03


私と中也がマフィアに入った時、既にナマエは幹部候補として前線に立っていた。


第一印象は"薄幸そうな娘"。
外見は貴族の御令嬢を思わせる端正な顔立ちで透き通るような肌、それでいて気品を感じさせる立ち振る舞い。
しかし彼女からは生気が感じられず、まるで心を持たぬ人形のようだった。何より琥珀色の瞳からは光が消え失せ、掌から幸福を零れ落ちたような、縋る何かを探している。
そんな印象だった。




「太宰」


凛とした声に脳が反応し、意識を現実に戻す。振り返ると今まさに脳内で思い描いていた人物が部下を引き連れ廊下に立っていた。


「今日の任務の資料の差し替え。作戦に修正箇所が出来たみたい」
「へえ?何でまた」
「潜らせてるスパイがやらかしちゃったのよ。向こうが此方の奇襲を察知してる」
「…全く、駒の人選も考えた方が良いね」
「……首領の意向だったの」

仕方ないでしょ、と口を尖らせるナマエを見て思わずふふっと笑みがこぼれる。
今回の任務は彼女が動かしている。上からの指示とは言え、自分の計画が崩れた事を気にしているのだろう。


「一条様。私は動線を固めておきます」
「そうね、向こうが動いた事で軍警も嗅ぎつけてくるだろうから用心して」


部下の男に指示を出す姿から、かつて自分が抱いた”薄幸な娘”という印象は微塵も感じなくなっていた。


出会いの頃から年月は流れ、今やマフィアの中枢を担う存在になっているナマエ。

組織内では首領の寵愛を受けながらも、周囲の人間に文句の一つも言わせない力と人望を持ち合わせている。
この世界、女というだけで反感を買いがちだが、彼女は特別幹部という立場にいる。
普通であればやっかみや妬みの対象になる所である筈だが、反感どころか彼女に楯つく人間は皆無でむしろ心酔している者の方が多い。

異能を持ち合わせる実力もさる事ながら、人目を引く容姿に加え彼女の人間性が人望を得る要因となっていた。



「相変わらず君の部下は熱心だねぇ」


彼女の部下の男が廊下の向こうに消えたのを確認して声を掛ける。


「北原の事?まぁ、良くやってくれてるとは思うけど」
「仕事の事じゃない。彼が見ているのは何時もナマエだよ。まるで褒美を待つ忠犬…否、あれは牙を隠した猛犬だ」
「…そう?そんな事言ったら太宰の所の芥川もそうじゃない」
「彼はただの駄犬だよ。それより、」


するりとナマエの頬に手を伸ばす。
拒む素振りも見せず、ナマエはただ太宰の目を見つめていた。


「今は二人きりだけど、名前で呼んでくれないのかい?」
「…誰か来るかもしれないでしょ」
「何も問題無いだろう?それに、中也は何時も名前で呼んでるじゃないか」
「中也は中也なの」


この問答は何度かあったが、人前で太宰を名前で呼ぶ事をナマエは頑なに拒み続けている。
理由を聞いても、公私混同したくないだの、部下に示しがつかないだの、太宰信者が怖い(向こうからしたらナマエが怖いと思う)だの、最もらしいようなそうでないような理由を述べて逃げられる。

太宰としては理由云々より中也との差は何かを知りたい所ではある。が、二人きりの時や気を抜ける環境では、治と呼ぶ素直さはあるので良しとしていた。

現に、頬に添えた手に自分の手を重ね、擦り寄るように顔を傾けるナマエを見ると全てを許してしまう感覚に陥る。



「全く、あの時から成長したのは身体だけじゃないみたいだね」
「ふふ、何の話?」
「内緒」


きっと分かっているだろうに、わざと聞いてくる辺りも彼女の魅力と感じている自分は末期だろうか、と常々思う。
否、これはむしろーーーーー



「じゃあそろそろ行くよ。最悪な事に今日は時間に五月蝿い中也とツーマンセルだ」
「それは私の人選に対する嫌味?」
「どうかな。まぁでも、」
「っん、む」


頬に添えた右手はそのままに、ナマエの後頭部に左手を伸ばして、彼女が反応する隙も与えず唇を重ねる。
驚き身体をピクリと揺らすナマエだが、予想していたかのように直ぐ順応し、太宰の唇と舌の動きに合わせる。


「は…ぅ、治、」
「…何時もそう素直に呼んでくれたら良いのになぁ」
「ちょっ…ここ!廊下!!」
「ふふっ、顔真っ赤。その顔が見れたから行くしかないね」


ちゅ、と頬に唇を当てるとくるりと背を向け歩き出す太宰。
きっと耳まで赤くしているナマエの姿を想像すると口角が上がるのを抑えられなかった。







末期?

否、この感情は


ーーーーー依存だ。





まだ唇に残る柔らかく甘い感覚を隠すように右手を当て、太宰は任務の準備をするべく執務室へと足を進めた。




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