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「名字サンってさ、可愛いよな」

そんな声が耳に入ったのは季節も巡って無事迎えた第二学年。花巻は一瞬シャーペンを回していた手を止めそうになった。というか止めた。
偶然か必然か、クラス替えを経て同じ教室で学ぶこととなった名前の名を男子生徒たちの口から聞くのはこれが初めてではない。

「あーあのテンパの?まあ確かに顔は可愛いよな。あんま笑わねーけど」
「いやよく見てればなんとなく表情変わってんだぜ。俺前に席隣だったからちょっとならわかる」
「へえ、マジか」

ちょっとどよめく男子たちを横目に、花巻はふんと鼻を鳴らして頬杖をつく。席が隣のわずか一か月で読める名前の表情など十分の一にもなるものか。つーかアイツが可愛いなんてずっと前からわかってることだし。

そこから視線を流して見やった教室の隅、一年の頃と変わらず椅子に腰を下ろした彼女の周りにはしかし、入学当初の時とは違って数名の女子が集まっている。
当初と変わらぬ淡い茶髪の髪には随分くたびれたピンクのシュシュ。もう捨てればいいのに、なんて口では言う花巻であるが、後生大事にそれを使う名前の姿に満更でもない思いでいるのは秘密である。


花巻がシュシュをあげて以来、名前は殆ど毎日それで髪を結って登校するようになった。初めは上手くいかずもふもふにしては花巻が整えてやっていたが、それを見かけた及川が事情を聞き、セット用のヘアスプレーを与えたことでまとめ髪の技術は格段に上達した。

しかしそれでお役御免になるのを良しとしたり、既に女子人気を獲得していた及川にその座を譲る花巻ではない。
左耳の下で一つ括りにばかりしていた名前にハーフアップやら何やらとバリエーションを広げにかかり、慣れるまではちょくちょく手を貸して気ままな癖っ毛を整えた。そんな従妹仕込みの花巻のヘアアレンジ力に惹かれて集まった女子らの会話に名前を上手く巻き込んで、浮きがちだった名前をクラスの輪に引き入れた。

明けても暮れても同じシュシュばかりつけてくる名前に髪飾りを二、三買い与えたのも花巻だったが、こればかりは上手くいかないらしく、彼女は今も初めにあげたピンクのシュシュをしばしば使いまわしている。しかし前述のようにそれも満更ではないので、花巻としては解決しなくてもよい悩みである。

ぱちん、視線を感じたのかふと振り向いた名前の色素の薄い大きな瞳が、頬杖をついていた花巻を捉える。悪戯げにひらひらと手を振ってやれば、名前はふと眦を緩めてだぼついたカーディガンから覗く指を揺らしてみせた。

さっきまで名前の話をしていた男子らが彼女の視線の先を追って花巻の存在に行き着くのがわかる。驚きと僅かな羨望の視線には敢えて気づかないふりをし、ひっそり味わう優越感。名前がこんな風に柔らかく笑って見せるのは、ごく少ない女友達と花巻に対してだけなのだ。




「花巻」
「お、どした?」
「おくれ毛出た。直せない」
「ん」

名前が花巻の元を訪れたのは昼休みに入ってすぐのことだった。いつも昼食を共にする松川たちがまだ来ないうちにと思ったのだろう。
手を伸ばしてやれば何を言わずとも無言のままくるりと振り向き、手近な椅子に腰かけて頭を差し出すのは長年の習慣のなせる業。晒された色の白く頼りない項が眩しい。ポニーテールを教えたのは自分だが、これを他の男にも見せるのはなんだか癪だ。

立ち上がって見下ろした小さな頭からシュシュを外し、ゴムを解いて、解放された手触りの良い癖っ毛をゆっくり梳く。表情の乏しいながらも気持ちよさそうに瞼を閉じる彼女の、伏せられた飴色のまつ毛が目に甘い。

「やっほーマッキー…って、アララ、お邪魔しちゃった?」
「!」
「あ、こら動くな名字」

皆が来る前にと名前が打った先手はしかし一歩遅れたらしい。弁当包みを片手に乗り込んできた茶髪と黒髪は言わずと知れた阿吽の呼吸。とりわけ整った容姿で人目を引く及川がニヤニヤ近づいてくるのを見て、思わず逃げ腰になる名前の頭を花巻が固定する。さっきまでのリラックスモードを放り出してもぞもぞし始めた名前から、岩泉は及川の首根っこを遠慮なく掴んで引き離した。

「クソ川やめろ、怖がってんだろうが」
「ええっ怖がってはないって!ね?」
「…」
「これはアレだな、絶対零度の眼差し」
「松川的確過ぎる」

警戒心の強い猫の様な反応と花巻のサムズアップに松川がからから笑う。同じく面識が少ないながらも無用に近づいてこない岩泉と違って、無駄にフットワークの軽い(つまりチャラい)及川には未だ心の壁が高いようだ。名前は及川に関してヘアスプレーやヘアケアの件で恩があるとはいえ、それ以上の歩み寄りにはまだ至らないらしい。

「名字、前向いてな。もう終わるから」
「…ん」

くるくると指先で弄んでいた髪を名残惜しくも流して手放し、耳の後ろから軽く束にして掬う。かるく捩じって後ろに集めて、肩口にまで流してまとめ、ゴムとシュシュを戻してやれば、お馴染みの肩下一つ括りが出来上がった。ちなみに項も上手に隠してある。
名前は肩口に落ちる癖っ毛をみやり、怪訝そうに花巻を見やった。

「ハイ完成」
「…ポニーテールじゃないの?」
「そろそろ頭皮痛いと思ったんだけど、ヤだった?」
「花巻がいいならそれでいい」

ありがと、と至極真面目な顔で告げると名前は椅子から立ち上がり、それをあるべき机の下に戻す。細っこい指先がやっと覗くほどのカーディガンはサイズを間違えて注文したものらしいが、萌え袖を通り越したそのだぼつき具合は花巻の気に入りでもあった。

「いーね、その髪型。可愛い」
「、…どうも」

さらりとした松川の賞賛に含みがないことがわかったのだろう、名前は素直に礼を告げる。相変わらずその表情に照れとか驚きとか嬉しさのようなものは見えないが、花巻からすればカーディガンの袖をいじる指先の仕草だけで十分だ。ちょっと面白くない。
警戒心を解かないなりにも、及川や岩泉にも会釈して場を離れるあたりが彼女らしい。

「納得いかない、絶対岩ちゃんの方がコワく見えるはずなのに」
「俺はてめぇと違ってむやみやたらにベタベタしねぇんだよ」

ぶつくさとこぼす及川を遠慮なく一刀両断する岩泉の物言いは今日も今日とて爽快である。そんな二人の息の合った言い合いをBGMに、弁当包みを解いた松川がふと思い出したように言った。

「そういやこの前聞いたんだよ、名字さんに」
「何を?」
「岩泉はともかく、及川にもちゃんと挨拶するんだねって」
「…そりゃ、苦手なヤツでも挨拶はするでしょうよ」
「まあそうなんだけど」

名前はそんな非常識な女子じゃない。ちょっとむっとした花巻に、松川は早とちんなよと苦笑する。弁当箱の隅に埋まったハンバーグをさっそく口に放り込んだ彼は、実に何げない口調でパンの袋を開けようとした花巻の手を止めた。

「花巻の評判が悪くなったらヤなんだって」

一瞬黙った。松川がニヤリと笑うのがわかった。

「随分大事にされてんのな」

流し目一つ、口元に弧を描くこの老け顔の友人には、下手したら誰にも言わず一人噛み締めているつもりの優越感も権利のない独占欲もお見通しなのかもしれない。
花巻は無言でクリームパンにかぶりつき、それからニヤニヤ笑いを浮かべたままの松川に、「余計なことすんなよ」と不機嫌に釘を刺すのが精一杯だった。


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