05


酒場独特の雰囲気は昔から嫌いでは無い。

薄暗い照明、煙草の煙、ゆっくりと流れる時間。
そこで他愛も無い話に花を咲かせ、アルコールが身体に染み込んでいく感覚に浸るのがナマエは好きだった。

今日も行きつけの店のドアを潜り、馴染みの店主と目が合うと微笑みながら軽く会釈をする。
そのまま視線をずらすと、一人カウンター席で静かに酒を煽る目当ての人物の後ろ姿を見つけ、頬が緩んだ。




「オニイサン、一人?」



わざとらしく猫撫で声で声を掛けるとゆっくりと振り返り視線が交わる。
その瞳に驚いた様子は無く、ただ優しい目で男は口を開いた。



「…生憎、連れて歩く女が居なくてな」
「じゃあご一緒しても?」
「勿論だ」


答えが分かっていたかのように自然な流れで隣に座るナマエ。

そしてふわりと笑みを浮かべ話を始めた。



「久しぶりだね、作之助」



ナマエから漂う懐かしい甘い香りを感じながら、織田作之助はそうだな、と目尻を下げて静かに笑って答えた。

織田の反応に気を良くしたナマエはバーテンダーに何時ものお願いします、と声を掛けた。



「よく分かったな。俺が飲んでると太宰に聞いたのか?」
「ううん、何となく」


ナマエの前にグラスが置かれ、そのまま静かに乾杯をした。


「そうか」
「仕事がひと段落ついて、飲みたいなーと思ってフラフラしてて、もしかしたら作之助いるかなーって入ってみたら、ビンゴ」
「…俺が言う事じゃないかもしれないが、お前はもう立場ある人間なんだから無闇に出歩かない方が良」
「ストップ」


人差し指を織田の鼻先に突きつけ、少し拗ねたような表情で言葉を遮るナマエ。


「二人の時にその話は出さない約束」
「…しかしな、」
「どうせ治に”あまり自由に出歩かせるな”とか言われてるんでしょう?私だって飲みたい時もあるし、行動を制限される覚えは無い」


流石、といった所か此方の胸の内は筒抜けのようだ。

織田が返す言葉を脳内で探していると、それに、と視線を落としながらナマエが呟く。



「…作之助に、会いたかったし」



少し寂し気で、今にも泣き出しそうな子供のような目。



(嗚呼、俺は本当にこの顔に弱い)



ナマエが自分を兄のように慕い、家族に向ける感情を向けているのは良く知っていたし、その思いに応え自分も彼女に対し実の妹のように接してきた。

実力に比例して組織の中で階級を上げ、今や五大幹部と同等の立場にいるナマエ。
女という事を引け目に感じているのか、彼女は組織内で一切弱みを見せず、甘え等許されないとでも言うかのように与えられた仕事を淡々とこなす。

そんなナマエが甘えられる場所で有ろうと、織田は出来る限りの事をしてきた。そしてこれからも、この立場は他者に譲るつもりは無い。


ただ、ナマエを大切に思う部分は太宰と同じで、太宰が考える事も理解している。故に己の中での葛藤が生まれていた。


「最近顔も見てなかったし、次にこうやって会えるのも何時になるかわからないじゃない」
「まぁ…そう、だな」
「それに作之助言ったでしょ。私が特別幹部の任を受ける時、”俺の前では立場を忘れて良い”って。あれ嘘だったの?酷い、嘘つき」
「……すまん」


こうなったナマエを止められるのは太宰か中原であると理解している織田は、渋々といった感じで白旗を上げた。

正直な所、ナマエと会えた事は織田としても幸運だと感じていたし、本当に太宰の意思を貫くつもりでいたならば、ナマエが店に入って来た時点で上手く誤魔化して早々に酒場を出ていただろう。



つまり、最初から答えなど決まっていたのだ。




「良いよ、私の事考えてくれてるの分かってる。…私も我儘云ってごめんね」
「いいさ、お前の貴重な我儘を聞けるのは俺の特権だからな」
「…意地悪」


先程までの強気が嘘のようにしゅんと小さくなったナマエの頭をくしゃりと撫でると、安心したように目を伏せ、ふふっと笑い声を漏らした。


「本当、こんな妹がいたら大変だったね」
「ナマエに勝てる日は来そうに無いな」
「でも作之助が困ってるとね、余計に引きたくなくなっちゃう」
「…そういう顔、太宰に似てきたな」



その言葉を聞いた瞬間、グラスを傾けていたナマエの手がピタリと止まった。

何か地雷だったか、と横目でナマエの表情を窺うと今度は彼女が困った表情をしていた。



「……ずっと考えてた事があるの」


カラン、と溶けた氷を見つめながら、静かにナマエは語り始めた。


「治と距離を置くにはどうしたらいいか」
「距離?」
「そう、距離」


織田から見ても二人が特別な関係にあるのは一目瞭然だった。

共に幹部という立場にあり、仕事面での信頼関係は確かなもので、太宰とナマエのコンビは双黒に引けを取らないとも言われている。
そして仕事以外でも二人にとって互いが必要不可欠な存在なのだと、常々感じていた。


それが何故、距離を取る必要があるのか織田には理解出来なかった。


「喧嘩でもしたのか?」
「そんなの何時もしてる」
「…浮気されたか」
「浮気も何も、私達はそういう関係じゃないよ」
「じゃあ何故、」



織田の問いに、ナマエはどこか遠くを見るように前を見つめた。

その憂いを帯びた横顔に儚さ、艶やかさ、そしてナマエ特有の美しさを感じ、織田は思わず息を飲んだ。





「このままだとね、私も治も_______」





紡がれた言葉を聞き、織田は立場の違う友を想った。


お前が思う以上に、ナマエは脆い人間なのかもしれないぞ_____太宰。




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