼女はもう死んでいるんですから。





「他を寄せ付けない頭脳と知識を持つ貴方なら、もうカオルさんにもたどり着いたんでしょう?」
「そうだね」
「彼に何を聞いたのかは判りませんが、貴方の考えは間違っています」
「…其れはどういう意味だい?」
「私は、」



「…私は、ポートマフィアによって作られた、死亡した一条ナマエの細胞から作られたクローンです」





その時、月が雲に隠れた。


太宰は口を閉じたまま、ただナマエの顔を見つめている。




「貴方が期待する気持ちも理解できます。でも、此れが真実なんです」
「……」
「だから、この依頼は…」
「否、依頼は撤回しないよ」
「…え、」
「内容の変更もしない。私は、"一条ナマエ"を探して欲しいんだ」



真っすぐナマエの目を見つめたまま、はっきりとそう答えた太宰。
対してナマエは困惑した表情を浮かべる。

成立する筈の無い今回の依頼、既に死亡している人間を探し出して欲しい等、正気とは思えなかった。



「太宰さん、ご自分が何を云っているか判っていますか?」
「勿論」
「…彼女は既に死んでいるんです。貴方が、一番其れを理解しているでしょう」
「そうだね、ナマエの心臓を撃ち抜いて殺したのは私だから」
「なら何故、」
「有り得ないからさ」
「有り得ない?」


「ナマエが私を置いて逝くなど、絶対に有り得ない」



そう話す太宰の表情は何処か自身に満ち溢れていた。
まるで、四年経った今でも、彼女が生きているという自信があるとでも云うような、そんな表情だった。

強い意志を感じる太宰の瞳から目が逸らせずにいると、今度は柔らかく微笑み口を開いた。



「本当は、私も最近まで諦めていた。半分は彼女の死を受け入れていたんだ。でも、君を見つけた時から四年前に彼女と交わした約束が鮮明に蘇ってきてね」
「…約束…?」
「そう、"死ぬ時は二人で心中。"此の約束は彼女としか果たせないし、彼女も私とでなければ果たせない」
「存在しない人を探せと云うんですか?」
「人間は皆矛盾しているものさ」
「…おかしいですよ太宰さん。そんなの、依頼として成立、」
「よし、それなら取引をしよう」
「取引…?」



絶対に引く気配の無い太宰に、ナマエは必死に考えを巡らせる。
一筋縄ではいかないこの男、口で勝てる気配はまるで無かったが、ナマエ自身も折れるわけにはいかなかった。




「私も君の事を信用している訳じゃあない。ナマエは四年前、裏社会ではかなり名の通った存在だった。彼女の存在を利用した、別の何かが君を差し向けている可能性だって十分にある」
「……」
「君の云う事が真実で、本当にナマエの細胞を受け継いだクローンであれば、そもそも存在自体が禁忌。これは超機密事項だ、異能特務課が知れば君は間違いなく拘束されるだろう」
「それを隠す、と?」
「そう、私なら其れが出来る。それに、ポートマフィアがナマエのクローンである君を易々と手放すとは思えない。…君、逃げ出して来たんだろう?」
「…脅しですか、本当に貴方は目的の為には手段を選ばない人のようですね」
「否定はしないさ、私はナマエの為なら何だってする」



そう話す太宰の目は、かつて闇を生き抜いていた彼そのものだった。
どんな犠牲を払っても、一条ナマエという存在に近づく。太宰の揺るがない意志を感じていた。




「…彼女を撃ったのは私だ、と仰っていましたが」
「嗚呼、云った」
「つまり、殺したのは貴方なんですよね」
「そうだね」

「…自分が殺した相手に会って、貴方は何がしたいんですか?」




真っすぐ太宰を見つめ問うナマエに、今度は太宰が黙り込む。
心中の約束をしたとはいえ、自分が撃ち殺した相手とまた会いたい等理解出来ない。その疑問が生まれるのは自然な流れだった。

核心に迫るその一言に、暫しの間を置いた後、太宰は小さく呟いた。




「判らない」


「…ただ、もう一度、会いたいんだ」




夜空を見上げる太宰の横顔は何処か見えない何かを探している様だった。
そんな彼を見て、ナマエは目を閉じ大きく息を吐いた。



(カオルさん)



脳裏をよぎる恩人の顔。

ナマエはゆっくりと目を開いた。




「外見や性格、身体能力以外の力を、私はオリジナルの一条ナマエから受け継いではいません」
「…そうだろうね、もし成功していたのなら本当に特務課の出番になる」
「本来なら成立しない依頼です。…結果を、保証は出来ませんよ」
「その点は心配いらないよ。"君自身に彼女を探してもらう事"に意味がある」




結果的に、太宰の口車に乗ってしまった。この結果を太宰は予想していたのかもしれないが、此れは抗えない運命なのかもしれない。
そう思いながら、とうとうナマエは首を縦に振った。




「…判りました」




大きく息を吐き、太宰を見据える。

潮風が二人の間を通り抜け、ナマエの長い髪をなびかせた。





「其の依頼、承ります」





ナマエのその言葉を聞き、太宰はにこりと笑顔を向ける。





「よろしく頼むよ、"まほうやさん"」





月を隠していた雲が、風に乗って流れる。

淡い月明りが、二人を照らしていた。





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