▼ ▼ ▼

「花巻」
「お。はよ」
「うん、おはよう」

頷く頭の位置は二の腕あたり。ふわふわとゆるく波打つ髪は今日も絹糸のようで、陽を浴びて透ける色は脱色したようにも見える。だぼだぼしたカーディガンは先週クリーニングに出したそうだ。珍しく下ろしたままの髪と同じ色をした目を眠そうに瞬かせる同級生の少女に、花巻は小さく笑った。

「今日は下ろしてきたんだ」
「…寝坊した」
「のわりには寝癖マシじゃね?」
「昨日ちゃんと乾かした」
「及川方式で?」
「及川メソッドで」
「なんでそこ英語なの」
「ちょっとダサくしてみた」
「採用決定」

茶化してノッてやれば肩の下、何も言わずに彼女が笑う。もちろん笑うといっても相変わらず、よくよく観察してようやくわかる唇の綻び程度の話だ。しかし滅多に笑みを見せないと評判の名前だが、その実ちゃんと見ていればそれなりにわかるようになるものである。周りの奴らには絶対教えてやらないけれど。

いつからかなんて覚えていない。でも最近はいつもこうだ。色白の肌に自然に映える赤が微かに弧を描くと、花巻の心臓はことことと音を立てて小さく騒ぐ。名前を付ける要素はすでに十分出揃っている。けれど今はまだ無名のままこの甘酸っぱい感情に浸っていたい。そうとも、男子高生だってキュンキュンしたいお年頃なのである。

けれどそうとなればどうしたって機会があれば触れていたい。何気なく伸ばした手でふわふわと指通りの良い髪をかき混ぜ、その下の小さな頭を優しく撫でる。耳元にかけてやればくすぐったそうに肩をすくめられ、思わず頬がゆるんだ。寝癖が治らんとぼやいた名前だが、同じく及川のドライ技術を伝承されたとだけあって、いつも以上に艶のある気がしなくもない。

軽く整えて手を放せば、見下ろす瞳が瞬きの数を増やす。髪と同じ色をした長い睫がいつもより駆け足で上下するのは少し照れた時のサインだ。あーあ、可愛いヤツ。思わずもう一度手を伸ばしてうりうりと撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細める彼女に花巻の頬は緩む。

目が合えば何を言うわけでもなく眦を緩める花巻に、名前も殊更表情を柔らげる。彼と共にいるときの名前は抜きん出て表情が豊かであることに気づきつつある者は少なくない。それはまさしく、

「あーもうホント可愛い」
「…ぐらいは思ってそうだな、あの締まりのねぇカオ」

花巻自身の肉声ではないが実に的確な代弁をしてみせたのは松川一静、朝から胸焼けしそうだと副音声でこぼしつつ頷くのは岩泉一。あれだよな、付き合う寸前が一番楽しいってヤツ。まあ名字に自覚あるかはわかんねーけどな。あーね。

そんな朝っぱらから局地的リア充ムードを醸すメラニン過少コンビの後ろ姿を、生温いながらも温かい目で見守るチームメイト二人の横で、つい最近彼女に振られたばかりの及川は嫉妬の眼差しで眺めつつ言った。

「ぐぬぬ…マッキーばっかずるい…!あれで付き合ってないって何なの一体…!」
「僻むな及川。事実婚的なアレだろ」
「いや結婚ではなくね?」


160211
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