05



「仕方ないわね」


煙草の煙を吐き出しながら云い放ったカオルの言葉を聞き、ナマエは呆けた表情のまま言葉を発した。



「…てっきり怒られるか呆れられるかと、」
「そりゃあ多少はね。元はと云えばアンタの不注意で面倒な彼に此の場所を知られた訳だし?それに加えて今度は無茶苦茶な依頼を受けてきて。おかげで暫く表に出られないじゃない」
「ご、ごめんなさい…」
「まァ…あの太宰クンを出し抜くのは簡単じゃないし、今回の件は目を瞑るわ」





太宰からの依頼を受けた後。
ナマエは拠点に戻ってすぐに土下座をする勢いでカオルに謝罪をした。"自分の存在を隠してくれていた"カオルの努力を無駄にしてしまった事に、何を云われるか内心ヒヤヒヤしていたナマエだったが、予想に反して小言で済んだ事に胸を撫で下ろした。



「それに、この件を抜きにしても暫く大人しくしていたほうが良さそうよ」
「…どういうこと?」



長い脚を組み椅子に座るカオルに、ナマエは首を傾げた。



「あの探偵社の中島クン、闇市場で七十億の値がついたみたいね」
「!」



つい先日出会った白髪の少年の姿が頭に浮かぶ。

一見、何の変哲もない(奇抜な髪形や服装以外)普通の少年だと思っていたが、七十億という裏社会でもあまり例の無い金額がついた事にナマエは驚きを隠せなかった。



「ただの人間じゃないってこと?」
「でしょうね、額が額だし」
「それだけの価値が…」
「中島敦、十八歳。出身は孤児院、其処を追い出されて横浜に来たのはつい最近。その後に武装探偵社員になったようね」



カオルが調べ上げたであろう情報を聞き、ナマエは顎に手を当てた。


(そういえば、)


彼に触れた時に感じた違和感。言葉では言い表せないアレが、彼についた高額な値に何か関係があるのか、考えを巡らせる。



「異能力者…?」
「最近虎の目撃証言と被害が出ていたでしょう。その虎が目撃された場所は彼の移動経路とほぼ同じ。間違いないわね」
「…そんな大金をかけられているなら、既に動いている組織も多そうだけど」
「最近は裏社会も不景気だからね〜、少し前から嗅ぎ付けてるトコも少なくないみたいよ。例えば、」

「ポートマフィアとか」



カオルのその一言に、ナマエは一瞬動きを止める。
彼女のその様子を見ながら、カオルは煙草を灰皿に押し付けた。



「ま、そういう事だから。アンタも当分は用心しなさいね。"目的を果たす前に"彼等に見つかると面倒でしょう?」




そう云い残し、カオルはその場を後にした。その後ろ姿を見送り視線を窓の外へ向ける。
今にも雨が降り出しそうな空を見上げナマエは小さく息を吐いた。





























「お母さん見つかって良かったね」
「ありがとうおねえちゃん!」
「本当に、ありがとうございました」


頭を下げる母親と元気よく手を振る子供を笑顔で見送り、ナマエは元来た道へと戻った。


暫く大人しくしているとは云ったものの、生活必需品の補充は必要不可欠であり、ナマエは街へと足を運んでいた。
念の為日中の人が多く出歩いている時間帯を選んだのだが、途中迷子と遭遇し一緒に親探しをする事になったのだった。幸い母親は見つかり、無事に子供を送り届ける事が出来たが予想以上に時間を費やしてしまっていた。



(早く戻らないとカオルさん心配するだろうなぁ)



腕時計を見ると出発してからだいぶ時間が経ってしまっていた。
急いで用事を済まそうと踵を返した

その瞬間、



____ダダダダッ!!



(!銃声…っ!?)



この場から遠くない場所から確実に聞こえた音。
周囲の人々も不思議そうに足を止めていたが、「今日近くで映画の撮影してるらしいからその音じゃない?」と特に気にせず歩き出していた。
しかしナマエはその場から動けずにいた。早く此処から離れなければ、拠点に戻らなければ、という意識に反し身体は音の聞こえた方角に向いていた。



(こんな時間に、しかも街中で派手に動く組織は限られてる)



つい先日カオルから受けた忠告が頭をよぎったが、ナマエは路地裏の奥へ進んで行った。




















進むにつれて大きく響く轟音。そして濃くなる血の匂い。この先で何かが起きている事は確かなようだった。
気配を殺し、ナマエは静かに距離を縮める。
細道を抜け、ビルの陰から顔を覗かせると予想外の光景が広がっていた。



血塗れで倒れる男女、見覚えのある二人は恐らく武装探偵社の人間である。

そしてその奥、



(虎…?)



白い虎が、其処には居た。

予想が正しければアレは敦である。頭で理屈は判っていても、荒々しいあの虎が心優しい少年と結びつかず素直に受け入れる事が出来ない。



「羅生門」



聞き覚えのある声に、意識を其方へ向ける。
黒衣を身に纏い外套を操る青年。記憶の中にある彼よりも少し成長したその姿を見て、声が漏れた。



「…芥川」



そして対峙する二人。
ほぼ同時に間合いを詰め互いに攻撃体制に入った瞬間、その男は現れた。



「はぁーい、そこまでー」
「!」



気配も感じさせず何処からともなく現れた男、太宰の異能力「人間失格」により芥川の羅生門は無力化され、虎になった敦は異能を解かれた。
一瞬の出来事、そして予期せぬ事態に芥川の後方で構えていた部下の女が声を上げる。



「貴方は探偵社の…!何故此処に、」
「美人さんの行動は気になるタチでね。…こっそり聞かせて貰ったよ」



そう話す太宰の手には小型の受信機。其れを見て女はジャケットのポケットに盗聴器が仕込まれていた事に気が付いた。



(またやらしい手口ね、らしいやり方だけど)



此処までの経緯を見ていた訳では無いが、太宰と女の会話を聞いて大体の事を把握した。太宰がどのように彼女に盗聴器を仕込んだのかも、容易に想像出来る。



「太宰さん、今回は退きましょう。しかし人虎の首は必ず僕らマフィアが頂く」
「何で?」
「簡単な事。その人虎には闇市で七十億の懸賞金が懸かっている。裏社会を牛耳って余りある額だ」
「それは随分と景気の良い話だね」



(矢張り、ポートマフィアの目的は敦君か)



カオルの情報通りの展開に、ナマエは目を細める。



「探偵社にはいずれまた伺います。その時素直に七十億を渡すなら善し、渡さぬなら___」
「探偵社と戦争かい?やってみたまえよ」

「…やれるものなら」



かつて裏社会を生きていた時代、マフィアの闇そのものであった時の目を向ける太宰に、芥川は本能的に警戒心を露わにする。



「ッ、零細企業如きが!」


樋口と呼ばれていた部下の声が路地裏に響いた。


「我々はこの街の暗部そのもの!この街の政治、経済の悉くに根を張る!たかだか十数人如きの探偵社など、三日と待たず事務所ごと灰と消える!!」

「我々に逆らって生き残った者などいないのだぞ!!」



その脅しの言葉にも怯む様子も無く、太宰は飄々とした態度で口を開いた。



「知ってるよその位」
「…然り、他の誰より貴方は其れを承知している」


「元ポートマフィアの、太宰さん」



芥川の言葉に、太宰は不敵な笑みを浮かべる。




(…此れは裏社会だけでは済まないわね)



武装探偵社とポートマフィア。
二つの組織が対立、宣戦布告の瞬間を目の当たりにし、この情報をカオルに伝えるべくナマエは静かに抜け道へと体を反転させた。



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