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「花巻」

静かに凪いだ、それでいて女子らしい丸みを帯びた声で名を呼ばれるのを花巻は結構気に入っていたりする。そしてそれに彼が反応を見せない時、袖やら裾やらをちょいちょいと引いてくる仕草も。
それをされたいがためにわざと気づかないふりをする彼を、松川あたりがよく温い眼で見てくる。こっち見んなバーカ。

「花巻」
「わり、気づかんかった。どした?」
「差し入れ」
「お、マジで?いーの?」

相変わらず乏しい表情のままずいっと差し出された袋の中には、コンビニのシュークリームとスナック菓子が二つほど。
シュークリームは俺に、あとは四人でということだろう。ポテチとポッキーを机の真ん中に出せば、及川たちがちょっと驚いたように花巻を見やり、それから名前を見やった。視線を浴びた彼女は無表情のまま花巻の背中に隠れる。随分接近距離が縮まった今でもまだ警戒した猫のような反応に花巻は笑い、チームメイトに翻訳した。

「みんなでドーゾってさ」
「え、俺らもいいの?」
「…どうぞ」
「うわーありがと!」
「悪いな、さんきゅ、名字」

返事がないのは頷いただけだからだろう。椅子に腰かけたまま首をのけ反らせ、自分の背後に佇む名前を逆さまに見上げる。こいつらにまで気遣わなくてよかったのに。言ってやれば、名前は無言で花巻の後頭部を掬い上げると、彼の頭を前へ戻した。そしてだぼついたカーディガンの袖から除く両手の指先で、彼女の気に入りである細いピンクブラウンの髪を撫でる。

「花巻の大事な人たちだからね」

淡々とした声と裏腹に、いつくしむ、そんな言葉が似合うような、ゆったりとして甘い指遣いだった。短い前髪を掬い、彼の色の白い額を拭うように撫でると、名前は彼の髪から手を放す。そうして菓子を開ける手を完全に止め、言葉なく自分たちを見ていた及川たちに照れるどころか何事もなかったかのように、すたすたと自分の友人たちの元へ戻ってゆく。

うわ、何今の。

込み上げてくる熱が頬を温める。無言のままにもだもだと机に突っ伏した花巻に、仲間たちは三者三様の感想(もとい追撃とも言う)を述べた。

「あー今のはクるわ。ドンマイ花巻」
「やっぱずるい!マッキーばっかりあんな可愛い子とリア充とかホントずるい!」
「花巻お前いつんなったら告白すんの?」
「松川見んな。及川ざまァ。岩泉はちょっと黙ってろ下さい」
「つーか前はあれ、花巻の評判のためって言ってたよな」
「それが今回は花巻の大事なダチだからってことは」
「え、もしかして俺らの好感度アップしちゃってる?」
「松川マジお前余計なこと言うな」

付き合ってもない男が独占欲とかよくありませーん、とここぞとばかりにニヤニヤする及川を、花巻は視線だけで殺しそうな目で睨む。しかしすでに青城一の男前と名高い岩泉はそんなチームメイトに対してやはり揺るぎなかった。

「けどマジな話、うちのクラスにも名字狙ってるってヤツいるみたいだからな」
「は!?誰!?」
「マッキー必死過ぎか」
「知んねーけど。まあ行動は早いに越したことねーんじゃねえの?」

ぽいっと放り投げるように言う岩泉を花巻は恨めし気に見やる。あの心地よい距離感と今の関係を変えたくて変えたくないこの葛藤、朴念仁にはわかるまい。そんな一言を言えば普段及川に繰り出されている拳骨が降ってくるにちがいないので黙っておくけれど。

だがもし、万が一、名前に彼氏ができたとしたら。そうしたらあのふわふわの髪に触れることも、あげた髪飾りをつけることも、崩れた髪を直してやることも、ふっと綻ぶような淡い笑みを見ることも出来なくなる。それは全て自分以外の男の特権となる。

それを自分は遠目に見て何も思うことなく過ごすことが出来るだろうか。答えは火を見るよりも明らかな否だった。


160222
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