06


「ナマエ、入るぞ」


早朝、ポートマフィアが誇る特別幹部の執務室前。

中原中也は資料を片手に室内の気配を探っていた。



最近ナマエがマフィアの傘下に入るよう交渉成功組織が、今になって交渉決裂を宣言。加えて下級構成員を襲い宣戦布告までしてきた。
この事態に首領を含めた幹部、及び準幹部が緊急会議を行う事になった。
ナマエは数日前から別件の任務に出ており、数時間前に本部に帰還した為ナマエはこの事実を知らない。恐らく就寝中と思われる彼女に事態を伝達、そして起床を促す役目が中原に回ってきたのだ。


数回のノックと呼びかけに対しての反応は無かったが、相手がナマエであれば問題は無い、と重い扉を開け執務室に入る。

室内を見渡すと、何時も事務作業や書類整理に使用しているデスクにはやや乱雑に書類が散らばっており、ソファには外套や仕事着が脱ぎ捨てられていた。


珍しいな、と思いながら中原は足を進める。
何時も身の回りを綺麗に整頓しているナマエ。基本、幹部クラスになると世話係りや女中が付き、清掃などを含め世話をするがナマエは一切頼まない。
どんなに忙しくても他者が出入りする執務室は極力散らかさないよう心掛けていた。

そんな彼女にしては珍しい部屋の様子だった。


(仮眠室か、)


執務室の奥にある仮眠室の扉を静かに開けると、窓際に備えられたベッドが盛り上がっているのを確認した。
足音を立てず近づき、顔を覗き込むと目的の人物が身体を丸めて眠っていた。

本部に帰還した時間を考えると、恐らく入眠して間もない事は明らかだが、特別幹部であり今回の一件に大きく関わっているナマエの会議の参加は必須である。

休ませてやりたい本心を押し殺し、未だ眠るナマエの肩に手を添えたその時、


中原の視界が反転した。




(…そういや昨日までの任務は確か暗殺だったな)


自分の上に馬乗りになり、首筋にナイフを当て殺気立つナマエの瞳を見上げながら、中原は冷静に思い返した。




「ナマエ、俺だ」



この状態になる事を予期していた中原は動揺する事も無く、既にナマエの手首を掴みナイフの動きを制限させていた。

ナマエの目から視線を動かさず、諭すような声で呼びかける。
すると次第にナマエから溢れていた殺気が消え、瞳に光が宿り何時もの表情に戻った。


「……ちゅうや?」
「嗚呼」
「…中也」
「おう、俺だ」
「中也、ちゅう、や」



ナマエは一人で眠ると基本的に一人で起床する。物音や気配に敏感で部屋に入室した時点ですぐに起きるのだが、ごく稀に触れられるまで起きない事がある。

そして、特に戦闘や暗殺の類の任務後に他者に起こされると、ナマエは決まってこうなるのだ。
緊張感が抜けない事や任務の余韻が残り、無意識のうちに身体が反応してしまうらしい。
以前、下級構成員が起こした際に仮眠室があわや殺人現場になりそうになった事があり、以降寝ているナマエを起こすのはナマエの動きに反応出来るごく少数の人間に限られるようになった。



ようやく我に返ったナマエは、視界に入った中原の姿を見て張り詰めていた緊張が解け、ゆっくりと身体を倒し中原に縋り付く。
慣れたように中原もナマエの背中に手を回し、優しい手付きで頭を撫でる。

が、ナマエの身体に違和感を感じそのまま一緒に身体を起こす。



「ナマエお前熱あるだろ」


身体を起こしても依然中原に寄りかかるナマエの身体は熱く、よく見ると呼吸も荒い。
当の本人も寒気からか中原から離れようとしなかった。



「…何時からだ」
「わかんない…仕事、してる時に動きに違和感はあった、けど」
「チッ、また無理しやがったな…」



(成程、この状態なら執務室の荒れ具合も納得はいく)



一般的な人間と比べるとナマエは体調を崩す事が多い。

首領の見解によればナマエの異能に本人の身体が付いていけないらしく、限界値を超えると体調に異常をきたし、酷い時には四十度を超える高熱が数日続く時もある。

日頃から貧血や低血圧の症状が多く見られる事に加え、ナマエはとある理由で薬が効かない。故に一度体調を崩すと自力で治すしか無くなる。

その為体調管理に関して中原と太宰の二人に特に釘を刺されていた。



「結構高ぇな。首領に知らせてくるからとりあえず寝てろ」
「…何かあったから起こしに来たんじゃないの?」
「んな事は後だ」


ナマエの身体をベッドに寝かせ、布団を被せながら慣れた手付きでベッドサイドの引き出しから体温計を出し検温する。
ピピ、という電子音の後に表示された数字を見て中原の眉間に皺が寄った。



「四十度超えか…。三日は使いモンにならなぇな」
「……ごめん、なさい」
「もう慣れた。念の為に医療班を呼ぶから大人しくしてろよ」



そう言い扉へ向かおうとする中原だが、指先を掴まれる感覚に反応して振り返る。

言葉こそ無いなものの、弱い力ではあるが自分の指を握りしめ、不安気な表情で潤んだ目で見つめてくるナマエに、中原はゆっくりと腰を落としベッドに横たわる彼女に目線を合わせる。


「…別に怒っちゃいねェよ」


壊れ物を扱うように頭を撫で、前髪をかき分け額に唇を落とす。


「用が済んだら戻る。今は休め」
「……うん」
「じゃあ行くからな」
「…中也」
「ん?」


「ありがとう」



握られていた指が離されたのを確認すると、再び扉へ向かう。

外へ出る前にもう一度ナマエを振り返ると、既にナマエは眠っているようだった。
その姿を見て中原は目を細めた。




(…無理するな、と云っても此奴には意味ねぇんだよな)



眠りについた彼女を起こさぬよう静かに扉を閉め、足早に会議室へと向かう中原。

先程当てられたナイフの感覚を消すように、掌を首筋に強引に擦り付けた。



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