「今日はほんとごめん、お陰で助かった!!」
 散々嫌味を言われるのを覚悟して先手必勝、ただいまより先にそう言ったのにも関わらず、彼は――祐月は、きょとんとした顔で瞬きを繰り返している。お皿によそった夏野菜のパスタ? みたいな奴をテーブルに運ぶところだったらしい。数秒固まって視線が上の方を彷徨った後、ああ、と思い立ったことを瞳が語った。別にいいですよと皿を運ぶ片手間に答えてくれる。しかしこの男、不機嫌な風に見えてご機嫌だったり、機嫌良さげに見えて不機嫌だったり、なかなか食えない男なのである。淡い色をした長髪がゆるやかに靡くのは見ていて穏やかな日常風景だが、念には念を、俺は攻撃の手を止めない。実はさ……と無難な言葉を勢いで並べつつ、テーブルに紙袋を乗せる。そして祐月が覗き込んできたところで袋を開いていく。予想以上のサイズだったそれを抱き上げ奴の腕に押し付ける。温厚ながらも鋭さのある彼の瞳と全く対照的なその生物のまぬけな瞳が向き合う光景は、だいぶ面白い。
「……何ですか、これ」
「ウーパールーパー」
「うーぱーるーぱー……」
「お前、絶対機嫌悪いと思ったから、帰りゲーセン見回りしてたときに取ってきたの。やるよ」
 体長1メートルくらいのなかなか大きなぬいぐるみだ。胸のあたりで首を掴まれても垂れ下がった尾は膝上くらいまである。車だったから持って帰ってくるのは楽だったが、こうして見るとなかなか場所を取る。ただでさえ狭いベッドがこいつに占領されては、やることもできなさそうな気がしてくる……という俺の煩悩はさておき、祐月は至極真面目な顔で、その気の抜けた顔を見つめている。そして不意に俺に視線を向けると、すごく訝しむように言った。
「……あの。僕のこと、二十代くらいの女性か何かだと勘違いしてません?」
「取ってくれたの、うちの生徒だったんだよ。ほんとは注意しないといけなかったんだけど、お咎めなしの代わりにこれ取ってくれって言ったら取ってくれた。うん、まあ、彼女へのプレゼントって話にしたな!」
 ぬいぐるみのゆる〜い表情と、祐月のきつ〜い表情に同時に見つめられる。何も言わないが、教師としてどうなのと怒られている気がする。怒りを収めよう作戦で怒りを買うという、なんという本末転倒。まあそういうことは置いておいて、肝心なのは喜んでもらえたかである。どう? と反応をせがむと、祐月はもう一度ウーパールーパーと向き合った。
「……。かわいい」
「……え」
「かわいい。うん、ありです。ありがとうございます」
 まじか。全然嬉しさの滲んでいない真顔でそう言われても。嫌味かと思ったが、どうやら本当に気に入ったらしい、テーブルの一角にぽんと座らせている。食事中もずっとそのまま、すっかり食卓の一員のような顔をするウーパールーパー。祐月は時々頭を撫でたり顎を触ったりと、まるで猫が新しいおもちゃにじゃれつくようだ。予想以上に喜んでもらえたらしい。顔には出ていないが。
 夕飯も食べ終わり、風呂に入って寝る支度が整ってからも祐月はぬいぐるみを離さない。ベッドに腰掛けてもずっと膝の上に座らせて、足を引っ張ったり触覚をふにふにしたりしている。正直普段は常に一歩引いてどこか冷めた目をしているこいつが、たかがぬいぐるみにここまで関心を寄せているというのは、長年の付き合いの俺からしても喜ばしいことだし、何より可愛い。目の保養だ。だが、それで俺に構ってくれないのでは困るのである。俺は極めてご機嫌な風に、祐月の隣にどっかりと腰掛ける。そしてひょいとぬいぐるみを奪い、自分の膝の上に置いた。それと同時に、祐月が小さく「あ……」と寂しげに呟く。ぬいぐるみを触ると、随分こいつの熱にあたためられているらしく、温かった。こちらを見上げる脱力感のあるアホな顔が、少し憎たらしい。
「ウパさん……取られた」
「ちょっとくらいいいだろ。なーんかやる気なさそうな顔してんのな、こいつ。てか、ウパさんって何」
「その子の名前です。ウパさん」
「安直だな……じゃあまあ、ウパさんはこっちに置いといて、と」
 ウパさんを祐月とは反対側に置くと、また小さく抗議と悲しみの声が上がったが、まあいい。手持ち無沙汰になっていた彼の手を、シーツの上でそっと握る。いつもの、合図だった。逸らした顔をもう片方の手でくいとこちらを向けさせる。そして額をぶつけて、迫る。
「今日、……だめ?」
 視線が合わないのが寂しくて、眦に口付けると少し目が細まった。
「面倒かけた分、いっぱい尽くすから、ね」
 俺は、俺の声を割と評価している。できるだけ低く甘い、鼓動に響くような囁きを耳元で繰り返していれば、昔女の子にはよくモテた。ただこいつは例外らしく、冷たい目で返されることが多いのだが、今日は無反応だ。無反応ってことは、勝手にしていいってことだろう。わざと唇は避けて、目元や頬や唇の端に、音を立てながら口付けていく。耳元に口付けた時に鼻から抜ける喘ぎに近い吐息がして、それを「いいよ」のサインだと勝手に思ってゆっくりと肩を倒していく。耳の下あたりでひとつにまとまっていた黄色い髪が重力に従ってばらける。この瞬間がたまらなく好きだ。堕ちたのだ、と明確に分かるから。時計の秒針の音さえも聞こえるような静寂の中、わずかなリップ音と吐息が響く空間。頭がだんだんと熱に浮かされてきて、唇に触れられないことに我慢できなくなる。腕で壁を作って覆い被さり、荒っぽい勢いのままキスをしようとした俺の唇は、衝突した。何にって、まあ柔らかいことには変わりないが、唇よりかは随分と骨っぽいこいつの手の甲にだ。むにゅ、と押し付けられた間抜けな唇は、ウーパールーパーの線分で描かれた口をなんとなく思い出して、変な気分になった。
「……祐月?」
「だめだ、……だめ、だ」
「そんなに俺、だめだった……」
「いや……、そうじゃなくて」
 祐月はゆっくりと身を起こすと、待てをされた忠犬のような俺に少し躊躇いながら告げた。
「今日は……だめです」
「……もしかして、生理」
「ふざけないでください」
「じゃあなんで」
「だめなものは、だめなんですって……」
「だめじゃなくするから、ちゃんと気持ちよくするから、だめ? ……あいだっ」
 デコピンをされた。その痛みの一瞬に、祐月は俺の拘束からさっと抜け出し、いつのまにか奪い取ったウパさんをちゃっかり脇に抱え「顔洗ってきます」と言い残し去ってしまった。ベッドの上に置いてかれた俺ひとり、一体どうしろって言うんだろう。帰ってきても何も言わないまま布団に潜り込み、ウパさんを抱き締めあっさりと眠ってしまうし。ぬいぐるみよりも俺の方があったかいし、色々サービスもついてるし、絶対選ぶ方間違えてる。仕方なく俺も隣に入って睡眠を試みるが、一週間溜まった欲求不満をぶつけたくてたまらない相手が隣でスヤスヤ眠っているというのは、色々と辛い。あまり男らしさを感じさせない頸とか、細い腰とか。まあ、今日はだめでも明日は土曜日だし、楽しみが後倒しになったと思えば良いか。そう思って眠ろうとして数時間後、とりあえず一発抜いてから寝た。


 そしてやってきたサタデーナイト。俺と祐月とウパさんとの謎の食事も終え、昨日と同じように風呂に入り、でもあっさり床に入るかと思えばやっぱりそこは土曜日だ。夜更かしがしたい気分なのである。そこで昼間のうちに用意しておいたこれ、B級ホラー映画のDVDだ。選ぶ時から否定的だった祐月だが、見始めてしまえば夢中になるし、怖がって引っ付いて距離も縮まるし、完璧である。と、ここまでは予想で、実際はというと、俺のほうが怖がっていた。祐月も急な叫び声や瓦礫の音がすると腕の中のウパさんをぎゅっと抱き締め、確かに怖がっているのだが、縮まっているのはウパさんとの距離である。むしろ、これだけホラーでも表情の一切変わらないウパさんはある意味最強だ。一時間半ほどの短い映画が終わると、俺も祐月もなんだか一走り行ってきたような疲労感を肩に乗せていた。ソファーで隣同士腰掛けて、溜息をつく。
「祐月……無理、今日一人で寝れない」
「ウパさんは貸しませんから……」
 我ながら上手い方向に繋げられる話題を見つけたと思ったのに、ウパさんめ……。ゆるい顔が本格的に憎い。こうなったら、正面から勝負を仕掛けるしかないのか。時刻はなんだかんだ午前一時。良い具合の時間である。ソファーの上で正座して向かい合うと、祐月が少し警戒するかのようにウパさんを抱き締めた。
「なあ、あのさ……昨日もできなかったし、その、したいんですけど」
「……だめです」
「な、なんで」
「……さっきにんにく食べたでしょう」
「俺も祐月も、歯磨きちゃんとしたもん」
「……だめなものはだめ」
「……なんで、なんか怪我でもした? 何かあったならほんとに言えよ、心配だろ」
「大丈夫ですよ、ただ、だめなだけ……」
「俺がだめなの、お前がだめなの?」
「わかんない……です」
 徐々に距離を縮めていくが、同じ分だけ逃げられる。今までこんな風に逃げられたことはなかったし、そもそも拒絶されたこともなかった。基本、風か何かに生き方を任せてしまっているようなこいつだ。俺が拾ったことでどうにか生活はしているが、出会ったばかりの頃は今にも野垂死にそうだったし、そのことを気にも留めないような有様だった。そのくらい元から意志の薄い奴なのを利用して、俺はこいつを好きだという名目のもといいように使っていたのかもしれない。そして今ようやく、そのツケが回ってきたのかもしれない。赤い瞳が俺を見ない。いつもなら、どこか虚ろでも色めいた視線で俺を遊んでくるというのに。代わりに俺を見つめてくれるのはウパさんのま黒いふたつぶの瞳。あいつが、まるでふたりの境界線の門番のようだ。あの阿呆な顔で、こっちに来るな、と言っているような。気が重い。耐えきれなくて、口にした。
「……キスもだめ?」
「だめです……」
「抱き締めるのは?」
「だめ……」
「……。触るのは?」
 たっぷりと時間を置いて、祐月は思索を巡らせているようだった。お触りも禁止って、そりゃあ共同生活する上でだいぶ危ないような気がするが。祐月は散々迷った後、ソファーを這っておずおずと手を伸ばしてきた。俺もそれに答えるように、ゆるゆると手を伸ばし、重ねる。はっと震えた手のひらだったが、握りしめてそれを抑える。だめだ……と言いかけたのを無視して、少しずつ握りしめる角度を変えて細い指を堪能していく。俺の骨太な手と彼の華奢な手は幾度も絡み合い、まるで重いキスのようだ。これが大丈夫なら、抱き締めるのもいけるだろう。ぼおっとした表情で掌の絡み合いを見つめていた彼の、顎をクイと持ち上げる。
「……祐月、」
「だから、だめですってば……っ!」
 途端、もふう! としたやわらかいものに顔面が覆われる。言わずもがな、ウパさんである。しかも顔面。見事に口付けを交わしてしまった。酷い。今までのもう少しで押し切れそうな空気を全部壊してくれる、眼前のこの表情。祐月はその隙にソファーから離れ、まるで威嚇する猫のように俺を睨みつける。そこまでされたら、もう俺も何もできまい。
「悪かったって、もう何もしないから!」
「信用できません」
「まじかよ……てか、なんでいきなり生娘みたいになってんの、もしかしてとうとう俺に惚れた?」
「ばっっっかじゃないですか……?」
 心底軽蔑したと言わんばかりと声色で即座に否定された。その線、割とアリだと思ったんだけどな……。
 その日、結局祐月はベッドに潜ったものの俺の侵入を許さず、俺はソファーでウパさんと寝ることになった。あれだけ一緒にいたからか、ウパさんには少しだけあいつの匂いが移っていた。なんだよ、苛立ちからでこぴんをすると、ウパさんの額はじんわりとその衝撃を吸収していく。なんだよ。

 その次の週も、次の次の週になっても、祐月の様子は変わらなかった。むしろ悪化していく一方で、一ヶ月経つ頃には半径一メートル以内に入ったら殺す、というような目をしている。おかげでソファーで寝るのも慣れたもんだ。だが、俺の欲求不満は募る一方――まあ自己処理はするが、それでもあいつを抱きたい、という欲求はまた別のところにあるのである。体の相性が良すぎるのがまず悪いし、それにあいつは、祐月は、なんだかんだ可愛いのだ。普段涼しげでどこかぼんやりとした顔をしておきながら、快楽に茹だった蕩けそうな顔が、震える子鹿のような脚が、艶めき誘うような目が、仕草が、たまらなく可愛くて可愛くて、たまらないのだ。それこそトイレに篭ってそんなことを考えることが増えてきたこの頃は、仕事終わりの帰り道でもそんなことを考えていた。今日は思ったより仕事が終わらず予想外に遅くなってしまった。ご飯要らないって連絡し損ねてしまったし、やはり怒っているだろうか、あいつ。
 ただいま……と小声で呟くが、返事はない。恐る恐るリビングまで歩いていって、愛おしくなった。なんというか、ベタすぎる。二人分の食事が並ぶテーブルと、椅子に座るウパさん、そしてソファーの上で丸まって眠る、俺の……なんだろう。わからん。寝顔をこんな近くで見つめられるのも一ヶ月ぶりだ。大体、こいつの方が起きるの早いから。緩みきった顔だ。やはりこいつ、なかなか猫っぽいところがある気がする。膝を抱いて丸まる姿はさながら血統書付きの高級お猫様といった気品がある。髪が黒地のソファーの散らばって綺麗だ。色素の薄い毛質は顔もそうで、俺にはない金色の睫毛が瞼を縁取っている。少しだけならばれないだろう、目の下あたりを軽く親指で触れてみる。ピクリと反応して震える睫毛がかわいい。調子に乗って、頬へ、顎へ、唇へと指を沿わせると、少し寝返りを打つように身を揺らす。かわいい。それまで想像してきたこともあって、邪な気持ちが色々とその、湧いてくる。少し首を持ち上げた隙に見えた頸に、つい口付けてしまったのが過ちだった。耳元へそのまま唇を滑らせ、彼の瞳が薄く開きかけたときにはもう唇を奪っていた。抵抗される前に両手首を頭の上で縫い付けて、空いた手で顎を固定する。唇で唇を持ち上げて、ぬるりと離して、音を立てる。口がはくはくと震え何か言いたげなのを察して、一度だけ口付けをやめてあげた。
「え……え、あの、」
「ごめんね、あとで怒っていいから……」
 それからまた、繰り返し。
 意識が目覚めはじめてしまった祐月は、案の定状況に混乱しながらも逆らえない心地良さに堕ちていくようだった。勿体ぶるようにたっぷりと、時間をかけて尽くすように唇を溶かしていく。蜜と蜜が唇で絡み合う。けれど決して奥には侵入せず、いたぶり可愛がるだけにしておく。これは、祐月の方が上手いから、あいつのペースに任せた方が気持ちいいのだ。だがいつまで経ってもぼんやりしたままの表情を見て、ああ、いつもの癖をやったしまったのだと気がついた。今のこいつは、いつものこいつではないのだった。
「……なあ、祐月、なんでだめなの?」
「わからない……わからない、けど」
「他に相手でもいるの……? 女? 男?」
 キスの合間にゆっくりとボタンを外したシャツを脱がせ、インナーの中に手を滑り込ませていく。擽ったそうに、心地良さそうに声を漏らす唇に、またやわらかい快楽を与える。
「……そいつとやってるから、俺はいい、とか? そういうこと? それなら、ちゃんと言えよ」
「違う……ってば、そんな相手、」
 インナー越しに胸の頂にそっと触れると、ぴくんと分かりやすく反応した。言葉が途切れるのが、何とも可愛い。ほんの少しお仕置きっぽさがあるのが、変に興奮を煽った。そのまま胸には触れずに腰へと手を滑らせていくと、さっきよりも甘い息が漏れた。徐々に感じる為のスイッチが押されていっている。しかも普段なら否定も肯定もせず、ただ言葉のない息だけなのに、今日はそこに否定の言葉が乗るのが余計にいやらしい。完全に覆い被さる体勢になると、影になった祐月は怯えたように身を縮めた。らしくないその可愛くて、ついクツクツ笑みが漏れる。
「だめだ……、だめなんです、漣さん、聞いて」
「俺ももう『だめ』だから、お互い様だよ」
「ばか、そういう話じゃなくて……!」
 インナーを肩まで捲し上げて胸の飾りに吸い付くと、堪えきれずに開いた口から不規則な吐息が漏れ始め、それが一層気分を盛り上げた。押さえつけたままの片手が惜しいくらいだ。やがて言葉をなくしていった声は息と混じり合い、俺の息とも一緒になって獣のセックスのような音が空間を支配した。互いの体がどんどん火照っていく。唐突に舐めた首筋は汗の塩辛い味がした。胸を弄られて力を無くしている隙に、俺もシャツとインナーを脱ぎ払ってもう一度視線を戻すと、祐月ははっと目を逸らしていた。それに少し、苛立ってしまった。
「なに、ちゃんと見ろよ」
「……、それはだめ、」
「なんで? やっぱりお前恥ずかしいの?」
「そういうのじゃない……むしろ、漣さんのほうが見ないで」
「バックで……? 嫌だよ、俺お前の表情見てたいんだから」
「それがだめなんだ……、って……」
 つう、と指先で優しく、細身のパンツの上からなぞると、痺れるような声が溢れた。ベルトも外し下着ごと一気に奪い去ってしまうと、苦しそうだったそれは膨らみを持ち可愛らしく起ち上がった。もう、ここまで来たら逆らう気も無いのだろう。荒い呼吸のまま目を閉じた彼に、犯人であるはずの俺がつい、はっとする。大事なこいつに、何してんだ。ゆっくりと顔を近寄せ、憐憫の情の混ざったキスをすると、甘い赤色の瞳がかなしく緩んだ。
「ねえ、もういいから……もういいから、離して、漣さん」
「……ごめん、」
「ちゃんとするから、いつも通りやるから……」
 しっとりとした声色に負けて、ゆっくりと手首の拘束を外していく。祐月は少しだけ上体を起こし中途半端に着ていたシャツやインナーを一枚一枚放り投げてゆく。結わえてボサボサになっていた髪もしゅるりと解くと、手櫛で少しだけ整える。そうして出来上がった完璧な裸体は、ひとつの芸術品のようだった。月明かりに縁取られたその妖しくうつくしい身体で、祐月は俺の首後ろに手を回し、引き寄せてキスを誘った。長い前髪の隙間から覗く瞳が、冷ややかに麗しく歪んだ。
 いわゆる深い、大人のキスという奴に関して、こいつは何故か上手い。さっきまでの攻勢が嘘のように、俺はこいつの唇に全て溶かされ、支配されてしまう。ひんやりと生気の無い冷たい唇で上唇をゆっくりと挟まれ、離され、端の方を咥えたと思えば裏側に忍び込んだ舌が擽る。これが、気持ちよくて他になにも考えられなくなる。しばらく夢中になって貪りながら、俺は祐月の体に指先を纏わりつかせ、熱を施してゆく。焦らすように脚を擦り合わせているのを機に、片方の膝裏に手を滑り込ませるとゆっくり持ち上げた。太腿を伝い、秘部へと指が辿り着くと、舌がひ、と引っ込んでいった。唾液の糸が同時に吸い込まれていって、祐月は少し眉を顰めた。それに無言で笑うと、俺も服を脱ぎ捨てた。
「ん……」
 悩ましげな声が耳元に響いた。片手でものを掴み、もう片方の手に唾液を馴染ませてから秘部を広げてゆく。指が増えるたびに少しずつ精を穿っていくのが可愛らしい。溢れたものを手に馴染ませていると、息絶え絶えながらも気持ち悪いという風に睨まれた。うん、この冷たさこそがいつもの祐月である。安心する。
 すっかり膨らんだ俺のものにもゴムを付け、腰を持ち上げる。膝頭にキスをするのを合図にゆっくりと挿入をはじめる。俺の低い吐息と、祐月の苦しいような解放されるような吐息とが絡まり合う。奥まで届いてから額を合わせると、互いの汗がじわりと滲んだ。彼の頬が、湯上りのように耳まで火照っている。でもこれは恥じらいから来る熱ではなく、ただ生理的に触られたから熱くなっているだけだと、俺はよく知っている。だからこそ、驚いたのだ。まるで恥じらう乙女のような挙動だったが、どうやらもうそれも吹っ切れたらしい。逸らしていた視線同士が重なり合うと、薄い唇がいかがわしく揺らめいた。
「……、どう、ぞ」
 律動が始まってからは、もうだめだった。こいつの全てを壊すように抱いた。祐月は、いつも通り眉を顰めて快楽を堪え続けていたが、とある瞬間はあっと大きく息を吐き出して力を無くした。腕の力ががたんと抜け落ち、ソファーの端に宙ぶらりんになる。それでようやく気付けた。だいぶ、無理をさせた。
 未だ震える身体の上の汗や精液を拭い去ると、ベッドに運んで布団を掛けた。張り付いた髪をそっと払ってやると、少しだけ目を覚ます。
「ごめんな……」
「ばか……」
「ごめん、でももう、だめじゃない……だろ」
 あれだけ一つになってぐちゃぐちゃになったのだ。荒治療かもしれないが、あれで治らない訳がないだろう。セックスは、要するに、相手の全てを受け止める行為だ。結局何がだめかは分からなかったが、頭じゃなくて、心の問題なら、これで吹っ切れてくれるだろう。それに、もう終わりがけには、態度も仕草もいつもの祐月だった。もう、日常は帰ってきたんだろう?
 祐月は俺からゆっくりと視線を逸らした。そして、今はいないウパさんの指定席――祐月の右隣を見つめながら、微かに囁いた。
「だめ……です、ごめんなさい……」
 ああ。
 こいつは、一体どこに行ってしまったんだろう。
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